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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
129/176

124:影が差す

「あ、あれ、おかしいな……? オレの耳がおかしくなったのか? お前、今まさか……『暇ですので隠密して、首刈られた』って言ったのか……? じゃあお前今、ゾンビ……?」

「言ってないです。耳にヘドロ詰まってんじゃないですか脳みそごとほじくり出しますよ」


 ギッと睨みつける幼い少年の眼光は、未だじめじめした空気を纏いながらも厚紙くらいなら切れそうなほどに鋭く尖っている。

 大通りに面した細い路地の入り口に、二つ並んだ酒樽の片方。膝を抱えてちょんもりと座るラトニに、隣の樽に腰掛けて足をぶらつかせていたゼファカは、気圧された様子で引きつり笑いを零した。


 心慌意乱を極めていたラトニを、和解の手掛かりを餌に説得すること約五分。何とか会話に持ち込むことはできたものの、ゼファカの方が冷静になり切れていなかったようである。

 昨日の腫れを残したラトニの頬を動揺を浮かべて見やるゼファカに、ラトニは幾分決まり悪そうに目を逸らした。

 

「『血が出るまで噛み付いて、殴られた』と言ったんですよ。本気で相手に手を上げたのは、僕も彼女も初めてです」


 まあ厳密には、殴られた原因は僕の言った余計な一言なんですけど。

 ぼそりと付け加えるラトニに、ゼファカは「マジでか」と眉根を寄せた。


(ていうか、噛み付いたってなに。何が発端でそんなことになったんだよ)


 あれほど仲の良かった二人が喧嘩をしたということも意外だが、殴るのでなく噛み付くという行動がまず怖い。これが子分同士の喧嘩などなら「動物かよ」と笑えるが、ラトニがやるとほんのり狂気を感じて背筋が寒くなるのだ。


 実際、平常心を取り戻したように見えるラトニの横顔は、しかしひとたび言葉運びを間違えれば一瞬にして狂執へと塗り変わりそうな薄暗い色を奥に潜めている。

 この矜持の高い少年が、一日経っても腫れが残るほどぶん殴られたにも拘らず、反感など微塵も抱かずひたすら自責と悔恨に囚われている辺り、非の比重が自分にあるという認識ははっきり持っているのだろう。

 己の非を認めたくない意地と反骨精神をこじらせて事態をややこしくする可能性はなさそうだが、その分妙な思い詰め方をした時の行動に予想がつかず、不運にもストッパー役を担ってしまったゼファカは深々と溜息をついた。


「あの子がお前を殴るなんて、よっぽどのこと言ったんだな。何て言ったんだよ?」

「……僕を置いていくなら死んでやる、という旨のことを叫びました」

「別れ話がこじれた恋人かよ! 予想以上にドロドロしてた!」


 ダァンと樽を殴ってゼファカが吠える。こいつの愛ほんと重いな!


「売り言葉に買い言葉でした……。でも、あの瞬間、僕は確かに本気で、彼女もそれを感じ取ったんだと思います。

 それで……リアさんは怒って、僕に……」


 ――ず、と空気が黒く染まったような気がして、ゼファカの顔が引きつった。

 重く重く、ラトニの背後で渦巻く何か。組んだ手の甲に顔を伏せ、少年は地獄の番犬が唸るような声で呟いた。


「――――――大嫌い、と………………」

「自分で喋ってて地の底まで落ち込むのやめてくんない!?」


 空気が! どす黒い!

