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ボスリムの女領主には探偵癖がある  作者: 叶あぞ
ボスリムの城塞都市
3/6

幕間 泣き虫の将軍


 誰かの気配を感じて、メナスの意識がまどろみの底から急浮上すると同時に、腰に吊るした短剣に手が伸びた。

 ここは王国軍の天幕の中、そして自分はつい居眠りをしていたのだ――思い出して緊張を解いた。

 眠りに落ちる前、メナスは密偵からの報告を読んでいる最中だった。

 報告は、ボスリムの城塞都市について。あれは未だ難攻不落だが、付け入る隙はあるはずだ――。報告を読みながら攻略の策を練っているうちに、気が付けば睡魔の沼の中で身動きが取れなくなっていたのだ。長旅の疲れのせいだろうか。

 気配の主が外からメナスに声をかけた。メナスの副官だ。

「リリッサ将軍がお見えになりました」

「うん。通して」

 幕をめくってリリッサが顔を覗かせた。メナスと違って鎧は身に着けていない。完璧に美しい女の体が、薄い服の上にはっきりと浮き出ていた。

 明らかに私的な服装――そんな恰好で軍団長の天幕に入るところを、部下の兵士たちは目撃したはずだ。また悪い噂が広がりそうだ、とメナスはうんざりした。

「やあやあメナス。久しぶりだねぇ」

 美女はニタニタといつもの笑みを浮かべていた。

「久しぶりというほどでもないでしょう。遠征に出発する前に王都でお会いしましたが」

「じゃあ久しぶりだ」

 リリッサはずけずけとメナスに近づいた。リリッサが上機嫌に見えるということは何か厄介な事情が起きているということだ。この女は混沌を何よりも愛する。

 椅子に座っているメナスの太ももの上に、リリッサはことわりもなく腰かけた。

 ちょうど目の前にリリッサの後頭部があった。彼女の栗色の髪からは爽やかな香りがした。どこぞの市場で買った舶来品か、または彼女の軍団が遠征していた西方の略奪品か……。

「ねえ……王様のこと、聞いたかい? もう死んだって」

「何?」

 《王様》といえばカッシアノ王のことだ。アリアスタ王国を統治する王――つまりメナスたちの主君である。

「その噂は正確に言うと――」

「なんだ、噂ですか」

「王様はもう死んでいて、そのことを王宮が隠してるって話だよ。だから遠征中のわたしたちが急遽引き戻されたってわけさ」

 半月前までメナスの軍団は蛮族に占領された都市を攻略中であったが、戦線が膠着してほどなく本国から緊急の帰還命令が出た。敵の追撃を振り切り撤退し、途中からは海路に切り替えてこの都市の港までたどり着いた。都市の内部には軍団の兵士全員を駐留させられる場所がないため、都市の城壁から少し離れた丘に野営をさせられていた。

「それで?」

「無感動な男だなあ。もし噂が本当なら、カッシアノ王の跡継ぎが王位を継ぐということになろうが、さてその王子は三人いるときた。これは嵐が起きる。間違いなく……」

 リリッサはメナスの首に腕を回した。

「それで、お前はどの王子につく?」

「……その発言はあらぬ誤解を招きかねませんよ」

「なあに、ここにはわたしとメナスしかいないよ」

「ふふ、泣き虫な弟子が、ちゃんと人生を楽しめるよう導いてあげるのが師匠の役目だからねえ」

 メナスを王国軍に引き立てたのはリリッサだった。リリッサの部下としてメナスはすぐに頭角を現し、今はもはやリリッサと同等の「将軍」という地位にまで出世した。

 それでもリリッサはメナスのことを未だに「弟子」として扱うときがある。

 軍歴の長さは大きく違うが、リリッサの年齢はメナスとは一回りも違わないはずだ。それでなくとも長命族であるリリッサの容貌は若く美しい。無徴族であるメナスが老いて死ぬころ、この女師匠はまだ若さを保っているはずだ。

