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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
122/176

117:ささやかな勇気は報われるか

 哀れなかっぱらいがへし折れた割り箸のような姿で地面に突っ伏して動かなくなった後、こちらも妙に静かになった女の様子に気付いて見てみれば、女はオーリの肩の上で完全に白目を剥いて気絶していた。


 然もありなん、およそ人並みに平穏な人生を送ってきた人間なら、唐突に高い屋根の上を突っ走り、予告もなくダイブなどさせられれば気絶したくもなるだろう。

 まことに申し訳ないことをしたと思いつつ、オーリは対照的に平然としているラトニを地面に下ろし、速やかに適当な木陰へと移動した。


「おーい、お姉さーん」


 身綺麗にして表情を繕えば充分に色気があると言えるようになるだろう容貌の彼女は、この短時間ですっかり萎れ果てているようだ。

 心なしか魘されているような彼女をゆさゆさと揺さぶり、オーリは呑気な声をかけた。


「荷物取り返しましたよー。もう地面に降りてきたから、安心して起きてくださいなー」

「水でもかけますか?」

「そこまで切羽詰まってないと思うからやめたげて」


 淡々とドライなことを言うラトニに首を横に振って、オーリはもぞもぞと身じろぎした女の頰をぺしぺし叩いた。

 ううん、と小さく呻いて、彼女の目がうっすら開く。幾分薄い、けれど綺麗に澄んだリーフグリーンの瞳がゆっくりと覗いて、こちらを見下ろす子供たちの姿を捉えた。


「――ひぃっ、子猿の姉弟!? 巣に攫われる! ……あれ、いつの間に人間に化けたのかしら?」

「失礼な人ですね、猿の化身はリアさんだけです」

「さらりと私を売る相棒に遺憾の念を禁じ得ない」


 何やら悪い夢でも見ていたのか、引きつった悲鳴を上げたのち我に返ったような顔をした女は、ごしごしと目をこすりながら辺りを見回した。

 記憶の最後にある風景と大分違うことに気付いたらしく、「どうしてわたしは市場の近くに」と不思議そうに呟いている。


「あー、お姉さんが私とラトを助けてくれた後、かっぱらいを追いかけてここまで走ってきたんですよ。でも転んで頭を打ってたから、ちょっと記憶が混乱しちゃったのかも知れませんね」


 どうやら恐怖のあまり一部の記憶が吹き飛んでしまったらしいと判断し、オーリは適当に口を挟んだ。

 何だかストレスに弱そうな人なので、真実は闇の中に葬った方が親切だろう。決して勢い任せの蛮行を叱られたくないからではない。


 女がぱちぱちと目を瞬かせ、記憶を漁るような表情をした。かっぱらいが、と鸚鵡返しに口にして、全く日焼けをしていない白い頰に手を当てる。


「ああ、そう言えば、子供が絡まれているところに割り込んだ後、別の人に荷物を取られて逃げられたような……。ちゃんと全部取り戻せたんでしょうか」

「ええ、ばっちり。ね、ラト」

「はい。かっぱらいが怯んで荷物を放り出すくらい、必死で追いかけてましたから」


 しれっとした顔で嘘をつく子供たちに、女はあっさり納得したらしい。安心したように肩を落とし、形の良い眉を垂れさせた。


「そうだったんですね……嗚呼神よ、俗世は恐ろしい所です……荷物が無事で本当に良かった……。それで、お二人もわざわざわたしについてきてくれたんですか? 怪我なんかはしてませんか?」

