表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・閑話編
111/176

107:汝の名は大鯰

 植物も多く沼地なだけあってここらの土地はそこそこ肥沃であるらしく、黒みがかった地面を暫しの間ほじくり回し、土で手を汚していれば、一塊程度のミミズや虫は容易く集まった。


 ただし、大人を丸呑みできるほどの大魚を相手に足りるはずもなく、それを餌にして更に数匹の魚を釣り上げ、刻んで木の実や草の汁を混ぜ、適度な大きさの団子に丸めて専用餌を作り上げて、縄の先に取り付ける。


 まずは軽くちょっかいをかけてみるだけの予定なので、まだ釣り針は使わない。

 ミミズをとるところから小魚を餌に仕上げるまでを率先してやり遂げたロムノは、どうやら虫系には耐性があるようだ。ビチビチと跳ねる生臭い魚を豪快に鷲掴んで「次はどうしましょうか」と小首を傾げる彼に、オーリはふむと一つ唸って上を見た。


「一発目で釣り上げられるとは期待してないし、まずはその魚の姿を見てみたいな。ロムノ君にはしばらく釣りをしてもらって、その間ラトと私はそこの木の上に登ってよう」

「大体の大きさが知れれば良いですね。水上に上がってこなくても、影が見えれば全長と体重に見当がつきますから」


 オーリの提案にラトニが賛同し、早速彼らは二人と一人で役割分担することにした。


 最近気が立っているという大魚を挑発するため、ロムノがわざとバシャバシャ水面を荒らすようにして釣り縄を操る。

 一方オーリとラトニは手近な木に目をつけて、するすると器用によじ登っていった。


 沼の傍には、沼を覗き込むような形で佇む大きな木がある。

 二人が登った枝は枯れかけたような色こそしているが、存外頑丈で虫食いされた様子もないから、ちょっとやそっとの重みでは折れたりしないだろう。


「……出てくるかなあ」

「どうしても出てこなかったら、僕が何とかしますよ」


 枝に並んで小猿のように膝を曲げ、ひそひそと言い合いながらじいっとロムノを見守る。

 三十分ほど沈黙が続き、もしや餌が小さ過ぎるのではないかとオーリが案じ始めた頃、ゆらりと水中で影が動いた。


 ――標的が動いた。

 気付いたロムノが唇を引き結び、緊張に体を強張らせたのが分かる。白い飛沫を上げて振り回した釣り縄が一際激しく叩き付けられ――次の瞬間、盛大な波と共に踊り上がった巨体が、釣り縄に引っかけた餌を軽々と食いちぎっていた。


(でかい……!)


 ほんの数秒外気に触れた大魚の体が、鬱陶しがるように身をくねらせる。灰色の目をぐっと見開いて観察するオーリの隣で、前情報通りの不気味な姿に、ラトニが眉間の皺を深めるのが分かった。


 ――それは、規格外に巨大な鯰だった。


 黒々と光る鱗のない体、鑢のように細かな歯がびっしりと生えた幅広の口は、知らねば確かに魔獣とすら疑う怪異な容貌だろう。

 魔獣でなかったことだけは幸いだが、それにしても厄介なほどに巨体であると、オーリは緊張に唾を呑み込んだ。


 何故なら今回の目的は、あくまでロムノの度胸試し。オーリたちによる助力は最低限にしなければならないという大前提がある。


(私なら、相手が針にかかりさえすれば、力技で引き上げられる。ラトニに至っては、水場の戦いは独壇場。

 でも、メインでやるのがロムノ君で、尚且つ相手がこの巨体っていうのなら――挑戦するチャンスは決して多くない)


