第二章:ファンダムとは何か? 〜なぜ争いが生まれるのか〜
ファンダム(fandom)とは、「ある対象に対して熱心な関心や愛着をもつ人々の集まり」を指します。
Vtuber界におけるファンダムは、推しを中心にして生まれた小さな“部族”のようなものだと言えるでしょう。
V本人を「応援したい」「守りたい」と願う気持ちが、ファン同士をつなげ、強い絆を育みます。
その絆は、孤独な日常のなかで灯る灯りにもなり得るし、
「推し活」は人生を肯定する力にもなります。
けれど、その“つながり”の中に、時として争いの芽が潜んでいることも忘れてはなりません。
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絆は「他者との違い」から生まれる
人は「誰と同じか」ではなく、「誰と違うか」を通して、自分の居場所を実感します。
そのため、ファンダムが深まると――
•「私たちの推しこそが正しい」
•「あの箱(またはV)は私たちの推しとは違う」
という無意識の“線引き”が始まります。
それはごく自然な心理です。
推しに誇りを持つことは素晴らしいことだし、他と違う個性に惹かれるのも当然です。
でも、その境界線が強まりすぎると、やがて「外側」を否定し始めてしまうのです。
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「仲間意識」はときに“排他性”へ変わる
•「うちの推しを利用して伸びようとしてるVがいる」
•「こっちのVがコラボで損をしてる」
•「あのファン層は民度が低い」
そんな言葉が並ぶようになると、それはすでに
応援ではなく“防衛”の姿勢になっています。
応援が攻撃に転化するとき、そこには
“箱の外”や“他のファン”を脅威として感じる心があるのです。
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SNSは「怒りの連鎖」が起こりやすい構造
•怒りの言葉は、静かな感謝よりも何倍も早く拡散されます。
•誰かを否定する投稿は「味方」「敵」というわかりやすい構図を生み、RTや引用で“共闘”が始まる。
•本来、V本人が望んでいない争いも、ファン同士の“代理戦争”のように激化してしまう。
つまり、「私はこのVが好き」という気持ちが、「だから他のVは嫌い」という攻撃に転化してしまうことがあるのです。
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ファンダムの絆が強いからこそ、傷つけることもある
V本人が仲良くしている相手を「売名だ」と責める
V本人が数字で悩んでいるところに「やっぱりうちの推しはすごい」と煽る
V本人が静かに歩みを進めているのに、「もっと攻めろ」とファン同士で騒ぎ立てる
そのどれもが、Vの気持ちとずれてしまう。
本来なら、Vを癒し、支えるはずだったファンダムの存在が、いつのまにかVを疲れさせてしまうこともあるのです。
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応援とは、対立ではなく“共鳴”から生まれる
好きなものは、競わせなくてもいい。
推しを応援することと、他の誰かを否定することは、まったく別の話です。
自分の推しが素晴らしいと信じるなら、その人の魅力を語ればいい。
誰かを貶めてまで証明する必要なんて、どこにもないはずです。