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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・閑話編
105/176

101:とあるガキ大将の模索

 割と投げやりなトーンで鍵言葉(コマンドワード)が聞こえて、真っ赤に燃え盛る炎の塊がポーンと無造作に投げられてきた。

 瞬時に張った防御結界で防ぐも、弾けた炎は周囲に飛び散り、なお轟々と勢いを増して燃え続ける。

 ただでさえぐるりと炎に囲まれているせいで辺りの水気が凄まじい勢いで消失していき、逆にひたすら魔術操作に集中して焼ける脳味噌と比例するように、全身からぼたぼたと汗が流れ落ちていった。


「コントロール緩くなったぞ。気張れ」

「はい」


 いくら水気を掻き集めたって、真冬の寒気さえ裸足で逃げ出すようなこの熱気の中では限界がある。

 やる気無さそうに発破をかけるノヴァの言葉を飛びそうな意識で聞きながら、今にも脱水症状を起こしそうなラトニは半径二メートルミルの炎に囲まれた円の真ん中で、どんどん蒸発していく水をひたすら操作する作業に没頭していた。


 ラトニの目の前には、拳大の水の塊が浮かんでいた。

 ぐねぐねと蠢くそれが手の間で形を変え、大雑把に丸っこいデザインを取っていく。

 頭、胴体、足、羽――


「没」


 無情な言葉と共にすっ飛んできた魔力弾が、不細工な水像を一撃で打ち砕いた。

 離れた所に座って片手間に読書をしていたノヴァが、めっ、と言わんばかりに人差し指を立ててくる。


「オレは美麗で精巧な、翼を広げた鳥の像を作れと言ったんだ。羽を毟られた鳥の丸焼きを作れとは言っていない」

「……はい」


 そんなもん作った覚えねえよ、などとツッコむことはせず、ラトニは大人しく水を掻き集め、最初から作業を再開する。


 正直、声を出すことすら辛いのだ。

 いくらあの性格破綻野郎(ノヴァ)が、だらだらと滝の汗を流しながら虚ろな目で奮闘するラトニを横目に氷を浮かべたしゅわしゅわのレモン水を優雅に堪能していようが、一体何処から持ってきたのか海辺の別荘の如き白いロッキングチェアの上でごろごろくつろいでいようが、流れる汗が地に落ちる前に蒸発しそうなラトニにとって、ツッコミのために余計な体力を使うことはただの自殺行為である。


(いつか絶対にやりかえす)


 一応理屈に則った修行法であることも分かっちゃいるが、あまりにも忍耐力が滅多打ちされ過ぎて、沸き上がる殺意、プライスレス。ノヴァは合理的な師ではあるが、善意も気遣いもデリカシーも全く縁の無い男である。「あー、今日は寒風が身にしみるな。ちょっと火を強めるか」死ねクソ師匠。


 ドゴォウと炎が膨れ上がり、快適快適と鼻歌混じりにレモン水のお代わり(グラスに差したストローに大輪の南国花とリボンがついてやがる。切実に死ね)を飲み始めたノヴァの数メートルミル先、ラトニは憤怒と殺意に震える手で、ジュワアと蒸発していく水と格闘した。そんなに寒いなら、今すぐ火中に突っ込んで豚の丸焼きみたいになれば良いのに。


 ちなみに現在ラトニがやっていることは、渦巻く炎の原始要素(エレメント)に魔力を引っ張られる環境下で、水の制御力を鍛える訓練である。

 強力に、しかし繊細に。どんなに不利な環境下でも少ない水を確実に操作できるようにならなければ、次のステップには進めない。


原始要素(エレメント)』というのは、地中や空中に漂う魔素が、火、水、土、風などの自然因子を多く含んだものを指す。

 一方で体内魔力を水や雷など別の要素に変換したものを『要素魔力(エレメンタル)』と言い、人間の魔術師はこの要素魔力(エレメンタル)を燃料にして魔術を行使するのだ。


「水属性魔術の適性がある」とは、要するに自身の魔力を水の要素魔力(エレメンタル)に染めやすい者のことである。

 ただし、この扱いには注意が必要だ。

 例えば周囲に火の原始要素(エレメント)が多い環境下――火山の噴火口や大火事のど真ん中など――にいる場合、体内の要素魔力(エレメンタル)が周囲に満ちた原始要素(エレメント)に引っ張られてしまうため、火属性魔術の威力が著しく増大する代わりに、火属性以外の魔術が使いにくくなってしまう。