「お陰様で無傷ですよ。殴られる前にお姉さんが割り込んでくれたんで」

「遅くなりましたが、ありがとうございました。あの手の輩は扱いが面倒なので」


 オーリとラトニは、揃ってぺこりと頭を下げた。女はいえいえと穏和に微笑んで、「幼きものは大切にせよと教えを受けていますから」と言った。


 笑顔で少し首を傾けて、さらりと揺れる頭髪は、埃こそ被っているものの下層階級のそれらしくはなく、そこそこに手入れされていた形跡がある。

 化粧をして着飾ればさぞかし艶のある美女になるだろうが、一方でほとんど装飾品を付けていないところを見ると、あまり奢侈なことには縁がなかったのだろうか。

 どこか垢抜けない雰囲気を纏っているし、或いは田舎から出てきたばかりなのかも知れない、とオーリは思った。


 ――ふ、と細い手が伸びてきて、反射的に右目を閉じる。

 女の手が右頰に触れ、髪を梳くようにして引っ込められた。


 香る、ほんのりと甘い匂い。

 香水をつけているようには見えないが、と思いながら、オーリはその指に細い草切れが摘まれているのをぼんやりと眺めていた。


「付いてましたよ――あれ、お嬢さん、何だかちょっとだけ甘い匂いがしますね」


 まるで心を読んだようなことを言われて、オーリはぱちりと瞬きをした。

 くん、と鼻を動かした女が、何とはなさげに目を細めている。指先で帽子をずらしながら、ラトニが口を挟んだ。


「さっきまで蜜漬け果物を食べていたから、それじゃないですか? チンピラにぶつかった時に、服についたのかも知れません」

「成程。人が多ければトラブルも増えるでしょうから、子供なら尚更気をつけてくださいね。さっきの人たちよりもっと怖い人たちも、沢山いるでしょうから」

「ん、ありがとうございます、お姉さん。ところで、お姉さんは観光で来たんですか?」

「その割には軽装備ですが。あまり旅慣れた様子には見えませんね」

「いえ、違うんです。その、実は故郷でちょっと厄介事に巻き込まれてしまって……旅支度を整える暇もなかったんですよ」

「そうなんですか。もしかして今も、その厄介事から逃げてる途中?」

「逃げてるというか隠れてるというか……それで今はその、訳あって、助けてくれそうな人を探してるところでして」

「ありゃ、大変ですねー。まあ人生なんて濁流みたいなもんだけど、頑張って溺れないように泳ぎ切ってくださいね。じゃ」

「待って待って待って待って」


 笑顔で激励して踵を返したオーリの腕を、身を乗り出した女ががっしと掴んだ。


「今すごいあっさり話を切り上げようとしましたよね!? ここは『何で困ってるんですか?』とか『何か手伝えることはありますか?』とかって聞いてくれるところじゃないんですか!? 人は互いに尊敬し合い、助け合って生きていくものではないんですか!?」

「その教えには、『ただしケースバイケース』っていう続きがありましてね」

「そんな現実味のあるフレーズ、教本には載ってませんでしたよ!」


 厄介事の気配を察知するや否や一瞬で空気を切り替え、流れるような動作で立ち去りかけたオーリに、悲痛に顔を顰めた女が全力で縋り付いた。

 迷わずオーリに続こうとしたラトニがひっくり返ったカナブンを見るような目付きで女を見て、彼女はうっと小さく怯む。それでも手を離そうとはしないあたり、確かに切羽詰まってはいるようだ。


「お願いします、不用意にうろうろしてるほど余裕がないんですよう! 現地で最初にまともな会話が成立した通行人に話を聞いてもらうと良いでしょうって、知り合いのシスターが花びら占いで教えてくれたんです!」

「そんな若い女の子がキャッキャウフフしながら楽しむ恋占いみたいなノリの助言で頼られても……」

「『まともな会話が成立』なら、シェパの門番とかじゃ……あ、それは『通行人』ではないから駄目なんですか」

「シスターの占い、よく当たるんですよ! ね、人助けだと思って!」

「えー、でもなあ……」


 オーリはそれなりにお人好しでお節介だが、その情を無条件に外部へと向けるほど博愛主義者ではない。

 まだしも相手が幼い子供なら手の一つでも差し伸べるかも知れないが、女と言えど成人済みならば、進んで首を突っ込むほどの思い入れはないのだ。


 第一、本日は父が帰宅する関係で早めに帰らなくてはならないし、面倒なことに巻き込まれている時間はないのである。助けられた借りは荷物を取り返すことで返したし、正直今回はラトニと一緒に春告祭を楽しむ方を選びたい。