 ぞわぞわと全身を走る寒気に震えながら全力でツッコミを入れる。憤怒すら通り越した深淵の絶望に、真っ黒なオーラが這い寄ってくるような錯覚を覚えて虫を払うようにばたばたと手を振った。


 これは早急に仲直りをしてもらわねばならない、とゼファカは思った。

 大嫌いの一言を思い出しただけでここまで落ち込めるのだ。もしも次に会った時、万一怒り冷めやらぬリアに他人の顔でもされようものなら、発作的に自殺でもしかねない。


「リアさんは僕の全てです……。彼女がいない僕に価値はなく、彼女がいない世界に意味はない……置いていかれるくらいなら、いっそ彼女と、彼女を奪った世界を道連れに死んでしまいたい」

「自殺じゃなくて超盛大な心中かよ! 頼むから世界まで巻き込むのはやめろください! みんな頑張って生きてんだよ……!」

「彼女と二人なら、生きるのも死ぬのも怖くない……冥府でも来世でも天国でも地獄でも、二人だけで寄り添って……誰にも邪魔をされずに……」

「ウワー目が虚ろになってるなー! 地獄の淵を覗いたみたいな光のない目になってるなー!」


 再び正気を失ってぶつぶつと呟き始めるラトニに、ゼファカの目までだんだん光を失っていく。もうやだこいつ……! いろんな意味で怖すぎィ……!


「――あー、もう、お前はよぉ……!」


 がりがり乱暴に頭を掻き回し、ゼファカは腹の底から疲れた息を吐き出した。


「オレは頭が良くねぇし、小難しいことは分かんねぇけどよ。悪いことしたと思ってんなら、まずは謝るのが第一なんじゃねーの? 昨日の今日だし、喧嘩してからまだ一度もきちんと話してないんだろ?」


 トーンを変えてそう告げたゼファカに、一拍置いてラトニがゆるりと頭を上げた。沼のように沈んだ双眸に、うっすらと意思の光が戻る。


「謝る……怒っていないでしょうか……話すら聞いてもらえなかったりとか……」

「ネガティブになってんなー……自宅の場所知ってんだろ、こっそり覗きに行って、まだ怒ってるか確かめたりとかできねーの?」

「わざわざ出向かずとも自宅での彼女を遠くから監視する手段はありますし、日常的に実行もしていますが、今回ばかりは反応を知るのが怖くて……」

「今、あの子の心の広さに感動すら覚えた」


 被害者公認のストーカーとはどういう了見だ。日常的に監視を許容しているような少女が、一度の喧嘩でラトニを突き放すとは思えない。

 げっそり肩を落としてから、ゼファカはジト目でラトニを見やった。


「あのな、聞いた限りだとお前らどっちにも非があんだよ。お前は先に手を上げた上に言葉が過ぎたし、あの子はあの子で拳が出てる。お前、口ん中切れてるだろ?」


 び、と唇を指してやれば、気付かれていると思わなかったラトニはぐっと眉を寄せた。

 喧嘩慣れしているゼファカは、どこにどれくらいの傷を負えばどれくらいの痛みを感じるか、実体験からそこそこ知っている。ラトニの様子なら、昨夜は夕食のスープがさぞかし染みたことだろう。


 悔しいことだが、ラトニがリアに執着しているのと同様、リアだってラトニを大切にしているのだ。


 ラトニの負傷は、咄嗟に手が出たせいで手加減が足りなかったことに加え、己を投げ捨てるラトニの発言に対するリアの憤りの表れでもある。

 時間を置いて頭が冷えたなら、感情任せに拳を出してしまったことに、リアとて罪悪感を覚えるだろう。話もしたくないと言下に突き放されることはないはずだ。


「お前が執着こじらせまくった依存癖持ちのクソ厄介な野郎だなんて、あの子が一番よく知ってんだろうが。死んでやる宣言程度で距離取るくらいなら、もっと前にお前との関係考え直してるんじゃねーの?」

「……リアさんは……時々ドン引いた顔はするけど、僕を見放したりはしません……」

「あっ、ドン引きはしてるんだ……まあともかく、お前が一番大事にしてて、お前を一番大事にしてくれる相手なんだろ。万一避けられたりしたら、ちゃんと話し合いができるまで追いかければ良いさ。オレも捕まえるの協力するからよ」

