132:エクストリームナンパお断り
それは植物だった。まるで街中に突如森が出現したかのように、生い茂り濃い影を生み出していく。
可愛らしいピンク色の花と、鮮やかな緑色の茎と葉。それらが全く可愛くない勢いで増殖して、爆発的な速度で襲撃者たち目掛けて押し寄せた。
(ひぎゃあああ、何なの一体! どこからあんなものが生まれて……!?)
咄嗟にラトニを庇いながら地に伏せたオーリが、引きつった顔で目を凝らす。ラトニが眉を寄せて、「リアさん、花輪です」と囁いた。
「あの花、サラさんが腕につけていた花輪と同じものですよ。手元が見えないので確証はありませんが、あんな大量の花を召喚するより、持っているものを増殖させる方が容易いはずです」
「花輪は道化師がたまたま投げてきたもので、仕掛けなんかできないよね……つまりあれはサラさん自身の能力か。あの人、魔術師だったんだ」
喋っている間にも、植物は見る見る襲撃者たちを呑み込んでいった。
怒声と悲鳴。彼らの中に炎の魔術を使える者はいるようだが、今火を放てば自分たちまで巻き込んでしまうからだろう、斬撃の音くらいしか聞こえてこない。
――とは言え、この攻撃はどうやら、直接的な殺傷力には欠けるようだった。
サラの生み出す植物はひたすら圧倒的な物量をぶつけるだけで、自在に動きを操作することができるわけではないらしい。
しかし、それだけでも余程に集中しているのか、強く胸元を押さえたサラは、ぎゅっと眉間に皺を寄せて襲撃者たちの方を睨みつけている。額にぷつぷつと汗が浮かび、顔色が悪くなっていくのを察して、オーリたちは慌てて彼女へと駆け寄った。
「サラさんもう良いです、今のうちに逃げましょう!」
「置いて行って! わたしなら殺されないから、捕まっても隙を見て逃げられます! わたしは、リアちゃんたちが逃げるまで、ここに……!」
「駄目です! この魔術、柔軟性に欠けるんでしょう! 一旦対処法を見つけられたら確実に負けるんだから、相手が戸惑ってるうちに逃げるべきですよ!」
無理やりサラの手を掴み、オーリは走り出す。すぐ隣にラトニがついて、密やかに術人形――『クチバシ』を飛ばしたのが見える。
青い小鳥が滑空し、突貫の森の周りをぐるぐると飛び回り始めた。
何周か飛んで、小鳥の動きがぴたりと止まる。警告音に似た甲高い鳴き声。同時に振り返ったラトニが叫んだ。
「――来ます!」
刹那、『森』を引き裂いて襲いきた真っ赤な魔力刃が、『クチバシ』の放った水の刃と激突した。
瞬間移動のような速度でオーリたちの背中を守る位置に移動してきた『クチバシ』は、発生した衝撃波の中心で翼を羽ばたかせ、意思も感情も持たぬ丸い目で『森』の方へと向き直る。
「っ…………!」
「下手に構うな、走れ!」
舌打ちしたラトニが足を止め、『森』に開いた裂け目へと攻撃を叩き込もうとして、オーリがその腕を無理やり掴んで走らせた。
――バキィッ!!
少女の声に重なるように大きな音がして、次の瞬間、未だじわじわと増殖を続けていた『森』が真っ白に凍りついた。
氷のトンネルとなった裂け目から複数の影が飛び出してくる。四つだ。一人は運悪く植物に押し潰されたか絡め取られたか、何にせよ期待したより戦果がなかったことに、サラが悔しげに唇を噛むのが見えた。
「――逃がさん」
淡々と低い声がする。距離を詰めてきた一人が、サラを掴むオーリの手を目掛けてナイフを投擲。咄嗟に離したが間に合わず、少女の手の甲を掠めて鮮血が散った。
ふらついたオーリに手を伸ばそうとしたサラが、短い悲鳴を上げて転倒する。彼女の足を、細い拘束器具ががっちり銜え込んでいた。
「リアさ――」
顔色を変えたラトニが攻撃魔術を使おうとして、『クチバシ』の体当たりを食らうことで中断。転んだ少年の頭上を魔力刃が行き過ぎて、『クチバシ』の放った水の渦が危ういところで男たちを後退させた。
「ネチネチネチネチしつっこいなあ、この腐れナンパ野郎!! お呼びじゃないってんですよ!」
打ち捨てられた角材をひっ掴みざま、反転したオーリがぶん投げた。
剛槍と化した角材は、しかし所詮は素人の行動。容易く反応した先頭の男が、こともなげに剣で斬り捨てて、
――パァンッ!