 大鯰の体躯は、目測だが五メートルミルを越えるだろう。

 黒々と光るその体はぼってりと重く、鈍重そうな印象を受けるが、その分まともに重量勝負になれば、大人だってあっさり沼に引きずり込まれて終わりに違いない。


 巨体に絡まった藻の塊の中、埋もれかけている半月型の何かをオーリの視線が捉えたと同時、ギョロリと大きなその目玉が彼女の方へと向けられた。


 それは、長らく支配してきた縄張りを侵す者を察知したが故の警戒か、或いはただ無軌道に視線を泳がせるまま、たまたまそこにいた子供の上を通り過ぎただけなのか。


 いずれにせよ、刹那にオーリを映し込んだ丸い魚の目玉には、知性も感情もないただぬるりとした不気味な輝きだけが含まれて。

 けれどこの大きな沼で確かに主と呼ばれるほどの風格を感じ、反射で背筋を粟立たせたオーリの前で、大鯰は再度盛大な水飛沫を跳ね上げて、真っ直ぐに沼底へと戻っていった。


「――――…………すっごい迫力。あんな大きな魚、見たことないよ」


 魔獣ではなく、あくまで『魚』。しかし間違っても、そこらの釣り人の手に負えるものではない。

 深々と溜息を吐いて唸ったオーリに、ラトニも難しい顔で顎に手を当てた。


「シェパは内陸だし、元より魚に触れる機会は多くありませんが、それにしても奇怪な容貌の魚でした……もしかして、あれが本物の『ナマズ』ですか?」

「あー、そういやラトニって王都でナマズ人形見てたっけ」

「はい。思えば王都の人形は、大分キャラクター的にデフォルメされてたんですね」

「そうだね。サイズが規格外にでかいけど、今のが本物の鯰で間違いないと思う」

「そう言えば、普通の鯰は手に持てる程度だと聞きましたっけ。しかし、本当に鱗がないんですね……面白い」


 興味深そうに頷いたラトニに同意しかけ、オーリはあれ、と首を傾げた。

 王都でナマズ人形を見た時、オーリはラトニに鯰の詳細についてなんて話さなかった気がする。ならば別の誰か――例えばジョルジオなど――に聞いたのかも知れないと考えた時、地上にいるロムノが声をかけてきたので、疑問はあっさり頭の隅に追いやられた。


「あの、お二人はあの魚を知ってるんですか?」

「あー、うん。鯰っていう魚だよ。詳しいってほどでもないけど」


 如何にあの魚を捕獲するべきか、忙しく作戦を練り上げながら、オーリはとん、と枝から飛び降り、ロムノの元へと歩み寄った。

 こちらはのろのろずるずると滑り降りてきたラトニが、 ぱしぱし服を払いながらオーリの後ろを付いてくる。


「本来はもっと小型の、泥の中や水草の間を好む淡水魚だよ。味は淡泊な方で、食用にもなるとか」

「魔獣じゃないんですか? あんなに巨大なのに」

「確証はありませんが、別に魔力は感じませんでしたよ。たまたま天敵がいなかったので、成長するだけしてしまった結果なんじゃないでしょうか」

「本当に鯰なら顎が凄く固いから、釣り縄を頑丈にしといたのは良かったね。目が悪い代わりに音に敏感で、春になって気温が上がってきた頃に振った雨が、水面を叩く音をきっかけにシャロー……水深の浅い所に入る習性がある。今のはロムノ君の立てた音に惹かれて来たのかな」


 ぺらりと豆知識を喋りながら、オーリは沼を覗き込む。

 鯰の好みそうな深い沼は未だ先程の波紋を残し、巻き上げられた泥をゆっくりと沈澱させていた。


「ラト、ロムノ君、作戦立てよう。そうだな、爆発を使って燻り出す手が使えると思う」


 にんまりと笑って告げたオーリに、ラトニは成程と首肯し、ロムノはぎょっと瞬きを繰り返した。


「ば、爆発? 駄目ですよリアさん、あんな大魚を仕留めるほどの爆発を起こしたら、沼の魚が全滅しちゃいますってば!」

「小魚まで全滅するような大きな爆発なら、一回でも起こせばそうなるだろうね。けど逆に言えば、他の魚に害がない程度の小さな爆発なら、複数回起こしても問題ないってことになる」

