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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
141/176

136:チップを上乗せ、手札を揃えて

 子供たちがもぞもぞと這い出てきて、二人掛けソファに元通り並ぶ。心なしか気の毒そうな眼差しをしていることに気付かない振りをしながら、イアンは己の膝に頬杖をついた。


「んで、聞いての通りだ」


 うんざりした声でそう言った彼に、オーリが「うええ」と風邪を引いた羊のような呻き声を上げた。


「内通の第一容疑者が、よりにもよって総隊長……ヤダー、すんごいしょっぱい事実。シェパと警備隊、大丈夫なんですか?」

「全く大丈夫じゃないな。俺も一応監視はしてるが、どこまで牽制になるかは分からんぞ。場合によっちゃあ、たとえ内通の証拠を掴んだところで、俺のクビが飛んで終わりだ」


 下級貴族出身であるイアンは、上級貴族出身である総隊長には随分と軽んじられていると聞く。余程の証拠か後ろ盾を手に入れない限り、告発なんて握り潰されて終わりだろう。


 聞くところでは、どうやら先代総隊長の退任にもきな臭い噂が絡んでいるようだ。イアンが同じようにならない保証が無い以上、総隊長、ひいてはそのバックにいる『誰か』と対立するのは下策としか言えなかった。


(先代のことはよく知らないけど、イアンさんの様子を見る限り、かなり有能な人だったんだろうな。現総隊長はうまく抱き込めないイアンさんを冷遇している上、いつ扱いあぐねて馘首するか分からない。もしもそうなった時、先代の一件を詳らかにできれば気休めくらいにはなるかも……万一のために、先代の行方を調べておくべきか……?)


 とは言え、オーリの主な情報源はイレーナや、その配下にあるストリートチルドレンの一団だ。街中ならともかく、先代総隊長が街を出てしまっていれば、彼女たちに得られる情報はほとんど無い。


「どうしても必要なら、ノヴァさんに聞いてみましょうか?」


 ぽそりと小声でラトニに問われ、少し考えて首を横に振る。

 諸国を渡り歩いていたノヴァなら妙な情報網も持っていそうだが、残念ながら相手はイアンやジョルジオと違って気軽に頼れるようなタイプではない。ラトニ自身、無表情ながらあまり気が進まない雰囲気を醸し出しているので、厄介な対価でも求められたら困るとでも思っているのだろう。


 唇をへの字にして黙考するオーリとラトニの顔を眺め、イアンがくしゃりと苦笑を作った。


「――そんな不景気なツラすんじゃねぇよ。元よりこいつは警備隊の問題だ、お前らが関与するこっちゃねぇ。

 それより、本題に入ろうぜ。サイードが伝えたと思うが、今日お前らを呼んだのは、こいつのことを知らせるためだ」


 そう言ってイアンが持ち出してきたのは、見覚えのある小瓶だった。

 中身は空だし、ラベルも剥がされているが、確かに先日、オーリたちがイアンに預けたウイスキーボトルだ。


「あの、中身は?」

「不心得者の胃の中だ」

「あー」


 察した顔で頷くオーリの隣から、ラトニが手を伸ばしてボトルを受け取った。


「ラベルが剥がされているということは、そこに仕掛けでもありましたか?」

「ああ、ラベルの下にもう一枚、紙が隠されてたよ。あと、コルクの方にも仕掛けがあった」


 コトン、と微かな音を立てて、イアンがテーブルにコルクを置いた。

 次いで隣に、一枚の薄い紙が並べられる。二つを手に取り、オーリは眉を寄せた。


(成程、あの時私が覚えた違和感はこれだったのか)


 イアンの手にウイスキーボトルを預けた時、彼女の意識の片隅に引っかかった『何か』。正体が分からないまま思考をやめてしまったが、恐らくあの時、揺れる液体の向こうに、ラベルの裏に隠された紙片が透けて見えたのだろう。