直後に猛烈な勢いで弾け飛び、微細な木片を容赦なく撒き散らした。
「ぐあっ――!」
「なにっ!?」
木の細胞に含まれる水分をラトニが操作し、破裂させたのである。木っ端微塵になった角材の欠片が目に入ったか、襲撃者たちの苦鳴が聞こえた。
ピィィと高く鳴いて『クチバシ』が動く。
水分合成。そこだけ沼にでもなったかのように道の一部が粘度を増し、男たちの足がずぶりと沈み込んだ。
「何なんだ、この鳥は……!」
誰かが罵声を上げるが、答える言葉など誰も持たない。男たちが太腿まで泥沼に浸かれば、見る見るうちに氷が張り出した。
それを最後に魔力切れを起こした小鳥は消滅したが、あれなら三十秒もしないうちに泥沼全体が凍りつくだろう。魔術防御があるから死ぬことはないと思うが、完全に動けなくなればしばらくは抜け出せない。
大きな通りまであと約二百メートルミル。拘束器具と格闘していたサラの足が自由になる。行きましょう、とオーリがサラに言いかけて、
「リアちゃん!」
血相を変えたサラに抱き込まれ、勢いよく地面を転がった。
「うえええええ!?」
転がる二人の後を追って、ガガガガガッ、とナイフが突き立つ。
ラトニとの距離が大きく開き、その中間地点に男が二人、着地した。
襲撃者の一味だ。片方は剣を、もう片方はナイフを持っている。足はべったりと泥に汚れていて、確かに先程まで泥沼に捕らわれていたのだと分かった。
完全に凍りついた泥沼に、氷の塊となって取り残された人影は二つだけだ。
炎系魔術を使って抜け出したか、泥沼は隣接した二箇所が小範囲に溶けて、黒茶の泥を覗かせていた。
苛立ちを隠し切れない男の双眸と目が合ったと思った瞬間、肉迫してきたナイフの男がサラに火球を叩き込んだ。
「きゃああああっ!」
元より直撃させるつもりはなかったのか、長い三つ編みを掠めた火球が髪紐を焼き切り、ばさりと濃色の頭髪が撒き散らされる。
拍子にオーリとも距離が空き、サラは怯えきった涙目で、地面に手をついて後ずさった。
がつ、と固い音を立て、男の爪先がサラの肩に食い込む。蹴り飛ばされて倒れたサラの髪から、髪紐が抜けて地に落ちた。
かちん、かちん。髪紐についた親指の爪ほどの丸い飾り球が、小石にぶつかりながら地面を転がっていく。
髪紐などには目もくれず、ナイフの男がゆっくりとサラに歩み寄る。
今にもとどめを刺さんとばかりにナイフを構えてみせた男に、慌てたオーリが飛びかかろうと身を起こし、しかし次の瞬間、迅雷の速度で突き出されたナイフが貫いたのは、サラではなくオーリの腹だった。
オーリの、サラの、ラトニの時間が静止する。
一番に正気に返ったのはサラで、苦痛に掠れた声で真っ青になって男へと縋った。
「待って! もうやめてください! ついて行くから、その子たちは――っ!」
しかし、彼女の懇願は聞き届けられることなく。
そのままより一層力を込めて捻じ込まれたナイフに、が、と苦鳴を上げたオーリを、更に男の足が容赦なく蹴り飛ばした。
「リアさんっ!!」
鈍色の刃を深々と腹に突き立てたまま後方に吹き飛ばされたオーリの姿に、ラトニは絶叫した。
体をくの字に折った幼い体が、あまりにも軽々と宙を飛ぶ。不運にも廃材の積み重ねられた位置に叩きつけられ、少女はガラガラと轟音を上げて廃材と土煙に埋もれていった。
嗚呼そうだ、襲撃者たちは初めから、サラを生かして捕らえようとしていたのだ。
ならばナイフを振り下ろす相手はサラではなく、散々彼らの邪魔をしたオーリやラトニであるに決まっている。すばしっこいオーリを確実に仕留めるため、敢えてサラを狙う振りをしてみせただけだ。
ラトニの視界が真っ赤に染まった。激甚な憤怒と殺意が、一瞬の間も置かず爆発する。
ドドドドドドドッ!!
