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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
7歳・シェパの街編
1/176

1:プロローグ

 ――押し潰されるような慟哭を、張り裂けるような泣き声を、暗闇の中で聞いた気がした。




※※※




 フヴィシュナという名を冠するその国は、豊かな自然と気候に恵まれた山と緑の王国だった。


 主な産業は木材、山で採掘できる石から作った細工物と、山羊に似た大型獣「コトン」から採れるミルクとバター。国に魔術師の数は少ないがその分貴重とされており、時折生まれてくる強い魔力を持った子供は、幼いうちから王宮の魔術師団にスカウトされることもある。


 国に幾つかある小さな港が貿易を担い、周辺諸国ともそこそこ交流のあるフヴィシュナは、燃え盛る炎のような活気こそないものの、普通の人々がのんびりと日々を暮らしていくには決して悪くない国だった。


 ――三百年ほど前までは、の話だが。




※※※




 シェパと呼ばれる大きな街の、とある屋敷の一室。よく日の当たる明るい窓辺に、一人の子供が座っていた。


 絶世の、とまでは行かないが、幼いながらに整った面立ちの少女である。

 身動きするたびにさらりと流れる髪は、肩まで伸びた濃い茶色。青みがかった灰色の瞳は、窓から射し込む光を映して水面のように揺れていた。

 一見すれば人形のように可愛らしい顔に、乗せられるのは落ち着いた表情。垣間見える大人びた色が少女に不可思議な魅力を添え、その光景を一幅の絵画のように見せていた。


 椅子に座って静かに本を繰っていた少女は、ややあってその表情を変える。眉と口の端を盛大に下げて、こう呻いた。



「――おおう……こいつぁヒデェ……」



 お世辞にも女の子らしいとは言えない呻き声を洩らして。

 少女――オーリリア・フォン・ブランジュードはぺらりと薄汚れた本のページを捲った。


 本の中身は夢に溢れたお伽噺や女の子垂涎の恋物語などではなく、国と領地の運営に関わる機密事項である。

 輸入に輸出に税金比率、ついでに我が家が領民から取り立てている税金の推移。犯罪件数にその内容、解決した数に迷宮入り数。一次産業から三次産業の現状に、人口と年齢の推移、特産品。

 勿体ぶった装丁の資料を幾つか拾い上げて触りを覗いただけで、この国ちょっとヤベェなと分かってしまうのだから恐ろしい。悲観的な未来に口調だって荒れようというものだ。


(て言うか、ここ百年間ウチが取り立ててる税金が減った試しがないってどういう了見)


 オーリの生家でありこの地の領主でもあるブランジュード侯爵家は、どうやら大して楽でもない生活を送る領民たちから粛々と毟り取っておきながら、この上まだまだ巻き上げていくつもりらしい。多分貧困に喘ぐ寒村とかも沢山ありそうなので、四公六民と言うよりは、胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど何とやら。

 オイオイ、なんか不作の時でさえじわじわ増税してんだけど。何に使ったのご先祖様と、オーリはさっさとドロップアウトしやがった数多の先達の胸倉掴んで軽く問い詰めたい気分だった。


 かつてはそれなりに暮らしやすい、と言うかオーリ好みの長閑な国だったはずのフヴィシュナがその歯車を違えてしまった原因は、今からおよそ三百年ほども前に遡る。

 どうやらその頃国を襲った未曽有の大規模災害を収めるために動員された王宮付きの魔術師が、大掛かりな魔術を失敗して何やかややらかし、逆に環境を大きく狂わせてしまったらしいのだ。

 お陰で当の大規模災害が収まったは良いものの、代わりにその頃から一気に天災が増えるという、本末転倒にも程がある結果になったとか。


 その事件を切っ掛けに段々と国が荒れ出して、人材不足に不運が重なり、今ではヒソヒソ凡庸と噂される王様に、汚職当然の貴族階級出身上層部、後は典型的なお役所仕事の役人がひたすら多い国となっている。もうちょっとあからさまにタチが悪ければ、お伽噺で英雄とか革命軍とかに潰される役柄にもなり得るだろう。


 イヤイヤ、百年単位で天候に影響与えるとかどんだけ凄いんですか。超凄い魔術師さん達はどうしてその才能で天候を元に戻せなかったんですかねー。

 ケッと吐き捨てるオーリの家も、これまた典型的なダメ貴族だったりする。

 領地の治安はオーリからすれば、幼い子供を初めてのお遣いにやるのも躊躇うレベル。日の届かない路地裏にでも踏み込めば、もう何をされても文句は言えないだろう。


 オーリの家がこんな機密書類を持っているのは、一応仮にもここの当主――つまりはオーリの父親が、政治に直接干渉もできる高位に位置するからだ。

 何せ、押しも押されもせぬ大貴族である。これはこれで色々と肩身が狭いが、オーリは下層階級よりましだろうと思うことにしていた。

 こういった社会での階級差別は、平和ボケしたオーリの頭には少々どころでなく厳しいに違いない。この世に生まれ出て飢える危険を持たなかった幸運に、オーリは自分の環境を把握してから真っ先に感謝した。


(いや、それにつけてもこれは酷いな。うちも大概イロイロやってるけど、それだけじゃ済まないよ。まさかこれ、相当上の人間まで絡んでる案件あるんじゃないでしょうね……?)


