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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
147/176

142:傍にいるよ、僕だけは

 ――例えば、本当に無垢な子供なら。それとも、正義感溢れる『天通鳥』であったなら。


 ただサラの苦境だけを見て同情し、手を差し伸べてやることができたのだろうか。

 自らの危険も顧みず、祖国を守ろうとするサラの願いに寄り添ってやることができたのだろうか。


 門の外で別れた彼女の、笑った顔が頭から離れない。


『今まで助けてくれてありがとう。さようなら』


 離脱を告げられた瞬間こそショックに凍りついたサラだったが、固い顔をしたオーリの言葉を呑み込んだ後は、拍子抜けするほどあっさりと納得してくれた。


 オーリたちの助けがなくなれば、今度ギルファが来た時に逃げ切れる保証はどこにもない。

 それでも、何の説明もせずに協力の約束を解消したオーリと、それに唯々諾々と従うラトニに向けた顔からは、精一杯の矜持と、そして報恩の意思があった。


 今度自分が刺客に狙われても、サラはオーリたちの助けを絶対に求めないだろう。

 けれど、もしもオーリたちの離脱を知らない刺客がオーリたちを狙ったならば、サラは迷わず助けに向かうのだろう。


 良い人だ。

 弱いけれど、誠実で善良で、己の義務に真摯で、分かっているくせに情を捨てられない、哀れなまでに甘い人だ。


 ――もしも彼女が、一方的に踏み込んだ挙句離脱したオーリをなじって泣いてくれるような人だったなら、もう少し、オーリの心は軽くなっただろうに。


「あなたは悪くありませんよ。当然の――いえ、選ばなくてはならない選択肢でした」


 浮かれた人々の歌声と花吹雪の中、のろのろ歩くオーリの隣に寄り添って、ラトニが囁くようにそう言った。


 春を祝う祭りの賑わいも、今は別世界のことのようにオーリの耳を素通りする。

 淡々と冷静なラトニの声は、気遣うような優しさを滲ませて。

 それでも、他者に興味を持たないラトニが珍しくサラに協力的だったことを知っているから、オーリの身体はますます縮こまった。


「僕に引け目を感じているのなら、その必要はないですよ。あなたの離脱についてきたのは、単純に、サラさんとあなたでは天秤の重さが比べ物にならなかっただけです。

 あなたと違って、僕個人には協力をやめる理由はありませんでした。サラさんを助力するに値する人だと認識していたのは確かですが、あなたが関わらないのなら、敢えて留まる理由もなかったんです」


 僕の選択は僕の自由意志ですよ、と肩を竦め、ラトニはそっとオーリの顔を覗き込んだ。


「――でも、あなたはそうじゃないんでしょう?」

「――――――うん」


 ぎゅ、と目を閉じて、オーリは小さく頷いた。


 助けてやりたかったのは本当だ。

 一度は祖国に追い立てられ、それでも祖国のために戦うサラの願いが叶えば良いと思ったことも。


(――でも)


 もしもサラの願いが叶えば、確かにルシャリも、そしてザレフの民も助かるだろう。

 ルシャリは力を取り戻し、ザレフという国からの脅威を減らせる。

 ルシャリは新たな公王を戴き、再び諸国に存在感を示すことになるだろう。


 ――けれどそう考える一方で、オーリの耳にはどうしても、無視できない囁きが聞こえているのだ。


『それはフヴィシュナの国益に反する行為ではないのか?』『精霊の力に満ちた浮島を、みすみすフヴィシュナが手放す後押しをするのか?』――と。


(私は、『ブランジュード』だ)


 サラへの助力が、ルシャリへの内政干渉に当たる可能性――これは百歩譲って置くとしよう。

 しかし、フヴィシュナ上層部が決めた方針を覆しかねない行動をオーリ個人が取るというのは、貴族の一門として王家に仕え、国の恩恵を受けて生きている立場において、決して許されない行為である。


 ついでに言えば、サラが王族(仮)なのもまずい。この状況下で『次期公王』相手に、一介の貴族が個人的に特大の恩を作るなんて、背信行為を疑われても文句が言えない。

 嫉妬、悪意、疑念。所持する権力と潜在的な敵の数は比例する。最悪、「ブランジュードは他国の後ろ盾を得て王座を簒奪しようとしている」くらいの言い掛かりはつけられるだろう。


