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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
136/176

131:彼女の八割は意外性で出来ている

 時は少し、遡る。


 オーリとラトニが警備隊員と話をしていた頃、サラという名で呼ばれる女は、ぼんやりと祭りの喧騒を眺めていた。


 オーリたちから視線を外し、通行人の邪魔にならないよう、じりじりと壁際に寄っていく。

 あちらこちらで花が舞い、音楽が聞こえる春の祭典は、遠目に見るだけでも心が浮き立つようで――まるで、自分とは別世界の出来事ですらあるようで。


 かさ、と左手首で揺れる花輪に、サラは右手でそっと触れた。

 こんな色鮮やかな花すらも、彼女の修道院にはなかったのだ。

 追い立てられるようにして出立するサラの幸運を祈ってくれたシスターは、今頃庭の畑に水撒きでもしているのだろうか。


(貧民や孤児もいるとは言え、シェパはやはり豊かな場所なのね。若いシスターや新入りの子は、こういった街に憧れるのかしら)


 サラの修道院は大した娯楽もない、ひたすら清廉と実直を求められるばかりの場所だったが、二十年近くそこに暮らす彼女には特に不満もなかった。

 畑で作物を育て、神に祈りを捧げ、炎のように真っ赤な夕日を、美しい絵画を愛でるかのように眺める。険しい岩山に囲まれ、人里離れた修道院には、時折他所の教会や修道院に関して耳にする、権力者との関わりや腐敗などの忍び寄る気配もない。小川の水のように流れる日々に、彼女は満足していたのだ。


 ――あの穏やかな日々に戻る時は、きっともう来ない。


 自分を取り囲む全てががらりと変わったのだと悟ったあの日、唐突に差し出された選択肢に、サラは今まで築き上げてきたものを捨てると決めた。

 ずっと何も知らずに安穏と生きてきた、こんな自分に頭を下げ、誠実に請うてくれた人に、自分は応えねばならない。

 言い渡されたお役目を果たし、そして必ず新ルシャリ公国(我らが故郷)に安息を。


(……まあ、外の世界を見てみたかったという思いがあったのも確かなのだけれど)


 何処からか一際大きい歓声が聞こえてきて、彼女はそわりと視線を動かした。

 見に行きたい、と考えて、子供たちを待たねばならないことを思い出してすぐに留まる。

 厳密には、別に同行の約束をしているわけではないのだが、挨拶もせずに立ち去るのは不義理だろう。


(あの子たちには、随分とお世話になっていますし)


 シスターの占いがあったとは言え、シェパに来て初めて声をかけた相手があのコンビだったというのは本当に幸運だったとつくづく思う。

 大人としては大分情けないことではあるが、もしあの二人の助けがなかったら、サラは初めての街でひたすら右往左往する羽目になっていただろう。


 もしもこの先も手を借りるなら、いつか必ず二人には礼を。

 そのためにも早く目的を達成しなければと、サラはオーリたちの方に視線を向けて。



「――――ッ!!」



 背後から伸びた手に口元を覆われ、容赦のない力で引き摺り込まれた。


 背後は壁であったはず。

 そう考える間もなく、サラの背中が何かにどぷんと沈み込む。そのまま全身が重い水に呑み込まれたような感覚を覚えて、視界が真っ暗になった。

 更に数秒で、再び明転。目の前に出現した壁と青空、その壁の向こうから聞こえてくる喧騒に、サラは己が背中から『壁を突き抜けた』ことを察した。


「きゃ――――」


 真っ昼間から堂々事に及んだ誘拐犯が悲鳴で怯むとは思えないが、僅かでも人を呼び寄せられれば上々。

 咄嗟にそんなことを考えて口を開き、同時に片手を懐に突っ込もうとしたサラの腹へと、逆手にしたナイフの柄が突き刺さった。


 上げかけた悲鳴が強制的に呑み込まされる。偶然身を捩っていなければ、そのまま意識が飛んでいたかも知れない。


 一気に込み上げる吐き気を左手で押さえて、己の脇腹ギリギリを掠めるように右手で引き抜いたダガーを背後に突き出す。

 刃は容易く払われて、右手を捻り上げられた。全身を回転させて極めを外し、真正面から懐に飛び込む形になった相手の顎を目掛けて全力で頭突き、と見せかけて、同時に鍵言葉(コマンドワード)を唱えた。

