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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
130/176

125:糸はどこに伸びる

 春告祭五日目の朝。『登れない階段』に続く廊下を、今日もオーリは腕組みしながら歩いていた。


(うーむ、もどかしい……)


 リーゼロッテの訪問から二日間、彼女にもらった助言について、オーリはひたすら考えた。結果、ラトニに対する感情に何らかの答えは見つかりそうになったものの、困ったことに、肝心のラトニには未だに会いに行けていない。


 と言っても、別に避けられているわけではない。単に家庭の事情が原因である。

 最近の父には南方領主会議に加え、別件で複数の会談や調査が入っているらしい。それらをこなさなければならないため屋敷で仕事をする時間が増え、オーリは屋敷を抜け出すことを控えているのだ。


(今日はまたリーゼロッテ様が来る予定になってるし、次にラトニに会う時のために、また相談してみようかなぁ。あの人なら、貴族社会の恋愛や婚姻にも詳しいし)


 小塔に続く階段に辿り着いて、相変わらずそれが実体を伴っていないことを確認する。

 果ての見えない薄暗く細い階段は、足を出してもすかすかと空振るだけで、実際に登ったことがなければホログラムと勘違いしただろう。


 あの小塔の頂点に一人いる美しくも明朗な精霊のことを、オーリは誰にも話していない。

 妙にババくさい口調で喋り立てながら、その言動は悪戯者の子供を想わせた精霊は、今のオーリがラトニのことを相談すれば、どんな答えを返してくれるだろう。


(魂に絡む縁と執着の糸、失われた前世の記憶。まずはそこを詳しく知らない限り、ラトニに対する感情を突き詰めるわけにはいかない。状況がこんがらがり過ぎて、下手に弄ればラトニが爆発しそうだし)


 ラトニの狂気的な執着が前世に起因するとして、彼は確実に、オーリに前世の記憶を思い出して欲しがっている。

 ラトニに、そして自分自身の心に踏み込むためには、もっと情報が要る。二人の前世で一体何があったのか――恐らくその答えをくれるのは、ラトニを除けばルシアだけだ。


「――オーリリア? そこで何をしているんだい」


 すかすか透ける階段に諦め悪く手を伸ばしつつ思考に沈んでいた意識へと、その時唐突に他者の声が割り込んできて、オーリは思わず飛び上がった。


 ぱっと振り向くと、そこには先程、朝食の時に顔を合わせたばかりの父親――オルドゥルが立っていた。


 廊下の向こうに佇んでいるオルドゥルは、珍しく本気で瞠目しているように見えた。

 使用人たちの証言から、彼らがここに「階段」の存在を認識していないことは分かっている。壁しか存在しないはずの場所に手を伸ばしている己の奇行が父の目にどう映っているのか分からず、オーリは慌てて手を引っ込めた。


「そこに、何かあるのかい」


 混乱して一歩後ずさったオーリが言い訳の言葉を見つけるより先に、オーリと「壁」を見比べていたオルドゥルが問いかけた。

 その目が何かを見極めようとしているように見えて、オーリはごくりと唾を呑み込む。


「な、何か、って何? お父様」

「……そうだな、例えば、『そこにあるはずのない道』などかな」


 何とか誤魔化せないかと考えていたオーリは、直球で返ってきた返事に今度こそ言葉に詰まった。


 どうやらオルドゥルはあの一瞬で、既に何らかの確信に至ってしまったらしい。探るような眼差しの中に軽侮や忌避が見えないのを確かめて、オーリは恐る恐る口を開いた。


「……お父様の目には、私はどう見えていましたか?」

「私には、お前の手が『壁を突き抜けて』消えているように見えたよ」

「成程、そうですか……」


 幽霊でもあるまいし、それはさぞかし奇妙な光景だろう。

 しかしオルドゥルの方は、そんなことが起きた理由に見当がついているらしい。――否、『期待している答えがある』と言った方が正しいだろうか。


 きっと父は、オーリが答えるまでいつまででも待つのだろう。じっとこちらを見据える一見穏やかな視線に、一切の沈黙と偽りを許さない色を見て取って、オーリはようやく観念した。


