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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
152/176

147:黒いローリエ

 ――ごく、とオーリが唾を飲み込んだ。


 先代警備隊総隊長。

 それは彼女がこれまで意識したことのなかった存在だった。

 彼女にとって頼れる人間は、総隊長ではなくその下――灰色がかった銀髪に薄緑色の瞳を持つ、この苦労人だけだったから。


「ラト、お前の言葉、ちぃっと堪えたぜ」


 イアンがくしゃりと前髪をかき乱し、苦い笑みを零した。


「あの日、俺の前からいなくなったあの人のことを思い出したよ。先代は、当時の俺なんか指の先も届かないほど強くて、上からのどんな無茶にも引かなくて、いつだって泰然とした人だった」


 かの人を、揺らぐことなく立ち続けていた盾を失ってから初めて分かる。かつての自分が、軍上層部と腐敗に媚びることを是としない隊員たちが、どれほど彼に守られていたのか。


 ――シェパを守れと言い残して去った人に、彼の帰る場所を守ると誓った。


「……イアンさん、その人のこと、今でも尊敬してるんですね」


 オーリはぽそりとそう呟いた。


 どんなにややこしい事件に当たった時でも、どんなに疲労している時でも、「シェパとその民を守る」という一点において、オーリはイアンが揺らいだのを見たことが一度もない。


 それはイアンの目に、決して揺らがない『誰か』の背中が映っていたからだったのだろう。

「斯く在りたい」と願う誰かの姿を知っている者は、信仰にも似たその憧憬のために、時に理想に殉じることすら厭わない。


「ああ、俺はあの人の下につきたくて、警備隊に入ったようなもんだからな。

 ――きっとあの人は、シェパの街を、王国フヴィシュナを守れないことを望まない。そうして、あの人ほどの強さを持たない俺には、使える駒を全て使わない選択肢は選べねぇ」

 

 実に効果的な揺さぶりだった、とイアンが笑い、『この二人は本当に、多方面の情報を押さえてくるなぁ』という、疲労と諦観の中にも子供たちの将来を嘱望する感情を滲ませた目でラトニを眺めた。


 オーリは『流石はラトニ、もしやそれすら知っていたのか』という、疑惑と尊敬を綯交ぜにした目でラトニを見やった。


 ラトニは、まるで冬しか知らないかのように冷ややかな琥珀色の双眸で端然と佇んでいる、ように見せかけつつ、『いえ何となくソレっぽいこと言ってみただけのハッタリだったんですけど』という本音を腹の中に押し戻した。

 そんなこと馬鹿正直に言わなくても、結果が良ければ、それでいいのだ。


 ――イアンがふっと笑みを消し、デスクからソファへと移動した。

 話が始まるのだと理解したオーリとラトニも表情を真面目なものに変え、ローテーブルを挟んでイアンの向かいにある二人掛けソファに腰を下ろす。


「まずお前が持ってる資料を見せろ」


 手を差し出されて、オーリは慌てて鞄から資料を取り出した。受け取ったイアンは眉間に深い皺を寄せ、黙ってそれに目を通し始める。


 急いで写した紙切れ一枚、読み切るのに大して時間もかからない。大人しく待つ二人の前で、やがてローテーブルに資料を投げ出したイアンが、ぎし、とソファを軋ませた。

 ローテーブルに両肘をつき、組んだ手の甲に顎を乗せる。姿勢を正した子供たちを見据え、頭痛がしていそうな顔で口火を切った。


「まずは、この争いの原因となっている一つ――とある『禁制品』について説明しておこうか」


 禁制品。幾度か聞いた言葉だが、その正体については未だ何も知らない。

『浮島』の薬草が関わっていること。確実に分かっているのはそれくらいだ。


「この『禁制品』ってのは、元はフヴィシュナのもんじゃねぇ。新ルシャリ公国――いや、当時はまだ『ルシャリ公国』か。そこの『浮島』の所有権を持っていた頃のザレフ帝国が作り上げたもんだ」


