魔石異譚 ■ 壱
鉱石店から出てから程無くして、女は自分を付回している存在に気付いた。
人込みの中をあえて進み、時には大きな店の中へと入りやり過ごしてはみるが、一旦は巻いたと思わしき追尾者が再び現れるのだ。
巻いては追い着かれを繰り返している内に、いつしか女は心寂しい路地裏へと紛れ込んでしまったようである。
一人だった追尾者は二人、三人と増え、今ではその姿を隠す事も無く逃げ惑う女を追い詰めていった。
女が道なりに角を曲がった瞬間、幾手を遮る壁に絶望めいた呻き声を漏らす。
行き止まりではこの先に進みようは無く、引き返そうにも追尾者達は直ぐ傍まで迫っている。
否、既に追い着かれた。
「やっと掴まえたぜ。さて、お嬢さん。お嬢さんがさっき店に持ってきた魔石の件について、ちーっとばかり詳しく教えて貰いたいんだけどね」
「…………」
男の一人が薄笑いを浮かべながら一歩女に近付くと、反して女が靴底を擦り一歩後退る。
「あまり手荒な事はしたくないんだよ。素直に教えては貰えないかねぇ?」
言葉だけならば優しげにも聞こえるが、猫撫で声は不快感を刺激し、何よりもその卑下た笑みが言葉を裏切っているのがよく分かる。
「生憎ですが、私も預かってきた品物ですので詳細なんて知りはしませんよ」
素早く辺りを見回す女ではあるが、後方は容易くは飛び越えられない壁に前方は男三人が隙を見せずに塞いでいる。
「だったら、お嬢さんに魔石を預けた御仁に付いて教えて貰おうか」
無駄な抵抗を続けて怪我をするよりも、ここは大人しく彼等に捕まり迎えが来るのを待つ方が無難かと女が腹を括ったその時である。
「君達!」
貧民住まうこの路地裏には聊か場違いとも思える愛らしい声が男達の動きを遮った。
男達は勿論追い詰められていた女も驚いて一様に声のした方、つまりは行き止まりである壁の上へと向けてみる。
幅の狭い壁の上で器用にも仁王立ちとなる可憐な美少女が、男達に向けて閉じられた日傘の先を向けていた。
縦巻きに飾られた長い銀髪は艶やかで、花を模した濃紺のヘッドドレスが良く映えている。
ヘッドドレスと揃いらしい濃紺のドレスに、アクセントとなる白いレースは飾り目が細かくそれだけでも豪奢の一言に尽きる。
貴族街であれば違和感の無い美少女であるが、犯罪者と出くわしそうなこの裏路地では、激しく、とてつもなく激しく場違い過ぎる美少女であった。
その場にいた全員の視線が集まった事を確認でもしたかのように一つ頷いた美少女は更に口を開く。
「か弱い女性になんたる振る舞い! そんな悪辣非道な暴漢共には正義の鉄槌が下されてしまうぞ!」
深海のように深い青色をした大きな瞳で男達を睨むその眼差しは、気高さ、気の強さに比例しているようだ。
男達と女は半ば顎を落とし気味に、ただただ唖然として美少女を見つめていた。
そんな一同の視線に挑発的な笑みを浮かべ、雪のように美しい白い肌に反して愛らしい形をした赤い唇を開くと美少女は声高々に宣言をする。
「ヨースト少将! 臆する事は無い。この狼藉者達を懲らしめてやるが良いよ!」
「バノド様、無闇矢鱈に首を突っ込むのはお止め頂きたい」
「ちょっと、ちょっとー。何だい? この格好の時にその名を呼ぶだなんて、頂けないよヨースト少将。無粋その物だよヨースト少将。今の僕は、セネミアリナだって言っているだろう? 姉上の名を口にするのが恥ずかしいのならば、アリナと呼んでくれても僕は一向に構わないよ!」
「そちらでお呼びする方が一向に構います」
美少女が隣にいる男へ文句をこぼす。
美少女へ逐一真面目に答える男の存在が薄かった訳ではないのだが、余りに美少女の存在が強過ぎた為に男達は気付けなかった。
否、ヨースト少将と呼ばれた男が敢えて気配を絶っていたのである。
少将と呼ばれるからには一軍人なのであろう。