「――階段が、見えています」


 ぽつりと落とされた娘の言葉に、オルドゥルは僅かに口元を引き締めた。


「灯りのない、薄暗くて細い階段です。だけど実体のない幻みたいで、登ることも触れることもできません。一月くらい前から、見えるようになりました」


 オルドゥルの顔色を窺いながら、ゆっくりと喋っていく。何がオルドゥルの琴線に触れるか分からない以上、発する言葉は慎重に選ばなければならない。

 オルドゥルがもう一度『壁』の方を見る。内心の読めない目でオーリを見下ろして、あくまでも穏やかに問いかけた。


「そうか――それでオーリリア、『この階段の先で』『誰に出会った』?」

「っ――――、」


 予想できる一つとして考えていたはずのその質問に、オーリはくっと拳を握り締めた。


 オーリは一度も、『この階段に触れられたことがある』とは言っていない。

 やっぱりだ。恐らくこの人は――


「――ルシア様。青が混じった長い金髪、露草色の綺麗な目をした、少しだけ寂しくて剽軽な、塔の上の精霊に」


 ――その言葉に。


 オルドゥルはほんの一瞬焦げ茶色の目を伏せて、小塔のある方向に顔を向けた。


 悼むように、祈るように。


 オーリには、いつも分厚い仮面を被っているように見える父が、初めてその心の一部を覗かせたような気がした。


「――ついておいで、オーリリア」


 罅割れた仮面の隙間から見えた剥き出しの心は、けれどすぐ、いつものように分厚い壁に覆い隠されて。

 身を翻したオルドゥルの後を、オーリは我に返って追いかけた。


 使用人が行き交うエリアに出ると、珍しく連れ立って歩いている父娘にメイドたちがちらちらと視線を向けてきていた。

 そんな彼女たちに微塵も興味を向けず、真っ直ぐどこかへと向かうオルドゥルの後を、少女は小走りについていく。


「お父様、あの場所は何なんですか? 私が聞いた使用人たちは皆、あそこには壁と廊下しかないって言ってました。どうしてお父様は、あそこに道があることを知っていたんですか? お父様も、あの小塔に登ったことがあるんですか?」


 必死で話しかけるオーリには答えず、オルドゥルの背中が一室に消えていく。

 本棚や壁掛けの絵画が置かれた、何の変哲もない小さな部屋だ。続いて部屋に入ってきたオーリがドアを閉めるのを確認して、オルドゥルは壁の一部に指を這わせる。


 かち、と音がして、木目だと思っていた一部が開いた。

 オーリが背伸びして、ようやく手が届く程度の位置だ。そこには大人の手のひら一枚分くらいの窪みがあって、オルドゥルが何か呟くと、縁がじんわりと緑色に発光を始めた。

 オルドゥルはそこに手のひらを押し当て、ぶつぶつと何事か小さく呟く。


「オーリリア、ここに手を当てなさい」


 壁を離れたオルドゥルに、優しいけれど有無を言わせない声で促されて、オーリは大人しく従った。

 爪先立ちになって手を伸ばし、壁の窪みに手のひらを押し当てる。緑色の光が強くなって、葉脈じみた複雑な光の線が、一瞬周りの壁へと走った。


 三秒も経たずに光は消えて、オルドゥルが「もう良い」と告げる。


「手を離して、もう一度窪みに手を当ててご覧」

「…………」


 オーリが従うと、今度は窪みが青く光った。

 かこん、と背後で何かが落ちるような音がする。

 振り向けば、丁度大きな本棚に隠れる位置、人一人通れるくらいの入り口が、ぽっかりと壁に開いていた。


「あの扉は、ブランジュードの血を引く者を鍵とする。今、お前の情報を登録したから、これからはいつでもここに来られるだろう」


 淡々と言って新たな部屋に入っていくオルドゥルを、オーリは慌てて追った。


 新たに現れた部屋は、隣室よりずっと小さくて簡素な場所だった。

 黄色とオレンジの花で満ちた大きな花瓶と、見るからに高級そうな瓶入りの酒。部屋の中にある石造りの祭壇に、それらがひっそりと捧げられていた。


 ――ルシア様の部屋にあった祭壇にそっくりだ。


 そう思った思考を読んだかのように、オルドゥルがゆっくりと祭壇を撫でた。


「ブランジュード直系の血を引く子供は、八歳になった後、一度だけあの小塔に続く階段を見つけることができる」


 独り言のように語り始めた父の声に、オーリは黙って耳を傾けた。


「勿論、階段を見つけられない者も多くいる。魔力の足りない者、たまたまタイミングが合わなかった者。私も八歳の時あの精霊に出会うことができたが、私の祖父は最後まであの小塔には行けなかった。

