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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
156/176

151:間諜ごっこ

 婚約者の顔は確認した。ガルシエ爵が退室してから、充分な時間も置いた。


 であれば、そろそろ動き出しても良い頃だと考えて、オーリとクチバシは視線を交わす。

 ここに来た目的は、そもそもガルシエ爵の捜査。先程の『揺さぶり』が効いていれば、運が良ければ何らかの動きが見られるだろう。


「……何とかするよ。シェパのことも。君のことも。

 君から庇護者を奪う結果になるかも知れないけど。その代償は、必ず払う」


 すやすやと眠っている赤子の丸い頭を最後にそっと撫でて、オーリは再びフリルの下に隠れたクチバシと共に部屋を抜け出した。


 オーリが館を見て回ることはガルシエ爵が使用人に伝えているだろうから、少々危険な場所をうろついているところを見られたとしても「道に迷った」と言い訳できる。少し考えて窓を指差すと、心得たとばかりにクチバシが頷いた。


『ガルシエ爵には先程マーキングをしておきました。今ならまだ追えますが……まずはそちらから行きますか?』

「うん。館内を調べようにもどこに行けばいいのか分からないし、少しうろうろした後でガルシエ爵を追いかけよう。どうにも『急な来客』ってのが気になるんだよね」


 貴族の家に来るなら事前にアポを取るのが当然だし、恐らくガルシエ爵も今日はオーリの相手をするつもりでいたはずだ。このタイミングでやって来る『客』とは、なかなか胡散臭い。


 軽い足取りで廊下を歩き出せば、度々使用人とすれ違った。何人かは供をしようかと申し出てくれたが、のんびり好きに散策するのが好きなのだと断りを入れる。

 これから庭を見に行くの。素敵な絵画をお持ちと聞くから、後でそちらも見に行きたいわ。ニコニコ無邪気な顔で嘯いておけば、いつしか誰もオーリの姿を見なくなったとて、勝手にどこかをうろついているとしか思われないだろう。浮かれた子供が初めての館で冒険気分を味わっていても、不審に思うことなど何もない。


 愛用している黒石の魔術具は、今日もこっそり服の下に忍ばせてある。

 一頻り使用人たちに愛想を振り撒いた後、オーリは素早く物陰で黒石を発動させた。

 周囲の景色に溶け込むように幻影を被り、カメレオンのように姿を隠す。

 その後で出くわす使用人たちは一転してオーリを視界に入れることなく通り過ぎ、彼女はクチバシのナビに従って館の奥へと侵入していった。


『――いました。あの部屋です』


 てん、とオーリの肩に飛び乗ってきたクチバシが囁いて、小さな翼で前方の扉の一つを指した。

 分厚い扉は残念ながらぴったりと閉まっていて、入り込むことは出来なさそうだ。オーリは扉に耳をつけ、防音仕様になっていることに眉根を寄せる。


「ラトニ、中の様子は分かる?」

『室内の光景までは分かりませんが、音声だけでも引き出してみます』

「うん、お願い」


 発声によって表れる分子の振動を、空気中の水分子を通して自分たちのもとまで届ける、ラトニオリジナルの盗聴用魔術。

 それをクチバシが発動させた途端、苛立ちに満ちた男の声ががんと耳元に響いて、オーリは小さく肩を震わせた。


《――――に気取られるのが何を――るか、分から――いだろう!》


 ザザ、と混じるノイズが鼓膜を打ち、オーリは顔を顰めて耳を抑えた。

 所々不明瞭で聞き取りにくいが、誰かを叱りつけるその声は、確かについさっきまで一緒に茶を飲んでいた男――アーロイス・ガルシエ爵のものだ。室内にはガルシエ爵の他に、少なくとも一人以上、ガルシエ爵より立場の低い誰かがいるらしい。


《――なものは、そちらで対処しろ! 余計な――をさせるな!》

《――うは言われてもガル――様、あの小娘、どうもしつこくて……もともと我が――ルドの理念は――――あまりに派手な対応をすれば、上層部が――ってしまうやも》

《お前如きの上司より遥かに――な方々が、シェパを――しているのが分からないのか!》


 会話相手の声が聞こえて、お、とオーリが耳をそばだてた。意味がないと分かっていながら扉に張り付き、何とか音を拾おうとする。

 クチバシがふるふると羽を震わせ、盗聴の精度を上げようとしているようだが、それでも消えないノイズのせいで聞き取りにくい。密談用の部屋だから、扉に盗聴妨害の仕掛けでもしてあるのだろうか。