 中でも、『水』と『火』はなかなかに相性が悪い組み合わせだ。

 ノヴァの魔力で著しく強化された炎の原始要素(エレメント)に取り囲まれた環境下、自身の魔力を完璧に『水』に染め変え、更に魔術として体外で紡ぎ上げる作業は、如何に水属性に強いラトニでも困難なものだった。


 ぐい、と汗を手で拭って、ラトニはなかなか言うことを聞かない水塊を睨み付けた。


 先程の魔力弾で水が散って、また操作できる水分が減った。早く仕上げなければ、しまいには親指の爪ほどの水分量で鳥を作ってみせなければならなくなるだろう。


 ――集中、集中、集中。美麗に、精巧に、翼を広げた雄大な鳥の姿を――


「なんだそれ、牛か? 没」

「…………はい」


 また魔力弾が飛んできて、不細工な水像は無慈悲に弾け飛んだ。

 余計な一言に一々殺意が煮えたぎるが、ツッコミを入れるだけの体力と気力は、残念なことにやっぱり残っていなかった。




※※※




 遺棄された集落に住み着いて悠々自適に暮らすノヴァが気分と思いつきと暇具合によって行う魔術訓練は、精々七日に一、二回、気が向かなければそれさえすっぽかされることもある。

 今回は運良くみっちり鍛えられたが、その代わりのろのろ孤児院に戻るまでが限界な程度には体力を削られていて、漸う自室に辿り着いたラトニは無言で小さな机に突っ伏した。


 本当はベッドに倒れ込みたかったが、流石に汗と土埃で汚れ切った体をシーツに触れさせる気にはなれない。

 少し回復するのを待とうと荒い息を吐き出しながら、もたもたと帽子を投げ捨て、少し汚れた頬をぺったりと机にくっつけた。


 今回も、軽く死ぬかと思うほど消耗した。控えめに言って大天才のラトニでなければ、間違いなく初日で見切りをつけられるか、力尽きて死んでいるだろう。


(魔術の腕は超一流ですが、やっぱり教師としてはとことん向いていない男らしい……。気紛れにシェパを立ち去ってしまう前に、可能な限りの教えを受けておきたいんですが……)


 ノヴァの気が向いた時に魔術で呼び出しを受けて、そこから一時間以内にノヴァの元まで辿り着ければ修行開始。辿り着けなければ、ノヴァは容赦なく行方を眩まし、修行はまた次回となる。


 遺跡で一戦交えた時から、どうやらノヴァは、ラトニの持つ「科学知識」について多大な興味を抱いているようだった。

 水属性の単一魔術を用いて、本来火や氷の魔術を組み合わせなければ起こせない現象を引き起こす魔術形態。それは、前世と今世でオーリに与えられた「科学知識」を駆使するラトニだけが原理を理解し操れる、「未だこの世に存在するはずのない知識」だ。


 いっそ、それを餌に授業の頻度を上げてもらおうかすらと考える。けれど、下手にそれをすると今度はラトニの回復が追いつかなくなるかも知れないのが悩みどころだった。

 ラトニは幼い上、まだまだ体力が足りていない。ここから更に授業を増やせば、近々体を壊す可能性すらあった。


「――毎度毎度、何処で何やってんだよ、お前……。無表情越えて目が死んでるぞ……」


 おののいたような声がして、ラトニはそちらに視線を向けた。

 いつからそこに来ていたのか。挨拶もなく窓を開けて窓枠を乗り越えるところだった人間が、うわあと言わんばかりに引きつった顔でラトニを見下ろしていた。


 ゼファカ・サイニーズ。

 ラトニより三つ四つ年上である彼は、赤みの強い焦げ茶の髪を持つ、やや吊り目で体格の良い少年だ。


 街のガキ大将としてしばしばラトニにちょっかいという名の嫌がらせを仕掛けていた彼が、別の感情を持ってラトニの周囲をうろちょろするようになってから、優に二月以上は経つだろう。