 ――私は、お前が『見つけられない』子供なのだと思っていたが」


 魔力が少ないと宣告され、魔術師にはとてもなれないだろうと言われていた。

 加えてオーリはルシアに会った後、そのことを一切周囲に洩らさなかった。


 八歳なら、まだ大人に隠し事のできない年齢だ。オルドゥルが娘を「見つけられなかった」と判断してもおかしくない。


「幼かったあの日から、私は一度も小塔には行けていない。ただブランジュード当主の役割として、ここにある酒瓶と花瓶を年に一度、元旦に満たすことを義務付けられている」

「ここの祭壇は、ルシア様の部屋のとそっくりです。もしかして、祭壇同士が繋がってるんですか?」

「さて、詳しいことは分からないな。ただ元旦の一日のみ、瓶の中の酒がいつの間にかなくなっている」


 花は変わらず枯れるだけだがね、と付け加えて、オルドゥルはオーリを振り返った。春告祭特有のむせ返るような濃い花の香りが、オーリの頰をするりと撫でた。


「オーリリア。触れられぬとは言え、一度小塔を離れた後にあの『階段』を視ることのできた者は他にいない。

 精霊に興味があるならば、私がいない時、いつでも好きな時にここに来なさい。あの小塔を除けば、この隠し部屋こそが、最もあの精霊に近しい場所だ」




※※※




 娘が退室してから、隠し部屋に一人残ったオルドゥルは、祭壇の前で静かに座していた。


 精霊と小塔の部屋について、結局大した情報は明かさなかった。好奇心旺盛な娘にはそれが些か不満だったようだが、存外空気を読む性質のようなので、しばらくは大人しくオルドゥルの言葉に従うだろう。


(――小塔の部屋に行けないほど、魔力の少ない子だと思っていたが)


 じっと祭壇を見つめながら、オルドゥルは沈思黙考する。


 翠月夜の一件で、魔力が上がった可能性があるとは思っていた。けれど、短期間でそこまで大きな成果が得られるとも、オルドゥルは思っていなかった。


(だから、『次代』に期待しようと思っていたのだ。強い魔力を持つ魔術師相手にオーリリアを娶せ、長い時間の中でブランジュードの血族から失われつつある魔力を、少しでも呼び戻そうと)


 しかし、ここに来て事態は急激に変化する。


 魔力が少ないと思っていた娘は、翠月夜を迎える前に、既に精霊と対面を果たしていた。あまつ、己にさえ見えぬ『存在しない階段』を、今もって知覚しているという。


 恐らく娘の潜在能力には、周囲が考えていた以上の何かがあったのだ。

 加えてその魔力は急速に上昇している。あの翠月夜を境に、仕掛けたオルドゥル自身にも予想外の勢いで。


(――さて、どうしたものかな)


 しゅるりしゅるりと、蜘蛛が糸を伸ばすかの如く、ブランジュード当主の思考は蠢いてゆく。

 その潜在能力と存在価値が修正された今、再びオルドゥルの中でオーリの立ち位置は変化する。




※※※




「――何だ、まだ意中の彼とは話ができてないのね」


 薄灰色の雲から、ちらちらと晴れ間が覗く午後。

 メイドたちを追い払い、少女二人しかいない広い部屋でテーブルを囲みながら、リーゼロッテはつまらなさそうに唇を尖らせた。


 今回の女子会場は、応接室でも食堂でもなくオーリの自室だ。ティーカップではなく刺繍針と布を手にしたリーゼロッテは、流石器用に針を動かしては、小さくも繊細な刺繍を縫い上げていく。