(話し相手の声、どっかで聞いたことがあるような気がするんだけど……)


 首を捻りながら記憶を漁るオーリの肩で、クチバシが『確か、商業ギルドですよ』と告げた。


『ギルドのシェパ支部長の声です。サラさんを追い出していた時に聞いた声と一致しますから』

「あ、そう言えば……!」


 指摘されて、はっと納得する。

 名前は知らないが、サラに対して妙に攻撃的だった男だ。公正を旨とするギルドの方針を曲げてまで、サラがワクチンを入手する妨害をしているという人間。

 以前に推測していたこと――商業ギルド支部長の背後に上級貴族レベルの権力者がいるだろうという仮定も、ガルシエ爵なら当て嵌まる。ガルシエ爵が商業ギルドに入っていく姿を見たことはあるが、まさか直接的に繋がりがあったとは。


《――いから、貴様はさっさと仕事を――せ! 余計なことを考え――寿命が縮――》


 ノイズ混じりでも明らかに脅しと分かる台詞が聞こえてきたのを最後に、ノイズがひどくなる。

 それから数分もせずに会話が打ち切られ、勢いよく扉が開いて、帽子を目元まで引き下ろしたローブ姿の男が逃げるように飛び出してきた。


(…………!)


 下から見上げた顔は、確かに記憶にあるのと同じ五十絡みの痩せた男――商業ギルド支部長だ。

 支部長とぶつからないよう身を躱したオーリは、扉の内側へと滑り込む。ろくに表情が見えなくとも怯えきっていると分かる男は慌ただしく頭を下げ、オーリの鼻先で扉を閉めた。


 肩のクチバシが緊張を纏うのが分かった。

 咄嗟に侵入してしまったオーリはどくどくと鳴る心臓をドレスの上から掴んで、音を立てないように室内へと振り向く。


 ――そこは、見たところでは何の変哲もない小部屋だった。

 先程の赤子の部屋より、もう少し小さい。デスクやクローゼット、空の花瓶などがごたごたと並べられており、掃除はされているが用途は物置に近いのだろう。


 小さな木片やら何かの道具やらが床のあちこちに放置されていて、姿は消せても音を隠せないオーリは迂闊に動くことができない。

 窓のない部屋の片隅、一人掛け用のソファに、顔を歪めたガルシエ爵が座っていた。

 不機嫌そうな表情は、オーリやオーリの父には一度だって見せたことのない顔だ。


「あの新ルシャリの女は捕まらない、薬品は全く確保できない、オルドゥル・フォン・ブランジュード侯爵と縁を結べたのはいいが、オーリリア嬢の嫁入り時期は不明瞭――薬草庫を焼いた犯人はまだ見つからないのか」


 ガルシエ爵の呟きに、部屋は沈黙を保ったまま。独り言だったのかとオーリが首を傾げた矢先、部屋の隅がゆらりと揺れた。


「――さぁて、残念ながら。そこんとこは警備隊でも、ろくな情報掴めてないみたいだぜ」


 飄々と笑みを含んだその声に。

 オーリとクチバシは、ばっとそちらを振り向いた。


 陽炎のように現れたその男は、犬の尻尾のように纏めた金混じりのブラウンの髪、細身の身体。罅の入ったデスクの一つに片膝を立てて腰掛け、気怠そうに細めた瞼の間から覗く赤い瞳でガルシエ爵を眺めていた。


 ――ギルファギリム!


 オーリが息を呑む。ガルシエ爵がギルファを睨んで鼻を鳴らした。


「火事から何日経ったと思っている? 貴様はいつになったら成果を持ってくるんだ」

「門の外から迷い込んできた小型魔獣が暴れた、なんて、アンタが余計な隠蔽工作に走るからじゃねぇの? 警備隊の連中も、幸い経緯の詳細掴むことに必死で、倉庫の中身にまで目が行ってないのは喜んでいいと思いますけどー」