 関係性が変化した切っ掛けは、ラトニがとある荒くれ冒険者に捕まったゼファカ――尤も、彼を巻き込んだ原因もまたラトニだったのだが――を、魔術で助けた一件だった。

 彼がオーリに対して何やら甘酸っぱい恋心を抱いているらしいことも手伝って、ラトニにとっては正直割と鬱陶しい存在なのだが、今のところ本気で排斥するほどの嫌悪感は抱いていない。


「また遊びのお誘いですか。すみませんが僕は今真面目に行動不能な状態なので、大したことには付き合えませんよ」


 ラトニは自分が魔術師だと大々的にバラされたくないし、ゼファカは一応命を救われた恩と、魔術師を敵に回す危険を知っている。

 つまり二人は互いにちょっとした弱みを握られている状態で、大人しい子供の仮面を被ってみせるような相手でもない。

 面倒臭そうに片眉を動かして、ラトニはゼファカを無表情に見上げた。床に飛び降りたゼファカが、意外そうに目を瞬かせる。


「何だよ、お前がオレの誘いに乗るなんて珍しいな。確かに夏場のスライムみたいにぐでっとしてるけど、何なら付き合う気になるんだよ?」

「お飯事、とかですかね。僕が水槽の金魚、あなたが庭に繋がれた犬」

「それ何一つ進行しねぇよ!? ひたすら沈黙が続くだけじゃねーか!」

「あなたたちが好んでやる遊びなんて、泥当てだのサバイバルごっこだの、疲れそうなものばかりじゃないですか。それに僕はチームプレイとか向いてないんです」

「一応自覚はあったのか……。でも、そういう母ちゃんに怒られる遊びは、もう卒業したんだよ。今は空き家で秘密基地作りとか……つーか違ェ、今日は遊びに来たんじゃねーの! ジョルジオじいさんに伝言頼まれたから、わざわざ会いに来てやったんだ!」

「ジョルジオさんから?」


 どうやら、珍しくまともな用事があって訪ねてきたらしい。師事している薬師の老人の名前に、ラトニはのっそりと頭を持ち上げた。

 ゼファカがベッドに座り込もうとして、飛んできた殺気に無言でターンする。二つ目の椅子を探すもそんなものは存在せず、結局ラトニが頬杖を突いている机に飛び乗って腰を下ろした。


「おう。ジョルジオじいさん、昨日街を出たぜ。王都に行ってくるんだってよ」


 足をぶらぶらさせながら、ゼファカはそう告げた。

 ラトニの頭がことりと傾く。最近のジョルジオの発言を思い返しながら、背もたれにぎしりと体重を預けた。


「王都に? ……そう言えば、近々薬師仲間を訪問しに行くと言っていましたか。研究マニアな友人と情報交換したいとか何とか」

「ジョルジオじいさんって意外と顔広いんだなー。あと『オセロの件を片付けてきてやる』とも言ってたけど、オセロって何なんだ?」

「……ボードゲームの一種ですよ。詳しい説明は面倒くさいのでしませんが」

「ちったあ話題を膨らませようって気にならないのかよ!」

「あなた頻繁にここに来てますけど、またお使いサボってるんじゃないでしょうね」

「釘を刺してくるな! 明日は農園でヘルプ頼まれてるから、今日は好きに遊んでて良いって言われてんだよ!」

「ああ、そうですか」


 適当にあしらいながらも、ラトニの表情は幾分ほっとしたように緩められていた。


 ジョルジオの言う「片付けてくる件」とは、以前からオーリが頼んでいた、オセロの特許権を取得する話だろう。

 色々と手続きが煩雑で、子供二人では出来なかったそれを、今回王都に行くジョルジオが代わりにやってきてくれるらしい。


 特許を申請すれば、余所の商人や貴族にアイデアを奪われる心配はなくなる。オセロを売り出せるようになれば、オーリとラトニは初めて纏まった資金が出来る。


 これで一つ懸案事項が減ったと喜ばしく思いながら、小さく肩を落として息を吐き出した。


 その仕草が疲労の証拠に見えたらしく、ゼファカが眉を寄せる。

 がりがりと困ったように頭を掻いて、前髪に隠されたラトニの顔を覗き込んできた。


「ジョルジオじいさんが心配してたぜ。診療所に顔出す頻度がちょっと減ってるし、こないだ街で見かけた時、すげえ疲れた顔してたって。お前、じいさんの弟子なんだろ? 本当に何処で何やってんだよ」