 ザレフ、とオーリが小さく繰り返す。


『浮島』がザレフの所有物であったのは、フヴィシュナとザレフが戦争を起こす前――つまり三十年以上昔の話だ。

 当時ルシャリ公国は、己の領土である『浮島』ごとザレフに所有されていた。

 戦争を経て『浮島』はフヴィシュナに貸与され、更に時が過ぎてから「ルシャリ公国」は「新ルシャリ公国」としてザレフからの独立を果たした――との話を、以前、公爵家息女であり王姪であるリーゼロッテから聞いたことがある。


 ぐ、と目を細くして、イアンは次の言葉を吐き出した。


「――呼び名は『黒いローリエ』」


 ローリエ。月桂樹の別名であり、雄の木は黄色い花を、雌の木は白い花を咲かせる常緑植物である。香辛料として使われる他、葉や実に薬効があるとして重宝されている。


 花言葉は、『勝利』『栄光』。


「……『黒』ってつくと、輝かしい花言葉が一気に不穏になるんですけど」


 イヤな予感がして顔を歪めれば、イアンが「多分その予想で合ってる」と苦笑した。


「腹ん中真っ黒な奴ら御用達の代物だったらしいぜ。少量ずつ流せば麻薬として、大量に使えば原因不明の病死を引き起こす薬として。当時のザレフの裏側では、随分と流通していた」


 使われ過ぎて表に名が知られ、禁制品に指定されてしまったのは皮肉なことだっただろう。

 とは言え、それがフヴィシュナにまで流れ込んできたとなると笑えない。


「薬がフヴィシュナに流入してきた当時、既に『浮島』はフヴィシュナの手に渡っていた。原材料である『浮島』の薬草が手に入らない状況下で、ザレフがフヴィシュナに薬を流したのは、フヴィシュナの権力者を籠絡して薬を作らせる目論見があったからだろう。

 ただし、事態が発覚する前に、『黒いローリエ』はフヴィシュナでも禁制品扱いとなった。それが今から八年前。薬の拡散を水際で止めた、その人物が――」


 そこまで聞いてようやく悟る。


 八年前の事件。シェパからいなくなった人物。


「――先代総隊長だった、というわけですか」


 淡々とした声で、ラトニが続きを引き取った。


 籠絡することを考えるなら、狙いは『浮島』を管理するフヴィシュナ南方領の貴族。

 恐らくシェパの街は真っ先に狙われ、けれどそこには先代総隊長がいた。


 シェパの治安に最も深く関与する警備隊で、トップに近い位置にいたからこそ、先代は事が大きくなるギリギリのタイミングで情報を掴むことができた。

 しかし、『黒いローリエ』の効果は絶大。つまり、その時既に、薬に目をつけていた人間がいたはずだ。


 頼れるものの少ない中、それでも先代は一人駆け回って証拠を集め、『黒いローリエ』をフヴィシュナ国内でも禁制品指定させることに成功した。

 ――その行動を厭うた誰かに、罪を着せられ馘首されることを対価として。


「現在起こっている事件は心臓の病にしか見えない上、未だ件数が多くない。八年前の事件を余程印象に残している人間でないと、すぐに結びつけることはないだろう」


 尊敬する先代が身を削って始末を付けた事件が、今更再燃しているのが悔しいのだろう。

 濃灰色に濁った空より重苦しい声で、イアンが言葉を続けた。


「リアの資料を見て確信した。恐らく現在使われている薬は、当時の薬を更に改良したものだろうな。この八年間、表沙汰にならなかっただけで、研究自体は続けられていたんだろう」


