大公と魔石
淫魔族の長でもあり現魔王の宰相をも務め、同族からさえも冷酷無情と恐れられるイシュアレナ大公は、本日魔王より賜った魔石を前にし、彼にしては珍しくも緊張した面持ちで見つめていた。
『イシュの瞳に似てるからコレにしてみた。綺麗だよね、この色』
顔背けながらであったが、頬を染めながら魔石を差し出して下さった魔王様。
何て愛しい方なのだろうと改めて思う。
元は海に棲む魔物であるクラーケンが、消化しきれず海岸に吐き出す嘔吐物なのではあるが、魔王様曰く真珠と呼ばれ宝石同様宝飾に用いられる品なのだそうだ。
渡された真珠は薄い紫と濃い紫が絶妙に混ざり合った色合いをしている物。
重厚な机の上に置かれた真珠は月の光を受け、独特な虹色の輝きを見せる様子は、宝飾に用いられているというのも頷ける美しさである。
今宵は折しも満月であり、魔族の魔力が最も強くなる夜でもある。
しかも、普段より魔王様から止め処なく溢れる魔力の恩恵にて、以前に比べ格段に己の魔力が上がってもいる。
『今夜も、魔王様自ら下さったこの魔石を身に付けて眠るのが楽しみよのぅ』
あの憎らしきガルマエアータ大公の言葉を思い出し、湧き上がる怒りに反応して毛先が揺れ動く。
勝ち誇ったかの様なあの言葉の意味に、ワタクシが気付かないと思っているのか。
しかし、流石はガルマエアータ大公と誉めておこう。
この様な姑息な術を思い付くのは、ガルマエアータ大公を置いて他にはいないであろうからな。
魔王様はまだ魔族としての知識も少なく、己の無尽蔵な魔力についても認識が低くてらっしゃる。
魔力が強いと言う事、その純度が高いと言う事がどれ程の事であるのかを。
だが今はその認識が低い事に感謝しよう。
魔王様は未だ成熟しきれておられない為、我等が焦がれ求めて止まないこの劣情……元い、魔王様本来の務めが出来ない状況である。
魔王様の魔力を一度たりとも知ってしまえば、他の者を弄ぶ……元い、他の者から精を貰う気にもなれない。
独特の光沢を持つ真珠の回りには、注がれた魔力が金の粒子となり揺れている。
相手を意識しながら魔力が注がれるとどうなるのか。
中天に掛かった月光を受け、淡く輝く真珠へ向けて術を組み上げる。
大公ともなれば大概の術は意識下で出来るが、術を掛ける対象が魔王様の魔力である為、念を入れて詠唱による術を組み上げていく。
真珠を覆う金の粒子が術の構成に反応し、ゆらりとしていた動きが次第に活性化する。
真珠に注がれていた魔力も溢れ、やがて粒子が人の姿を取り、薄い靄から濃度を増し、術が完成した時には肉体を持った使役魔が出来上がった。
幼い表情と姿でありながら、真珠へ注がれた魔力の持ち主には無い胸の膨らみは大きく、控えめであるが滑らかな腰の括れと、そのアンバランス差が返って卑猥にも見える。
項で揃えられた黒髪が揺れ、術者である主を見上げる瞳は淡い光に輝く紫の真珠。
人間界に出回る屑と化した魔石等では、到底及ばない純度の高い魔力を持つ魔石ならではの効果である。
誰かの為にと思い魔力を注がれた魔石は、魔力の持ち主を模った使役魔を作る事が可能なのだ。
当然、術を構成させるだけの魔力を持っていなければ意味は無く、使役魔の名の通り術者のみの命令でしか動かない。
携帯食として支給されている魔石では使役魔とする事は叶わず、また大公程の魔力を持ち合わせていなければ使役魔として具現も叶わない。
この様な事が魔王様に知れたら、直様没収されるのは目に見えている。
しかし、これも魔王様が成熟された際にお迎えする務めの為でございます。
魔王様の一臣下とし、成熟された暁にはいかにして魔王様にお悦び頂くか、いかに魔王様からの寵を頂けるか、この使役魔にてこれから鍛錬の日々を努めて参る所存でございます。
月光を背に受けた裸体が僅かに輝いて見えるのは魔力の粒子だろうか。
裸体である事を恥じ入るように身動ぎ、戸惑いの眼差しを向けられ、淫魔族の長でありながら最高の背徳感に久しく忘れていた興奮を覚える。
