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悲しいセピア

作者: 一 隆太
掲載日:2011/10/17

「また……朝……か」


命って何だろう。生きるって何だろう。

そんな答えのない問いを始めたのは一年前からだ。


「まことに、残念ですが……」


原因不明の病気。まだガンとかなら分かりやすい実感があったのかもしれないが、原因不明なんてそんな漫画みたいなことを言われても俺は納得できなかったし、理解もできなかった。


医者は『いつかきっと治療法を見つけて見せる』だとか『今を精一杯生きなさい』だとか言ってきたが、きっと社交辞令みたいなものだったのだろう。

実際の話、一週間待っても、一か月待っても、一年待っても、『いつか』は『いつか』のままだった。


しかし僕は絶望していなかった。希望を抱いていなかった。

希望を持っていたのは宣告から一日だけ。

それ以降は希望は持っていなかった。いや、持てなかったのだ。


まるで僕がその存在を知るのを待っていたかのように、病気が猛威を振るい始めたからだ。

呼吸はいつしか咳に変わり、そして吐血へと変わった。


痛み、そして苦しみ。

まるで白夜の様に続くその連鎖から、僕は逃避した。


命って何だろう。

それはきっと生きる目的がある人にのみある物なんだ。


生きるって何だろう。

それはきっと何に苦しむことなく歩くことなんだ。


だから僕に命はないし、生きていないんだ。

だって僕の傍にはいつだって死が佇んでいるのだから。


答えのない問いにむりやり答えを見つけ、僕はベッドに横になる。


白いシーツが嘲笑うかのように風に揺れて僕を眠りに誘う。


僕は『おやすみなさい』とは言わない。いつも『さようなら』と言って目を閉じる。

ひょっとしたらコレが最後の光景になるかもしれないから。

僕は『おはよう』とは言わない。

また始まる苦しみにため息をつくから。


いつも通りの挨拶。いつも通りの夜。いつも通りの朝。

怖がって誰も訪れることの無い病室の静寂を笑い、医療機械の音と共に眠る。


ただただ消費的でただただ無機質な日々は永遠に変わらないと思われた。


入院から400回目の夜。

僕の部屋に初めて医者じゃない人が来た。


「初めまして。今日からアナタのお世話をさせていただきます明愛依と申します」


僕の担当医によると彼女は末期ガンらしい。

元は病院で働いていたナースらしく、『死ぬまでの短い間せめて人の役に立つことがしたい』という彼女のたっての希望で、ここに来たそうだ。

俗にいうカウンセラーのようなものらしい。


ご苦労なことだ。


確かに彼女の容姿は美しく、抗がん剤治療もしなかったのであろう綺麗な髪は確かに魅力的であった。


しかしそれだけだ。

僕のセピア色の瞳には彩など映らない。


甲斐甲斐しく僕の世話をする彼女は常に笑顔であったが、僕は笑わなかった。

明るく笑いかけられても暗く返すだけだった。


変化から5回目の夜。

彼女は来なかった。


再び静寂が戻った部屋で僕は笑う。


ほら、やっぱりあの人もなんだ。

僕の友達の様に、両親の様に、兄弟の様に、僕のことなんてウイルス程度にしか見ていない。


自虐的に笑う僕はふとあることに気付いた。


この部屋って……こんなに暗かったけ?


