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恋の邪魔者 ■ 01

時間軸は魔石以降です。

 その男と行き合ったのは偶然さ。

 生れ落ちた場所にいる昔馴染みが偶然こちらへ寄ってくれたからね、互いの近況を話して別れた後にアタシは店へ戻る途中だったんだよ。

 意識にちらとも引っ掛からない男と擦れ違った瞬間、その男から靡く甘い香りに鼻腔を擽られてね、咄嗟に振り返りその男の腕を掴んで引き止めていたってわけさ。

「ちょいと旦那さんっ」

 歩みを止められた男が顔だけをこちらへ向け、驚きに瞠目した表情で肩越しにアタシを見下ろしている。

『おや、存外に好い男じゃないか』

 人間の女としては平均的な身長より若干高い背を維持しているアタシよりも頭一つ半か二つは軽く超える長身。

 白い肌に金の髪、碧の目はこの国では良く見る種だ。

 掴んだ腕の硬さといい、服の上からでも分かる鍛えられた体躯と腰にぶら下がった剣とくれば軍人さんかね。

 やっかいな相手を引き留めちまったもんだと思ったけれど、後の祭りってなもんさ。

 しかし女が悦ぶような甘い容貌をしているわりには、容易く女を寄せ付けない鋭利な雰囲気をした旦那だねぇ。

 まぁ、今はそんな事はどうでも良いよ。

 アタシの気を惹いた香りを確かめる為に男の胸元へ鼻先を寄せる。

 ああ、やっぱりそうだ。

 あのお方の香りがするよ。

 だけど、なんだってこんな場所で人間の男からあのお方の残り香がするんだろうねぇ。

 それにしても、こんな僅かな残り香だっていうのに本当に良い香りがするじゃないかい。

 (かぐわ)しいったらありゃしないよ。

「……っ。失礼だが、ご婦人。放しては頂けないだろうか……」

 折角香りを堪能してるっていうのに邪魔をするなんて無粋な男だね。

 ケチを付けられて困り切った男の声に顔を上げてみれば、アタシとした事がいつの間にやらその男にしっかりとしがみついてるじゃないかい。

「……あら、いやだよぅ。はしたない真似して堪忍してくださいなぁ」

 活気溢れる市場の往来で男女が抱き合ってりゃ、何事かと人は好奇心に駆られて見てくるもんだ。

 不埒な真似はしていないとばかりに緩く両手を挙げている男から、取り繕った笑いを浮かべつつ少しだけ離れてやれば滞りがちだった人の流れが再び緩やかに動き出していく。

 アタシだってこんな男にゃ用は無いんだけどあのお方の残り香からは離れ難いし、第一アタシだってお顔を近くで見る機会も無けりゃ残り香を堪能する程近寄った事も無いっていうのに、何だってこんな人間の男から残り香がするんだい。

 訝しそうにアタシを見下ろしている男は早々に立ち去りたいんだろうけど、ほんの僅かな距離では素知らぬ顔を装うにも少々近過ぎる。

 立ち去る切っ掛けが欲しいんだろうけど、ごめんなさいよで放す真似なんかするもんかい。

「ねぇ、旦那さん? …………何だって、旦那さんからあのお方の香りがするんですかぃ?」

 囁いた一瞬だけ、周りの喧騒が静まる。

 どこに耳があるか分かりゃしないからね、念の為の予防策ってヤツさ。

 男が腰のモンを抜こうでもするならさっさと逃げる算段をしていたけれど、一瞬驚愕の混じった緊張が漲っただけで斬りかかろうって気はなさそうだ。

 それに『あのお方』が誰の事を言っているのかも見当付いているようじゃないか。

「その……ご婦人は……」

 人の往来の中で口にするのを躊躇った男の様子に、アタシは金払いの良い客用の笑顔を浮かべて男の袖をやんわりと引いて歩き出す。

「こんな場所で立ち話も難でございましょう? アタシの用でいらした客人って事でお代は頂きませんからどうぞお店にお越し下さいな。アタシの部屋でしたらゆるりとお話もできましょうし。ねぇ? 旦那さん」

