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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
153/176

148:最重要容疑者

 春告祭、十日目。

 シェパを――否、フヴィシュナ全土を賑わせていた祭りは、本日より新たな段階に突入する。


 ウィッシュリング。「緑の輪」という意味を持つ植物の、一年で最初の収穫を祝う儀式が今日から始まるのである。


 ウィッシュリングというのは災害に強く、王国フヴィシュナで輸出品の一つとしても扱われている植物だ。

 その昔、怒れる神に乙女が捧げたという神話から神殿への献上品としても使われており、春告祭十日目に、この日のために特別に育てられた「一年で最初のウィッシュリング」を神官が収穫して神に捧げるのである。


 一年間の豊作を祈るこの祭りの中でも、やはり最も盛り上がるのは、収穫の儀の後に行われる舞台だろう。

 祈りの儀や奉納舞。女性の神官は存在しないため踊り手は神官ではないが、その分絢爛さと娯楽性が高く、美しく着飾った乙女たちが残り三日となった春告祭を華やかに盛り上げる。


(――まあ、今日の私は見に行けそうにないけどね!)


 穴開き硬貨しか入っていない財布を握り締めてショーケースの向こうのデコレーションケーキを眺める小学生児童(おやつ前)の眼差しで遠い喧騒に耳をそばだてながら、オーリはうへへと虚ろな笑い声を洩らした。


 何せ本日、オーリの行く手には修羅場という名の暗雲が待ち受けているもので。


『何やってるんですか。早くお父上の所に、問題の貴族のもとを訪問する旨述べに行きなさい。カビの生えた身分と血統程度のモノしか持っていない凡愚の分際であなたの夫に収まろうなどと身の程知らずの野望を抱いたクソロリコン野郎の社会生命に関わる弱みを、奴の心臓ごと鷲掴んでやる』

「殺気抑えて相棒様」


 愛らしい小鳥の顔に、金曜の夜に出現するホッケーマスクの殺人鬼の如き血みどろの殺意をドンドロ込めるラトニをしょっぱい目付きで宥めながら、オーリはオルドゥルの部屋のドアを叩いた。


 ――ガルシエ。


 どんな数奇な巡り合わせか、オーリの現婚約者と定められたその男の持つ姓こそが、先代総隊長の手記に残されていた名であった。


 その事実が発覚した時のラトニの憤激は凄まじく、表情こそ凍りついたまま動かなかったものの、その心情をある程度読み取れるオーリからすれば、目に見える形で発散されないだけなお一層恐ろしい。

 と言うか、今ここにガルシエ爵がいたならば、一瞬にしてその全身を氷獄に閉ざした上で粉微塵に砕いていたやも知れぬという洒落にならない予感がした。


 一晩経って若干怒りも落ち着いたようだが、今度はオーリの婚約者と直接対決しなければならないという予定にピリピリしているらしい。


 入室の許可が出ると同時に、クチバシがオーリの懐へと潜り込む。

 たっぷりとしたフリルに埋もれて見えなくなった水色の小鳥からは、それでも変わらずゆらゆらと立ち昇る憤怒の圧力が感じられて、オーリはひっそりと神々の慈悲を祈った。極寒の美貌に血肉の混じった粉雪を纏って佇む少年の姿など、特殊な嗜好の方々しか喜ぶまい。


「おはよう、オーリリア。昨日言っていたことだがね、あちらも喜んで歓迎したいということだよ。可愛らしい婚約者の顔を見られるのは嬉しいことだし、あまり相手はできないかも知れないが、それでも良いならいつでも来て欲しいとのことだ」


 綺麗に整頓された部屋に入れば、数人の使用人が控える執務机の向こうから人の良さそうな笑顔を向けてきたオルドゥルが、開口一番確かめたかったことを教えてくれた。


 昨夜のうちに父に頼んで先触れを出してもらっておいたが、どうやら色好い返事をもらえたようだ。

 尤も、南方領主会議で忙しいこの時期に、昨日の今日で「いつ来てもオッケー」と言えるほど暇を持て余しているとは思えない。


(忙しいのは父上様も同じこと、会議を理由に拒否しても大して心象は悪くならないだろうと思ってたんだけどな。

 あまり相手ができないと念押ししながらも訪問自体を断らないのは、筆頭領主本人から打診されて、地位に劣るガルシエ爵としては断れる立場になかったとも考えられるし――サラさんと『浮島』を巡る事件に関わっているが故に、万一の場合に備えて少しでも父上様の機嫌をとっておく必要があるとも考えられる)


 いずれにせよ、未だ手札が足りない。憶測だけで動くには、事が大き過ぎて覚束ない。

  今日の訪問で何かを掴めるかによって、この先の行動を変えねばならないだろう。首どころか爪先まで突っ込むか、或いは今度こそ完全に手を引くか。


「じゃあお父様、私、これからすぐに行ってきても良いですか? いつかお嫁入りするおうちのこと、よくよく見ておきたいんです」

「ああ、行っておいで。あまり遅くならないうちに帰るんだよ」


 オルドゥルにも劣らないにこにこ愛嬌のある笑顔で退室の礼をしたオーリに、オルドゥルは満足そうに頷いた。

 使用人の一人が音もなく部屋を出て行く。恐らく馬車の用意を頼みに行ったのだろう。

 別の使用人が恭しくドアを開け、オーリの通行を補助した。


「婚約者と仲良くするのは良いことだ。相手はお前と同じ、瞳に青を持つ人間だからね。お前と並べばきっと映えるだろう」


 …………ん?