「それはまあ、頻繁に抜け出せるわけじゃありませんもん。お父様や使用人に見つかったら大変なことになりますし」

「それもそうね。焦って見つかって、二度と会えなくなったら困るもの。――はい出来たわ、手に取ってみる?」

「わお、手早い」


 綺麗に刺繍の施されたハンカチを受け取って、オーリは感心した声を上げた。


 桃色の地に猫が丸くなる、可愛らしいデザインだ。猫はぽつぽつと咲く白い花に取り囲まれていて、日向ぼっこでもするように目を閉じている。


「花の刺繍は意味を持たせやすいから、王都でもよく使われてるのよ。で、オーリリア様のデザインは――」


 何の気なしにオーリの手元のハンカチを見て、リーゼロッテは沈黙した。


 きっちり白と黒に色分けされた、何だかよく分からない生き物が、ハンカチのど真ん中、布地からはみ出さんばかりに堂々と寝転がっていた。


「……、……オーリリア様、それは魔獣か何か?」

「違います。熊の一種で、『とけぱんだ』です!」


 リーゼロッテが聞いたことのない名称を爽やかな笑顔で言い切ったオーリに、リーゼロッテは「ああ、そう……」と微妙な顔をする。


「変わった熊もいたものね……その、刺繍にしてはちょっと大き過ぎるような気もするけど」

「大きい方が可愛いかと思いまして!」

「あと、妙に軟体生物じみてるのは……」

「今日もよくとけてますから!」

(……熊ってスライムの親戚だったかしら)

「何考えてるか大体分かりますけど、これ空想生物ですからね? うちのメイドにとけぱんだフリークがいるから、彼女にあげようと思ってるんです」

「確かに、全体的には可愛らしいと言えなくもないけど……」


 あんまりじっくり見つめ合うとその限りではないな、とリーゼロッテは思った。主に、どこ見てるか分からない、ひたすら真っ黒な両目とか。


 まあ程良く小さくして、ついでに目に光を入れれば女子人気も出そうだ。軟体生物じみた柔らかそうな体も、ぬいぐるみ化などすれば可愛いかも知れない。

 何となく商売人のようなことを考えつつ、リーゼロッテは気を取り直して話を戻す。


「ところでオーリリア様、意中の彼への告白を前に水を差して悪いけれど、しばらく出歩きは控えた方が無難かも知れませんわよ。少なくとも、同行者が侍女一人くらいじゃ不安だわ。意中の彼に会いに出かけるにしろ、呉々も気をつけて頂戴ね」

「告白するとまで言った覚えは全くちっともないんですけど、何か事件でもあったんですか?」

「つい昨夜、貴族街の倉庫で火事が起きたんだそうよ。わたくしがお世話になってるお屋敷も、その報告で随分と騒がしかったわ。南方領管理の浮島で採取した貴重な薬草が全部焼けてしまったとかで、あちこちてんやわんやだったの」


 浮島、と繰り返して、オーリは軽く眉根を寄せた。


「南方領管理の浮島、っていうと……もしかして、今ザレフと新ルシャリとの関係でごたついてるっていう、あの問題真っ只中の浮島ですか?」

「正解よ。浮島についてはどこまで知っていて?」

「フヴィシュナ、ザレフ、新ルシャリの三国で、所有権を巡って揉めてるって程度ですね。お父様と夕食をご一緒した時に、ちらっと話してくれました」

「大枠はその通りよ。詳しく説明すると――そうね、昨年末に、王都でちょっと大きな事件が起きていたことは知っている?」


 こくん、と黙ってオーリは頷く。

 新しい刺繍糸を探しながら、リーゼロッテは淡々と言葉を続けた。


「以前は浮島の正式な管理役を務める貴族がいたんだけど、実はその人、年末の事件の余波で死んでしまったの。お陰で浮島の管理権限が浮いてしまって――今回はそのせいで、事態が輪をかけてややこしくなっちゃって」


 ――リーゼロッテ曰く、そもそもこの浮き島は、フヴィシュナの所有ではなかったらしい。

 今から三十年前のフヴィシュナが、ザレフ帝国及び、当時その属国だった新ルシャリ公国と小競り合いをした際、占領したのを賠償金代わりにそのまま一時貸与されたというのが事の始まりだそうだ。


 元々新ルシャリの領海に存在する特殊な浮島であったそれは、一体どうやってかフヴィシュナの領海に持ってこられ、その管理権限は戦で功のあったブランジュード侯爵家に全面的に預けられた。

 更に、侯爵家が管理を配下の南方貴族に任せ、以降三十年、浮島は南方領管理となっているのである。


「そうして今回、浮島貸与の期限である三十年が過ぎたの。ただ、この契約内容がなかなかに曖昧でね。浮島に関する発言権は中央より南方領の方が強いから、中央……厳密には国王なんだけど、とにかく進退に困っているというのが本音なのよ」

