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イベント■1031-02

 

 

 

 クショーレア山脈に面したナエンカーレ国の、山の麓ほど近くに一つの貧しいナエートという村があった。

 とある年の秋のこと。たまたま山へ登った村人が岩肌にゴロゴロと大きな果実がなっているのを見つけた。赤橙色の皮をした実は成人した男がようやく抱えられる大きさをしており、貧しい村にとって越冬には欠かせない食材となったのである。

 地を司り、また山の神として狩猟や農耕、五穀の豊穣を司る慈悲深い神、クロイアからの恩恵に違いないと村人たちはいつしか不思議な大きな実を『クロイアの慈悲』と呼ぶようになった。

 村人たちが当初見つけたときには個々趣の異なった目鼻とも見える三つの穴と、口のように見える一つの弧が薄く彫られており、あたかも笑った顔のように見えた。前の月であるゴレ月に訪れてみても表面の皮はツルリとしたままで、キョレ月になると皮の面に彫が入っているのである。じつに不思議な実であったが、この実の不思議さはこれだけではない。

 皮に顔の模様が出ると実そのものが発光するのである。

 最初の年は発光しているもの、または模様があるだけのもの、発光も模様もないものと様々であったが、年を追うごとに岩肌に並ぶ実は様相を変えていった。

 まずは、笑った顔とも思える模様の入った実が増え、近年ではなっている実の全てに入っている状態である。そして、模様のある実すべてが発光している。

 ある年から、十字に組まれた棒にボロ布が着せられ、棒の先に発光する実が麦藁帽子を被って突き刺さっているものが現れた。どこからどう見ても案山子である。

 クロイア神が眠りにつくとされるキョレ月の最後の夜、毎年収穫に訪れ発光する頭部――もとい、大きな実を見慣れていた村人たちもさすがに腰を抜かした。

 誰かの悪戯かと村人たちは調べてみたが犯人は見つからず、翌年から見張りを立ててなお案山子は増えていく不思議に、信心深い村人たちはこれもクロイア神の施しと感謝を捧げるようになった。

 なっている実がすべて案山子状態になった後、とある年から実の発光が点滅へと変わる。

 ふと気づけば案山子は縦横均等に立ち並び、傍から見ていると規則正しく点滅する実は何かを象徴しているようにも見えてきた。とある村人が木に登って案山子を見下ろすと、左から右へ、右から左へ、上から下、下から上、端から中央、中央から端と、点滅する光が一種の芸術のように見える。貧しい村に娯楽などあるはずもなく、点滅する光は村人たちにとって最高の娯楽となった。光そのものも、白熱色から過ぎた年の分だけ色が増えていく。あたかも岩肌に繰り広げられる花火を見ているかのようだと村人は喜んだ。

 越冬もできずに毎年数人の死者を出していたが『クロイアの慈悲』により死者を出すことなく冬を越せるようになった。村人たちはクロイア神に感謝を捧げるため、簡易な机を設けて作物を供えた。全ての実が発光する頃には、更に感謝の徴として粗末ながらも木で彫られた小さなクロイア神像が建立される。全ての実が案山子状態となった頃には、簡易な机から祭壇に変えられ、クロイア神像のために祠堂が建てられた。クロイア神像も更に立派な物へと代わった。そして近年では、数多の色で咲き誇る花火のように点滅する案山子にあわせ、クロイア神像へ歌や楽や舞をと奉納する風習が根付きつつあった。既に立派な村祭となっているのだが、村人以外にはけっして漏らさない秘祭である。


 というのも、この『クロイアの慈悲』は当初、越冬するための貴重な食材というだけではなく、食せば不思議と一年を病気知らずで過ごせるという正に神の恩恵と思えるものであった。また、ナエート村でしか採れないため、噂を聞きつけたナエンカーレ国王の希望から献上され、以降は毎年献上することとなる。更には近隣国の王族へと広まり、果ては人間界で信仰されるザネアイ教の宗教国家サヌワ国まで噂は広がり、サヌワ国から使徒が訪れクロイア神からもたらされた奇跡の果実であるとお墨付きまでもらった。