『浮島』の正式な管理役を務める貴族は、昨年末に起きた事件の余波で死亡しているらしい。

 その貴族が裏で研究に携わっていて、死亡を契機に研究を引き継いだ誰かが動きを活発化させたのか。

 はたまたその貴族は何も知らない善良な人間で、それ故に邪魔と見なされ、事件を好機とひっそり消されたのか。


 どの仮説が正しいのかは分からないが、困ったことに、父の関与の疑いはますます濃くなってしまったようだった。

 管理を麾下の貴族に任せているとは言え、管理権限の大元は間違いなく父である。『浮島』への立ち入りも薬草採取も、「視察」の一言でいくらでも可能だ。


 ――ならば、どうすれば。


 疑惑と苛立ちに、がり、と親指の爪を噛む。すかさずラトニがその手を取って、「僕らには何ができますか?」と問いかけた。


 イアンがにぃっと笑って立ち上がる。デスクへと足を向けた彼は、その引き出しから一冊のノートを取り出した。

 青い表紙の、古びたノートだ。それをローテーブルの真ん中に置き、元のソファにどかりと腰を据える。


「八年前、先代が残していったノートだ。事件について調べたことを書き記しているところを一度だけ見たことがある。――余計な奴らに見られないよう隠されてたのを、つい今朝方見つけたんだ」

「つまり最大の手掛かりですね!」


 オーリの顔が輝き、勢いよくノートを開いた。

 黄ばんだノートには、少し崩れた、しかし日々几帳面に書き連ねたのであろう文字がずらりと並んでいた。




《――――――――


×の月、××日目。

 ホシは横丁、セレウの店に入って窓際に座る。三日前と同じ行動なので、同じ時刻に指定の相手が前の道を通るらしい。

 昼食をここで済ませるつもりらしく、コトン肉のシチューを頼んだホシに合わせてパスタを注文。トマトしか使っていないのに、不可解なことに肉やクリームを使ったものより芳醇で美味だった。付け合わせで頼んだハムとジャガイモのサラダも美味い。芋にべたつく水気がないのは、茹でたのではなく蒸したからだろう。この店は野菜が良いに違いない。


×の月、△△日目。

 めっきり冷えるので張り込みがきつい。昨日、ホシと顔を合わせてしまったのはまずかった。変装をしていたとは言え、あれで警戒させたかも知れない。

 出かける前に朝食として、トーストに焼きトマトとハムとチーズを乗せたものを一枚食べる。チーズのとろけ方がうまくできた。

 今日、表通りで、ホシが誰かと会っていた。昨日と同じ茶色い帽子の中年だが、顔は昨日の男と別人だ。ルルド古具店という言葉が聞こえた。何か渡すべきものを売り物に仕込んでおくつもりらしい。

 尾行しながら、昼は屋台でコトン肉の串焼きを買った。塩が効いていて非常にナナ酒に合う。串はシムキの枝を削り出したものだろう、香りが移って美味い。別の屋台で屑肉と屑野菜のスープを頼む。トマトを入れたごった煮風で、よく煮込んだためか酸味があまりなく、仄かに甘い。


×の月、◯◯日目。

 ランチをやっている酒場で珍しいものを見つけた。大きな豚の切り身をフライにしたものらしい。白身魚のフライなら知っていたが、これは初めて見る料理。油がきつすぎず、それでいてボリュームがあって非常に気に入った。

 付け合わせは生のキャベツだったが、あまりのマッチングに揚げ芋でないことに納得する。黄色いマスタードの辛みが、甘い脂に合って何とも極上。また来よう。


――――――――》




「――――食べ歩き日記か!!!!」


 オーリは全力でノートを叩きつける、わけにもいかないので、代わりにローテーブルを(かなり手加減して)ぶん殴った。


「おいふざけんな、全ページこの調子か! 食べ物のことしか書いてない日もあるじゃん! 調査日誌だか個人的趣味の日記だか分かんないよこれ! 早速お腹が空いてきたよ!」