「浮島の管理はあくまで南方領だから、規定で中央はあまり口を出せないってことですか? 直接の管理者が空席だと話し合いができないし、だからって暫定的にも新しい管理者を決めると、そのまま浮島を南方領に持たせる判断をしたと思われかねないし」

「そういうことよ。領土問題って、どこも厄介なのよねぇ……」


 返還期限の来た浮島を、当時の契約相手であるザレフに返すか。

 はたまた、浮島の元々の所有者であり、最近ザレフから独立した新ルシャリに返すか。

 或いは、契約内容や返還相手に瑕疵があることを盾に、フヴィシュナによる支配を続行するか。


「住人もいない、獣と植物だけの小さな島だけど、精霊の力が満ちた土地だとかで、掴んでおきたいって意見が多いのよ。お陰でお兄様もお父様も悩んでらっしゃるわ」

「え、じゃあ浮島の薬草が焼かれた事件って、結構おおごとになり得るんじゃ……」

「そうね、だから多分、今日の南方領主会議でも、それが議題に上がってるんじゃないかしら。

 街中で小型の魔獣が暴れたらしいと聞くけど、浮島の所有権を都合の悪い国に渡したくない工作員がやったんだ、なんて噂も出てるわ。今、丁度シェパは人の流入が多いから、あり得ない話じゃないと思われてるみたい」


 オーリはひええ、と情けない声を上げた。


 政争には基本的にノータッチな彼女だが、自分の住む街で今まさにきな臭いことが起きていると知らされれば、涼しい顔などしていられない。

 リーゼロッテが懇切丁寧に喋ってくれた中には、メイドの噂話には含まれないような情報もあったに違いない。もっと情報を集めて警備隊のイアンにでも流せば、少しは抑止力になるだろうか。


「火事の犯人ってどこなんでしょう……。攻撃的って意味ではザレフだけど、近況見る限りは新ルシャリも切羽詰まってますよね……」


 ぶすぶす針山に針を刺しながら、オーリはうんうんと悩ましげに唸る。


「そうね。新ルシャリは好戦的な国ではないけれど、同じようにザレフから独立したロズティーグが、ここ数年色々と鉱物資源を発見してきていて、ザレフにしつこく狙われてるから……」

「ロズティーグとしては国力を蓄えるまでの繋ぎに、是非ともスケープゴートが欲しいでしょうね」


 加えて新ルシャリは、前公王が死去してから王位継承が円滑に進まず、今は王座が空位と聞く。混乱に付け入って利用しようとする輩は後を絶つまい。


 頭を掻き毟るオーリを眺めて、リーゼロッテは軽く溜息をついた。


「それにしても、自分の家の直轄地の事情を知らないのは宜しくないわよ、オーリリア様。あなた説明されれば察しも理解力も良いんだから、もっと積極的に情報を集めなさい。情報戦に疎いのは、貴族令嬢としては致命的だわ」

「はい……」


 まことに面目ない。

 しょんぼりと肩を落としたオーリに表情を緩め、リーゼロッテは苦笑した。


(まあ、そんなに心配しなくても、学院に入れば嫌でもやり方を習うでしょうけど)


 サロンやパーティでさり気なく情報を集め、夫を支えるのも貴婦人の仕事だ。サロンの開き方、色々な階級の相手に招待された時の礼儀作法、そういった場における話術や情報収集の方法。

 ブランジュード侯爵は娘をまだどこのサロンにも出席させていないようだし、多少情報に遅れるのは仕方がない。


 この少女は時々アホっぽいが、愚かではないし素直な性格だ。先程のやり取りを思い出す限り、正しく学べばきっと化けるだろう。


「まずは家庭教師や侍女の言葉だけじゃなく、下働きの噂話によく聞き耳を立てることよ。あの人たちは、存外色々とものを知っていますからね」

「あ、それなら私、よく古い竃とか薪入れとか洗濯籠の中とか壺の中とかに潜り込んでスパイごっこしてます! もしかしてリーゼロッテ様も、昔はこの家ネズミめって、友達に呆れられたりしてたんですか?」

「してないわ」


 そこまでやれとは言ってない。

 心なしか早口に否定して、リーゼロッテは新しいハンカチに針をぶっすり刺した。

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