「隠蔽工作は不可抗力だ。こんな時期に、戦の火種になるものを大量に抱え込んでいたなんぞと知られてたまるか」

「文字通り火種になって燃えちまったわけなんですけどねー」


 ブラックなジョークを飛ばしてへらへらと笑うギルファに舌打ちし、ガルシエ爵は乱暴に背凭れを軋ませた。古くなったままろくに手入れもされていないソファが、ぎし、と音を立てる。


「ならそちらはもういい、警備隊には貴様の他にも手駒がいる。それで、あの新ルシャリの女は、まだ始末できないのか」


 ――サラのことだ。


 苛立ちも露わな問いかけに、オーリの体が強張る。同時に散々ギルファの邪魔をしてきたことを思い出して、背筋に冷や汗が吹き出した。


 幾度もサラを狙ってきたこの暗殺者は、オーリとラトニの存在も知っている。素顔こそバレてはいないはずだが、彼が挙げる報告によっては、ガルシエ爵自身、二人のことを排除対象と認識するだろう。

 ギルファはこれまで、積極的にオーリとラトニを殺す素振りは見せてこなかった。攻撃こそしてくるものの、どことなく手加減されているのが分かる程度には穏健派、悪く言えば今一やる気がない男だったのだ。


 けれど、雇い主であるガルシエ爵の方はそこまで穏便には見えなかった。

 もしもギルファが定期的に警備隊に侵入しているなら、そこでオーリたちを見ているかも知れない。

 得体の知れない子供たちに何度もサラ殺害を妨害され、あまつその子供たちが警備隊総副隊長とも関わりがあると分かれば、危険因子として排除を決められてもおかしくないだろう。そうでなくても、身元の調査を命じられたら危険だ。


「――すいませんね。あの女に関しちゃ、どーも邪魔が多くって」


 どうか余計なこと言われませんように。真っ青になって神に祈るオーリの視線の先で、ギルファは悪びれない様子でそう笑った。


「邪魔だと? 護衛を雇うような金などないはずだ」

「護衛はいないんですけど、他所の刺客とか、通りすがりのガキや冒険者に邪魔されることが多いんっすよ。こないだなんて山の中まで追いかけて襲ったら、どでかい双頭の蛇に襲われちまって」

「どうしてわざわざ魔獣が出るような場所で襲うんだ。路地裏にでも引き込めばいいだろう」

「ただでさえ春告祭で人目が多いから、街中はやりにくいんですよ。アンタが言ったんでしょうが、最たる懸念要素――『あの令嬢』のことは」

(令嬢?)


 誰のことだろう。ガルシエの周囲に、自分以外に「令嬢」と呼ばれるような人間がいただろうか。『通りすがりのガキ』の話があっさり流されたことに安堵しながら、オーリは眉を寄せる。

 ガルシエはすぐに思い至ったらしく、苦々しい様子で溜息を吐いた。


「ああ――レディ・リーゼロッテか」


 え、とオーリは瞬きをした。

 ファルムルカ公爵家長女、リーゼロッテ。意外な――ここで出てくると思わなかった名前である。彼女は、授業の課題を兼ねて遊覧に訪れたと聞いていたのだが。


「確かにあの方の目は、警戒して過ぎることはない。こんな時期にわざわざシェパにやって来るんだ、何らかの密命を受けているに決まっているからな」

(マジでか。遊びに来たんだと信じてた)

「加えてレディ・リーゼロッテは、既にこちらの警戒網を察しているようだ。オーリリア嬢に対して、自分かオーリリア嬢についた監視の気配を匂わせるようなことを言っていたそうだ」

「へえ、そんなことしてたんですか?」

「気取られるほど近くになど行かせるか!『どちらについた監視か分からないから、外に出る時は気をつけろ』という旨のことを言ったらしい――幸い、言われた当のオーリリア嬢は、意味が分からず言葉遊びだと思ったらしいがな。――貴様、まさか勝手にブランジュード邸に侵入したりしていないだろうな?」

(あっそれ私のハッタリ)


 そんなことをやるならお前くらいだ、という疑惑の眼差しでギルファを睨むガルシエ爵と、「信用ねぇなあ」と笑うギルファに、オーリは「おーっと」と身を乗り出した。


 実のところ、オーリはリーゼロッテとそんな話はしていない。貴族街の倉庫で起きた火事の話を理由に一人歩きについて忠告されたことはあったが、監視を匂わせる話は、オーリからガルシエ爵への揺さぶりだった。