 サラの髪に仕込んだ封珠の一つが、猛烈な閃光を放つ。目を潰された相手の手が僅かに緩んだ。手足を使って跳ねるように距離を取り、サラは怯えた兎のように周りを見回す。


「――ザレフ帝国の追っ手、ですか……?」


 己を取り囲む数人の男を睨みつけながら、サラは問いかけた。


 どこにでもいる冒険者崩れのような服装だが、目つきはいずれも険しく、冷ややかな殺気に満ちている。

 サラが拘束から逃れるとは思っていなかったのだろう。舌打ちしながら目を擦る一人以外は、綺麗に油断を捨て去った目でサラを観察しているから、恐らく再び出し抜くのは難しい。


 サラの考えが正しければ、彼らが自分を殺すことは絶対にないはずだ。

 けれど「手段問わず」くらいのことは言われているだろうし、捕まれば手足の一本や二本は覚悟せねばならない。


(相手がザレフなら、わたしにはそれくらいの価値がある)


 ならば如何にして逃げるべきか。服の下に隠した首飾りを無意識に握り締め、サラはちらりと南側――最も囲みの薄い側に意識を向ける。

 その瞬間。


「…………っ!」


 ひゅっ、と風切り音を立てて接近してきた男の一人が、サラの顔面を狙って拳を繰り出してきた。

 慌てて避けるも身を掠め、咄嗟に上げた手から花が一輪千切れ飛ぶ。


 がら空きになった胴体に、鋭い蹴りが直撃した。僅かな防具では衝撃を防ぎ切れず、かは、と喉から洩れ出す苦鳴。

 身を折ったサラの首に硬い腕が回り、頚動脈を締め上げた。視界がたちまち真っ赤に染まるような錯覚。

 顔が歪む。息が止まる。ぱく、と一度開閉させた口で、サラは何事か呻いて――



 ――ズドンッ!!



 突如上空に現れた少女が叩き落とした踵落としが、サラを締め上げる男の脳天に突き刺さっていた。


「――っがはっ!」


 男の腕が緩む。転がるようにその場を逃れて、サラは何度も咳を繰り返した。

 

 ついでとばかりに男の頭を蹴り飛ばした後、虚空に浮かぶ半透明の『何か』をとん、と踏み台にして。

 東方系の顔立ちをしたその少女――オーリは、軽やかに地面へと着地する。


 パンッ、とわざとらしく手を打ち鳴らした彼女が、にっこり満面の笑顔を浮かべて「誘拐現場、見ーちゃったー!」と叫んだ。


「駄目ですよおじさんたち、嫌よ嫌よも好きのうちなんて都市伝説信じてるのかも知れませんけど、嫌なもんは普通に嫌なんです。引き際弁えないナンパは嫌われるのを通り越して毛虫かムカデを見るような目を向けられますよ! あれ結構精神ダメージ大きいんで、早々に改めることを推奨します!」


 サラに背を向けて立ち塞がり、朗らかに訳の分からないことをまくし立て始めたオーリに、サラはぽかんと目を見開いた。

 彼女に口を挟む隙も与えずに、オーリは一方的なドッジボールの如く言葉を打ち込んでいく。


「それともこのお姉さんに、何か個人的な恨みでもあるんですか? ええと、それなら言いにくいんだけど人違いじゃないかなぁ……だってお姉さんの顔なんて、何処にでも転がってるくらいよくある作りだし。ウチの近所なんか、向こう三軒両隣、隣の通りのご親戚までみんなお姉さんと同じ顔、っ!」