鋭く尖った水の矢が、豪雨のように二人の男へと降り注いだ。
男たちが跳躍して回避する。剣を持った男は未だ起き上がれないサラの方へ、ナイフを持った男はラトニの方へ。
ナイフの男が、ラトニ目掛けて腕を一閃する。
波のように生まれた炎が業火となって四方からラトニを押し包み、そして目標を見失って小爆発を起こした。
ひやり、男の首に何かが触れる。
短距離転移。男の背後に回り込んだ少年が、瞳孔の開き切った目で男を見上げ、足元から小さな人差し指で男を指していた。
「ここまで近付けば、あなたの自動防御も突破できるでしょうかね?」
男の首を、冷たい水がぐるりと取り巻いていた。
気付くと同時に輪が縮まる。苦しくなった息に、それでも男はどこまでも冷静にナイフを投げた。
窒息死する前に、使い手である少年を始末してしまえば良いだけの話。
しかし、少年の体を擦り抜けて地面に突き立ったナイフに、男はその姿が幻影であることを知る。
空気中の水分を動かし、屈折率を操って作り出した蜃気楼であることは知らずとも、少年が存外に狡猾であったらしいことはこれで悟れた。
一手の遅れは致命的で、尚且つ少年が窒息死などという迂遠な手段を取る気がないことに気付いたのはその直後だった。
「無惨に死ね。死体になってそこをどけ」
オーリが害された。今もまだ、無意識かも知れないが、オーリのもとへ行く道を塞ぐように立っている。
これは大義名分だ。この男に報復し、存分に殺意をぶつけるための、間違いなく大義名分だ。
虫けらを踏み潰すような顔でラトニが指を振る。完全に正気を失った少年の、黄金色の瞳だけが爛々と輝いていた。
割って入ろうとした剣の男を、水の矢による追撃が阻んだ。ならばと牽制するようにサラへと剣を向けてみせるも、そちらは出現した水の盾に防がれる。
ぎゅい、と水の輪が捻られる。鋭い痛みがナイフの男の首に走って、水でできた首輪の内側が刃のように鋭くなっているのだと察した。
水刃が食い込んだ首筋から溢れた赤が水に混じるのを、男の視線が確認する。
首が捩れる。呼吸が止まった。
男の首を捻り千切り、切り飛ばすための拷問具が、ぎゅる、と悍ましい音を立てて締め上げられた、しかしその時。
「――――うがー!!」
緊張感のない絶叫と共に両拳で廃材の山を吹き飛ばして姿を現した少女の姿に、ラトニはぎょっと目を剥いた。
ドガシャアンッ!! ガラガラガラガラガラッ!!
崩れ落ちた廃材が乱暴に排除され、轟音を上げて地面に落ちる。
こちらを向いたオーリと目が合って、ラトニは頭に昇っていた血が一気に下がるのを感じた。
水の首輪が動きを変える。肉に食い込んでいた刃が消えて、今にも首を捩じ切ろうとしていた動きが、単純に締め落とすものに変化する。
頚動脈を締め上げられ、一瞬白目を剥いたナイフの男が、間を置いて力なく崩れ落ちた。剣の男が舌打ちし、離れた位置にいる仲間たちと、すぐ傍にいるサラを交互に見た。
ようやくダメージから回復し始めたサラは、ふらふらと身を起こしつつあるようだ。
そちらの守りは水の盾に任せ、ラトニは倒れた男をげしっと踏み越えてオーリのもとに駆け寄った。
「リアさん、動かないで! 傷を見せてください!」
己の体に突き立っていたナイフを左手に、右手で腹を押さえながらよろよろと立ち上がったオーリからは、見たところ出血している様子もない。
眉尻は幾分余計に垂れていたが、いつもの呑気そうな顔で相棒に笑いかけてみせ、彼女は「や、なんか大丈夫っぽいから後にしよう」と言った。
「大丈夫なわけないでしょう! あんなに深くナイフが刺さって――」
反射的に怒声を上げかけて、そこで気付く。
彼女が持っているナイフは、半ばからぽっきり折れていた。
「……どういうことですか?」
「分かんないけど、気がついたらこうなってたよ。打撃のダメージしか感じなかったから、突き刺さってたように見えた部分は折れて無くなってたみたい」
怒りが疑問に塗り変えられて、ラトニの眉が顰められる。まさかオーリの腹筋が鋼鉄並みに硬いわけでもあるまいに、一体いつ折れたというのだろう。
少しばかり心臓に悪いので、同じく不思議そうに首を傾げているオーリからナイフを取り上げる。
まじまじと断面を見つめて、ラトニは異常に気付いた。
(折れてるというより、溶けてる……?)