 そうなると、自国の貴族を始め他国の裕福層からも噂の『クロイアの慈悲』を求められる。ナエンカーレ国王とナエート村を自治する領主への献上品はまた別としても、ナエート村にとっては貴重な越冬食材である。無論、タダで譲るわけにはいかない。貴族を始めとした裕福層は惜しみなく代価として金を渡した。

 結果、ナエート村は近隣の貧しい村々とは一線を画すほどとなったわけである。『クロイアの慈悲』を売った代わりに食材を買い求め、寒さを凌ぐ衣服を買い、凍てつく風を遮る家へと建て替えた。

 そうなると面白くないのは近隣の貧しい村々だ。かつてはナエート村とて貧しかったのである。ひもじく厳しい冬を越える辛さは知っているはずだというのに、ナエート村は近隣の村から『クロイアの慈悲』を分けて欲しいという声を無視し続けた。一生手にすることのないと思っていた金を手にした今、浮かれたナエート村が無償で果実を譲るはずもない。株分けするための苗だけでも、せめて種をと懇願する声をも自分たちの取り分が減ることを恐れてけんもほろろにあしらってきた。

 『クロイアの慈悲』を得てから長い月日を経た今、ナエート村と近隣の村々では険悪な関係が続いている。


 そんな状況の中、今年もキョレ月の終わりを、『クロイアの慈悲』を収穫する日が迫ってきていた。

 かつては物珍しさを聞きつけた旅人を案内したこともあったが、村人以外の者を近づけなくなって早数十年。例外としてナエンカーレ国王或いは国王がナエート村の領主、或いはいずれの使者、そしてサヌワ国からの使者のみである。サヌワ国にかんしては、神の奇跡が具現する場所に粗末な像や祠堂では不敬であると、金でできたクロイア神像と豪奢な祠堂を建立してもらった都合から、煙たく思ってはいても使者が訪れてしまえば拒めないのが現状である。

 キョレ月に入ると村人たちは交代で『クロイアの慈悲』を見張る。近隣の村人が盗もうと忍び込んでくるからだ。『クロイアの慈悲』が誰の物かと権利を質せば、ナエンカーレ国の領地であるためナエンカーレ国王である。ナエート村およびナエート村の領主にその権利はない。ナエート村が今尚私物化していられるのは、ただただナエンカーレ国王の温情なのだ。

 以前、サヌワ国が試しに自国へと持ち帰り株分けをおこなったが、果実は育ったものの『クロイアの慈悲』とはならなかった。その報告を受けたナエンカーレ国王はナエート村から『クロイアの慈悲』を取り上げ占有するよりも、ナエート村に全てを任せて利を得たほうが良いと判断した結果なのだ。近隣の村人が権利を国王へ訴えればまた対応も異なるかもしれなかったが、村人にはその学も王都へ向かう金もない。安直ではあるが、王都へ向かうよりも隣の村へ盗みに行ったほうが早いのである。


 キョレ月の最終日――収穫日を明日に控えた日の夜、ナエート村の見回りを掻い潜り一人のみすぼらしい痩けた少年が『クロイアの慈悲』を盗もうと岩肌を目指していた。『クロイアの慈悲』のなる岩肌へ向かうにはナエート村から上るのが一番楽なのだが、クショーレア山脈から遠回りをすれば行けないことはない。垢と埃でくすんだ肌にボロ布をまとった少年は、底が磨り減った靴でクショーレア山脈から険しい岩肌へ下りる道筋を選んで向かったのである。鋭く尖った岩で腕や脚に擦り傷を作りながも、選んだ道のお陰か幸いにして今までナエートの村人に見つかってはいない。また、山は頂に向けて木がまばらとなっていくため、中腹から下りていくと煌々と点滅する灯りは格好の目印にもなった。あとは、村人に見つからないよう『クロイアの慈悲』を盗み出すだけである。

 月が真上に差し掛かるまで岩の合間に身を潜め、見回りの村人が行きすぎるのをひたすら待った。明るく地を照らしていた月が雲に覆われたときを少年は好機と思い、懐から大きな袋を取り出しながら素早く『クロイアの慈悲』へと駆け寄り突き刺さった棒から引きずり下ろした。