 何だか引っかかる言葉を聞いたような気がして振り向きかけたが、その時にはもうドアは、腕一本入るか否かの細い隙間を残すばかりに引かれていた。

 静かに閉ざされたドアをもう一度開ける気にはなれず、仕方なくアーシャのもとへ行くために歩き始める。


『……どうかしましたか、オーリさん? 何だか妙な顔をしていますが』


 もぞもぞと懐から顔を出したクチバシが、怪訝そうに小首を傾げて問うてきた。


「あー、いや、私の記憶違いかも知れないんだけど……」


 オーリはもごもごと口を動かしかけ、前方にアーシャの姿を見つけて表情を切り替えた。

 訪問着の用意を頼んでいたアーシャは、オーリが戻ってきたのを見てにこりと笑顔を見せる。


「お帰りなさいませ、お嬢様。旦那様から外出の許可は得られましたか?」

「うん、すぐに出て良いよって。着替えの手伝いをお願いできる?」

「はい、勿論ですよ。初めてご婚約者様のお宅を訪問なさるのですから、目一杯お洒落をしましょうね」


 オーリを着飾らせることが好きなアーシャは、ことに外出時となると好機を逃さない。

 ガルシエ邸を探るため、何とか動きやすい服装になるよう誘導できるだろうか、と考えながら、オーリは部屋中にずらりと並んだ衣装の数々に苦笑いした。




※※※




 賑わう街の石畳を、がたごと揺れる馬車が進んでいく。

 侯爵家の家紋に気付いた者は道を開けるが、それより祭りで浮かれ騒ぎ、場違いな馬車を邪魔っけに見る者の方が多かった。


 ガルシエ邸へ向かう道はどこも混雑しているであろうことを見通して、馬車は一頭立ての一番小さなものを使っている。

 それでも用意されたクッションは上等なもので、一々跳ね上がる車輪からの振動を地道に中和していた。


 ゆっくりで構わないから事故を起こさないようにしてくれ、というオーリの指示に従って、ガルシエ邸への到着までには大分時間がかかるだろう。

 馬への負担を考えて、座席に御者が一人いる切りで傍付きの同行も断ったから、馬車の中は子供一人と、存在すら知られていない小鳥一羽だけだ。

 ふかふかのクッションにちょこんと止まって、小鳥が真冬の空のように落ち着いた声を響かせた。


『事態がやたらややこしくなってきたことですし、とりあえず現時点で分かっていることを纏めてみましょうか。まずは「浮島」問題から』

「はーい、ラトニ先生」


 新ルシャリ公国、ザレフ帝国、王国フヴィシュナ。『浮島』はその三国で所有権を争っている土地であり、精霊の力に満ちた土地。

 取り付けられた推進機関により、今はシェパ近辺の海に浮かんでいるが、所有者が変わればまた移動することになるのだろう。


『「浮島」で採取されるある薬草からは、現時点で三種類の薬が作成できることが分かっています。

 現在フヴィシュナが作って出荷している、ザレフの風土病の薬。

 それを更に強力にした、ルシャリの公王の血筋にしか作れないワクチン。

 それから――』

「――人を心臓の病に見せかけて殺すことができる毒薬」


 ザレフ、フヴィシュナ両国で禁制品となっている薬を、誰かが作って流している。かつて警備隊の先代総隊長が捕らえ損ねたその影の、第一候補がオーリの婚約者であるアーロイス・ガルシエ爵というのは、都合が良いのか悪いのか。


「管理権を持っているのはうちの父上様――南方領主筆頭、ブランジュード侯爵。ただし、実際の管理を預けてた麾下の貴族の死亡により、今は権限が浮いてる状態。この辺はリーゼロッテ様も案じてたなぁ」