 オーリが欲しかった情報は、ガルシエ爵とブランジュード侯爵家の関係がどの程度べったりなのか、そこに付け入る隙はあるか否か。

 ガルシエ爵がブランジュードと昵懇の仲にあるとしても、立場の弱いガルシエ爵側が一片の警戒もしていないとは思えない。ブランジュード家に間者を潜り込ませているとして、その存在がバレていると考えたガルシエ爵が急いで間者を引かせようとすれば、察知したブランジュード侯爵――オーリの父が警戒する。


「黒いローリエ」事件の暫定黒幕であるガルシエ爵が少しでも動きにくくなれば恩の字、くらいのつもりだったのだが――残念ながら本当に間者は入っていなかったようだ。

 ついでに、ガルシエ爵に不審な行動をさせて父の警戒を誘えば、婚約を考え直してくれないかな、なんて思っていたのだが、当てが外れた。


「レディ・リーゼロッテに密命下したのって、もしかして王様とかですかね? 国王様は、ファルムルカの兄妹に随分目をかけてるそうですけど」

「それはない」


 ふ、と息を吐いて、ガルシエ爵は手を振った。


「陛下は、いや、多くの貴族は新ルシャリ公国のことなど気に留めていない。歴史的な価値を見出してこそいれど、所詮は小国、しかも未だに次の公王すら決定していないまま、今にもザレフにすり潰されそうになっている国だ。そんな国のことを重視し、その動向に目を向けるのは――」

「新ルシャリの重要性を知っている――或いは、あの国を巡るアンタたちの動きを察知している連中」

「そうだ。レディ・リーゼロッテが何者かの意向を受けているとしたら、相手はファルムルカ公爵か、それともその嫡男(ファルムルカ子爵)か。だとすれば――」


 口ごもるガルシエ爵に、ギルファは、はは、と笑った。


「懸念があるならはっきり口にしたらどうですかー? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ファルムルカが本気でブランジュードに接近しようとすれば、あんたの()()()()は薄れちまうもんな? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――」

「口を慎め!」

(ひえっ!)


 ガルシエ爵が怒声を上げた。

 図星を刺されたとはっきり分かる様子で顔を怒りに染める男に、オーリは引きつった顔で後ずさる。落ち着け、というようにクチバシが頬を撫で、温度のない目でガルシエ爵を見つめた。


「ならば、貴様も分かっているだろう! 最早猶予がない、あの女を始末するのに一体どれだけかかっている!」

「でもあの女、例の指輪とやらを隠しちまってんですよー。回収しないと困るのはアンタでしょう」

「倉庫が焼けて、前の管理者から買ってあった薬草が全て失われたんだぞ! 万が一にもあの女が本格的に擁立されたら……『浮島』の管理権を手に入れないと薬草が採れない、『予約分』が作れなければわたしが責任を取らされる!」

「ブランジュード侯爵様に頼れないんっすか?」

「侯爵は、今になって婚約を考え直す素振りを見せている。功を立てなければ切り捨てられる」


 侯爵に切り捨てられるのが、わたしには何よりも恐ろしい。

 絞り出すようなその言葉は、「えっナニソレ聞いてないよ!?」という驚愕と共にうっかりオーリが踏み抜いた木片が割れる音に重ねられた。


 パキン、という小さな小さなその音は、立てたオーリ当人でなければ当然に聞き逃すか、空耳と思う程度の音量で。


 しかし刹那に顔を上げたギルファギリムが、真っ直ぐ扉の方を見て――数秒、にんまりと嘲るように唇を歪めた。


「どうした、ギルファギリム?」


 ガルシエ爵が怪訝そうに眉を寄せ、扉の方を見る。

 椅子代わりにしていたデスクから飛び降りたギルファは、部屋に一つしかない扉へと、ゆっくり歩み寄っていった。


 窓のない小部屋。扉は先程の客が出て行った後、閉じた切り。


 扱いの難しい鎖鎌を自在に操る、鍛えた長い指を広げる。目の前の空間へと、確かめるように手を伸ばして――


「――侵入者がいましたよ」


 犬歯を覗かせて、愉快そうにそう告げた。


 がたり、ガルシエ爵が立ち上がる。

 驚愕と焦燥に目を見開く雇い主を、肩越しに振り向いて。


「ついさっきまで、ね」


『何も触れなかった』手を、ひらひらと振ってみせた。



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