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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
149/176

144:お師匠様、帰還

 細く白く差し込む日差しが、森の中にキラキラと輝く帯を作っていた。


 山の半分よりもう少し上、地平より幾らか空に近い場所。

 作り物めいて見えるのは、生き物の気配がほとんどないからだろうか。


 鳥の声も聞こえない静かな森に、幼い姿が一つある。

 佇むそれは、どこか儚げだ。

 十にもならない、静かな少女の横顔だった。


 決して強靭さなど思わせない、細くて小柄な背中に――それでも背筋を伸ばしてしっかりと立つ、意志の炎を見たのはいつのことだったか。


 少女の前には、影があった。

 どうしようもなく巨大で、抗いようもない破滅の象徴。


 それでもなお。

 遥か高みを見据えるように、少女の唇が笑みを刻む。

 明るい青灰色の瞳が瞬く星のように輝いて、そうして告げる――


「――認めよう、お前は確かに強かった。だが、私はそれを上回る!」


 次の瞬間、響き渡る轟音! 地を砕かんばかりの踏み込みが、少女の痩身を宿敵の懐へと運び込む!

 応えて上がる猛烈な咆哮。宿敵――黒い毛皮の大熊が、少女を迎撃せんと、鉄槌の如き両腕を振り下ろした!


「このサカターノ・キントッキ、熊ごときに劣りはせんっ!」


 叫号、そして衝撃波。

 あたかも竜が天へと昇るかのような拳が、破壊的な効果音と共に大熊頭領を殴り飛ばし、天高くその身を舞い上げた。

 そう、生まれながらに剛猿(ゴリラ)と異名のつく鋼の肉体を持っていた少女には、マサカリ・ソードすら必要なかったのだ!




※※※




「……………………」


ちいちいと鳥の声が聞こえる自室で、ラトニはのそりと身を起こした。


(……なんかヘンな夢見た)


 ぼーっと虚空に視線を向けて、くしゃくしゃの髪もそのままに、こくん、と一つ玩具のように首を傾げる。


 ヘンな夢だった。本当にヘンだった。


 夢にオーリが登場したまではいいのだが、そのオーリはなぜかサカターノ・キントッキとかいう微妙に語呂の悪い名前の冒険者で、アシガラ・マウンテンにて暴虐の限りを尽くす大熊盗賊団に殴り込みをかけ、大熊頭領と壮絶な一騎打ちの末これを討ち取るという偉業を成し遂げていた。

 まことに解せないことに、ラトニはなぜか序盤で大熊頭領にナンパされ、「よーネーチャン、オレと鹿バイクで敵陣営に鵯越の逆落としキメねーか?」などと言われながら尻を撫でられるポジションであった。誰がネーチャンだ。そして誰だ敵陣営って。


(『昔』聞いたお伽話とオーリさんの記憶が、妙な感じに混ざり合ってカオスなことになったんでしょうね。尤も、現実の彼女も熊くらいなら素手で倒せそうですが)


 サカターノ・キントッキとか、ヨシツネ・ファミリーとか。

 彼女の語るお伽話には非常にアグレッシブで面白いキャラクターが多かったので、いつかまた強請りたい。


 欠伸を一つしてベッドを下りる。覚醒してから急速に薄れつつある夢の光景を、さっさと追い払おうと頭を振った。


 孤児院の朝食の時間はもう少し後だが、二度寝をするほどの時間もない。

 着替えをするために裾に手をかけたところで、不意に聞こえた声に顔を上げた。


「……何ですか、こんな朝っぱらから。朝一番に僕の声が聞きたいとかいう可愛い理由なら喜んで受け付けますが」


 寝起きの掠れ声でぼそりと呟くと、愛しいけれど素直じゃない声はたちまちキャンキャンと文句を並べ立て始めた。頭の中に直接響くその声にさりげなくボリュームを調節しながら、ラトニはふんと鼻を鳴らして返事を返す。