 これ程の美女が誘ってやってんのに、この男ときたら逡巡しているよ。

 人間の男なんぞ、ちょいとアタシが笑ってやればコロリと参っちまうっていうのに珍しいもんだね。

 まぁ、良いさ。

 端から見れば妖艶な美女が、可愛く男の袖を揺らして何かを強請ってるように見えるだろうよ。

 現に道を行く男共が羨ましそうに横目でチラチラと見ているじゃないかい。

 ここでアタシを袖にしようもんなら、いらぬやっかみを買って目立つだけ。

 そんな阿呆な真似はしませんよねぇと皮肉を込めて微笑んでやったら、そんなアタシに軽く目を眇めるだけで渋々と頷いて歩き出した。


 市場を抜けて色街に通じる大通りへと入った頃、それまで黙っていた男が声をかけてきたのさ。

「ところで、ご婦人は……その……名は?」

「おや、旦那さんはアタシをご存知ないんで? あら、イヤですよぅ。これでもそこそこ顔が売れてるつもりだったんですがねぇ。でも、旦那さんはお店に通う程お困りにも見えませんし、知らぬも当然でしょうかねぇ」

 戸惑いがちな男の問いは、駆け引き抜きでアタシを知らない様子だよ。

「申し遅れました。アタシは華楼(かろう)『シヨエン』の華、名をファレトと申します。以後、見知り置いて下さいまし」

 アタシの顔は知らなくても華楼『シヨエン』と聞けば、年端のいかぬ子供だとて大陸に名を馳せた高級な妓楼(ぎろう)だって事は知っているんだ。

 当然、手を引いてる男も驚いた顔をしたんだから知っているだろうよ。

 アタシはその店で一番値の張るお高いお華様なのさ。

 男の浮かべた表情に笑いながら、目抜き通りのど真ん中にある煌びやかな華楼『シヨエン』の門を潜る。

 店は昼夜問わず営業をしているからね、門の柱はあれど閉める扉は端から無いよ。

 手を引いてやっているこの男が両腕を広げても尚太い柱は、人間界では高価な虹水晶で出来ている。

 財の誇示と他の華楼への牽制って所かねぇ。

 この門の傍には水晶を削り取られないように、厳しい面構えの門番が交代で立っている。

 他にも可愛い華をかどわかそうとする連中や、逃げ出そうとする華がいないかを見張っているわけさ。

 食うに困って売られてきた華は、人が聞けば可哀想なんだろうけどアタシには関係の無い話。

 楼にいる女は全て華と呼ばれる。

 華につく見習いを露と呼び、一見さんを相手にする一番安い華を雫と呼ぶ。

 一人二人と馴染みが付き出してくると蕾、両手の指を超えて始めて『華』として扱われるようになり、一華(いちか)十華(とおか)百華(ひゃっか)千華(せんか)満華(まんか)と馴染みが増えるごとに『華』としての位も上がっていく。

 客はまず真正面にあるアタシ達が本楼と呼ぶ楼閣で本日相手をさせる華を選び、安い華ならそのまま楼閣の一室で遊んでいくのさ。

 本楼は虹水晶程値は張らないが、それでも十分に高価な銀水晶で出来ているし楼の高さもあるから遠くからでも銀色に輝いて良く目立つ。

 楼の中も贅沢品で整えられていてね、下手すりゃ悪趣味になりそうなところを上手い具合に品良く仕上げてあって一見の価値はそれなりにあるんじゃないのかねぇ。

 満華であるアタシのようにお高い華は楼に部屋を持たず庵が与えられる。

 大金をたんまりと落としてくれる大事な馴染みだからね、他の客と鉢合わせしないようにっていう店の心配りさ。

 大門から本楼に続く敷石の両脇には、絶妙にずれた植え込みの間から露地が続いて庵にと行けるって寸法よ。

 庵を持つ華にはそれぞれ色を与えられていてね、庵までの僅かな露地には華にちなんだ、或いは与えられた色に見合った樹々や花が植えられている。

 男の手を引いたまま植え込みの隙間を抜けて、アタシの庵へ続く露地を進んで行く。

 髪が白いアタシに合わせて与えられた色は白だから、通り名も『白の満華』って訳だ。

 露地を飾る花の全ては白の花弁と白尽くし。

 庵はそう広く無いけれど、馴染みを好い気にさせてやる場所だからっていうのと、華の格を上げる為にも贅の限りを尽くしている。

 そんな満華の庵の中へと、アタシはその男を連れ込んでやったのわけさ。

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