 瓶の裏側から見た紙片は酒と瓶の色に隠され、オーリの脳に確たる像を結ばなかった。中身の酒がなくなって初めて、イアンが気付いたというわけだ。


 紙片に目を通す。そこには外国語らしき文字と、植物の絵が描かれてあった。

 薊のような形状の葉をした、オーリの身近には見かけない植物だ。

 字はオーリには読めないが、絵を見た時に感じたのは確かな既視感。意識の裏側を引っ掻くようなそれに眉間の皺を深めるオーリの横から紙を覗き込み、ラトニがちらりとイアンに視線を向けた。


「イアンさん、文章の解読は終わってるんですか?」

「いや、まだ半分も行ってない。暗号も交えてあってややこしいんだよ。コルクの方には薬らしきものが仕込まれてたんだが、こっちも今分析中だ」


 口振りからして、イアンとイアンの手の者だけでこっそりと調査を進めているのだろう。一々上司の目を盗まなければならないあたり、彼の気苦労が透けて見える。


 軽いコルクは中心部をくり抜かれ、『何か』を収めていたような形跡があった。手のひらに乗せてラトニと一緒に矯めつ眇めつしながら、オーリはううんと低く唸る。


「……だんだん思い出してきた。確かこのボトル、コルクで密封した上に、金属のボトルキャップをつけてあったよね。ボトルキャップとコルクが一体化したデザインは、ちょっと珍しいと思ってたんだけど……」

「開けるためにコルク抜きを使えないからだったんでしょうね。そんなものを刺せば、中に仕込んだ薬が溢れてしまいますから」

「一応聞くが、お前ら、これ持ってたかっぱらいのことは覚えてるか? 犯人と繋がりがあるかも知れんし、そいつから追えるもんならそうしたい」

「んー、印象にないですね……本当にただの小悪党だったとしか。念のために探してみます? 常習犯なら、見つけるのはそんなに難しくないですよ」


 特徴の一つくらいは覚えているし、直接顔を見れば思い出すだろう。耳の早いイレーナやマリーが何か知っているかも知れない、と思って聞いたオーリに、ラトニが「いえ」と口を挟んだ。


「多分無駄足に終わるでしょうから、やめておいた方が良いと思います。もしかっぱらいが犯人の一味で、運び屋のような役目を持っていたなら、こんな如何にも意味ありげな代物持ったままケチな盗みに走るとは思えませんよ」

「それもそうだね。じゃあ、かっぱらいは知らずに盗んだだけか……誰から何を盗んだとか、一々覚えてないだろうなあ」

「見た目はただのウイスキーだ、そうインパクトのあるものでもないからな。未だ盗難届が出てないってことは、元々ボトルを持ってた奴も、バレたらヤバい代物だってことは分かってたんだろう。ならやっぱり、そっちの方が本命か……」


 イアンの余裕と手駒が少ない以上、時間と労力の無駄は少ないほど良い。あっさり説得されたオーリたちに、ラトニは「僕もそう思いますよ」と首肯してみせた。


 ――第一、今更追ったところで、あのかっぱらいが生きているかは五分五分ですし。

 そんな言葉は、ラトニの舌の奥で砕けて消えた。


 ウイスキーボトルに擬態させるなんて、如何にも手の込んだ隠され方をしていたこの紙片と薬を盗まれた人間が、とんでもない大ポカに何を思うかは想像に難くない。


 焦燥、そして憤怒。

 己の持っていたものの重要性を知っているならば、しくじったと判明した時の焦りはさぞかし大きいだろう。あまつさえ、それをやらかした人間が、ただ偶然己を狙っただけのちんけな小悪党となれば、その怒りには拍車がかかる。


 ならば、小瓶を盗まれたと知った『最初の所持者』が次にやることは何かなんて、考えるまでもないことだ。

 奇しくも先程、オーリが言ったばかりではないか――『もしも常習犯なら』、『見つけるのはそんなに難しくない』と。


(まあそんなこと、わざわざオーリさんに教えるものでもありませんし)