「そこを何とかあ! ごめんなさい素直になります! 占いも気にかかるけど、それより今はちょっとで良いから助けと優しさが欲しいんです! 移動中ずっと気を張ってて、心が疲れてるんですよー!」

「なら警備隊の人を紹介しましょうか? リアさんはそこの総副隊長殿と面識がありますが」

「今は権力者に近付きたくないんです! お願いだから付き合ってください、一人で異国まで逃げてきて、いい加減寂しいんですううう!」


 半泣きで訴える女を、通り過ぎる人々が奇異な目で眺めていく。

 ちくちく刺さる視線が痛くなってきて、オーリは眉尻を下げてラトニと顔を見合わせた。

 二人同時に溜め息をつき、オーリが女の頭をぽんぽんと叩く。


「分かりました、分かりましたよ。ちょっとくらいなら時間取ってあげますから、まずは落ち着いて、きちんと話を纏めてくださいな」

「ううう、聞いてくれるんですか……?」

「あんまり重い話じゃなかったらね」

「正直な子……」


 しくしくと泣き濡れる女に構わず、オーリとラトニは彼女の前に腰を下ろす。

 地面に座り込んで話を聞く体勢に入った子供たちに、女ももたもたと姿勢を正した。


「――名乗り遅れました、わたしの名はサラといいます。あなたたちは、リアちゃんとラト君、でいいのかしら?」

「それで合ってますよ。宜しく、サラさん。

 で、シェパの街にはどんな目的で来たんですか? その様子だと、春告祭目当てってわけじゃないんでしょう?」


 子供相手にきちんと膝を揃え、あくまで敬語を通す様子からは、服装に似合わぬ育ちの良さが窺える。

 小首を傾げて問いかけるオーリに、サラは素直に頷いた。


「ええ、ちょっと故郷で揉め事がありまして……解決手段を探すために、国外――このフヴィシュナまでやって来たんです」

「じゃあ、シェパにはしばらく滞在を?」

「その予定です。でも、満足に準備もできず追い立てられたせいで、路銀が既に危うくて。実は今晩の宿にも事欠く有様で……」

「あー、それで切羽詰まってたのか。じゃあひょっとして、頼みたいことって……」

「はい――お願いします、何かお仕事紹介してください!」


 勢いよく頭を下げ、「できれば寝床付きで!」と叫ぶサラに、オーリは思わず苦笑した。


 路銀問題は、この世界の旅人にはよくあることだが実に切実だ。冒険者というわけでもなく、旅慣れているわけでもないのなら、非常時に金を稼ぐ手段など、碌に持ってはいないだろう。


 話しながら自分でも情けないと思ったのか、サラはしょんと肩を落とした。


「わたし、生まれてすぐに修道院に入ったせいで世間のことが全く分からなくて。シスターの助言にぴったり合う相手が見つかって、情けなくもつい縋り付いてしまったんです。みっともない真似をしてごめんなさい」

「気にしてないから良いですよ。修道院を出た理由って、聞いても良いですか?」

「ええと、詳しくは言えないんですが、ちょっとお偉いさんに押し倒されてしまいまして」

「…………」


 意外に重かった事情に思わず沈黙したオーリの隣で、ラトニが顎に指を当てて問いかける。


「お偉いさん……というと、相手はもしや貴族ですか? 一夜の戯れのつもりだったなら、言い方は悪いですが、妊娠でもしていない限り国外に逃げなければならないほどの事態ではないように思えます。愛人として召し上げられそうになったということでしょうか?」

「あ、妊娠はないです。反射的に、鳩尾に一発キメて逃げ出したので」

「修道院育ち、意外と逞しかった」


 ラトニの呟きに内心で同意しながら、オーリは思考を巡らせていった。


(成程、物慣れない様子だったのは、一般社会における経験値が著しく低かったせいか。物心つく間もなく親元から離されるような生い立ちの上、修道院なんて閉鎖空間で温室育ちをしてきたのなら、外界との接触なんて無いに等しい)