背丈や表情は代わり映え無いようだが、体付きは女性特有の柔らかな曲線を描いていた。
成熟した魔王様を具現する事ができ、胸の内に歓喜が溢れてくる。
「……魔王様……依子様……」
抱き寄せようと急いた気持ちで駆け寄ったが、鳩尾に伸ばされた使役魔の片脚で遮られた。
予測していなかっただけに、諸に食い込み些かむせ返る。
ワタクシの使役魔なのに、なぜ拒むかっ。
気を取り直し、抗う使役魔を腕の中へ閉じ込めたのも束の間、頬に張り手を喰らい吹き飛ばされる。
本物の魔王様に叩かれる程の痛みは無いが、自分の使役魔に張り手を喰らうダメージが大きく呆然とする。
「魔王様っ。何故、ワタクシの心を汲み取って下さいませんかっ!」
己の声とは思えない悲痛な声で訴えるも、卓上の使役魔はツンと顎を反らしてみせた。
「魔王様、今宵こそは……このイシュめにお情けをっ!」
顔を背けている使役魔に飛び掛るが、ひらりと机から下り避けられる。
暫し、寝室での追いかけっこが続いたが、使役魔が扉は開く物であり外に通じていると気付いたようだ。
軽やかに捕まえようとする腕から逃れ、扉を開けて部屋の外へと逃げ出して行く。
「お、お待ち下さいっ! その様なお姿はなりませんっ! 魔王様っ! 魔王様っ!!」
屋敷の主の声に何事かと顔を覗かせる召使達には、例え使役魔であろうとも、魔王様の裸体を他の者に見せてなるものかと怒鳴り付けて引っ込ませる。
それにしても、と思う。
闇の中に浮かぶ白い裸体、目の前を軽やかに揺れ動くは小ぶりで丸みを帯びた尻、仄かに垣間見える胸の膨らみに淡紅色の頂、すらりと伸びた四肢に、跳ねるようにして移動する後に残る燐光と、相手は使役魔と承知しながらも情欲が掻き立てられる。
「嗚呼、魔王様……魔王様! 依子様っ。お待ち下さい、依子様っ! 屋敷の外はなりません!!」
端から見れば、目の前に人参をぶら下げられた馬のように、使役魔を追い掛け回す淫魔族の長の姿。
こうして己の使役魔に、苦悩と劣情の鬩ぎ合いを明け方近くまで味わされたのである。
一方、ガルマエアータ大公の屋敷では。
黄色に淡く輝く瞳を持つ魔王様の姿をした使役魔が、大公の膝の上で向かい合わせで大人しく座っている。
リボンとフリルで誂えた衣服は一見可愛くも見えるが、布面積が非常に少なく際どい。
唯でさえ少ない布地もレースとなっている為、素肌が透けているが使役魔は大人しくしている。
膝の上で大人しく座り、大公手ずから切り分けた果実を差し出されては、美味しそうに食べ顔を綻ばせている。
「イシュアレナ大公も、今頃は使役魔と楽しい一時を過ごしているのであろうよのぅ」
昨夜の己同様に、魔石を具現化しているのであろうと思うと笑いが漏れる。
注がれている魔力が魔王様なだけに、使役魔は魔力よりも下位となる術者の命令に聞く耳を持たない。
あれ程走り回ったのはいつ以来であろうかと、昨夜を思い返して一瞬遠くを眺める。
同じ轍は踏むまいと、まずは衣服を用意し、魔王様の思考に影響されていると思わしき羞恥を封じる。
服を着るという満足感があれば、使役魔故に衣服の意匠には頓着しない。
魔王様の興味を惹かせるには食い物である。
魔王様の思考に影響される使役魔は、果実を餌に大人しく膝元まで近寄り言われるままの体勢で座り今に至る。
「妾だけが苦労するのは悔しい故、イシュアレナ大公にも苦労してもらわねばのぅ……美味しゅうございますかぇ?」
果実の汁で濡れた己の指を舐めている使役魔に目を細める。
「嗚呼、依子様。お口の回りが汚れております故に、このガルマが清めて差し上げましょう」
成熟した魔王を具現とした使役魔へ唇を寄せつつ、今宵こそはと腕の檻から逃さぬ様に抱き締め柔らかく拘束する。
魔族の中でも特に長寿であるガルマエアータ大公。
永遠の二十七歳である魔王様の魔力であろうとも、その悪知恵にはそうそう勝てないようである。