 かっぱらいを見つけて問い詰めた『所持者』が知るのは、探していた物品が行方不明になったということだ。

 怒りの矛先がまず真っ先にどこに向くかは明白で、その結果かっぱらいがどうなるかなんて、想像がつきすぎていっそ欠伸が出てしまう。


 ラトニにとって幸いだったのは、背後からドロップキックを食らったかっぱらいが、オーリたちの顔を見ていなかったことだ。

 もしかしたらまだ『元の所持者』はかっぱらいを捕捉しておらず、今すぐ探せば保護が間に合うのかも知れないが、それは同時に、その動きからすら敵側に余計な情報が流れる危険を意味していた。

 かっぱらいの命になど何の興味もないラトニは、その口から情報が洩れないことが分かってさえいれば、素知らぬ顔で口を噤んでしまえる。


(尤もオーリさんは、多少なりとも気に病むのかも知れませんが)


 オーリだってドライな一面はあるし、自業自得で不幸を引き込んだかっぱらいの命に一々責任を感じたりしない。


 それでも――ラトニ以外の誰かのために、ほんの一瞬下げられる眉尻さえ見たくないと思ってしまうのは、ただのラトニの我儘だ。


「なら、こっから先の捜査はうちに任せてくれや。

 呼び出して悪かったな、折角の祭りを楽しんでるところだったんじゃねぇのか?」


 そんなラトニの計算と独占欲を、或いは少しだけ察しているのかも知れないイアンは、何でもなさそうな顔で話を切り上げる。

 オーリとラトニの関係に、彼は極力首を突っ込んでこない。ある意味強固に閉じた二人の関係は、ある程度深く付き合う者には一種の危うささえ感じさせるはずだが、それでも無理にこじ開けず閉ざしたままにしておいてくれる姿勢を、ラトニはありがたく思っていた。


「大丈夫ですよ。お祭りはまだまだ続くんだし、この後も二人で遊ぶ予定ですから」

「ほう、なら今日、他国から招ばれた歌手が野外コンサートすることは知ってるか? 有名な歌手でな、立ち見席は安いんだが、座席は全部事前予約制だ」

「えっ何それ、行きたい……い、イアンさん、その手に持っているものは、まさか……!」

「貰いもんの座席チケット、二人分だ。俺は忙しいから、お前らにくれてやる。ただし、代わりにサインをもらってきて欲しいんだが……」

「実はファンでしたか。承りました!」

「ほんと頼む……執務室に彼女の直筆サインがあれば、クソ上司の尻拭いに走り回る虚しい日々にも耐えられる気がするんだ……」

「お疲れ様です……あの、ほんと今度、良い薬草茶でも差し入れするんで……」


 虚ろな目で笑うイアンの背中を、オーリが励ますようにぺしぺしと叩いた。


 オーリとラトニに寛容で、二人を尊重し、信用してくれる、権力を持った大人は貴重である。

 今度、術人形(クチバシ)を使ってこっそり総隊長の茶に下剤でも混ぜてあげようかと、ラトニはささやかな善意から考えた。




※※※




 ざす、ざす、と草を踏む音だけが人けのない大地に響いていた。


 この地方の気候には合わぬ植物が、背の高い木々の影を地に落とし、昼なお薄暗いその一角。

 虫の声すら聞こえぬ中で、それでも確かにこちらを窺う生命の息遣いを感じるのは、一帯に満ちた魔力のためか、はたまたこの地に伝わる古い神秘が故か。


 三国領土問題、その渦中。『浮島』と呼ばれるその場所に、男はいた。


 精悍な顔立ちとしなやかな体躯を持つ、まだ若い男だ。木々生い茂る島中を、綺麗に舗装された道路でも歩くように進んでいく。

 目深に被ったフードの下から覗く、首元で結んだ長い髪が、吹き抜ける風にゆらりと揺れた。


 ざす、と草を踏みしめて、顔を上げた男の視界が一気に開ける。

 降り注ぐ午後の光の下、背の低い緑に覆われた、広い草原がそこにあった。


 す、と音もなくしゃがみ込み、生い茂る緑に指先で触れる。

 特徴的な葉だ。薊のようなギザギザした形――しかし、その葉柄はぼんやりとした紫色に染まっている。


 朝ぼらけを想わせるその色を、愛でるように優しく撫でて――男の口の端が微かに吊り上がった。


 細い指が小さく動く。

 ちり、と魔力の燐光が、火花のように一粒散って――


 ――ばぢんっ!


