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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
120/176

115:春告祭

 ざあっ――と吹き抜ける音がして、数秒。

 室内を満たした風に甘やかな香りが強くなって、オーリリア・フォン・ブランジュードは窓の外を見上げた。


 今日も主のいないブランジュード邸の書斎が、春風に煽られてばたばたとカーテンを踊らせる。

 屋敷中に漂う花の香りが柔らかに強くなって、無意識に鼻を蠢かせた。


「――春だなー」


 ほっこりと表情を綻ばせ。


 実に有り触れた――けれど惜しみない感慨を込めた言葉を洩らして、オーリは澄んだ青灰色の瞳を太陽の光に輝かせた。


 今はサヅの月――日本で言う五月に当たる頃だ。長い冬がようやく過ぎ去り、街を抜ける柔らかな風が本格的な春の訪れを告げていた。


 春告祭。

 街が黄色やオレンジ色の花に覆われる季節を祝う、一年で最大の祭りの始まりである。


「今年の春告祭の期間は、父上様と母上様、家にいるかなー。父上様は今夜帰るって聞いてるけど、またすぐに出て行っちゃいそうだし」


 春告祭は、全日程十二日間に渡る長い祭典だ。

 ほとんど家に帰ってこない両親の顔を思い浮かべながら、オーリは片手で引き出しから書類を引っ張り出し、ぺらぺらと捲っていった。

 祭りに行く許可が欲しいところだが、叶わない望みだろうことも分かっている。だからと素直に閉じ篭もるほど、良い子の性格はしていないが。


(ん、これは近年南方領で発生した災害の纏めと被害総額か……数字ばっかで見にくいな、分布表作るか。地図……は描けないから、グラフか何かで地域別に纏めて……。早くお金が欲しいなあ、災害対応策も広められない)


 領主業をしているだけあって父の書斎にはそれなりの資料が集まってくる。

 盗み見のためにちょくちょく忍び込むオーリは幸い未だに見咎められたことはなく、この点は父が留守がちで良かったと思えるところだ。


 一体外で何をやっているのか、両親は――とりわけ父オルドゥルは、滅多に屋敷にも帰ってこないほど忙しい。

 とは言ってもその大半は怪しい付き合いや貴族の夜会、大人の火遊びに勤しんでいるようで、堂々と浮気に走る夫に、妻も妻で何の興味もなく自分の趣味に耽っているから、ある意味釣り合いの取れた夫婦と言えるのだろう。


(まあ、だからって離婚とかはどっちも考えてないみたいだし。政略結婚をうまく維持する、貴族としての一つの形なのかも知れないけど)


 結婚生活において、妥協と寛容と譲れない一線を守ることが大切なのは、貴族も庶民も変わらない。


 以前、オルドゥルの出納帳から愛人へのプレゼント代という項目を見つけたことがあったが、意外にもそれらは度を越した浪費と言えるほどのものではなかった。

 高価な物品こそ与えはするが、費用はどれも似たようなもので『特別』など一度もないし、愛人自体の顔もすぐにすげ変わる。


 母やオーリへの贈り物には金に糸目をつけないあたりを見れば、一応「妻と我が子は特別」ということで割り切っているのだろうか。

 互いの性格に妥協し、趣味や生活様式に寛容で、遊び相手ともきちんと一線引いた付き合いをしている点は、実に『よくわきまえた』貴族のやり方と言えるのだが。


(尤もこの時期ばかりは、父上様も遊んでるわけじゃないみたいだけど)


 いや、如何に仕事をサボりたくとも、遊ぶ暇を捻出できない、と言った方が正しいかも知れない。

 何せ大きな祭典であるからには観光客も激増するし、それを当て込んだ商売人や冒険者の動きも活発化する。

 付随して犯罪件数が増加するから、領主や警備隊はいつもより目を光らせていなければならない。


 加えてもう一つ。春告祭に重なったこの時期は、毎年地方の上級貴族たちが頭を悩ませるイベント――大規模な地方領主会議が開催されるのである。


 王国フヴィシュナは王家の下、国を大きく東西南北の領に分け、そこから更に領地を細分化して、それぞれの統治を貴族領主たちに任せている。

 ブランジュード家はその中の南方領に位置し、尚且つ十を優に越える南方領主たちの筆頭に立つ家だそうだ。

 必然、年に一度の南方領主会議は、ブランジュード家の直轄地であり、ブランジュード本家が居住地とするシェパの街で行うのが慣例となっているわけで。


(だからこの時期は、外から来る貴族が増えるんだよねぇ。尤も私は見たことないし、興味もないけど)


 更に、地方領主会議の後は王都で開かれる大合議まで控えている。御家同士の対立や領地運営でコケて領主会議で吊るし上げを食らい、そのまま大合議に報告が上がって領地没収、なんて事例もあったらしいから、関係者は今から胃が痛いことだろう。