「いつも真面目で泰然として、勘が鋭く細かいことを気にしない人だったんだ……」

「それ理論より直感重視派かつマイペースな人って意味だよね!?」

「実はさっきまで読んでたんだが、腹が鳴って集中できず、未だに読破できていない……」

「さっきのドヤ顔何の意味があったの!?」


 遠い目をして呟くイアンに激しく裏手ツッコミを入れるオーリの隣で、端然と書いてマイペースと読む美少年がぺらぺらページを捲っていく。

 こちらは直感より理論重視派らしく、適度に削って編集すればグルメガイドとして需要のありそうな調査日誌を真面目に読み解いていくつもりのようだった。


「リアさん、そうでもないようですよ。細かい違和感をピックアップすれば存外手掛かりが散らばっています。

 例えばここを読んでください。店の名前を書いていませんが、先代が冷たい食事の後に冷たいデザートを食べに行くことは珍しい。恐らく直前、ホシがどこかに移動していたせいで、体が温まっていたんです」

「ん? 本当だ。付近で室内に暖房がきいている描写があるのは、テラス席と魚の看板の店か、大銀杏の木がある店……デザートを食べた店の位置からして、多分前者だね」

「昼間の室内席は予約が基本のあそこで、体が温まるほど留まったということは、少なくとも二日前には密会の情報を掴んでいたということ。日付けを遡ると、恐らくこの日でしょう。『グリーンアスパラを潰したソースを半熟玉子にかけて焼き上げたパイを食べた』と書いてある日」

「あ、この料理、知ってる。ありふれて見えるけど、実際はシェパではあんまり見かけない、他国の地方料理だよ。他のメニューもちょっと珍しいから、店主が外国出身なのかも。そんな店をわざわざ選んだとなると、その日の『ホシ』の密会相手の嗜好がそれだったのかも」

「『ホシ』と書かれている人物も、毎日同一ではないようですね。例えばこの『臓物のトマト煮込みと、白ワインで蒸した二枚貝』の日。ちょっと『ホシ』の行動が怪しくないですか?」

「これは前々日の行動がキーっぽいね。少なくとも、この日より半月以上前からの『ホシ』は同一人物だ。その間規則的な行動しか取っていなかったホシが、この日だけ大きく動いてる」

「その直前、尾行を警戒して用心のために一日、間を空けた――だから先代は遠出をしたんですね。『ホシ』から離れ、『香草を効かせたコトン肉の包み揚げと冬林檎のケーキ』を食べるために、ついでに別の日に目撃した密会相手を調査するために」

「どっちがついでか間違えてるよラト。あと、この日とこの日に『ホシ』が会った相手、多分別だよ。一日目は店員に確かめてまでニンニクを使う料理を避けて、香水も一度使おうとしたのを取りやめてる。多分相手は、匂いに敏感な人か女性だったと思う」

「ナナ酒も気になります。日頃の先代は、初めての店では必ず麦酒を頼んでいたのに」

「店に麦酒を置いてなかったのか? でも串焼きを売るような店なら――いや、場所は移動屋台か。つまり、別の酒を色々売っている屋台が近くに来ていた……?」

「なら位置関係が変わってきますよ。こちらに書いてある、ブナの木のある屋敷との距離がおかしい」

「ふむ、それは多分――あの、ふと我に返ったんだけどほんと何なのこの日誌、推理小説か! なんで調査報告書で行間を読み解かなきゃいけないのさ! はっきり分かりやすく書いとけよ!」

「そうか、先代……! もしや、これが誰かに見つかっても良いように、わざと行間に手掛かりを散りばめて……!」

「ようやく口開いたと思ったらそれか! あんたの尊敬心に一抹の疑問を覚えてきたよ!」


 て言うか、これ解読にどれくらいかかるの? 今日中に終わる?


「諦めて読みましょう、リアさん。手掛かりはこれだけです」

「こいつ絶対唐変木だよ。地位と能力でモテはしても、真面目なお付き合いは一ヶ月で振られるタイプ」


 ――二時間後、最後の二枚のページが貼り合わせられ、袋綴じ状態になったそこにそのまま「一番怪しい奴」の名前が書かれてあったのを発見して、今度こそオーリがノートを叩きつけることになる。


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