 刹那走った金の光が、仰け反る男のフードを掠めて行き過ぎた。

 獣か曲芸師のような動作で跳躍し、男は数メートルミル後退する。


 ざ、と草原を踏みつけて、新たな人影が現れた。

 金の混じったブラウンの髪、決して筋肉質には見えない身体。

 ただでさえ細い真っ赤な目を更に細めて、彼――ギルファギリムは、目の前の男に対峙する。


「おいおい、どこのヤローかは知らねぇが、そいつぁ駄目だぜ」


 両手に鎖鎌を構え、ギルファは告げる。

 何の緊迫感もなく。面倒臭げでさえある表情で。


「引いてくんねぇ?『浮島』には手ェ出させんなって、俺の主人に言われてるんでー」


 嘯くギルファに対する返答は、ナイフを二本、無造作に引き抜く動作。

 闇に紛れるに似つかわしい、艶のない刃がゆっくりと、簡素な鞘から顔を出す。


 やーっぱこうなるんだよなぁ、と頭を掻いて。

 次の瞬間、二つの姿が掻き消えた。


 転移と見紛うような超速の移動。互いに間合いを詰めた先、ぶつかり合ったのは両者の丁度中間点――草原のど真ん中だった。


 ギィィィンッ!!


 耳触りな金属音が鳴り響き、二対の刃が打ち合わされる。

 間近で交錯した視線に熱はなく、しかし戦意と殺意はふんだんに含んで。


『なら、死んどけよ』


 二つの口から零れた言葉は、一言一句変わらぬもの。


 ギルファの、フードの男の唇が。

 狩るべき獲物を前にして、弦月のように美しく歪む。





※※※





 春先のシェパの山奥は、冬籠りから起き出した獣を警戒し、地元の人間もあまり踏み込まない場所だった。

 まして打ち捨てられた村落などに、好き好んでやってくる人間はほとんどいない。


 例外としては、そこに仮居を構える放浪の魔術師と、その弟子である少年くらいか。

 しかし今日、その『例外』に新たな存在が刻まれる。


 風と緑と、廃屋しかないその一角に。

 供の一人も傍付けることなく、少女が訪れた。


 控えめなレースのついた薄黄のワンピースドレスに、染み一つない薄手のボレロ。鍔の広い帽子は花飾りで彩られ、真っ白な肌を日差しから守る。


 山歩きには似つかわしくないその服装は、そこらの凡人が着ていれば失笑すら買ったかも知れない。

 しかし、少女の纏う凛と澄んだ雰囲気が、閑散とした山奥の空気を塗り替え、少女の存在を違和感として浮かせなかった。


 ぱたん。

 小さな音は、丸太を椅子代わりに座っていたノヴァの手元から。

 誰に言われずとも本を閉じ、少女に向き直るその態度が、何より雄弁に、ここに少女がやってきたことの重要性を物語る。


 意図せず同族を見つけて警戒する狼の如く双眸を細めるノヴァに、少女は怯む様子など微塵も見せず、美しい微笑みを浮かべてみせた。


「――お初にお目にかかりますわね、放浪の魔術師殿。

 わたくしの名はリーゼロッテ・ロウ・ファルムルカ。我が兄エイルゼシアからの言葉を伝えるために、あなたを探しておりましたの」


 まるで豪奢な夜会服でも纏っているかのように、ワンピースの裾を優雅に捌いて。

 紅玉色の令嬢は、鮮やかなお辞儀をしてみせた。


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