耳が腐る
「準備が出来次第、こいつを荷馬車に乗せろ」
ザガロから目を逸らしたカスパルが、背後にいた侍従長に指示を出す。
引き渡し先が決まった以上、一分、一秒でも早くザガロをミディアの視界に入らない所へと追いやってしまいたい。そうしなければ、心からの安心は得られないから。
カスパルはそう思い、迅速に使用人達を動かしたのだが──ザガロは使用人達に身体を抱え上げられそうになった途端、縋り付くような声でミディアの名を呼んだ。
「ミディア! 僕を助けてくれ! 君は僕のことが好きだったんだろう? これからはジェニーより君を優先すると約束するから、どうか僕を助けてくれないか? 君のことを愛しているんだ! 君と離れたくないんだよ!」
叫んでいる間も使用人達の動きは止まらず、ザガロはまるで荷物のように運ばれ、荷馬車の中へと乱暴に放り込まれる。
「いたっ……! ミディア、ミディア! 君は僕がこんな目に遭わされているというのに──」
「あなた、うるさいわ」
そこで不意に、氷のように冷たい声がザガロの言葉を遮った。
思わず口を噤んだ彼の視界に、ゆっくりとした足取りで近づいてくるミディアの姿が捉えられる。
「ミディア! やっぱり君は──」
「だから、うるさいと言ったのよ。あなたの気持ち悪い声なんて、もう一言だって耳に入れたくはないの。なぜなら私の耳が腐るから。なので黙っていてくれる?」
「な……な……」
あまりにも酷い彼女の言いように、ザガロはただ口をパクパクさせるしかない。
これまでミディアは、こんなにも辛辣な物言いをしたことは一度だってなかった。それなのに、急にどうしてしまったというのだろうか。
動揺しつつも彼女がすぐそばへと近づいてきた途端、口を開こうとしたザガロだったが──。
「ミディ──」
スパーン!
彼女の名を口にのせようとした途端、小気味良い音が周囲に響き渡った。
ぐわんぐわんと揺れる視界にザガロは何事が起こったのかすぐには理解できず、次いで頬に感じた痛みにより、自分がミディアに叩かれたのだということを実感する。
「ミディ──」
バチン!
またも、平手打ち。
口を開こうとするたびに、容赦のない平手がザガロの頬に振り下ろされる。
なぜ、どうして……。一言も発することが許されない? 彼女は僕を愛していたはずだろう?
ミディアに何度も叩かれる現実が理解できず、ザガロの頭が混乱をきたそうとした刹那──。
「もう止めるんだ、ミディア。そんな男のために、君が手を汚すことはない」
カスパルが、背後からそっと彼女を抱きしめて、やめさせた。
「だって……この男、いまだに私が自分のことを好きだって勘違いしてるから、それが気持ち悪くって……。私が今大好きなのはあなたであって、この男には嫌悪感しか持っていないのに……」
「うん……、分かってる。君の気持ちは分かっているから、大丈夫だよ、ミディア」
目の前でいちゃつき出す二人を見て、ザガロの瞳に嫉妬の炎が燃え上がる。
ミディアはずっと僕のものだった。僕がどんなに酷い扱いをしても、ミディアは僕のことだけを見つめていたのに……。
だからこそ、彼女よりジェニーを優先しても、当然許されると思っていた。ミディアは何がなんでも自分と結婚したいだろうから、黙って我慢をするだろうと。
まさかそれが、間違いだったというのか?