 女性社会である修道院に引き取られ、教えを重視するその言動を見る限り、敬虔なシスターの手でしっかりと真面目に育て上げられている。

 限られた人間関係の中でそんな育ち方をして、尚且つ何処ぞの貴族に手籠めにされかけたというのなら、恐らく彼女は異性、ひいては一般社会に属する人間の相手をするのが得手ではないのだろう。


「わたしは後で知らされたんですけど、例のお偉いさん、凄く上の立場にいる人だったらしくて。絶対血眼で探すだろうから、とりあえず全速力で国外に逃げろって言われて、修道院を飛び出したんです」

「ううん……まあ、サラさんほどの容姿なら、変な人も引き寄せちゃうかー……」


 存外思い切りは良いらしいが、見た目は儚げな美人だし、礼儀正しく真面目な性格だ。長年異性と関わってこなかったのなら、初心な態度に興味を惹かれる者もいるだろう。


(尤もそんなこと、当人は全く嬉しくなさそうだけど)


 推測するに、ああも必死でオーリたちに縋り付いたのは、出くわした『助言の相手』が幼い子供であったということに、落胆よりも安心感が強かったためだ。

 貴族の不興を買い、権力者と繋がりのありそうな警備隊に頼ることすら躊躇う彼女の状況では、一見して欲や権力とは無縁そうな、けれどそれなりに街の事情に通じていそうな子供の二人連れは、当面の協力を仰ぐ相手としては悪くない。


(実際、その点で言うなら私やラトニは『当たり』の部類だし)


『天通鳥』としての活動のお陰でそこそこ街に顔が利き、そこらの子供以上に分別もつく。例のアホ貴族がどれだけサラに執着しているかは分からないが、万が一彼女を見つけて周囲に手を伸ばしてきたとしても、何とか自力で逃げられるだろう。


「――でもそれはそれとして、ぶっちゃけやっぱり断りたいです」

「凄く真面目な顔で切り捨てられた!?」


 激しくショックを受けた様子のサラに、オーリは目一杯渋い顔をした。


 初対面の子供を相手に正直に事情を明かした誠意は評価できる。

 が、確かに厄介と言って過言ではないサラの事情は、働き口を紹介するという頼み事には些か支障があった。


「いやー、だって貴族の恨み買ったとか、何があるか分からないし。そりゃあ例の貴族だって、流石に外国の街の、それも領主のお膝元で色恋沙汰を原因に騒動起こすほどのアホだとは考えにくいけど、万一事が起こったらってこと考えると、おいそれと紹介はできませんもん。仲介者責任ってものがあるんですよ?」

「気の毒だとは思いますが、それとこれとは別問題ですよね。サラさんが悪いんじゃないとは言え、事情が分かってる以上はきちんと配慮しないと、いざ事が起こったら無過失とは言えませんし。リアさんって、大雑把に見えてその辺しっかり気を遣いますよ」

「ひいっ、確かに正論だけど、なんてシビアな思考回路してるのこの子たち!」

「現代社会の風は冷たいもので」


 慄くサラに溜め息一つ、ラトニは唇をへの字に曲げて軽く帽子を引き下げた。


「……で、どうするんですか、リアさん?」

「どうするも何も、条件に合いそうなとこ探すしかないよ。普通の店は確実に無理だから、多少怪しげなとこでも妥協してもらうしかないけど」


 ぼそりと小さく問いかければ、潜めた声で返事が返ってきて、ラトニは無言で頷いた。


 口では何だかんだと言っても、難しい顔で唸る少女がサラを見捨てる気がないことなど、ラトニが誰よりもよく知っている。彼自身にも異論はなく、既にサラの事情に合う心当たりを探して記憶を探り始めていた。


 ――サラがチンピラ共に詰め寄られ、震え怯んでも尚踏みとどまったのは、恐怖よりもオーリたちを助けねばという思いが上回ったからだ。

 たとえ力が足りぬと言えど、縁もゆかりもない自分たちを守ろうと勇気を振り絞ってくれた今時珍しい善人を、本気で見捨てられるはずもないのである。

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