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ある女の記録

…会いたい

掲載日:2024/07/13

 私は今、1人きりの病室で来る筈もない家族を待っている。

 2ヶ月前に会社の健康診断で腫瘍が発見され、手術を受けたのだ。


 幸いにも発見が早かったので、腫瘍は全て摘出されたが、私は子供を二度と産めない身体になってしまった。


 医師からの説明で覚悟はしていたつもりだったが、やはり辛い。

 もう子供を産む事は出来ない、その現実は私の精神を苛み、容姿はすっかり衰えてしまった。


「…今日も終わりか」


 今日も病室に来る人は無かった。

 病気の事や手術の事、病院の名前等、全て実家の両親に手紙を書いたのだが、何の反応も無い。


 電話やメールは拒否される、だから自筆の手紙と僅かな希望に縋ったが、やはりダメだった。


 それだけ私に対する憎しみが大きいのだろう。

 夫や娘を裏切り、不倫に走った愚かな女に…


「寂しいよ…一人は嫌…」


 思わず弱音が口から溢れた。

 せめて一目で良いから家族に会いたい。

 出来れば旦那と最愛の娘に…


 今更なのは分かっている。

 こんなに後悔するなら、不倫をしなければ良かったんだって事も。


 離婚して三年になるが、旦那や娘は絶対私に会いたくないだろう。

 それだけ私は家族を苦しめてしまったのだ。


 不倫の切っ掛けは5年前。

 当時32歳の私は新卒で入った会社にずっと勤めていた。

 結婚8年目で、娘は6歳だった。


 仕事と子育ての両立は大変だったが、旦那は家事に協力してくれていたし、近くに住んでいた私の両親もフォローをしてくれた。


 素直な優しい娘、温厚な旦那、私生活は充実していた。

 旦那は私の両親と良好で頻繁に実家で過ごしていた。

 両親も一緒に住もうと、二世帯住宅の計画までしてくれていた。


 今思い返しても本当に幸せな家庭だったと思う。

 それなのに私は不倫に溺れ、全てを叩き壊した。


 悪夢の始まりは会社から下された、新しく立ち上げる地方の支社へ二年間の出向だった。


 娘も小学校に入るし、少し余裕も出来た。

 それに出向が終われば、また本社に戻れる。

 キャリアアップに繋がると私はその話を受けた。


『ママ、頑張ってね』


『ごめんね、出来るだけ帰って来るから』


 出発の朝、娘は寂しそうな顔で言った。

 早く支店を軌道に乗せようと必死で頑張った。

 時には会社に泊まり込み、先頭に立ち続けた。


 やりがいがあった。

 スタッフは私を頼り、責任感は心地よかった。


 …その中に不倫相手となる男、伊藤満夫がいた。

 奴は私より三歳下で別の支店から私の補佐として来た人間だった。


『伊藤君、全然帰省しないけど寂しくないの?』


 私は休暇の度、実家に帰っていたが、奴は全く帰らないのを気にして聞いてみた。

 結婚しているのを知っていたからだ。


『…妻と上手く行ってなくって』


『ちゃんと奥さんに寄り添ってあげてる?』


 飲み会の席で愚痴る後輩の相談に乗ったのが事の始まり。

 心に余裕が出来ていた。

 自由な一人暮らし、給料の管理は別々だったから、好きな物も買える生活。


 束の間の独身気分。

 それは大きな勘違いだ、私には何より大切な家族が居るのに。


 奴が給料を全部妻に送金し、小遣いにも困っていると聞けば食事に誘い、気づけば金銭すら渡す様になっていった。


『山内さん…俺、貴女の事が』


『ダメ…私には家族が』


 いつしか後輩は甘えた口調で私を口説くようになっていた。

 もちろん最初は拒んだ。

 そんな事を言うなら、もう相談に乗らないからと。


 …出来なかった。

 女として求められる感覚は、忘れかけていた私の中に眠る何かに火をつけていたのだ。


『…一回だけよ』


 とうとう私は一線を越えてしまった。

 それから堕ちるのは早かった。


 家族を裏切っている背徳感は肉体に与える快楽を倍増させる。

 理性を失った私は実家に戻る事も減り、家庭を疎かにするようになっていた。


 私は何も気づかなかった。


 夫や両親、なによりも娘がどれだけ寂しく過ごしていたかに。


 不倫が始まって半年、破滅は突然訪れた。

 その日は土曜日だった。

 休日出勤を終えた私達はいつものホテルで逢瀬を済ませ、彼の運転する車で一人暮らしの自宅まで送って貰った。


『あれ?』


『ん?』


 部屋に入り、電気を点けるとテーブルに並ぶ沢山の料理。

 隣に立ち、私の肩を抱いていた満夫も唖然とする。


『…史佳』


『え?』


 突然名前を呼ばれ、振り返る私の前にいたのは、


『あなた…美愛も…なんで?』


 顔を真っ赤にした旦那と娘の姿。

 旦那はカメラを構え、娘はクラッカーを手にしていた。


『嘘…なんで?』


『…今日はお前の誕生日だろ』


『あ!!』


 旦那の言葉に私は叫んだ。

 去年までは実家で一緒にお祝いをしていたんだ。


『ママ……どうして?』


 娘の手からダラリとクラッカーが落ちる。

 母親が見ず知らずの男と一緒に帰宅したのだ、この異様な光景に説明はいらない。


『し、失礼しました!

