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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
121/176

116:善意の人

「着々と舞台が設えられてますね。観光客も順調に増えていますし、今年も盛況になりそうです」


 分け与えられた蜜漬け果物の串に齧りつきながら、道を歩くラトニがほんのりと目元を緩めてそう言った。


 ラトニは去年この街に引っ越してきたばかりなので、シェパの春告祭を見るのはこれで二回目になる。

 勿論他の街で春告祭を見たことはあったが、それらはやはりシェパほどの規模ではなく、何より彼自身まともに祭りを楽しめるような状況にはなかったこともあって、きちんと祭りに参加する余裕ができたのは、彼がシェパに来てから――厳密にはオーリに『再会』してからだった。


 いつも氷の精霊じみた冷たい無感情を湛えている琥珀色の双眸が、今はブランデーの中のロックアイス程度には柔らかく溶けている。

 ぺろ、と蜜漬け果物を舐めて、彼は横目でオーリを見やった。


 前髪と帽子で目元のほとんどを覆い隠したスタイルでも、僅かでも覗き込めば垣間見える少年の冷ややかな美貌は健在だ。

 加えて、最近急速に成長しつつある魔術師としての技能と、人間の理を超えた膨大な魔力、何より幼さと成熟性を同居させた歪な精神構造が、生まれ持った彼の美貌に一層凄艶な磨きをかけていた。


 すぐ隣を歩く少女の存在に、楽しげな空気が伝染したようにラトニの心も知らず弾んで、琥珀の瞳に浮き足立つような灯りの気配が宿る。

 甘ったるい菓子を、また一舐め。先端だけ覗いた小さな舌はほんの一瞬とは言えいっそ蠱惑的なほどの赤に染まってちゅ、と小さく水音を立てたが、少女はそんなことは全く意識にかからなかったようで、自身の蜜漬け果物を咥えて子犬のような笑みを零した。


「両親が屋敷にいる時は出てこられないけど、もしそうでなかったら一緒に回ろうね。私、十日目の舞台を是非見たいんだ」


 ラトニと同じく異常な成熟性を持って生まれたはずのオーリは、けれどラトニと違って根底に歪な情愛を抱え込んでいないため、その精神構造は幾分も健全だ。

 無邪気そのままに浮き浮きと笑い、踊るようにステップを踏むオーリに、ラトニは「そうですね」と落ち着いた声で同意した。


「ウィッシュリングの収穫が終わったら、すぐに舞いが始まるんでしょう。早めに良い席を取れないと、僕らの身長では見えませんよ」

「いざとなったら屋根の上に登っちゃえば良いよ。見つかったら怒られるかも知れないから、こっそりだけどね!」


 ウィッシュリング、別名「緑の輪」。

 災害に強く、フヴィシュナの主要農作物の一つであるそれは、その昔、怒れる神に乙女が捧げたという神話から、神殿への献上品としても使われているものだ。


 色々とイベントは盛り込まれているが、大雑把に言えば春告祭とは、「ウィッシュリング」という名の作物の、一年で最初の収穫を祝い、神に豊作を祈る催しである。


 祭りが始まって十日目に、この日のために特別に育てられた「一年で最初のウィッシュリング」を神官が収穫し、神に捧げる。

 その後で祈りの儀や奉納舞なども行われるが、殊に着飾った舞い手たちが行う奉納舞などは実に華やかで美しいため、一般市民はこの辺り、純粋に催しとして楽しむ者が大半だった。


「舞い手の女性は、神官ではないのですか?」

「この国には、公的な神官に女性はいないからね。神殿関係者ではあるだろうけど。もしかしたら貴族子女とかなのかも知れないけど、私は知らないや」

「見て楽しいのが一番、ですか。僕らは別に、熱心な信徒というわけではありませんしね。まあ何より楽しみなのは、舞いよりこの時期のご馳走ですけど」

「ああ、分かる分かる。期間限定って、そのレアリティが楽しいよね」


 孤児院住まいのラトニにとっては、どちらかと言えば春告祭は「ちょっと良いものが食べられる日」という方が正しい。


 この国でよく食される作物の一つに、ガレという名の芋がある。

 普段は適当に切って焼いたり煮込んだり、練ってニョッキのように形成し、スープの具として食べるのが一般的だが、この祝いの時期はどこの家庭も、練り上げたガレを皮にして、コトンの挽肉を具に肉饅のようなものを作るのだ。


「うちの屋敷でも毎年同じもの作るよ。初めて見た時は蒸して食べるのかと思ったから、スープに入って出てきた時はちょっと意表を突かれたなあ」

「蒸す、とは――ああ、水蒸気を利用した調理法でしたか。それだとがっつり系の料理になりそうですね」


 拳よりも大きな肉饅もどきを具無しのコンソメスープに入れて煮込み、火が通ったらそのままスープごと皿へ移す。

 鉢のような深いスープ皿に鎮座する、一人につき丸々一個の肉饅もどきは存在感があって、水面に浮いたキラキラした脂が程良く体を温めてくれた。


 オーリはもっちりしたガレの皮を破いた時、熱いスープを含んだ挽肉がホロホロと崩れ落ちる光景が好きだった。熱々のスープと一緒に啜り込んだ空気が、口の中で濃厚な肉汁の香りをほわりと漂わせるのだ。