「ロムノさん、鯰はその性質上、震動にとことん弱いんです。ちょっと揺れるくらいの小爆発でも、鯰にとっては大ダメージになりますよ」

「悪食だから、餌は今使ってるやつで充分食いついてくれるだろうね。あと、鯰は酸欠にも弱いんだけど……ラト、行けそう?」

「酸欠……ああ分かりました、問題ありません」

「よっしゃよっしゃ。なら、後はロムノ君が何処まで気張れるかだね」

「えっ、な、何だかよく分からないけど、ボクに出来ることなら何でもやります!」


 こくりと頷いたラトニに、オーリは満足そうに笑ってロムノを見やる。

 二人の思考が全く読めないロムノはきょときょとと彼らを見比べて、それでもぐっと拳を握り締めた。

 水面から、挑発するようにぱしゃりと小さな水音が聞こえた。




※※※




 一度おびき出されたことで鯰が餌を覚えたと判断し、ぐねりと曲がった大きな針に、残った餌の全てを付ける。


 先程登った高い木の上で待機するのは、今回はオーリと、そしてロムノだ。

 一番太い枝を、縄をぐるぐる巻きつけて補強し、そこに二人が並んで立つ。

 先端に釣り針を結び付けた長い縄を持ち、翠色の目を凝らしたロムノが、緊張した面持ちでじっと沼を見つめていた。


 ばしゃん、ばしゃん、ばしゃん。


 鯰の本能に訴えかけるように、ロムノは釣り縄を操って水面を叩く。

 ゆらりゆらり、水面下に泳ぐ黒い影が、少しずつその大きさを上げていっているように思えた。

 

 ――ばしゃん、


 幾度目か餌を叩き付けた、その瞬間。

 ぐわっと影が濃くなって、巨大な黒が飛び出してきた。


「――掛かったっ!」


 目を見開いてロムノが叫ぶ。手にした縄の先端は姿を見せた大鯰の口に消えていて、半秒と持つはずもなく引かれる力に負けて宙を飛びかけた体は、背後から伸びてきた二本の腕に止められた。


 ――みしぃっ!


 強烈に足を踏み締める音がして、この木のうちで一番頑丈な枝が僅かに軋む。

 リアと名乗った灰色の瞳の少女が、ロムノの体をがっちりと抑え込んで支えていた。


 ロムノを支える少女の腕は、正直ロムノよりも細くて柔らかそうだ。なのに足場の悪い中をしっかり踏ん張り、その細腕で万力のようにロムノを捕まえているという行動に、手筈通りとは言え、ロムノの顔が驚きに揺れる。


 ――引き合う相手はあの巨体なのに、全く負けてない……!


 食らいついた餌の先に余計なものが付いていたことを悟ったらしく、鯰が縄を振り払おうと暴れ出す。ぐぐぐと腕に力を込め、小刻みに痙攣してはいるが、オーリの腕はしっかりロムノと縄を掴んで放さなかった。

 想像以上の剛力に唾を呑んだロムノは、間近でこちらを向いた東方風の顔立ちに、はっと釣り縄へと意識を戻した。


「――ラト!」


 鯰が水底へと身を翻し、二人を引きずり込もうとし始める。意識の逸れかけたロムノを視線だけで叱咤したオーリが、鋭く相棒を呼ばわった。

 沼の縁に控えていたラトニが、即座に応じて魔術を発動。沼の水を操って酸素濃度を僅かに薄くしてやれば、盛大に暴れる鯰はたちまち酸素不足に陥って、再び水面へと上がってきた。


 ラトニが何をしたかは分からずとも、鯰が浮いてきたことだけはロムノにも分かる。ここが正念場と、手のひらに食い込む縄を必死に握り締めるロムノの様子を確認しながら、更にオーリが次の一手を投入。

 村の倉で見つけた、割れて壊れた封珠の山。最早とうに役目を果たせなくなっているはずのそれには、オーリが魔力を込めてあった。――一定量以上を込めれば、如何なる封珠も爆破封珠へと変える魔力を。


 ――ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱんっ!


