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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
150/176

145:誰に捧ぐ疑惑の花束

 並木通りの名の通り、石作りの道の左右に立ち並ぶ木々が、ぽつりぽつりと花を咲かせては茂る緑に色を添えていた。


 季節の変わり目、体調を崩しやすい時期には、口は悪いが親切な薬師の薬を求めた患者が列を作ることもある診療所のドアは、予想通りぴたりと閉ざされて主人のプライバシーを守っている。

 ドアに鍵がかかっていることを確認し、無言で顔を見合わせたオーリとラトニはさっさと裏口に回った。


 おざなりな返事を待って小さなドアノブを捻れば、あっさり口を開けた室内空間が薬草の香りと共に二人を出迎えた。


 苦みを連想させる匂い。つん、と鼻を刺す刺激臭。ふわりと甘ったるい香り。色々諸々溶け合ったそれはもうすっかり部屋の壁に染み付いて、家具の一部と同化している。


 一月以上も閉じっぱなしで積もった埃は、昨日のうちにでもざっと掃除をしたのだろうが。

 それでも随処に残る塵が吹き込む風に舞い上がり、きらきらと日差しを反射した。


「――おう、来たか子雀ども」


 部屋の真ん中で荷解きをしていた、ファイターと見紛うほどごつい体格の老人が、二人を振り向いてにやりと笑った。


 あの歯並びなら、ゴムのように硬い骨付き肉を今でも易々と食いちぎれるのも頷ける。

 老虎が威嚇するかの如く歯を剥き出す老人の姿に、しかしこちらはとうに慣れたもので、オーリはけろりと笑って手を振り、ラトニは粛々と頭を下げてみせた。


「お帰りなさい、師匠! 王都はどうでした?」

「道中、お怪我もしなかったようで何よりです。荷解きの手伝いに来ました」

「おうおう、子雀どもの鳴き声聞くと、シェパに帰ってきたって気がすんなぁ。つい昨夜到着したばっかだってのに、どこから聞きつけてきてんだか」


 久々に会う小さな弟子たちはやはり可愛く見えるのか、ジョルジオは珍しく機嫌が良さそうに呵々と笑って、床に転がる荷物を親指で指してみせた。


「王都は相変わらず騒がしかったよ。あっちでもこっちでも毎日何かしら騒ぎが起こって、人の入れ替わりがある。その気になりゃあ金もチャンスも情報もぞろぞろ集まる場所だ、腰を据える連中が多いのも頷ける。

 ――あっちの包みは王都で買ってきたモンだ。出して並べといてくれ、後で片付けるからよ」

「師匠が会いたいって言ってたお知り合いの人、お元気でしたか?」


 早速荷物に飛びつきながらオーリが問うと、ジョルジオは「ああ」と頷いた。


「色々と情報交換ができた。昨今は依頼で忙しくて、その分情報も入ってくるんだそうだ。まあ、きな臭い話も聞いたが……」


 嫌なことを思い出したように少しだけ眉を寄せてから、ジョルジオは子供たちの手元に視線をやった。


 オーリが出していくのは、真新しい乳鉢、瓶、濾過器、紙束など。古くなっていた道具を新調してきたらしいと知って、ラトニが嬉しそうに口元を綻ばせた。


 やがて荷物が解けたら、次は掃除に取り掛かる。

 水回りの掃除をするラトニとは別で、オーリが猿のように棚を飛び回って壁や天井を拭いていく。


 ――結局午前中一杯かかって片付けを終えた頃には、診療所は午後にも開けられるほど綺麗になっていた。


「じゃあ『オセロ』の特許(パテント)、無事に取ってこられたんですね!」


 お弁当としてコックに持たされたサンドイッチに食いつきながら、オーリはぱあっと表情を明るくした。


 テーブルの真ん中には、ジョルジオが出してきた茹でジャガイモや丸ごとのトマトが並んでいた。サンドイッチが三切れ入っていた上等のバスケットは、一切れずつ分けて早々に空になっている。


 サンドイッチと言っても、オーリが食べているのは切れ目を入れた棒パンにスモークした鴨とレタスを挟んだ、ボリュームのある一品だ。汁気を含んだトマトの甘さが生玉ねぎの辛みを中和していて、小振りでもずしんと腹に溜まる。


「こんなに早く申請受理されるとは思わなかった! ジョルジオさん、苦労したんじゃないですか?」

「俺じゃなくて、今回会いに行った友達(ダチ)が尽力してくれたんだよ。しかも通常の倍、三十年間の存続期間が認められた」


 カットフルーツとカスタードクリームをしこたま詰め込んだデザートサンドを平らげたジョルジオが、新品の乳鉢を流用して淹れた茶を啜った。

 肉も酒も好きだが甘味も好む彼の手元には王都から持って帰った資料の束があり、片手間にぴらりぴらりと捲りながら、次は茹で芋に手を伸ばす。


 若い頃は共に安い揚げ芋で酒を呑んだ友人は、ジョルジオが奇抜なボードゲームの特許を代理申請しようとしていることを知り、しかもその申請者がジョルジオの弟子たちだと判明すると、俄かに張り切って手を尽くしてくれた。

 通常の特許申請より遥かに煩雑な手続きになることを覚悟して王都に行っただけに、あの友人がコネを駆使してくれたのは実にありがたい誤算だった。


 あとで契約書を渡すと告げれば、オーリは心底嬉しそうに満面の笑顔で笑った。


「うわあああ、嬉しいなあ、嬉しいなあ! ありがとう、ジョルジオさん、お友達! ラトニ、今度お礼状書こうね!」

「嬉しそうですね、オーリさん」

「当たり前だよ! 初めて私の知識が公に評価されて、しかも待ちに待った個人資産だ! 誰憚らずお金が使えるよラトニ!」


 何をするにも金は要る。買い食いくらいなら不自由はしないが、大きな改革案に手をつけられるほどの資金など逆さに振っても出てこないオーリは、領地の不備を見るたび色々なことを考えつくだけ、忸怩たる思いを抱えてきたのだろう。