 足元に矢を撃ち込まれて、オーリが慌てて飛び退った。ひええと悲鳴を上げながら、器用にサラの隣まで後退してくる。

 一体何がしたかったのだと呆気にとられるサラを他所に、オーリは「せめて言葉で返してよ」と肩を落とした。


 同時に、近くに現れる小さな影。一体いつからそこにいたのか、大きな帽子の少年――ラトニが、上着の裾をなびかせて駆け寄ってきた。


「やっぱ駄目っぽい?」

「はい、刺さらないんです。何かの魔術的要因に防がれているんじゃないかと」


 短く問うた少女に、少年は無表情ながら申し訳なさそうに頷いた。


「リアちゃん、ラト君……どうしてここに」


 二人を見比べながら、サラはけほ、と掠れた咳をする。オーリは片手で顎に触れながら、もう片手をぱたぱたとぞんざいに振ってみせた。


「いなくなったから探してたんですよ。サラさんなら、挨拶もせずにどっか行っちゃうってことはないだろうなあと思いまして」

「そうしたら、壁の向こう側で妙な光が輝いたので、こうして回り込んできたというわけです」


 一見平然とした顔で答えながらも、オーリとラトニは襲撃者たちの様子を観察していた。『先程仕掛けた攻撃』で倒れてくれれば話は簡単だったのだが、そううまくはいかなかったらしい。


 ――遠目にサラを発見し、取り囲むのが昨日の襲撃者たちだと分かってから、オーリがすぐに考えたのは、穏便に睡眠薬を使うことだった。

 しかし、昨日の一件で生半可な薬が効かないことは分かっていたので、今回は煙玉ではなく液体のまま体内に注入することを決定。手持ちの中で最も強い睡眠薬を、ラトニが魔術で極細の針状に成型し、打ち込むことにしたのだ。


 しかし、遠くから撃ったそれは、男たちに刺さることなく弾かれる。ならばとオーリが飛び出して盛大に挑発したものの、意識を引きつけられているはずの男たちにまたしても毒針は弾かれた。

 男たち自身が攻撃に気付いた様子はないから、魔術か魔術具で自動防御しているのだろうか。いずれにせよ最も穏便な解決策が失敗したことには変わりない。


(て言うか、やっぱり来ちゃったかー……。昨日の連中が逃げたって聞いてから、嫌な予感はしてたんだけど……)


 オーリがサラをバーまで送ろうと言ったのは、サラが何者かに狙われていることを知ったから――つまりはこういう連中を牽制したかったからである。


 当のサラは昨日襲撃があったことを忘れているので、どうしてもその分警戒が薄くなる。

 相手がプロならば目立つことは避けるだろうと、離れる時は人混みの中に置いていったのだが――脇道もなく、壁と人に囲まれた場所から、どうやってか見咎められることなくサラを拉致したと分かった時には、随分と焦らされたものだ。


 危険なことに首を突っ込むのは嫌いだが、頑張る人を踏みにじるクソ野郎はもっと嫌いだ。


「――で、どうします、ナンパおじさんたち? さっき顔見知りの警備隊員に通報したんで、そろそろ警備隊が駆けつけてきますよ」


 なるだけ太々しく笑ってみせて、オーリはふふんと胸を逸らした。


 ――ハッタリである。

 サラを見つけた時にはサイードはもう近くにいなかったし、たとえ他の隊員を呼んだって、この街の警備隊は決して仕事熱心ではない。


(まともにやり合うつもりはないけど、普通に逃げても追われる危険がある。時間が経てば警備隊が来ないことだってあっさりバレる……なら、向こうに引いてもらうのがベスト)


 そして、退かせるならばなるだけ急いで。


 これがただのごろつきなら、得体の知れない子供に挑発されていると思えば、損得を無視してかかってくるだろう。

 けれどここにいるのは、恐らくこういった仕事に慣れ、己の利害を計算することのできるプロだ。

 武器を持った大の男に取り囲まれたオーリの態度を、応援を確信しているが故の余裕であると思わせることができたなら――


 しかし、非情なことに。

 一瞬置いた後の返答は、一斉に飛びかかってくる襲撃者たちの姿。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ、これもダメだったあああああ!?」