 ちょっと高価なハーブを挽肉に混ぜたり、沢山の食材をブイヨンに使ったりする程度の差はあるが、基本的なレシピは貴族も庶民も変わらない。

 主一家のために作られる、上等な部位の肉を惜しみなく使ったレシピも。使用人たちが食べる、硬い部位も屑肉も大雑把に混ぜ込んだレシピも。

 どっちも美味しくて好きだから、毎年こっそり調理場に潜り込んでは、使用人たちの祝いに混じってスープのご相伴に預かっている。


「塊の肉を食べられる機会はあまりないので、楽しみです。嵩増しにモヤシを入れれば、もっと満足感を得られるでしょう」

「流石のモヤシクラスタ……あ、ラト、そう言えばノヴァさんって、お祭りには来ると思――」


 丁度その時。喋りながらくるりとラトニに半身を向けたオーリに、どん、と軽い衝撃が走った。


「うおっ!」


 すぐに低い男の声が聞こえて、「何だどうした」と問う別の声が続く。

 反射的に振り向いて、オーリはげ、と顔を引きつらせた。


「――何してくれてんだ、ガキぃ」


 観光客か冒険者かはたまたただのチンピラか、若干柄の悪い男が三人、じろりとオーリを睨みつけていた。

 困ったことに、うちの一人が穿く擦り切れたズボンには、オーリが手にした蜜漬けの果物がべったりと貼りついている。


 しまった、やらかした。

 慌てて果物を剥がし、オーリは強張った愛想笑いで頭を下げる。相手のズボンは元より衛生的とは言えない様子だったが、それとこれとは別問題だ。


「あー……ごめんなさい。水場に案内するんで、そこで洗わせて頂いても良いですか?」

「はあ? ガキの手洗いで礼になるかよ。詫びにとっとと出すもん出せや」

「いやあの、お金持ってないんで」

「祭りなんだから、親に小遣いもらってんだろうが。財布ごと出せ。そっちのガキもだぞ」

「いやいや、ちょっと落ち着いて大人の話し合いをしましょうよ。私の財布なんて本当に赤貧なんだから、毟ったところでカップ一杯分の酒代にもなりませんよ」

「嘘つけクソガキ」

「テメェ肌艶良いし爪も整ってんじゃねぇか。そこそこ良いとこのガキだろ」

(うわこの人たち意外と鋭い!)


 運悪く――と言うかいつも通りと言うか、辺りに助けてくれそうな人間はいない。

 関わりたくなさそうに通行人が避けて通る中、子供の小遣いを巻き上げようとする碌でもないチンピラ三人にますます顔を引きつらせながら、オーリは必死で算段を巡らせた。


 残念ながら、財布が赤貧という言葉に嘘はない。物質的に豊かな生活こそしていれど、現金という意味ではそこらの子供以上に縁のないオーリは、今だってぶっちゃけ大した金など持っていないのだ。要求通り財布ごと差し出したところで、中身の少なさに逆切れされるのが落ちだろう。


 これがただの当たり屋なら蹴りでも食らわせて逃げるのだが、今回非があるのがこちらである以上、それをするのは筋が通らない。

 けれど必死で下手に出ているオーリに、先に耐えかねたのはラトニだった。


「失礼ですが、そちらも前を見ていませんでしたよね? こんな人混みの中を談笑しながら大股で歩いて、下を見ることもしていなかった。直前にたまたま身を捻っていなかったら、彼女は蹴り飛ばされていましたよ」