「……はい」


 しゅんとしつつもようやく落ち着いた態度を見せたラトニに、ゼファカは安堵の息を吐く。膝に頬杖をついて、で、と口調を変えて問いかけた。


「そもそも、何が原因でそんなことになったんだよ? あの子はわりと鷹揚だし、お前もあの子にだけは甘いし、大抵のことならちょっと言い合って流すだろ」


 疑問符を前面に押し出され、ラトニが口を噤む。

 思い出すのも不快だと言いたげに唇を尖らせ、軽くゼファカを睨んだが、好奇心に後押しされたゼファカは引く気がない。

 しばらく視線をぶつけ合った後、ラトニは諦めたようにぼそりと言葉を紡いだ。


「……婚約が決まった、と言われたので」

「……………………エッ」


 言われた言葉を呑み込んで、ゼファカは思い切り引きつった声を上げた。


 婚約。その言葉は、リアに片思いしているゼファカにとってもなかなかの爆弾である。ましてやリアにべったりのラトニにとっては、あたかも世界が終わるような衝撃を受けたに違いない。

 ゼファカの口元がひくひく動き、視線がざぱざぱとクロールする。あからさまな動揺を浮かべつつ額に手を当て、ぶつぶつと怪しげに呟き始めた。


「……そ、そうか……婚約……婚約……? あの子、結婚すんのか……? そうだよな、いつかは結婚するに決まってるもんな……ハハッ、あれ、結婚って何のためのものだっけ。何歳から結婚ってするもんだっけ」

「やめてください、リアさんは結婚なんてしません。結婚するなら僕とです。ずっと僕と一緒に生きていくんです」

「――えー、でももう婚約者決まっちまってるんだろ? 手遅れじゃねーの?」

「手遅れなんかじゃありません、いざとなったら彼女を攫って地の果てまで逃げます。この件ばかりは、泣こうが喚こうが絶対に許さない」

「ああ、今だけはお前の迷いの無さが羨ましい……。結婚……結婚……血痕……? いや待てお前、謝るんじゃなかったのか? 結局婚約は認めねーの?」

「口が過ぎたことについては謝りますが、それとこれとは別問題です。僕は彼女を諦める気など毛頭ない」

「重い。近頃のガキってみんなこんな感じなん? つか、婚約者持ちっつーことは、お前の想い人って結構なお嬢様じゃねーの? ド庶民じゃフツーに無理じゃね?」

「リアさんさえ僕を選んでくれるなら、取れる手段なんていくらでもあるんですよ――、………………誰ですか、あなた」


 一体いつからそこにいたのか。

 警戒した顔で振り向いたラトニに、いつの間にか会話に混ざっていた男は、「やっと気付いてくれたかー?」と呑気に笑った。


 ――ラトニとゼファカより奥まった位置、丁度曲がり角になった路地の薄暗がりにその男はいた。


 見覚えのない顔だ。

 金混じりのブラウンの髪はボサボサで、背中まで伸ばしたそれを頭頂で無造作に結んでいる。

 歳は恐らく二十代半ばかそこら、まだ三十代には届かないだろう。へらへらと緩く笑う顔は一見人当たりが良さそうだが、こちらを映した赤い目がぬらりと不気味に輝いたような気がして、ラトニは眉間にきつく皺を寄せた。


 正気を取り戻したゼファカが、ぎょっと瞠目してびくついた。


「な、何だよオッサン! いつからそこに!?」

「ついさっき。道に迷ってたまたま通りかかったらガキ共が人生相談してて、好奇心に負けて聞き耳立ててみただけなんでー」


 あと俺、オッサンじゃねぇからな。マイペースに訂正しながらも、赤目の男は唇を笑みの形に固定している。

 ただの通行人かとゼファカが眉尻を下げ、拍子抜けしたように肩の力を抜いた。


「そう言えばそれ、冒険者とかによくある旅装束だよな……何だよ驚かせやがって、大人が迷子とか格好悪いぞ」

「いやー恥ずかしいなー、何せこの辺も随分変わっちまって、地理が全然分かんないんで。ホラあの店とか、三年前にはなかったじゃん?」

「あれ三代続いてる老舗ですよ」

「アレ、じゃあ隣の店だっけ?」

「適当だなー……通るなら早く通れよ。オレたちは、コイツの将来に関わる大事な話し合いの最中なんだ」


 内心の吐露を聞かれた苛立ちからか舌打ちせんばかりに顔を歪めるラトニの隣で、ゼファカが呆れた顔で腰に手を当てて男を見上げた。宥めるように両手を挙げて、男はへらりへらり、緩く笑う。