「リアさん下がってください!」


 どうやら、総掛かりで速やかに邪魔者(子供たち)を排除し、警備隊が来る前にサラを拉致する方針に決定したらしい。

 オーリが封珠を投げて突風を起こし、更にラトニが手を一閃。大風に足を止めた男たち目掛けて礫ほどの水弾をばら撒くが、足に当たったそれらは、やはりほとんどが弾かれる。

 大々的に魔術を使うわけにもいかず、攻め手にあぐねるラトニが舌打ちをした。


「サラさん封珠持ってたら頂戴!」

「え、でももう閃光は通じないと――」

「良いから早く!」


 あわあわと慌てるサラから閃光の封珠をばらばらと受け取り、叩き込むように一秒で魔力を込めてブン投げる。

 轟音。余分に込めればあらゆる封珠を爆発物と化すオーリの魔力が、小規模な炎と風を起こして荒れ狂った。


「ええええええ、今何が起こったのー!? 確かに閃光の封珠だったわよね!?」

「お気になさらず!」


 ばっちんとウインク一発でごまかして、オーリはサラの手を掴んで走り出した。

 ラトニが追ってくるのを確認してから、残りの封珠を投げつける。大きな街路樹や瓦礫が崩れて、乱暴に道を塞いだ。


 オーリは近接戦特化型だが、複数のプロと戦えるほどの自信は当然ない。

 ラトニの魔術なら一掃も可能だが、一人でも取り逃がした場合――加えて、サラの目があることも考えれば、気軽に能力を見せるべきではない。

 つまり、取るべき手段はやはり、逃げの一手というわけだ。


「ラト、もう一回、姿を隠す魔術(やつ)使えない!?」

「駄目です、あれは音も気配もごまかせません! 僕らの存在がバレた以上、相手がプロならすぐに対応してくるでしょうし、手の内を知られるリスクの方が高い!」


 畜生、と口汚く吐き捨てて、オーリは道を挟む汚れた石壁を睨み上げた。


 この辺りの道は入り組んでいるため、大きな道に辿り着くまで時間がかかる。

 先程の爆音を誰かが通報してくれることを期待したいが、よしんばそうなったとしても、やって来た警備隊がオーリたちと合流するまでにはやはり時間がかかるだろう。


 號っ、と音がして、背後から熱の塊が撃ち込まれてきた。

 引きつった悲鳴を上げたサラが、子供二人を抱えて地面に突っ伏す。

 螺旋を描いた真っ赤な火線は三人の上を通過し、前方の石壁を直撃。オーリの投げた偽・爆破封珠を上回る爆音がした。瓦礫となった壁に巻き込まれ、数本の街路樹が勢い良く燃え始める。

 

「……やばい、あっさりとピンチ」


 だらだらと冷や汗を流しながら呻くオーリの傍に、ラトニが無言で寄り添う。

 いざとなったら魔術を使うつもりだろうから、オーリも切り替えて『相手を逃がさない』算段をしておいた方が良いかも知れない。


 やはり姿を見せたのは早計だったか。しかしサラが気絶してしまえば、襲撃者たちは即行で彼女を抱えて撤退してしまっただろうし、そうなってはオーリたちとて追えるか分からなかったのだ。


「女を渡せ」


 今日初めて口を開いた男の声は、淡々と冷徹に、オーリたちの絶対不利を突き付ける。

 じり、と距離を詰めてくる襲撃者たちは、愚かな幼子を見る目をオーリたちに向け、大半の警戒をサラに注いでいるようだった。


「こちらの用件はその女のみ。逃げずに付いてくると約すならば、子供らは見逃さんでもない」


 嘘だろう、とオーリは思った。

 一度してやられた屈辱は別にしても、彼らにはオーリとラトニを『見逃す理由』がない。目撃者を消すためか、サラの心を折るためか、いずれにせよ子供二人はここで殺した方が手っ取り早い。


「リアちゃん……ラト君……」


 歯軋りしながら思考を巡らせるオーリの耳に、サラの声が聞こえる。少しだけ震えたその声に、まさか行くと言うのではあるまいなと思いながら、「何ですか」と短く答えた。


「ごめんね――ちょっとだけ伏せててください」

「――――へ?」


 予想外の頼みに間抜けな声を上げた直後。


 サラの手元から、ピンクと緑の『何か』が爆発した。

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