 冷静に投げられた正論に、一瞬その場に沈黙が落ちて。

 言われたことを理解するだけの間を置いて、チンピラたちの――特にズボンを汚された男の顔が見る見るうちに歪んでいった。

 げっ、と呻いたオーリが、慌ててラトニを後ろに隠す。


「はあ!? 道をどう歩こうが俺の勝手だろうが! いいからテメェらはとっとと財布出せば良いんだよ! 殴られる方が好みかクソガキ!」


 図星を突かれて苛立ったか、とうとう本気の怒声を上げた男が、オーリの胸倉を掴もうと手を伸ばしてくる。

 実力行使に出るなら話は別だと、オーリは素早く逃げる体勢に入りかけ、


「ら、乱暴はやめてくださーい!」


 今にも震え出しそうな女の大声がして、咄嗟に揃ってそちらを振り返った。


 誰かが絡まれているのかと思ったら、意外なことに声の主はすぐ傍にいた。


 まだ街に着いたばかりなのだろう、旅装を解いてもいない、二十歳前後の若い女だ。

 灰色がかった薄い黒の髪をざっくりした三つ編みに纏め、ぷるぷると震える足で威圧感を出そうと、わざとらしく仁王立ちしている。

 自分で声をかけておいて怯えているのか、柔らかなリーフグリーンの瞳は心なしか涙で潤んでいた。


 絡まれている子供を助けようとはしたものの、別段腕に覚えがあるというわけでもなさそうだ。

 一斉に注目されて「ヒィッ」と鳴いた姿には若干気が抜けるが、容姿そのものはかなりの美人である。右目の下に二つ並んだ黒子が、儚げな印象の容姿を引き立てていた。


「お、幼い子供に寄ってたかって金銭を要求するとは、不心得にも程がありますよ! その子はちゃんと謝りましたし、ここはどうか穏便にですねぇ……!」

「何だ、ならあんたが代わりに詫び入れてくれるのかよ? そういうことなら文句はねェが」

「この後時間あるか? あるよな? お詫びしてくれるんだもんな?」


 入った邪魔に憤怒の形相で振り返ったものの、相手が儚い系美人と見れば途端にチンピラの顔が脂下がる。

 ギョッとして「えっそんなつもりは」と震えた女が一歩後ずさりかけて、己を見上げるオーリと視線が合って足を止めた。

 にやにやと笑うチンピラの一人が躙り寄り、女の腕を掴んだ。ぞわっと鳥肌でも立てていそうな顔色になって、女が叫んだ。


「……っ、わ、わたしはあなたたちになんて付いて行きませんよ! そこの子たち、早く警備隊の人を呼んできてください!」

「無理無理、警備隊はお仕事で忙しいから、わざわざ来ちゃくれねェよ」

「何ですかそれは!? あなたたちみたいな人を取り締まるのが警備隊のお仕事でしょう!」

「そんなことよりお嬢さん旅行客? オレら先月着いたんだ、案内してやっから」

「宿屋決まってないだろ? オレらの部屋に連れてってやるよ、ああそんな遠慮すんなってー」


 口々に言いながらぐいぐいと彼女の腕を引っ張って歩き出そうとするチンピラたちに、彼女の手から鞄が落ちる。


 直後、一団の脇を掠めて誰かが駆け抜けていった。

 薄汚れた上着を着た、痩せた男だ。反射的に目で追って、女が悲鳴を上げた。


 振り向きもせずに駆け去った男の腕には、女の荷物がしっかりと抱えられていた。


「わわわわわわ、わたしの鞄ーっ!!!?」

「あー、災難だったなあ。ありゃ戻らねぇわ」

「離してください! わたしの、わたしの荷物があああああ!」


 チンピラたちは勿論かっぱらいを追いかけてやる気など更々無く、かと言って女が追いかけることを許す気は更に無く。

 呑気に小さくなっていく背中を見送って、最早事の元凶である子供たちの存在などすっかり忘れ去り、女を連れて行く作業に戻ろうとして――



 ――ばびゅん、と。



 風を切る音が聞こえて、チンピラたちと女の間を何かが駆け抜けた。


 一瞬舞い上がった土埃に視界を塞がれ、チンピラたちは「うおっ!?」と声を上げる。土埃は間もなく収まって、顔を上げた彼らは驚いたように目を瞬かせた。


 腕を掴んでいたはずの女も。すぐ傍に立っていたはずの、二人連れの子供も。

 まるで最初からそこにいなかったかのように、すっきりと姿を消していた。



「流石お祭り。どいつもこいつも浮かれてるなー」


 そうして、当の消えた三人はと言えば。

 市場へと続く大通り――の上空を、ぴょんぴょん跳ねながら移動していた。


「リアさん、標的が速度を落としました。最短ルートはこのまま真っ直ぐです」

「はーい」

「ひぎゃあああああ! 何これ高い! 怖い! 神様ああああああ!」


 ひたすら絶叫する泣き黒子の女と、小鳥型術人形(クチバシ)を先行させて淡々とナビをするラトニを担いだオーリが、ずだんと屋根を蹴りつけて跳躍を繰り返す。

 ラトニの魔術で三人の姿は不可視になっているから、時折絶叫を聞きつけて上を向く通行人は不思議そうに首を傾げるばかりだ。

 哀れなのは訳も分からず掻っ攫われ、気がつけば子供に担がれて屋根の上を飛んでいた泣き黒子の女で、今にも卒倒しそうな様子で悲鳴を上げ続ける彼女を支える腕に力を込めて、オーリは近付いてきたかっぱらいの背中をしっかり視界に捉えた。


「へへへ、女の旅行客ならそこそこ金持ってんだろ。今日は旨い酒が呑め――」

「投降しなさーい!」


 めっしょ。


 何度も背後を振り返りながら走っていたかっぱらいの背中に、叫びながら屋根から飛び降りたオーリの蹴りが問答無用で突き刺さった。


(あ、腰がグキッて言った)


 せめて狙ったのがオーリの目の前でなければ、この先腰痛持ちとして生きていく未来くらいは避けられたかも知れないのに。

「オボォウッ!?」と奇声を上げて地面に叩きつけられた運のないかっぱらいに、ラトニが気の毒そうな眼差しを向け、一秒間だけ冥福を祈った。


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