 今すぐ潰れるというわけではない。けれど時間を置けば置くだけ、じわりじわりと着実に、腐り落ちてゆく国だった。

 引き攣った顔で笑いを零しているオーリの耳に、ふと軽いノックの音が響く。「はぁい」と返事を返すと同時に閃光の如く翻ったオーリの手が、分厚い本を弾丸の速度でベッドの下へとブチ込んだ。がちゃりと音を立て、外側からドアが開かれる。


「失礼致します。お嬢様、マナーの先生がいらしております。ご用意は出来ておられますか?」

「うん、すぐ行けるよ、アーシャ!」


 きょるん、と可愛く目を瞬かせ、元気に良い子のお返事をしたあざとい小娘は、一瞬前に秘匿した機密資料のことなどおくびにも出さず、傍付き侍女の方へと駆け寄った。

 資料は後でこっそり父の部屋に戻しておけば良いだろう、と心の中で考える。ヤバい書類だのヤバい書物だので溢れ返った父の隠し棚は、オーリの近年の狩り場だった。


 たとえバレても『入っちゃダメなんて知らなかったの、ごめんなさい……』で許されるうちに精々探り尽くしてやろうと目論む腹黒い七歳児、オーリリア。

 その正体は、二十一世紀の日本から転生した、元十七歳の女子高生であった。




※※※




 オーリリア・フォン・ブランジュードの最初の記憶は、薄雲の浮かぶ空と灰色のコンクリートに整えられた街並みから始まる。

 この世界のどこにも存在しないその光景は、オーリがこの世界に生まれてくる前に生きていた場所だ。


 鷺原(さぎはら)桜璃(おうり)。それがかつての彼女の名前だった。

 漢字と響きは美しいのだが、代わりに名前の画数が多くて、テストの度に手間取ったことばかり印象に残っている。テスト問題に時間を割けるようにと息子に「一」の名を付けた親がいるという話を聞いたことがあるが、彼女はいっそそういったシンプルな名前に憧れたものだ。


(まあ、そんなどうでも良いことは覚えてても、どうやって死んだかまでは分からないんだけどねー)


 短い足でてこてこ侍女の後をついて歩きながら、オーリは心の中でそう独りごちた。

 尤も自分の最期など、覚えていない方が余程に良いので構わない。鷺原桜璃は結構な健康優良児だったし、最後の記憶がまだ若い年齢で途切れているところを見れば、死因は事故死の可能性が高い。悲惨な断末魔の光景などを鮮明に覚えていたら、オーリは記憶が蘇った三歳の時点で発狂していたに違いなかった。


(うちは仏教徒だったし、百歩譲って輪廻転生にはツッコまないけど。でも、まさか異世界まで存在するとは思わなかったなあ)


 自分が日本で『死んだ』ことを、オーリはどこかで確信していた。だから、どれだけ待とうが泣き叫ぼうが、夢が覚めることもなければ元の家に帰れることもない。


 親不孝をした、と悔いないわけではなかった。けれど、時空に干渉する力など持ち得ぬオーリには最早この件に関して打てる手は何一つなく、ならば選べる選択は拒絶か、諦めか。

 悩み、思考し、絶望し、そうして結局オーリが選んだのは後者だった。

 友を失い、夢を失い、未来を失い、置いてきた両親を恐らく泣かせて、それでも桜璃の人生はオーリリアとして尚続くのだ。ならばいっそ開き直り、柔軟な元日本人の精神を持つ者として、精々この世界に適応してみせるしかないではないか。


(……とは言え、今の状況を客観的に鑑みるに……)


 つらつらとそんなことを考え続けていた彼女は、ふと憂鬱そうに溜め息をついた。目の前を行く侍女に聞こえないように、ぽつりと小さくこう呟く。


「……なんか詰んでないか、私」


※オーリリア・フォン・ブランジュード

 侯爵家長女、七歳。前世の名前を鷺原桜璃。お人好しと言うか、甘い。特に子供に甘い。どこから手を付ければいいのかも分からない現状に涙ぐむ、チートになりたい凡人。

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