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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
151/176

146:総副隊長、共同戦線

 警備隊詰所に侵入すれば、余程に切羽詰まった顔をしていたのか、デスクで書類を見ていたイアンはこちらを向いてぎょっとしたように顔を引きつらせた。


「不審死事件の資料、見せてください!」

「な、何だいきなり」


 お邪魔しますの一言もなく開口一番詰め寄ると、怪訝そうなイアンの眉間に皺が寄る。


「王都でも起こってるそうなんです、一部の権力者や資産家が、心臓の病にしか見えない死に方をする事件! それで、個人的に気付いたこともあって!」

「水面下でかなりの糸を張り巡らせているようですし、僕たちの知り合いが事件に関わってる可能性もあります。何か情報があるなら、全て知っておきたくて」


 頭を下げる子供たちに、しかしイアンは顔をしかめた。数秒物言いたげに口を噤んだ後、思い直したように首を横に振る。


「――いや、駄目だ。情報提供ならありがたく受けるが、直接関わらせるには今回のヤマはリスクがでかい」

「でもイアンさん、人手が足りないって言ってたでしょう。私たちはイアンさんに無い情報源を持ってます、あなたが必要な情報を提供できる」

「なら情報だけ置いて行け。この件は俺が何とかする、こちらから情報は洩らせん――悪いな」

「っ……」


 オーリは唇を噛んだ。


 当然の返答だ。オーリもラトニもあくまで民間の非公認協力者に過ぎず、イアンの部下でも警備隊員でもない。

 オーリたちがイアンに協力する時、流して良い情報の選別権はいつだってイアンにあるし、イアンが駄目だと言ったなら、オーリたちは大人しく聞き分けていた――いつもなら。


「筋が通らないってことも、イアンさんが私たちの安全に配慮してくれてることも分かってます!」


 話は終わりだと言わんばかりにペンをくるくる回しながら書類仕事を再開したイアンの視界に、オーリは勢いよく机に乗り上がることで割り込んだ。

 至近距離で鼻を付き合わせていつになく食い下がる少女に、イアンがびくっと震える。


「けどすみません! もう結構ズブズブに腰まで浸かってるんで、今更引き下がれないんです! ていうか当事者の一角に、具体的にはかなり腕が立つ暗殺者に、がっつり存在を知られてます!」

「は!? え!? なに!? 暗殺者!?」

「事件の要と思われる薬草の資料もあります! 外国語だから内容はまだ訳せてないけど……! イアンさんになら分かるかも知れないし、これも見せますから!」

「ちょっと待てそんなもんどこで手に入れやがった! そもそもそれが事件の要だなんてどこで知ったんだよ!?」

「王都に行ってきた知り合いからの情報です!」

「だ、ったらそれも資料だけ置いてけ! そもそもお前らのそれは持ってるだけでもリスクがあるんだぞ、なんでその知り合いはガキなんぞにホイホイ渡してるんだよ!」

「資料自体は別口ですよ! たまたま聞いた薬草の話が、たまたま持ってた資料と一致しただけです!」

「そんなたまたまがあるかあぁぁぁぁぁっ!!」


 あるんだから仕方ないだろうが!!!!


 オーリだってイアンに負けず劣らず絶叫したかったが、詳しい事情などぶち撒けられるわけがない。

 父オルドゥルの動向、サラの存在。迂闊に口に出せば、危険はオーリたちにとどまらない。


「多過ぎるんですよ! この薬草を追ってる人間が!」


 王国フヴィシュナ、新ルシャリ公国、ザレフ帝国。少なくとも三つの国がこの事件に関わり、そしてその手駒たちが今、このシェパの街に集結しているのだ。


「ちょっと変な縁があって、この薬草を巡る争いを、つい昨日まで私とラトは間近で見てたんです! シェパに送り込まれてくる他勢力の手駒が、これで打ち止めとは限らない。薬草を入手したがっている奴らが、私たちの目に見えている分だけだと思いますか? そんな奴らが、このまま手をこまねいていると思いますか? 既に相当な量の薬草がどこかに流れてるんです、入手者の使い方によっては戦争が起こりかねない!」