「まあ、そうつれなくするなって。おにーさん、これでも人生経験積んでるんだぜ? 可愛いあのコの心を射止める口説き文句の一つや二つ、こっそり教えてやろっか? ほら年上の方のお前、お前にとっても意中の子なんだろ?」

「な、何だよそれ。おおおオレはそんなん、興味なんかねぇし……」

「都会で流行りの超イカした口説き文句なんだけどなー。何でも貴族令嬢に大人気の恋愛小説から始まったとかでさー」

「えっ、何それ。ちょ、ちょっとくらいなら聞いても良いかな……いや別に使うつもりとかねぇけど、今後の参考に……」

「必要ないです。どこからか抜粋してきたような言葉を彼女に贈るつもりなどありません」


 もじもじするゼファカを遮って吐き捨てたラトニを、男はゆっくりと見下ろした。道化のように釣り上がった口端が、僅かに角度を高くする。


「お、帽子の方は男前だなー。ますます興味湧いてきた」

「迷惑です。さっさとここから立ち去って、あなたが勝手に立ち聞きした話は全て忘れてください」

「そんなに隠したがるってことは、相当惚れ込んでるんだろ? 良いとこのお嬢さんで、名前が確か――」

「不躾な好奇心に応えてやる義理はありませんね。――あなたが立ち去らないのなら、僕らが去るまでですが?」

「……残念」


 ビリビリと毛を逆立てるように警戒するラトニに、男はようやく諦めたようだった。

 最後まで笑みは消さないまま二人の間を通り抜けて、するりと路地から足を踏み出していく。


 すれ違いざまその手が動き、二人の頭に軽く置かれた。眉を寄せたラトニが振り払う前にあっさりと手は離れ、表通りに立った男は数歩進んで二人を振り返った。


「じゃあ、邪魔したな。帽子の方、好きな子相手にあんまり手酷くしてやるなよー」

「……余計なお世話です」

「気ィ立ってんなー……あ、ついでに目的地まで道案内とかしてくれる気とかない? おにーさんこの後、人と会う予定があって困ってんの」


 それを聞いて口を開こうとしたゼファカを、ラトニの腕が制した。温度のない目をした少年は、目的地すら聞こうとせずに告げる。


「ありません。ご自分で辿り着くか、別の案内人を探してください」

「そうかー、残念」


 取りつく島もなく切り捨てたラトニに、男はやはり平然と笑う。

 そのまま身を翻し、ひらりと手を振って去っていった男の背中を、ラトニは見えなくなるまで睨みつけていた。


「ど、どうしたんだよキリエリル……お前、確かに人見知りだけどさ、初対面であそこまで威嚇するほどの相手だったか?」


 ラトニの全身から漂う威圧感に怯えたゼファカが問うてくるが、ラトニはぎゅっと拳を握り締めただけで答えなかった。

 代わりにゼファカの背中を押し、さっさとその場を離れるために歩き出す。


「何でもないですよ、色々余計なことを聞かれて、少し腹が立っただけです。それよりあなた、この後はどうせ暇なんでしょう? リアさんに謝罪する時の文言を、一緒に考えてください」

「えっオレが!? ま、まあ別に、お前がどうしてもって言うなら頼られてやっても良いけど……」


 何だか嬉しそうにそわそわし始めるゼファカの隣を歩きながら、ラトニは一度だけ背後の路地を振り返った。


 ――あの路地の奥、曲がり角を越えた先は、いくつかの道に分かれている。

 ただしそのどれもが現在、高い塀や廃屋、投棄された廃材などに塞がれて、人の通れる道などなくなっているはずだ。


 いつからあそこにいたのかも分からないあの男は、一体どこから『通りかかった』というのだろうか。

 男の去っていった方角を睨みつけて、ラトニは琥珀色の瞳を小さく光らせた。


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