『リーゼロッテ様……ああ、王都の公爵家のご令嬢でしたっけ。……新たな管理者を登録した後で、管理者を変更することは?』

「できなくはないけど、一年くらいかかるみたい。流石に手続きが煩雑なのかな」

『毒薬目当てに薬草を欲しがる人間が登録されたら、面倒なことになりますね。――いっそ今日の訪問で始末できたら楽なんですが』

「ラトニ、まだ容疑者。容疑者の段階だから」


 疑わしきは証拠を掴んでから粉砕せよ。問答無用の魔女裁判を起こしかねないほど据わった目のラトニにそう言い聞かせれば、ラトニは小鳥の体でふんと器用に鼻を鳴らした。


『あなただって九割方疑惑を確定させている癖に、よく言いますね。イアンさんがあれほど慕う先代総隊長が最重要容疑者として名を挙げている上、ことを実行するだけの条件だって揃っているんですよ』

「むう、まあそうだけど……」

『よりにもよってあなたの婚約者という肩書きを持ちながら国家反逆罪に手を染めた人間に、慈悲など必要ありません。狩るのみ』

「せめて証拠は掴んでお願い。法治国家の人間として」


 まあ確かに、ガルシエ領は貿易が盛んで、他国とのコネもあると聞いた。毒薬を流通させようと思えば容易いだろう。

 疑い出せばつい最近、ガルシエ家の倉庫が焼けていることも気になってくる。出火の原因は知らないが、もしかしたら関わりがあるのかも知れない。


(倉庫には薬草が詰まってて、ギルファギリムを代表とする暗殺者たちの誰かが、本国の意向を受けて実行した? となると、実行者の雇い主は薬草や薬を欲していないことになるけど)


 ならば、犯人がルシャリでないことは確かだろう。独立を維持するにせよ他国に併呑されるにせよ、ワクチンの作成をもって己の有用性を示すことが、ルシャリの最大の命綱だ。

 尤も、他国もそれが分かっているから、要であるサラを確保しようとしているのだろうが。


「……初めて会った時、サラさん、『満足に準備もできず修道院から追い立てられた』って言ってたよね。サラさんをスケベ貴族から逃がしたいシスターがやったんだと思ってたけど、多分実際は宰相だったんじゃないかな。サラさんを血眼で探してるザレフ王族や強硬派から逃がすために、取るものもとりあえず国を脱出させるしかなかったんだ」

『となれば、サラさんを押し倒したスケベ貴族の方も、そちらの勢力の思惑が絡んでいる可能性がありますね。サラさんが探しに来たという「解決法」は、スケベ貴族から逃げる手段ではなく、独立問題解決によって問題の根を断つことか』

「貴族……いや、もっと上かも」


 某スケベ野郎について、サラは「お偉いさん」とは言っても「貴族」とは明言してない。つまりサラが鳩尾に一発決め込んだ相手は『王族』の可能性もあるということだ。


『ああ、手っ取り早く孕ませて、後宮にでも囲い込もうとしたと。世も末ですね』


 オーリに劣らず強姦を嫌うラトニが心底軽蔑し切った声で言う。押し倒されたのがオーリであったら軽蔑程度では済ませるはずもなく、サイコホラー真っ青の形相で大罪人の首を掻き切りに行くに違いない。

 尤もラトニが同じ目に遭った場合、今度は自分が似たり寄ったりな報復に走るのだろうという自覚は、オーリ本人には今のところ無い。この辺、いろんな意味でまことにバランスのとれたコンビであった。


「ザレフの基本方針は、サラさんを殺さずに取り込むこと。当然だよね、サラさんがいないとワクチンが手に入らないばかりか、新ルシャリがエンジェ大樹海に呑み込まれて消えてしまう。樹海の侵蝕がルシャリだけで留まる保証がない以上、それを抑えられるルシャリ公王の血を途絶えさせるリスクは侵せない」

『問題はギルファギリムです。「他所に取られるなら殺す」と言いながら、どうもあの男は本気でサラさんを殺すつもりがないように感じられる。いえ、殺すつもりはあっても、意図して手抜きをしているような……』

「それも雇い主の指示かな? ギルファに関しては、シェパと関係の深い誰かに雇われてるとしか分かってないんだけど……」

『以前オーリさんが仕掛けた「マーキング」のハッタリが効いていれば、しばらく行動は控えてくれるかも知れませんけど……すみません、僕が本当に追えたら良かったのに』

「駄目だって、あいつクソ強いし、色々隠し球持ってそうだもん。深追いしたらラトニが捕捉されかねない」


 雷使いの魔術師で、瞬発力と格闘技術に優れ、魔術封じの術まで持っているなんて、オーリとラトニの手に余る。


 ううん、と首を捻りながら、困った顔で言い合っているうちに、やがてがたん、と馬車が揺れて停止した。

 一時停止ではなさそうな雰囲気に、オーリはそっとカーテンを開けて外を見る。


 絢爛だったり雄壮だったり、或いはかつての繁栄を忍ばせる廃屋だったり。

 様々な建物が立ち並ぶ貴族街の一角に、一際立派な門を構えた邸宅があった。


「オーリリアお嬢様、ガルシエ爵のお屋敷に到着致しました」


 御者の声が淡々と告げて、オーリはそっと表情を引き締めた。

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