「……諸事情で詳細は言えません。言っておきますが、『彼女』は一緒ではありませんよ」

「ばばばばば馬鹿野郎! オレは別にあの子のことなんて言ってないだろうがっ!」

「説得力皆無ですよエセ純心野郎。そんな変態じみた表情で彼女の前に出たら叩き潰しますからね」


 イラァッとした目で睨み付けられて、ゼファカは真っ赤に染まっていた顔を途端にヒィッと青ざめさせた。


 この年下の少年は元より報復に容赦のない奴だったが、うっかり彼が魔術師であることを知ってしまってからというもの、ますます威嚇が分かりやすくなった。

 特に『あの子』のことになると一瞬でスイッチが入るから、ゼファカには恋する相手の情報収集もままならない。


「ま、前に出るも何も、お前未だにあの子と会わせてくれないじゃねぇか! ここ最近、お前とあの子が一緒にいる所にすら出くわしてねぇぞ!」

「仕方ないでしょう、彼女が家に籠もってるせいで会えないんですよ! 僕だって正面から彼女の顔が見たいんです!」


 ゼファカに噛みつかれて、ラトニは思わず叫び返した。


 遺跡事件が終息してから、オーリは屋敷での騒動に責任を感じ、ほとぼりが冷めるまで大人しく引きこもると宣言していた。

 従ってラトニは、ジョルジオの元を訪れたりノヴァの修行を受けたりする合間、一人で孤児院にいるくらいしかすることがない。


「だったら会いには行けないのかよ!? いや、あの子の家が遠くて一人じゃ行けないってんなら、まあその、お、オレが付いてってやっても良いけど……」

「どさくさ紛れに自宅の位置を知ろうとは図々しい――……ん?」


 不意にラトニが動きを止めて、ゼファカは首を傾げた。

 不意に窓の外を見たかと思うと、無意識らしい仕草で、自分のこめかみを人差し指でトンと叩く。怪訝そうに言葉の続きを待つゼファカのことを一時忘れた様子で、彼は顎に手を当て、上目遣いに視線を泳がせた。


「…………横恋慕野郎。あなた、明日農園に働きに行くと言ってましたね。それ、何処の農園ですか?」

「いい加減妙な渾名で呼ぶのやめろよ……」


 無駄だと知りつつ一応ツッコミを入れてから、ゼファカは「ご領主様のだよ」と素直に答えた。


「オレの親戚がそこで働いててさ。明日は同僚の一人が用事で休むんで、ガキでも良いから一日雑用に貸してくれって頼まれてんだよ。金は出ないけど、代わりに傷物の果物分けてくれるって……、……キリエリル?」


 じぃっと無言でこっちを見つめてくるラトニに、ゼファカは心なしか顔を引きつらせた。


 ラトニは真顔だった。

 例えるなら、腕利き冒険者を何人も喰い殺してる半人半鳥の魔獣が出てきたけど、実は自分は今まさに飢えの極致で脂の滴るローストチキンの記憶を反芻して涎を垂らしていたところだった、みたいな、瞳孔の開いた顔だった。


「な……何だよ……」


 何やら異様なものを感じたゼファカが、青い顔で後ずさる。

 その腕をぐわしと掴んだ細い手が、凄まじい力でゼファカに纏わりついた。


「――その一件、もっと詳しくお話しましょう?」


 初めて彼が見たラトニの笑顔はにやりと悪辣に引き歪んだ口元で、ゼファカは反射的にひいと喉から悲鳴を洩らした。

 涙目で頭をぶんぶん横に振るゼファカに、ラトニは容赦なく全てを吐かせ、そしてささやかな「お願い」をした。



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