 重い実を乗せた棒は乾いているわりにはしっかりとしており、倒れたさいに岩へとぶつかり高い音が響く。少年は舌打ちを漏らし、内心焦りながらも袋に詰めた『クロイアの慈悲』を持って逃げようとするが、力自慢の男でさえ一苦労する果実を痩せこけた少年がたやすく運べるはずもなく、音を聞きつけ怒声を張り上げながら駆けつけた村人にたちまち取り押さえられてしまった。

「ふざけんな! この盗人が!」

「油断も空きもねぇっ。どこの村のモンだ!」

「これはナエートのモンだっ! 欲しけりゃ金を払えっ! クソガキがっ!」

 少年が抱えこむ『クロイアの慈悲』を奪いとった三人の村人は口々に罵り、蹲る少年へ憤りのまま力を込めて蹴りつける。少年は頭を腕で庇い身を縮こませながら必死に懇願した。

「すみませんっ。すみませんっ! 妹が、体の弱い妹がいるのですっ! 今も臥せっているのです。どうか、『クロイアの慈悲』を分け与えてください。恵んでくださいっ」

 お願いしますと叫ぶ少年に構わず一人の村人が激しく蹴りつけると、身を固くしいた少年の体が弛緩した。拍車をかけて蹴りつけようとしたその時、それまで点滅していた『クロイアの慈悲』の灯りが一斉に落ち、雲に月を遮られた辺りは一瞬にして暗闇で覆われた。

 辺りを煌々と照らしていた灯りが一転しての暗闇は深く、隣に立つ男の顔さえもが判別できない。息を殺し、耳を澄まし、村人は忙しなく目を動かして辺りの様子を伺う。

 そんな中、大地をも揺らす雷が落ちた。村人は悲鳴を上げて飛び上がるとすぐさまその場に身を伏せた。最初の一個が落ち、辺りに静けさが戻ると二個目が落ちる。伏せた大地に伝わる衝撃、あまりの大きな音に思わず耳を塞いだ村人は、自分たちを包む大気さえもがビリビリと震えていることに気づき、直ぐそばに落ちたことを否が応でも感じさせた。三個目、四個目と雷が落ちたあと、五個目がいっかな落ちてこないため身構えながらもそろそろと顔を上げた。

 村人が顔を上げて向けた視線の先には、白く光輝く美しい女が立っていた。眩く溢れるほどの輝きは御光を差している。肌も髪も、まとう服もが白く輝く女は、美しいという言葉がこれほどに見あい、そして上滑りをするほどの、美しいという一言では済ませられない神々しさが溢れていた。その崇高なまでに美しい女が、険しい表情で村人を睨みつけている。

「……ク……クロイア神様……」

 村人の一人が唖然としたまま掠れた声で呟く。

 慈悲深い神は貧困に喘ぐ人々を哀れみ地に実りを施した。その奇跡が『クロイアの慈悲』なのだ。神の施しを私物とし、あまつさえ高潔な神の面前で乱暴を振るうなど、神罰を受けても道理といえよう。

 村人は我に返ると咄嗟に額づき、神の威光を畏れながら陳謝と慈悲を乞い願った。それが赦しであったのか怒りであったのか、五個目の殊更大きな雷が落ちたとたん、額づいたまま飛び上がった村人は悲鳴を上げて逃げ出した。




 後に、神の怒りを畏れ、またこれまでの非道を悔い、近隣の村にも『クロイアの慈悲』が分けられることとなる。しかし、種を譲り株分けをおこなったものの、彫の浮かぶ光る実はやはりナエート村でしか採ることは叶わなかった。それでも少しずつ近隣の村々でも果実は育ち、貧しい村では貴重な食材となって飢え死ぬ者はなくなったという。