「――それこそまさかですよ。確かにクチバシはオートでも動かせますが、流石に僕も睡眠中はチャンネルを切っています。すぐに応答できたのは、たまたま僕が今さっき起きたばかりだからですよ」


 告げれば、また返ってくるツッコミの声。別に心底ラトニの存在を厭うているわけでもあるまいに、彼女の「公序良俗」とやらは時々余計な手間をかけさせる。


 そんなものを気にしているより、ただ傍に張り付いて、一時でも目を離さないようにしていた方が、大切なものが零れ落ちないようにするためにはずっと有用なんだと、ラトニが悟るまでに随分かかった。


 ――緑の生い茂る夢の中の森がシェパ近辺のそれではなかったことに、ラトニは気付いていた。

 何をもって今更『あの頃』の記憶が浮き上がってきたのかは分からないが、あまり愉快な記憶であるとは言えない。


『かつて』の記憶の景色の中にぽつりと貼り付けたような、『今』の彼女の姿。

 じわ、と影を増した琥珀色の瞳が、一瞬だけ過去を映して澱む。


(あの景色の中にいる彼女は、もっと痩せていた)


 遥か遠くにある貴族屋敷を望むように、きし、と錆びかけた窓を開けながら、ラトニはそう考える。


 あの頃の彼女はもっと痩せていて、不健康で、細っこくて。

 心はともかく、体の方は今よりずっとずっと弱かった。


「――何言ってるんです。僕はきちんと節度を守って、招かれない限りは屋内に入らないようにしているじゃないですか。

 ――で、何か言いたいことがあったんじゃないですか? まさか本当に、僕の声が聞きたかっただけ、とか言うんじゃないでしょうね?」


 適当に話を逸らせば、単純な彼女はあっさりと乗せられて、声色を快活に跳ねさせた。

 青灰色の目をキラキラさせながら喋っているのだろう少女の姿を思い描きながら、ラトニは夢の最後の残滓を掴んで、そして手放した。


 薄く薄く肺に張り付いた澱を吐き出すように、深く深く息を吐く。


 ――あの鬱蒼と生い茂る夢の中の緑に重ねるなら、彼女の瞳は澄んだ灰色の方が相応しい。




※※※




 ばさ、ばさ、と遠ざかっていく鳥の羽音を、涼しい朝の風の中で見送る。

 くあー、と思い出したように欠伸をして、開け放しの窓から今日の天気を確かめた。


 本日晴天、雨雲なし。澄んだ空気を伝わってくる街の様子は明るくて、残り四日間となった春告祭が順調であることを知らせてくる。


 ――さて、先程知った情報をどうするべきか。

 この後の朝食メニューに思いを馳せながら、オーリは頭の半分でそう考える。


 今日は朝から予定が空いている、つまりラトニに間もなく会える。

 知らせるのはその時で良いだろう、と考えながら、しかし何となく思いついて、小声で庭に呼びかけてみた。


「……もしもーし、ラトニ、いるー?」

『――……何ですか、こんな朝っぱらから。朝一番に僕の声が聞きたいとかいう可愛い理由なら喜んで受け付けますが』

「うわ本当にいやがった!」


 数拍の時間を置いてがさがさと枝葉の中から出てきた水色の小鳥――ラトニの術人形『クチバシ』に、オーリはがこんと窓枠に拳を落とした。


「ええええええ何で!? 呼んで五秒も経ってないのに何で来るの!? まさか一晩中窓の外に待機してたんじゃないでしょうね!?」

『それこそまさかですよ。確かにクチバシはオートでも動かせますが、流石に僕も睡眠中はチャンネルを切っています。すぐに応答できたのは、たまたま僕が今さっき起きたばかりだからですよ』

「そっかー、それなら安心……じゃないよ! つまりクチバシが四六時中私に張り付いてることには変わりない上に、起きて即行チャンネル繋ぎ直したってことじゃん! 怖い! おはようからおやすみまで見守るスタイルが怖い!」