 ぎゅうと顔を歪めて、オーリは頭をデスクに叩きつけた。

 ガン、と手加減のない音が響く。イアンが一瞬言葉に詰まった。


「――お願いします、イアンさん……!」


 絞り出すように吼えたオーリの声は震えていた。

 もう時間がないのだ。南方領主たちが『浮島』の扱いを如何にするか、今日にも決定しないとは限らない。

 そちらの結論によっては、サラが薬草を手に入れることは絶望的になるだろう。一度決定した決議を覆すことは、決議の前に結論の方向を操作するより遥かに困難だ。


 事件の黒幕が『浮島』を握れば、最早戦争すら胸先一つで起こせることになりかねない。

 サラが王位を継げなければ、新ルシャリの国力は衰えたまま、ザレフや、ルシャリを対ザレフの盾にしたいロズティーグ王国にすり潰されていく。ザレフは開戦派が勢いを持ち、その動向に気を尖らせる国々も一気に緊張を増す。


 その時、果たしてフヴィシュナの王はどうするか。凡庸なかの御方が、いつ戦端が開かれんと思惑渦巻く外交戦争で、幾つもの国を巻き込んだ戦火の中で、この国を生き延びさせることができるのか。


 イアンの視線がぐらりと揺らぐ。

 シェパのこと、フヴィシュナのこと、自らの職責、周囲の情勢、権力闘争、それを掻い潜れる幼い協力者の存在と、その危険性。イアンの脳内であらゆる要因が目まぐるしく駆け回り、彼に合理的な結論を出せとがなり立てる。


 やがてイアンの眼差しが困惑の色を消し、代わりに鈍い苦悩の色を滲ませた。


 じわり、オーリの顔が歪んでいく。

 イアンのそれが、年端も行かぬ幼子たちを危険に巻き込む選択を取ったが故の慚愧ではなく、街を危険に晒してでも幼子二人を遠ざける決意を固めたが故の自嘲と憂慮を孕んでいるのだと悟ってしまったがために。


 イアン・ヴィーガッツァはシェパを守る人間である。

 しかし同時に、心ある男でもある。


 子供たちを優れた協力者、共犯者とみなしていながらも、かつてオーリが初めて目の前に現れたその瞬間から、二人を「愛するシェパの子」であると認識する思いに変化はなかった。

 十にも届かぬ幼子二人を、ただ己の守るべきものと定める行為に、揺らぐ必要はもとより無い。


 ――駄目だ、と。


 その選択が自らに何を強いるか、全て分かっていて尚。

 それでも疲労に乾いたイアンの唇がそう宣言しようとした、しかしその時。


「――リスクが大きいというのは、黒幕が貴族である可能性があるからですよね?」


 淡々と挟まれたのは、今の今までオーリとイアンのやり取りを見つめ、じっと考え込んでいたラトニの声だった。


 大きな帽子の下から、静謐な色を宿した眼光が覗く。

 少年の方をじろりと見て、彼を警戒するようにイアンが視線を鋭くした。


「……ああ、そうだ。国内貴族を敵に回すリスクを、お前らが理解していないわけがないな? しかもそれだけじゃない。お前らも察してるんだろう? 悪ければこの事件には、」

「国外勢力の意図が密接に関わっている――どころか、その国内貴族自身が内通者となってすらいるかもしれない」


 動揺の欠片もないトーンで嘯かれ、イアンが沈黙した。


「このまま事件が進めば、被害は貴族や資産家にとどまらないでしょうね。今はまだ余程に上位の貴族にしか知られていなくても、いずれ情報が広まれば、次は疑惑のかけあいから内部分裂を起こします。その隙に『便利な暗殺の手段』が市井に流れれば、被害は急激に拡大する。フヴィシュナの国力が低下すれば、他国に干渉される隙を見せることになる」


 淡々と、淡々と、ラトニは言葉を紡いでいく。


「不審死事件に関わる薬草は、本来フヴィシュナには生えないはずのものです。この事件はまだ国内にとどまっているようですが、発生自体には他国の陰謀が関わっていると考えられなくもない。

 どちらにしろ、ここまで綿密で壮大な計画を立てているんです、この事件によって黒幕が得られる利益は莫大なものになるのでしょう。発覚した時、叛逆罪で処刑されるリスクまで冒せるほどに」