奇妙な様相に首を捻り、オーリに質問を続けようとして、「そんなことよりサラさんは?」というオーリの言葉にサラの存在を思い出す。
慌てて振り返れば、頭を抱えたサラが半泣きで盾の中に身を縮めているところだった。
「話が終わったなら早く逃げてくださいよぉぉ! それで警備隊の人呼んできて! もう関わりたくないとか言ってる場合じゃないから! お願いだから! この状況凄く怖い!」
『あっすいません』
サラの正面に仁王立ちになって、剣だの魔力刃だのをガンガンガンガン振り下ろしている男の姿に、オーリとラトニは「こりゃしまった」とばかりに頭を掻いた。
あんなもんを至近距離から見上げていれば、それはさぞかし怖かろう。その気持ちはよく分かる。オーリだってビビるだろうし。
(あの盾まだ持つ?)
(あの様子なら五分かそこらは)
無言でアイコンタクトを交わして、オーリとラトニは足を踏み出す。
いい加減警備隊も近くに来ている気配がするし、急いで呼んでこようと駆け出して――
「ぎっ!」「ぐうっ!」
押し殺したような悲鳴が、すぐ後ろで聞こえた。
ばっと同時に振り返る。
視線の先では、それぞれの武器を取り落とした男が二人、小さく痙攣しながら倒れていくところだった。
――いつから背後に!
慌てて凍った泥沼の方へと目をやれば、そこに捕らえていたはずの襲撃者たちはとうにいなくなっており。
二つ並んで突き出た大きな氷の塊に、人が抜け出した後の穴がぽっかりと空いていた。
「ぜ、んめつだと……っ!?」
不意打ちを仕掛けるはずだった仲間たちまでもがやられたと知って、サラの前にいる残りの一人が表情を変える。
恐らくはプロが五人揃って、女子供相手に全滅したなどと、認めがたい失態に違いない。それでも歯噛みして剣を握り締める姿を見る限り、サラを連れて行くことはまだ諦めていないようだ。
その剣がこれまでにない真っ赤な光を纏って輝き始めたのを見て、ラトニの顔色が変わった。
「まずいですリアさん、止めてくださ――!」
斬っ!と。
焦ったように折れたナイフを放り出し、ラトニが最後まで警告する前に。
背筋が粟立つような斬撃の音が鳴り響き――しかし虚空に舞った赤はサラのものではなかった。
「ぐ――あああああっ!?」
剣を握ったまま飛んだ己の両腕と血飛沫に、一拍置いて目を見開いた男が絶叫を上げた。
一体何が起きたのか、黒く染まった断面から、血液はほとんど零れていない。
目と鼻の先で起こった惨事に、ひぃっ、と引きつった悲鳴を洩らしたサラが、盾の中でより一層身を縮めるように震え上がった。
「あああああああ! あああああっ!」
叫び続ける男の首が、同じ切断音の後で刎ね飛んだ。くるくると宙を舞った首の断面が、やっぱり腕と同じように黒く染まっているのが、オーリとラトニの目にちらりと見えた。
――重くて丸い塊が、ごとん、と地面に落下して。
とん、とん、と何度か跳ね転がった後、喧騒と戦闘音に包まれていた空間は、ようやく静寂を取り戻した。
大きく口を開けたままの生首に、視線を向ける気には誰もなれなかった。
意識不明が一人、生死不明が三人、死体が一つ。
そうして生き残った三人は、安堵すら抱く余裕もなく、何が起きたのか測りかねるように、ただ茫然と瞠目するばかりで。
静かになった空間の、その色彩を塗り替えるように、ザッ――と足音がした。
軽い足取りだ。この異質な空間に踏み込んでおきながら、なお緊張感の欠片もない。
地面に落ちていたサラの髪紐を拾い上げ、現れたその男はへらりと緩く笑った。
「おーう。なんか俺ってば、大分タイミング良かった?」
金混じりのブラウンの髪、赤色の目をした男の姿に。
ラトニが数秒置いてぎゅっと眉を寄せたことに、オーリだけが気付いていた。