『そんなこと今更でしょうに……大体、常に使用人を張り付けて生活するのが当然の貴族令嬢に、プライバシーなんて元よりあって無きが如しですよ』

「ひどい開き直り」


 可愛らしい嘴からぴいちくと可愛くない反論が返るのをげんなり眺め、窓枠に頬杖をついたオーリはつんつんと小鳥をつついた。

 クチバシがいざという時は身を呈してでも自分を守るという命令を受けていることは知っているし、ラトニの過保護と、常に自分に張り付いていたいラトニの執着心の妥協点であることも察している。


 影から見つめられるのがコワイなら、いっそ王都にいた頃のようにペットとして堂々と屋敷に連れ込んでしまえば良いのではないか、とも思ったのだが、中身が人間だと分かった以上そうもいかない。

 名門であるブランジュード家には、門外不出の情報がそれなりに溢れており、世界で最も信頼する相棒であろうとも、部外者に触れさせるわけにはいかないのだ。


『何言ってるんです。僕はきちんと節度を守って、招かれない限りは屋内に入らないようにしているじゃないですか。

 ――で、何か言いたいことがあったんじゃないですか? まさか本当に、僕の声が聞きたかっただけ、とか言うんじゃないでしょうね?』

「ああそうだった、忘れてた。ラトニ、朗報! 師匠が帰ってきたってさ!」

『ジョルジオさんが?』


 催促されて応えれば、クチバシは芸達者にぱちりと瞬きをしてみせた。


「うん、だから今日はジョルジオさんに会いに行こうよ。昨夜戻ったばかりらしいから、きっと今日は診療所を開けないと思うんだよね。師匠には聞きたいこともあるし、挨拶ついでに荷解きのお手伝いしよう」

『良いですね、では今日は診療所に集合ということで』


 ラトニの言葉に了承を返し、クチバシを一撫でしてから、オーリは窓とカーテンを閉めた。

 ラトニが覗きをするとは思わないが、まだ着替えをしていなかったもので。




※※※




「お嬢様、今朝は食欲がおありのようですね」


 色とりどりのピクルスに、トマトにオムレツ、豚のパテ。零れ落ちそうなほどたっぷりと具を乗せたオープンサンドを平らげてデザートを要求したオーリに、ヨーグルトを運んできたアーシャが微笑んだ。


 色々と余計なことを知ったせいで、昨夜は随分ともやもやしていた自覚がある。

 お陰で食欲もあまりなく、出された食事を残すことこそなかったものの、一番近しい使用人であるアーシャには不調を気付かれていたようだった。


「ちょっと気にかかったことがあっただけだよ。体は全然元気だから大丈夫」

「左様でございますか。昨夜は随分と遅くまで灯りがついていたようですが……」

「あー、ちょっと考え事をね……。眠くなったら昼寝するよ」

「分かりました。お嬢様、何か必要なことがありましたらすぐに仰ってくださいね。どんなことでも手助けさせて頂きますから」


 小さなガラスの器に入った数種類のジャムをテーブルに並べながら、アーシャはそっとオーリの表情を窺う。


 昨夜は鬱々として見えたお嬢様は随分と夜更かししていたようで気を揉んでいたのだが、今日は機嫌も良いし、顔色も悪くない。

 最近父親であるブランジュード侯爵に何か言われたらしく、暇があれば何処へかと姿を消す彼女の行動を、今日は止めるべきだろうかと自問した。


 昼寝で、読書で、屋敷内探険で。オーリが人目を避けたいと思って姿を消した時、使用人が見つけられた試しはない。

 大抵夕食には間に合うように姿を現してくれるので深刻なことにはならないが、どこかで倒れていても気付けないだろうと思えばやはり不安は募った。


「お嬢様、先程コックにお弁当を注文しておりましたし、今日もどこかへ籠もられるのでしょう? 本日は旦那様が夕食をご一緒されるということですので、あまり遅くならないうちに出てきてくださいませね」

「はーい」


 白いヨーグルトに木苺のジャムをたっぷりかけながら、オーリはいつもの通り、良い子のお返事をした。


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