 尤も、その処刑台に登るのがオーリでさえないなら、ラトニは座視しても構わないと思っているが。


「……そこまで分かってるなら、お前らの関わってたっつう『関係者』は、事態の相当深いところにいたようだな。ついでに、リアが持ってる薬草の資料ってのもマジで信憑性が高そうだ」


 ばさ、と書類を投げ出して、イアンは背凭れを軋ませた。


 深々と溜息。

 この子供たちが何処からか様々な情報を引っ張ってくるとは知っていたし、重宝していたのも事実だが、今回はその優秀さが仇になった。


 イアンの引いた一線を越えてこないと思っていたから協力関係にあったのだ。

 せめて、あと十年。二人が齢を重ねていたなら。


 警備隊総隊長は潜在的な敵であり、確実にイアンの味方と言える隊員は決して多くない。

 よく見れば、イアンの目元にはうっすら隈が張り付いていた。初めてオーリたちが事件の話を聞いてから、職務の傍ら、ずっと調査に打ち込んできたのだろう。


 イアンは、決して無能な男ではない。否、客観的に見れば、ほぼ独力でこの警備隊を支え、己のものでないものも含む膨大な職務を遂行しながら内外の腐敗と戦ってさえいるのだから、相当に有能な部類に入る。


 そんな彼がこれまで事件に手を出しあぐねていたのは、手がかりの少なさより、要するに彼自身の邪魔をするものがあまりにも多いことが原因だった。


 忘れてはならない、フヴィシュナは王族と貴族が絶対の権威を持つ社会なのだ。

 つまり、下級貴族出身のイアン相手ならば、ちょっとやそっと――否、かなりのことだって、権力でのごり押しが可能。

 たとえイアンが言い逃れようのない悪事の証拠を掴んだところで、最悪それはイアンごと握り潰される。黒幕を越える権力者に一足飛びで話を持ち込めれば何とかなるかも知れないが、そんな相手にコネがなく、またあったところで頼った相手が黒幕に与する側であれば意味がない。


「これまであなたは、総隊長たちの目を掻い潜って、どうにか事件を調べようとしていたのでしょう。それで? どうにかなりましたか? あなたの信頼できる『大人の』協力者が、一体何人動けますか?」

「………………」


 大人であればしがらみが多くなる。立場があれば顔が知られ、一挙手一投足が他者の視線から逃れられない。

 ましてイアンの息がかかっている者となれば、あの利益を侵す相手には目聡そうな総隊長が、ギラギラと動きを警戒しているだろう。聞き込みに街をうろつくことすら難しい。


 ――存在することすら知られていない駒を使う有用性は、イアンも分かっているのだ。


「それとも――かつてこんな風に貴族に楯突いて、不幸になった先達でもいましたか?」


 あなたもその後を追うのかと。

 そうなってしまえば、今度こそ警備隊とシェパはどうなるのかと。


「僕らに逃げ場など、どこにもないんですよ」


 防御の命綱たる警備隊を形骸化され、イアンさえも失ったなら。

 いつか来るやも知れぬ戦火の中、幼い子供二人はただ、怯えて逃げ惑うことしかできないだろう。


 目に見えている奈落の底へと続く未来を、そのまま受け入れて歩き続けるなど自殺に過ぎない。

 言葉の裏に威圧と脅しを含めて、暗闇の中で耳元に唇を寄せる不吉の妖精のように囁きかけるラトニに、イアンはキリキリと唇を噛み締めて――


「――――ついさっき、更に二件の不審死事件の報告が届いた」


 大きな砂袋で頭から押し潰されたように重苦しい溜息の後で紡ぎ出された言葉は、イアンの降参の合図だった。


「うち一件は、先方がただの病と判断したせいで報告が遅れたそうだ。

 随分と前にも、シェパの街で今回と似たような不審死事件があった。八年ほど前のことだ。死亡者数は二人だけだが、それを不審と判断して調査にかかった人間がいた」


 そこで一旦言葉を切って、息を詰めて聞いているオーリの顔(白い帽子と変装の幻影で隠れているが)を見る。

 この少女は、当時まだ生まれたばかりかそこらだっただろう。イアンが心から尊敬する、彼女と同じようにシェパのために駆けた人。


「――俺の元上司。当時の警備隊総隊長だ」

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