変化から6回目の夜。

彼女がやってきた。


その顔は激しくやつれ、血色も良くなかった。


後で確認してみると彼女は隔離病棟で倒れたらしかった。

無理がたたったのだろう。


でも彼女はまたやってきた。


何も語らない俺に話しかけ、そして笑ってくれた。


なんだろうこの感じ。

部屋が明るくなったような……


僕は初めて彼女に自分から話しかけた。


「君は……辛くないのかい? こんな気味の悪い男の世話をして」


そしたら彼女はやはり笑顔で返した。


「辛くないですよ。それに貴方はとても素敵です。だって貴方はまだ生きているんですもの」


いつのまにか、彼女の顔がすぐそばにあった。

初めての口づけ。それはとても暖かかった。


「ほら、暖かいのを感じるでしょう? 私も感じます。貴方は暖かいんです。生きているんです」


その後、彼女と僕は何度も肌を重ねた。

まるで命というものを、生きるということを僕に教えるかのように。


その日から僕は『おはよう』と『おやすみなさい』を言う様になった。


もう数えるのも止めるほど、何度も繰り返した夜。

僕と彼女は恋人という関係になっていた。


昼も夜も互いを認め合い、命を共有し、共に生きる関係に。


そんな僕に意外なことが起きた。


「君の病気……原因は心臓にあることが分かった。それに感染性のものでもないらしい。心臓移植さえすれば助かるんだ」


原因判明。ある意味それは希望であったが、逆に絶望であった。


心臓移植なんてものは成功率以前の問題として、圧倒的にドナーが少ない。

さらには人種差別などの問題も存在する。


心臓移植で助かるとの宣告は、心臓移植でしか助からないということであり、つまり死の宣告に等しかった。


その日、僕は久しぶりに泣いた。


彼女を胸に抱きながら、太陽が再び上るまで泣いた。

彼女はずっと僕の頭を撫でてくれていた。


希望。昔捨てたはずのものを、僕はいつのまにか取り戻してしまっていたんだ。


次の日、僕は担当医に外出を願い出た。

もう少し渋られると思っていたが、案外簡単に許可が下りた。

医者も僕の事をすでにあきらめているのだろう。せめて最後に楽しみを。そんな思いが見て取れた。


そして外出当日。彼女は来なかった。

というかここ最近彼女はあまり来ていなかった。体調がすぐれないとのことだった。


せっかくだからお見舞いに行こう。

僕は聞いていた彼女の家に向かった。ちなみに彼女も帰宅許可が下りたとのことだった。

ドキドキしながらインターホンを鳴らす。


「…………?」


返事がない。

留守なのかな。僕はとりあえず後で来ることにした。


その帰り道。大通りに面したカフェで、僕は彼女を見つけた。


見知らぬ男性と親しげに話す、彼女の姿を。


どういうことだ。

なんで彼女が男と笑顔で話しているんだ。


その笑顔はまさしく僕に向けられたものと同じであった。


そうか。全部嘘だったんだ。

僕の独りよがりだったんだ。思い込みだったんだ。


そう思った瞬間、僕の心に一つの答えが舞い降りた。


僕の彼女への愛は本物だ。

そうだ。彼女を殺して僕も死のう。


死んだあとの世界なら病気も何もない。

新たな世界で、一から彼女とやり直そう。


僕は頼んでいたトーストについていたナイフを手に取る。

どこを刺そうか。そうだ、お腹にしよう。

彼女は胃にガンを患っていたはずだから、それも一緒に殺してあげよう。


僕は歩く。手にナイフを持って。


彼女の席にまで来たら、彼女は驚いたような嬉しそうな笑顔を浮かべた。

やっぱりその笑顔は美しい。


愛してるよ。


僕は彼女の腹に深々とナイフを突き刺した。

彼女の口から血が垂れ、周りから絶叫が聞こえた。

そしてナイフを引き抜く。さぁ次は僕の番だ。

自分の腹にさすべくナイフを大きく振りかぶったところで、僕の手が彼女に掴まれた。

彼女はまた笑顔を浮かべると、首をゆっくりと横に振った。


どうして?


僕が覚えているのはここまで。

あの謎の男に押さえつけられ、僕の意識はそこで途切れた。


『起きて』


彼女に呼ばれた気がして、僕は目を覚ました。


セピア色の世界。また戻ってきてしまった。

彼女はどうなったんだろうか。


「明愛依さんは病院に搬送されたが、尽力の甲斐なくその後脳死と判断された」


僕のベッドの隣にいる黒スーツの男が言った。

おそらく刑事だろう。


「そうですか」


死刑にでも何でもしてくれ。

僕がこの世界にいる理由なんて何も残っていないんだ。


「そしてその後、君に心臓を提供した。これは彼女の意志だ。なんでも息を引き取るその瞬間まで君の名を呼び続けていたらしい。そして『私の心臓を彼にあげて』と。遺族の方々は激しく反対したが、今わの際の彼女の言葉には頷くことしかできなかったそうだ」


自分の胸に手を当てる。

あの時の口付けみたいだ。突然で、あったかくて。信じられないけどそれが事実で。


「それとこれを渡してくれ……医者がそう頼まれたそうだ」


僕は体を起こして男から包みを受け取る。

中には彼女が自分でつけるには大きすぎる指輪が入っていた。


「こういうのを女から渡すのはどうなのか、彼女も悩んでいたらしいが、兄に相談して決断したようだ」


指輪の裏には、僕の名前と彼女の名前が仲良く並んで彫られていた。


僕はあの時以来の涙を流す。

自分の体が妙にあったかく感じた。まるで、胸の内に誰かもう一人いるかのような、優しい暖かさ。


「君は償わなくてはならない。わかるね?」


男に問われ、僕は涙ながらに頷いた。


「……はい……」


僕はこれから長い時間を暗い部屋で過ごすだろう。

それはただただ贖罪の日々。彼女への。彼女を大切に思っていた人たちへの。

でも死のうなんて思わない。


彼女がくれた命だから。

彼女がくれた時間だから。


命って何だろう。生きるって何だろう。

確かにそれに答えはない。でも一つだけ答えられる。


自分に触れてみるといい。唇に、胸に。

そうしたら感じるだろう。暖かさを。命を。生きることを。


これは僕の言葉じゃない。ただの受け売りだ。

誰のだって? そうだね、彼女の事を一言で言い表すのは難しい。でも強いて言うなら……うん。


僕の愛する人。いつまでも、ずっとね。


朝起きたらいつも彼女に言うんだ。


「おはよう。愛依」

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