第三章:「数字」が引き起こす心の圧迫 〜応援が「競争」になるとき〜
登録者数、同時視聴数、再生回数、スパチャ額……。
かつて「テレビの裏方」にいた存在だったVtuberは、今や画面の主役となり、同時にあらゆる数字で評価される対象となりました。
活動が可視化されるということは、他人と比較され続ける舞台に立ち続けるということでもあります。
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数字は「成長」の証であり、「心の圧」でもある
Vにとって数字は、自分の努力や活動の成果を確かめる“物差し”でもあります。
ファンにとっても、「推しの数字が伸びる」ことはまるで自分の喜びのように感じられることもある。
けれど、その感覚がいつしか――
•「推しの登録者が減った。どうして?」
•「〇〇の方が先に10万人達成した。うちの推しは…」
•「あの箱の方が数字が強い。もう勝てない」
というように、「応援」が「焦り」や「勝ち負け」に変わっていくことがあるのです。
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「推しの数字=自分の価値」と錯覚してしまう心理
Vtuberという文化には、どこか“共依存的”な関係性が宿っています。
•配信のたびに名前を呼ばれ、
•スパチャやコメントで直接リアクションが返ってくる
•長い時間をともにし、過去を知り、未来を願う
この深い関係性の中で、ファンは「推しと自分は一緒に歩いている」という感覚を持ちやすくなります。
それ自体は素敵なことです。
けれど、そこに「数字」という明確な“ランク”が現れたとき――
「推しが負けてる=自分が負けてる」
「推しが認められない=自分の価値が軽んじられている」
といったような、過度な同一視による自己否定が始まってしまうのです。
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「数字で煽る人」の存在と、その心理
V界隈では、ときに煽ることを楽しむ“荒らし”や“外野”が現れます。
•「お前の推し、もうオワコンじゃん」
•「コラボして数字吸われてて草」
•「同接5桁じゃないと人権ないってマジ?」
彼らの目的は一つ
「感情的な反応を引き出すこと」です。
•推しが傷つけばファンが動揺する
•ファンが反論すれば、さらに煽れる
•感情が荒れればコミュニティは壊れていく
これはまさに、“火を点けて楽しむ人間”の思考。
関わらないこと・反応しないことが、最大の拒絶になります。
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数字に触れるとき、V本人が気をつけるべきこと
V本人が数字について語る場面は多々あります。
ファンと共に成長を喜ぶとき
悩みを共有したいとき
企画や記念配信の告知のとき……。
しかしそのたびに、「比較」や「圧」を感じるファンも一定数存在します。
数字に関する注意点:
•他人との比較を匂わせない
•不安な気持ちは過度に共有しすぎない(責任をファンに向ける形になる)
•上手くいっていないときほど“感謝”を前面に
ファンは、「推しを支えたいけど、無力感に押しつぶされる」という矛盾に苦しむことがあります。
だからこそ、数字に触れるときは「一緒に喜ぶ」「一緒に歩む」という距離感が大切になります。
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“数字じゃない価値”に目を向ける
「登録者10万人」よりも、「10人が心から応援してくれること」
「バズった切り抜き」よりも、「毎週同じ時間に足を運んでくれるファン」
「スパチャ額」よりも、「今日も見に来てくれてありがとうって言えること」
それらは決してランキングに載らないし、トレンドにもならない。
けれど、本当に心を育ててくれるのは、そちら側の“静かな数字”です。
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数字は必要な指標であり、活動の背骨にもなり得ます。
けれど、数字に支配されることは、“好き”の形を歪めてしまう危険がある。
ファンもVも、「数字に飲まれない距離感」を育てていくことが大切なのです。