纏う衣服も深緑を基調とした軍服のようであり、鮮やかな赤毛を短く刈り揃えている。
一分の隙も見せないヨーストは壁から軽やかに降りると、携えた剣へと手を掛けながら女を捕らえようとしていた男達へと歩み寄っていった。
男達を見据える濃紫色の目は、まるで無機質な物を相手にしているかのようでいて何の感情も見えない。
その眼差しを受ける男達は薄ら寒い物を覚え、自然と女の事も忘れて後退り始めた。
ヨーストが手に掛けていた剣の鍔をカチリと鳴らしたのを合図に、男達は弾かれたように声を上げる事も無く一斉に踵を返してその場を逃げ出してしまった。
ヨーストが存在を主張してから、息を呑むのも忘れる程の緊迫した空気は男達が去った事で薄らいでいく。
「何だい。狼藉者共はか弱い婦女子にしか己の力を見せれないとは嘆かわしい限りだね! ヨースト少将もそう思うだろう? 所でヨースト少将! 狼藉者共が去った今、速やかに僕をここから下ろす事に全力を尽くしたまえ! あの様な醜き男共に心の眼を穢されたご婦人を、直様慰めて差し上げるのが男の務めである! 義務である! 天職である! ご婦人の足元に平伏す事こそ男の本望だ! 急げ、ヨースト少将!」
一人取り残された女は意外な成り行きに呆然としていたが、無茶を言い続ける美少女の声にはたと我に返り慌ててこの場を助けてくれた二人の傍へと歩み寄ろうと一歩踏み出したまま固まる。
美少女はヨーストに手を貸せと言いながらも、勢い良く壁の上で飛び上がるのを見た女は再び唖然としてしまう。
しかしヨーストは慌てる事なく、反動を付けて飛び降りてきた美少女へと差し出した片腕にてその勢いを殺し、もう片腕で小さな体を支えて『飛び降りた』手助けを無事に為したのである。
美少女はそんなヨーストには構わず、幼いながらも美しい容貌に見惚れるような笑顔を浮かべて女に歩み寄り、流れる仕草で貴婦人への礼を取ったのであった。
旅の途中であった女は決して良い身形をしていた訳ではない。
寧ろ埃に塗れている方が旅慣れている事を装え、女と侮られない都合の良さもある為に敢えて貧民と見紛えられてもおかしくない身形をしていたのだ。
にも拘らず、男性が女性に対して取る礼の中では最上級な形を見せた美少女に、女は驚きそして只管戸惑う。
驚いたのは、薄汚れた身形の自分に対して最上級の礼を取られた事。
ただただ戸惑ったのは、その礼は本来男性が女性へするのであって、美少女が女へするはずが無い事である。
「あ……あの、危ない所を助けて頂いてありがとうございました」
「お困りのご婦人をお助けするのは当然の事であります。しかし、麗しき方から頂く謝辞の言葉は甘美な響き、ご婦人の僕たるこの身には何よりもの喜びでございます」
再び女へ低頭するその仕草は完璧な形であり、極めた礼とはここまで美しく見せるものなのだと女は感嘆する気持ちを抱く一方で、至って平民思考である女にとっては過ぎた賛美の言葉に妙な居心地の悪さも感じてしまう。
「貴女の素敵なその声をもう少し聞いていたい所ではありますが、この場は貴女に相応しくない。私共が大通りまでお送り致しましょう」
さぁ、と美少女が紳士然として女に片手を差し出す。
なぜか女は助けを求める気分でヨーストを見るが、ヨーストは門の警備を務めているかの如く直立不動にて視線を合わせる気配も見せない。
諦めた女が美少女の掌へ躊躇いがちに手を乗せると、絹の手袋を纏った指がやんわりと包んでくる。
仕事で荒れた女の手は恥じ入るつもりはないものの、上質な絹を傷めたりしないかといった萎縮した気持ちを感じる中、美少女は緩く手を引き女を誘って歩き出しヨーストが数歩離れてその後を続く。
「所で、なぜ貴女はあの様な狼藉者達に追われていたのですか?」
女は答えない。
「貴女の持っていた『魔石』を狙っていたのでしょうか」
美少女の手に重ねた女の手が緊張に強張った。