 次の瞬間、連続して封珠が弾けた。

 元よりさしたるものでもなかった爆破の威力は、既に割れていた封珠を用いたことにより、更に削がれて殺傷力を落とす。

 一般的な魚なら、少々体を揺らされ怯える程度の――ただし、ただでさえ震動に弱い上、最近殊に気が立って神経を尖らせているという大鯰であれば、激しい動揺を覚え、一瞬動きすら止まるであろうほどの。


 ざざざざざっ!


 酸素不足と爆発の衝撃によって大鯰の抵抗が僅か鈍った機を見逃さず、オーリを樹上に残してロムノが動いた。

 縄を枝に引っかけて、小さな体を宙に投げ出す。靴底だけを幹につけて摩擦で速度を殺しつつ、縄の端を握り締めたまま地面に着地。


 ロムノが向かった木の根元には、古い金属製の器具が置いてあった。

 それが使わなくなった井戸用ポンプに細工を施したものだと、村人が見たなら気付いただろう。樹上のオーリが縄を引きつつ、時折爆破封珠を投げて鯰を牽制している下で、ロムノはポンプに飛びついて、ガコガコと全速力で水を汲み上げ始める。


 規格外の力比べをするオーリの傍らには、広げれば大人二人がぎりぎり入るであろう、大きな革袋が置かれていた。今は空っぽの革袋は、大鯰と引き合いをしている縄に結びつけられ、己の出番を待っている。

 ポンプに繋がる管の端は沼へ、もう一つの端はその革袋へ。そうして沼から汲み上げられる水が、見る見るうちに革袋へと溜まっていく。


 メキッ、と不吉な音がして、横目に革袋を注視していたオーリが目を細めた。

 水で重みを増していけば、革袋の重量に枝が長時間耐えられないことは織り込んでいた。だからこそ、わざわざ「鯰が釣り縄に掛かってから水を汲む」という手間をかけているのだ。

 オーリが手を振ってラトニに合図。みしみしと軋み続ける枝を、ラトニが枝内部に含む水を操ることで一時的に強化した。


「ロムノ君、もう充分! 切って良いよ!」


 最後の封珠を沼に投げ入れ、オーリは叫んだ。

 もう大鯰は爆発に怯む段階を通り過ぎ、怒り故かストレス故か、より一層激しく暴れ始めている。幾度も凄まじい勢いで跳ね上がり、縄を引きちぎろうともがく大鯰は、早く止めを刺さねばいっそ池から跳ね上がり、オーリ目掛けて食いついてきそうだ。


「分かりました! リアさん、巻き込まれないように避けててくださいね……!」


 水で一杯になった革袋は、あらかじめ根元近くに巻きつけた別の縄で支えられていた。

 ロムノがナイフを振り下ろしたと同時、縄はぶつりと断ち切られる。


 ――――どんっ!!


 次の瞬間、重々しい落下音がした。支えをなくした革袋が、地響きを立てて大地を殴り付けたのだ。


 ――ここで確認しよう。

 一立方mの水の重さは約一トン、それを仮に高さ十メートル地点から落としたとすれば、かかる衝撃力は軽く十トンを上回る。

 つまり今回、限界まで水を飲み込ませた大きな革袋が生み出す重量が導く結果は――



 ――ざばあぁぁぁぁんっ!!!!



『――――っ上がったああああああああああっ!!!!』


 落下する革袋に引っ張られ、縄が急激に張り詰めた。

 あたかも、片方の皿にだけ重りを置かれた天秤が一気に傾いたかの如く。超重量の引きによって空中へと放り出された大鯰の姿に、オーリとロムノの歓声が重なった。


「リアさんっ!」

「はいよ任せろ!」


 使用した縄はここまでの攻防で完全に擦り切れ、最早二度目の挑戦には耐えられるまい。全てを託したロムノの叫びに、応えてオーリが即座に跳躍。のたうつ姿で浮いた大鯰の視線が、獣のように虚空を駆けるオーリの姿を絡め取り――



 ――――メギィッ!!!!



 そんな轟音と共に、繰り出されたオーリの跳び蹴りが、大鯰の首を完全にへし折っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