 また、いったんは逃げ出した村人が少年の様子を見に戻ったところ、少年の姿はすでになかった。が、暫く後に少年はナエート村へ訪れ謝罪したという。その後、『クロイアの慈悲』を食したお陰か妹の病気は改善し、少年の村で『クロイアの慈悲』の種を植えたところ、不思議なことに青々とした葉が茂り、掘り起こしてみると『クロイアの慈悲』に劣らぬ丸々と大きく膨らんだ白い根が採れた。葉や茎はもちろん、大きく膨らんだ根も食されるようになり、こちらも株分けなどが進み寒い時期の食材として各地へと広まっていった。

 以上が、サヌワ国で大切に保管されている『クロイア神の奇跡』にまつわる文献の一部である。







「魔王様」

「あ、イシュ……って、もう時間か? ごめんごめん。今戻る」

 葉も乏しい一際高い木の枝に腰掛けていた依子は背後からの呼びかけに振り返った。

 月を隠していた雲が流れ、再び地を照らす光がイシュの銀髪を無駄に煌かせている。眼下に見える少年をチラリと見たイシュは依子に眼差しを向けてため息を微かに零した。

「また人間、でございますか。あのような矮小な物など放っておけばよろしゅうございましょうに……」

 相も変わらず人間を物呼ばわりするイシュに、依子は乾いた笑いを漏らしながら腰を上げた。

 最初のうちは魔術向上の練習をかね、ハロウィンを彷彿させるカボチャに色々と施していたのだが、繊細な魔術も使いこなせるようになるにつれ年々と芸が細かくなり、この数年は高い木から見下ろす電光掲示板もどきにハマっていた。

 来年は様々な音階を持つ魔鳥を寄せ集め、魔石にエレクトリカルでパレードな曲でも吹き込ませたものを仕込み、その音に合わせてカボチャを点滅させようかとも計画していたのである。が、このカボチャのせいで何やら問題が発生している様子に少し考えなければならないと依子は思っていたところであった。

「いやぁ、目の前で死なれたら目覚め悪いからちょっと雷落としただけなんだけどねぇ……」

 珍しくも歯切れの悪い依子の物言いにイシュが小首を傾げて覗き込む。

「イシュは……イシュは、人間が信仰している『神』とかって信じる?」

「信じません」

 考える素振りもなく、微塵の迷いもなく、きっぱりと言い切るイシュに思わず依子は笑った。

「だよねぇ。……まぁ、いっか。誰かにあの子の怪我を治して家まで送ってくれるようお願いしてくれる?」

「畏まりました。では先に戻りますが、魔王様も早々にお戻りください」

「うん、直ぐ行く」

 次の瞬間にはイシュの姿が消え、依子はクロイア神像のある祠堂を見下ろし、そして月を見上げて思案する。

 この世界で高度な知能を持つ最初の種が誕生したのは竜族、ついで魔族と言われている。どちらの種も謙遜というものを知らない、寧ろ知る必要もないという尊大な種であるため神という概念がない。当然、信仰もない。魔族に至っては世界に溢れる魔力が寄り集まり肉体を得て進化を遂げたらしい。神を信じ、信仰しているのは人間だけである。神を創り出したのは人間なのだ。


 少年がカボチャを盗み出す前から木の上にいた依子はすべてを見ていた。イシュへ告げたとおり、赤の他人だからとて暴力によって人が死ぬ様子を目の当たりにしては目覚めが悪い。そこで雷を落とし、怖がらせて村人がいったん退いたら少年を助けようと思ったのである。

 光輝く女性が現れたとき、依子のほうこそ驚いた。この場で依子に存在を気取られぬまま幻影を作り出せる第三者がいたとは思えない。

 つまり。

 蹲る少年の傍に一人の魔族が姿を現し、木の上にいる依子へと向けて膝をついた。軽く頷きで応えた依子は、カボチャごと少年を抱えた魔族がその場から消えるのを見届け、自分も戻ることにする。

 神の存在については、ありとあらゆる物を神格化してしまうような国で生まれ育った依子であるからにして、特に思うところはない――――のだが。




「…………これだから人間というのは油断できないよなぁ」

 苦笑と感嘆の入り混じる呟きを残し、依子はその場から消え去ったのである。

 

 

 

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