 胡椒をきかせたコトン肉のローストと紫キャベツだけを詰め込んだ、シンプルだが充分に旨味の濃いサンドイッチを齧りつつ、ラトニはほっこり口元を緩ませる。

 これからやりたいことを早速色々と考えているのだろうオーリは、小さな尻尾を振って野原を転げ回る仔犬のようにはしゃいでいた。

 己の唯一無二が幸せそうなのはとても良いことだ。


「にしても、ジョルジオさんのご友人というのは相当のコネをお持ちなんですね。お城の研究所に入っているわけじゃないと聞いていましたが」


 ふと思い出して、ラトニはジョルジオに向き直る。


 王城お抱えの研究所なら、自尊心も面子もあるだろう。それを差し置いて個人で研究依頼を受けられ、更に特許権申請にまで介入できるというのなら、もしや高名な人物の弟子だったりするのだろうか。


「あいつの師匠がかなり上の方に顔が効くんだよ。研究所には入っちゃいないが、師匠の伝手で共同研究をすることはよくあるそうだ。最近は研究所でも調べてることに別側面からの調査を依頼されることが多いらしいが、今回は特に忙しない様子だったな……」


 汁気のない茹で芋を飲み込むのに苦労しながら、案の定ジョルジオはそう答えた。


「というと?」

「どうにも昨今、王都じゃ厄介な病が流行ってるらしい。地方にまで話が広まるのはもう少し先かと思うが」

「病?」

「貴族や商店主なんかの突然死。調べたところ心臓の病にしか見えんような死に方なんだが、一般庶民には被害がゼロで、金持ちや権力持ちにばかり死人が出てるってのが解せない」


 どこかで聞いたような話に、オーリとラトニの眉根が寄った。


(イアンさんが調べてて、総隊長に怒られてた話だ)


 ちらりと顔を見合わせる二人の前で、ジョルジオは言葉を続ける。


「まだ表立って問題にはなってないんだが、ただの病じゃないんじゃねぇかって考えたお方が上の方にいるらしくてな。俺の友人(ダチ)が依頼を受けて、独自に調べて判明したのが、ある禁制品が関与する可能性。フヴィシュナではほとんど見ない、特殊な薬草を使った毒なんじゃねぇか、ってな」


 眺めていた資料をぺらりと無造作に見せられて、オーリは「んん?」と眉を寄せた。


 薊のような葉っぱを持つ、蔓性の植物。色付きのインクで淡く描かれたその絵は、朝ぼらけを想わせる紫色の葉柄をしていた。


 ――どこかで、見たような。


 首を傾げるオーリを尻目に、ジョルジオはさっさと資料を捲ってしまう。


「一応、機密に片足突っ込んでんだ。しょっちゅう山に入り込んでるお前らだから、万一見かけた時のために見せとくが――間違っても自分たちで調べてみようなんて思うんじゃねぇぞ」

「はい、勿論です。――ジョルジオさん、今、その植物の話を知っているのは、一部の薬師や研究者の他にはどんな人たちですか?」

「調査を命じたお方の他には、まあ上級貴族でもほとんど知りゃせんだろうな。事によってはお貴族様が暗殺事件を起こしてる、なんて話になりかねないんだ。迂闊に広めるわけにもいくまいよ」


 では父であるオルドゥルも知らないのだろうか、と思いかけて、次の瞬間オーリはよくしなる鞭で打たれたように硬直した。


 ――ジョルジオの知識を当てにして持ってきた、今まさにオーリの荷物に入っている、薄っぺらい紙切れ。

 父の書斎で発見し、異国語の説明が分からないまま描き写して持ち出した植物の絵は、ジョルジオの資料に酷似していた。




※※※




 一日診療所に留まるつもりだった予定を切り上げて警備隊詰所へと駆け出したオーリを、ラトニは険しい顔を帽子の下に隠して追いかけた。


「間違いないんですか?」

「間違いない!」


 人混みをするする抜けながら、オーリが歯噛みするように叫ぶ。


「父上様の持ってた資料とジョルジオさんの資料、あれだけ特徴が似てて別物だなんて考えられない。加えてもう一つ、酷似した特徴の植物を、最近私たちは聞いていた!」


 絵や実物を見たわけではなかったから、すぐには思い出せなかった。けれど一度気付けば疑問と不審が一気に噴き出す。


「――――サラさん」


 指摘されれば即座に思い至ったらしく、低い声で呟いたラトニに、オーリは頷いた。


 喉から手が出るほどサラが求め、オーリとラトニも探すのを手伝った、ワクチンを作るための薬草。

 聞いていた色合いこそ違えど、形状は完全に一致する。これが偶然だと判じるほど、オーリたちはめでたい頭をしていない。


「薬草が手に入らないのは、誰かがサラさんの妨害をしているためだと思ってた。でも、きっと本当はそれだけじゃなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「手に入れたのなら、使い道があるはず。どこかで繋がっているということですか。サラさんの求める薬草、あなたのお父上、禁制品、不審死事件、ついでに商業ギルドや警備隊総隊長。見ない振りをするには、当事者としてあなたのお父上が関わっているリスクが無視できない」


 万一ブランジュード侯爵が最悪の形で関与していた場合、発覚すればオーリとて連座で責任を取らされる。

 その人格を無条件に信じられるほどの信頼は、悲しいことに父子の間には存在しない。


「何としてでも割り出す」


 幻影を纏った灰色の瞳が、赤く火花を散らした。

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