 貴族ルックの偉そうなおっさんたちが顔を付き合わせてああだこうだと言い合う姿を想像しつつ、オーリはガタガタと書棚を漁り始めた。


 如何せん、完全に蚊帳の外になるであろう会議のことなど考えるより、今は最近変えられたらしい鍵の隠し場所を見つけることの方が重要である。


「お、はっけーん!」


 一冊の本を引き抜いて、オーリはにんまりと笑みを浮かべた。

 分厚い本の真ん中数十ページをくり抜いて、小さな鍵を隠した仕掛け。

 絨毯を捲り、床下に埋め込まれた金庫の蓋へと、その鍵を差し込んでカチリと回す。

 取り出した箱はずっしりと重く、何十という書類やノートが雑多に詰め込まれていた。


 この箱の中身は機密の部類に入るのか、外国語で書かれたものや魔術文字らしき文章まであって、オーリが読めるものは存外少ない。

 何とか解読を進めたところによれば、中身は特定の魔獣の特徴、魔術、或いは他国の情勢を調査した結果報告などであるようだ。


 やはりこの家も間諜の類いは抱えているのだろうな、とオーリは思った。

 国内貴族との折衝にしろ、他国の情勢を測るにしろ、どれだけ早く情報を手に入れられるかが生命線になる。

 尚且つ、以前シェパにアリアナが送られてきたように、極秘任務を任せる人材を抱えておくことは、地位と権力を持つ立場にいる以上絶対に必要だ。


 調査然り、情報操作然り。

 暗殺さえ命じることがあるだろうとは、決して表沙汰にできない貴族の闇ではあるが。


(あ、これは新しい書類……薬草かな。見たことないけど)


 ぺらりと紙を捲って、オーリは薄暗い思考を切り替えた。


 少し黄ばんだ紙の上、図解付きで記されているのは、薊のような形状の葉を持つ植物だ。

 葉柄は赤く染まっており、蔓性植物のようだから、分布圏は熱帯か亜熱帯か。


 何処の国とも知れない言語で数行の説明文が数箇所に置かれていて、そのうち一番長い説明文から伸びた矢印が、真っ直ぐ葉柄を指していた。


 新種の薬草だろうか。ならば王都に出かけたジョルジオが、もしかしたら情報を仕入れてくるかも知れない。

 ジョルジオは年の功もあって博識だし、薬草のことなら何でも興味を持つほど研究熱心だ。

 予想通り熱帯生の植物ならばフヴィシュナの気候では育たないかも知れないが、輸入されたものがないとも限らないだろう。

 ジョルジオが帰ってきたら見せようと決めて、オーリは手早くメモ帳に資料の絵を描き写していった。


「――お嬢様! オーリリアお嬢様! どちらにいらっしゃいますかー!」


「あ、やば」


 解読できない言語に四苦八苦しながら、それでもまず一番長い説明文を一つ写し終えた丁度その時、窓の外から傍付き侍女の声が聞こえてきて、オーリは慌てて資料を片付け始めた。

 そう言えば、そろそろ昼食の時間だ。使用人が父の書斎に無断で入ることはないだろうが、複数の使用人をオーリの捜索に動員されて、万一部屋から出るところでも見られたら困る。


 書類入りの箱を床下に隠し、鍵を元の位置に戻して部屋を飛び出していく。


「ここにいるよ、アーシャ!」


 廊下の窓から身を乗り出して叫べば、庭からアーシャがこちらを見上げてきた。

 何食わぬ顔でにこにこ無邪気に笑ってみせながら、オーリは彼女に大きく手を振った。




※※※




 祭りの喧騒に賑わうシェパの街を、猫よりも軽やかに駆け抜けていく少女の姿があった。

 ナイトグリーンの上着に帽子を被ったその少女は、長い濃茶の髪を靡かせ、細い足を目一杯伸ばして石畳の道を走っている。


 行き交う通行人をくるりと躱し、人混みを器用にすり抜けていく。

 道にはみ出た木箱に手をついて飛び越え、驚いて飛び起きる野良猫にごめんねと手を挙げた。


 目の良い誰かが一瞬少女を視界に留めて、元気な子供がいるなとほっこり笑んだ。

 屋台の店番をしていた誰かが少女の影を視界と意識の端に留めて、何か通ったかと怪訝そうに首を傾げる。

 旅装の誰かが眠たげな顔で少女の背中を眺めて、どうでも良さそうに目を逸らした。


「――おっちゃん、これ二本頂戴!」


 そんな通行人たちのことなど気にも留めず、帽子で顔を隠したオーリはマイペースに祭りの雰囲気を楽しんでいた。

 一軒の屋台の前で足を止め、背を向けて作業をしていた店主を呼ばわれば、店主はのっそりとオーリを振り向き、腹一杯になった熊のような目をゆっくりと緩めた。


「おう、毎度……なんだ、顔を隠した格好にその髪色、ひょっとして天通鳥の嬢か。良いよ二本くらい、タダで持っていきな」

「えっ、良いの? ありがとう!」

「代わりに今度、うちの嫁に洗濯のコツでも教えてやってくれや。あいつは如何せん染み抜きが下手でな」

「あー、おっちゃん新婚だっけ。じゃあ今度相棒と一緒に行くね」


 ぶっとい指で十本ほどを掴んで無造作に渡されたのは、素朴な果物の屋台菓子だった。

 一口大に切った果物に金色の蜜を絡め、幾つも串に刺されたそれが、陽の光に透けてきらきらと輝いている。


 フヴィシュナで産出される上等な素材の味を、そのまま生かしたシンプルな菓子。

 宝石よりも魅力的なそれに舌舐めずりし、オーリはご機嫌に手を振って、ひらりと再び身を翻した。


 退屈な家庭教師の授業を午前で終えて、相棒に会いに街へと走る一時は、何度繰り返しても飽きることがない。

 どんなスケジュールで祭りを巡ろうかと考えながら、オーリは道の向こうに見えた相棒の姿に笑みを深めた。


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