 それじゃ家族で楽しんで下さい!!』


 全てを察した後輩は慌てて逃げ出す。

 私の肩を抱いていたのを見られていたのに。


『逃げても無駄だ!

 今迄の光景はカメラで全部撮影したからな!!』


 『…な!』


 旦那の言葉に奴は崩れ落ちた。


『…美愛、帰ろう』


『…うん』


 動けない私を残し、旦那と娘は部屋を出ていく。

 気づけば男の姿も無い、静かな部屋に一人取り残されていた。


『な…私は何を…』


 テーブルの料理は料理が得意な旦那が作ったのだろう。


『この不揃いな野菜は美愛が手伝ったのかな?』


 サラダの野菜に呟く。

 きっとサプライズで二人は来たのか。

 そういえば、この一ヶ月電話すらしてなかったし。


『上手く書けてる…』


 傍らに置かれていた紙袋。

 中に入っていた1枚の色紙。

 それを見た私の目からは涙が流れだした。


 [おかあさん、たんじょうびおめでとう!]

 [だいすきだよ!みちか]


 クレヨンで真ん中に書かれている似顔絵は私。

 隣は旦那と美愛、後ろは私の両親。


『みんな笑ってるね…』


 その日は夜通し泣き叫び続けた。


 翌、日曜日。

 私は朝一番の電車で実家に向かった。

 昨夜から何度も電話やラインを送っていたが、全て無視されていたので、帰るしか思いつかなったのだ。


 男からは一通ラインがあった。


 [僕と貴女は何も無かったでお願いします]


 即座にブロックした。

 この期に及んで逃げられる筈がないのに。


『…ただいま』


『入りなさい…』


 到着した実家。

 私が帰ればいつも笑顔で迎えてくれていた家族。

 今日はお父さん一人だけ。


 無言で歩くお父さんの後に続く。

 お父さんは元々無口な人、しかし怒りの感情は痛い程伝わって来た。


 昨夜から必死で言い訳を考えてきた。

 反省の態度を取れば、赦して貰える。


 一度だけの過ち。

 これ以外、浮気をした事は無かった。

 これは初めての過ちなのだ。


『座りなさい』


『………』


 自宅のリビング。

 促されるままテーブルを挟んで座った。


『…みんなは?』


 静かな室内。

 いつもの温かな空気は無い、ずっと笑顔で溢れていた家。


 『母さんは美愛と政志君を連れて出てる』



『なぜ?』


 なんで?

 どうしてよ、話も出来ないじゃない!


『あんなのを見せられた孫の気持ちが分からないのか!!』


『ひ!!』


 激しくテーブルを叩くお父さん。

 涙を浮かべ、憤怒の表情で私を睨んだ。


『ごめんなさい!』


 私は土下座で叫んだ。

 言い訳の言葉は全て消え失せてしまっていた。


 あの現場を押さえられたという事は、早晩に浮気の証拠は掴まれてしまうだろう。


『…何が不満だったんだ?』


 無言で私の土下座を見ていたお父さんは絞り出すように言った。


『不満なんかありませんでした、魔が差したんです!!』


『魔が?』


『はい…もう二度とこんな事は』


 私は床に頭を擦りつける。

 涙が止めどなく溢れた。


『…言い訳にもならん』


『…お父さん』


 冷たく突き放すお父さん。

 だが、本当にそれだけなのだ。

 大切なのは家族、最愛の宝物なのに。


『覚悟するんだ、私もお前を娘ともう思えん』


 そう言ってお父さんは立ち上がった。

 激しい後悔また一人、今度は幸せだった家に私は取り残されてしまった。


 その後、私は離婚となった。

 話し合いは全て弁護士を通して行われた。


 慰謝料は200万、養育費は月に5万。

 そして娘の面会は…


『今は難しいです』


『そんな…』


『ご家族から今は娘さんのケアにと』


 弁護士は静かに言った。

 娘は私を激しく拒絶しているらしい。

 性格も暗くなり、しばらくは難しいだろうと。


「バカみたいね、私の人生」


 会社の処分は直ぐに決まった。

 私は降格、奴は左遷。

 私との不倫がバレ、奴は私の旦那と妻からそれぞれ250万の慰謝料を請求されて、向こうも離婚となった。


 私は奴の妻から150万請求され、支払った。

 他にも口説いていた女がいたらしいが、興味もない。

 それ以来、奴と会っていない。

 会いたくもない。


「はあ………」


 傷口が痛む。

 ベッドに置いてある携帯はずっと同じ番号。

 だが、家族からの連絡は届かない、この先一生。


 私は出向が終わったが、同じ支店に居る。

 もう地元には帰れない。

 支店の仲間から白い目で見られているが、それも罰だ。

 実際、同僚は誰一人見舞いに来ないし。


 家族はどうしてるだろう?

 旦那は42歳になった筈だ。

 娘は10歳、いや11歳か…


 ああああ!!


 会えない!

 娘の成長を見届ける事も出来ない。


 不倫は全てをぶち壊す。

 そんなのは分かっていたのに、なぜ私は。 

 今更のように込み上げる絶望。

 私はベッドの上で叫び続けた。

人生は続く。

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― 新着の感想 ―
慰謝料200万は安すぎません、普通に正社員で働いていれば余裕だろうし、相場が安すぎる。
[一言] 人生は続く。ってトンデモな置き土産が(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
[一言] これ、昔は夫が単身赴任でってネタだったのに、今はこのパターンが増えているんでしょうね、これも男女平等って事なんだろうかなぁ、ヤダヤダ
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