 だからオーリは動けない。

『知って』しまったから、もうサラには手を差し伸べられない。


「同じ『他国人に肩入れ』するのでも、僕のような庶民がやるのと、リアさんがやるのでは重みが違います。リアさん、大丈夫です。僕が分かっています。あなたの選択は正しかった。僕が、あなたの判断の正しさを認めます」

「……サラさん、この後きっと苦労するね」

「たとえサラさんがどうなったとしても、それはあなたのせいではない。元々彼女は一人でやり遂げることを覚悟していたはずですよ。それに、活動の基盤はしっかり作ってあげたんです。それだけでも充分な助けになっているでしょう」


 日向に置いたアイスクリームのように、冷たくもとろりと溶けた声が、オーリの耳に流れ込む。そっと手を繋いでくるラトニの温もりが、血管を通って心臓に染み入ってくるようだった。


 ぎゅう、と唇を噛み締めたオーリの頭を、ラトニは控えめに抱え込んだ。琥珀色の双眸がうっそりと細まり、少女に頬を擦り寄せる。


(サラさんのことは嫌いではありませんでしたが――オーリさんの害になる前に、事が発覚したことだけは良かった)


 オーリとサラではとても天秤が釣り合わぬ。そう言ったことに微塵の嘘も混ぜてはいない。

 サラに対して微かな同情こそ残っていれど、既に割り切り冷め切ったラトニの思考には、あのまま何も知らずに協力し続けた場合のリスクだけが巡っていた。


 例えばもしもザレフの病が国境をも越える伝染病であったというのなら、また話は別だっただろう。

 しかし現実には、ザレフのそれは風土病であり、ザレフの外――要するにフヴィシュナには入ってこない。つまりオーリやラトニには何らの害もなく、たとえそれで何万の人が苦しもうと、動く理由にはなり得ない。


「気に病まなくていいんです、リアさん。あなたはサラさんを、病に苦しむザレフの人々を、『見捨てた』わけではありません」


 優しく囁かれて、胸の内を見透かされた少女は小さく震えた。


「ザレフの病には一応治療薬があるんですし、すぐに死人が大量発生するわけじゃありません。サラさんの目的の方は……まあ難しいですが、まだ『詰み』でないのなら、新ルシャリ公国の力を使ってでも何とかするでしょう。彼女が失敗して困るのは、何よりもルシャリ本国です。いかに情勢が困難であれ、どうしてもとなればこのまま座視していられるはずがない」


 己の行動が呼ぶメリットとデメリットを、薄情とお人好しを同居させるこの少女は、存外きっちり量って調節している。

 最優先はフヴィシュナの利益。他国に利して祖国の権益を侵すような真似は絶対にできない。

 それでもラトニほど割り切るのが上手くないから、誰かの肯定を欲しがるのだ。


「侯爵家令嬢ではなく天通鳥として人の前に立ち、エゴを捨てないままそれでも民のために在るのなら、通さねばならない筋がある。リアさん、あなたはこの国の利益を侵せない」


 たとえそれで、ルシャリという国が滅んでも。ザレフでどれほどの死者が出たとしても。

 それが『フヴィシュナの害にならない限り』、彼女は自らに動くことを許さない。


「分かっています。理解できます。泣いても悔やんでもいいんです。僕だけが、あなたの苦痛も葛藤も共有してあげられる」


 両親にも侍女にも家庭教師にも言えないその葛藤が、ラトニにだけは分かる。痛いほどに、悔しいほどに。――何故なら彼女のその信念に、一番臍を噛んでいるのがラトニなのだから。


 ラトニと共に生きる未来よりも、家と領地を守ることを決めたオーリの選択に、歯噛みしつつも今は妥協するしかない己の立場を知っている。

 だからこそこういう時は、存分にその立場を利用して、縋らせてやることもできるのだけど。


「ラト。――ラトニ。私の名前を呼んで」


 涙の気配はなく、それでも僅かに掠れた声で呟いたオーリに、ラトニは微笑した。また少し、己の存在が少女の心に根を広げたのを確信して。


 少女の耳元に唇を寄せ、目一杯低めた声で囁きかける。

 叶う限りの思慕と優しさを、その名を紡ぐ音に込めて。


「――オーリリア・フォン・ブランジュード。僕の大切な、唯一無二の救い。僕が、あなたの全てを肯定します」


 魂を縛るその名前に――密やかに笑ったのは誰か。




※※※




 オーリが幾分気を持ち直したその後、日はまだ高かったものの、今日ばかりは素直に祭りを楽しむ気にはなれず、ふらふらと散策していた二人の視界にその顔が映ったのは偶然だった。

 どこにでもある一軒の酒場。祭りの景気に浮かれる店内、開けっ放しの窓際に、麦酒(ラガー)のジョッキを傾ける男の姿があった。


 大地に落ちる夕焼け色の髪、濃いブラウンの目。大柄でがっちり筋肉質な体躯をした壮年の男は、つい昨日、ギルファの襲撃から助けてくれた人物だった。


 ちら、と視線を見交わして、どちらからともなく酒場に向かう。

 会わねばわざわざ探そうなどとはしなかっただろうが、こちらは仮にも命の恩がある。ろくに礼も言わずに別れてしまったから、一言挨拶しておくのも良いだろう。


 ぎしぎしと軋んだ音を立てて酒場のドアを開ければ、濃い酒の臭いと、真っ昼間からご機嫌な酔いどれどもの立てる喧騒が一気に襲いかかってきた。

 新しい客かとこちらに顔を向けた給仕の女が、子供の二人連れと分かって完全に興味をなくした顔をする。麦酒(ラガー)の大ジョッキを六つも持って冒険者らしい髭面の並ぶテーブルへ愛想を振り撒きにいく足元をすり抜けながら、オーリとラトニは目当てのテーブルへと辿り着いた。


「――あの、すいません」


 声をかけると、小さなテーブルに一人でいたその男は、ぱちりと一度瞬きして二人を見下ろした。


「うん? 何だ、昨日の子供たちじゃないか」


 一応、顔を覚えていてくれる程度には、昨日の出来事はインパクトがあったらしい。

 やっぱりダンディで良い声だ、なんて思ったのが分かったようにラトニが肘で小突いてきたので、オーリは慌てて頭を下げた。


「あの、昨日はありがとうございました。お陰で私たち、大した怪我もなく済みました」

「酒場の外から、ここにいるのが見えたので、改めてお礼に伺った次第です。ご助力に感謝します」


 ぺこりぺこりとセットの人形のようにお辞儀をする二人に、ダンディは「気にするな」とジョッキを掲げてみせる。


「たまたま不穏な場面に遭遇して、見過ごすのも寝覚めが悪かったから割り入っただけだ。気にしなくていい。あの娘さんは、今日は一緒じゃないんだな」

「あ、はい、まあ……」


 曖昧に笑ったオーリにダンディは片眉を上げ、しかしそれ以上追及しようとはしなかった。

 礼は言ったので早々に引き上げよう、と考えたオーリたちの思考を読んだように、「まあ座ると良い」と空いた椅子を指し示す。


「いえ、僕らはお礼を言いたかっただけなので……」

「しかし、今出て行くと巻き込まれるぞ」


 顎で出入り口を示されて、釣られてそちらに顔を向ける。

 ほんの数分目を離した隙に、そこでは酔っ払い同士の喧嘩が開幕していた。まことに馬鹿らしい動機をがなり立てながら殴り合うむさ苦しい男たちの姿はわりと日常茶飯事らしく、周りは好き放題に囃し立て、賭けを始める者までいる。


「…………」

「丁度出口を塞いでしまっていますね」


 しょっぱい顔で沈黙したオーリに、ラトニがぼそりと呟いた。


「……窓から出る?」

「人が集まっていますから、悪目立ちは避けたいです」


 数秒の沈黙ののち、どうやら待つしかなさそうだと判断し、二人は大人しくテーブルにつくことにした。


「何か食うか」


 壁のメニュー表を指し示すダンディだけが、小揺るぎもせずマイペースだった。

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