「では答えますがリリッサ将軍――私に野心はありませんよ。王位をどうするかは三人の王子の話し合いによって決めるべきでしょう。それと昔のことをいつまでも持ち出さないでいただきたい」

 リリッサはさらに体の向きを変えて、メナスと向かい合う形になった。

 リリッサがメナスの耳元にささやく。

「ねえ、わたしと組まないか? 王子三人を殺せば、王国はわたしたちのものだ」

 話にならない、とメナスは思った。王子三人を殺したところで、こちらに「正統性」がなければただの反逆者だ。もちろんそんなことが分からないリリッサではない。

 冗談にしては危険すぎる、とメナスは警戒を続けた。

「やめてください。天幕のすぐ外に護衛がいるんだ」

「ん……だったら……静かに……しないと……ふふ……」

「将軍――」

「リリッサと呼びたまえ」

 リリッサが唇でメナスの言葉を塞いだ。

 そのとき、

「メナス将軍に申し上げます! エラスモ将軍がお見えです!」

 聞き覚えのない兵士の声に、リリッサが舌打ちした。

「いつも間の悪いこと」

 リリッサは服を整えながら、メナスの上から身を離した。来客用の長椅子にどしんと音を立てて座る。

 まさにそのエラスモ将軍こそ、たった今噂をしていた現王の三人の息子の一人である。公的な地位はメナスと同じく将軍ではあるが、王国における身分は天と地ほどの差がある。

「入ってよし」

 メナスが返事を返すと、おそらくエラスモお付きの護衛が、威張り散らすような面持ちでエラスモを先導して天幕に入ってきた。エラスモが入ったのを見届けて、護衛は一人でまた外に戻った。

 エラスモは、長椅子で不貞腐れていたリリッサを見て意外そうな表情をした。

「リリッサ将軍もいたのか!」

「いえ、リリッサ将軍の話は終わりました。もう帰られるところです」

 とメナスは答えた。

「ああそうかい、君たちは忙しそうだからね、暇人は自分の宿営地に戻るとするよ。……それではエラスモ将軍、ごきげんよう」

 リリッサは形ばかりの挨拶をすると、メナスを恨めしそうに睨んでから出て行った。

 さて、とメナスはエラスモに椅子を勧めた。

 メナスは机の引き出しの中から、葡萄酒の瓶と杯を取り出してエラスモにふるまった。

 杯の葡萄酒が幾分も減らないうちにエラスモは本題を切り出した。

「ところで王都に流れている噂について、メナス将軍はご存じかな」

「知っているはずがないでしょう。ついさっきまで遠征に行っていたのですから」

「父上が亡くなったという話だ」

「……滅多なことは言わないことです」

「お、その反応だと知ってたな? さすがメナス将軍だ!」

「なあメナス将軍、三人の王子のうち、誰が一番王に相応しいと思う?」

「私には分かりかねますね」

「だったら俺が言ってやろう。まずレオンテ長兄上(あにうえ)。王宮で宰相をやっている。しかし病弱な上に自分の軍を持っていない。王宮の文官どもの後押しはあるが、それだけで王国全体を掌握はできないだろう」

 エラスモはどこか楽しそうに語りながら葡萄酒を口に含んだ。よく味わってから嚥下する。

「次は弟のアンドロア、こいつは俺と同じく将軍位と軍を持っている。ダッタリウム戦争のときはでかい武勲を立てて英雄とまで呼ばれた。あいつに心酔する軍人は多い。そして――この俺だ」

 エラスモは自分を指さす。

「しかし!」エラスモはメナスの方に杯を突き出した。「この俺にはメナス将軍がいる! だろう!」

 メナスは黙ったまま、彼の杯に次の酒を注いだ。

「おいメナス将軍、お前は俺を王にするつもりはないか?」

 メナスにその問いを一蹴することはできなかった。

 エラスモには恩があった。メナスが軍でここまで出世できたのに、エラスモの後ろ盾が無関係だったとはとても言えなかった。

「エラスモ様は、ご自分が王に相応しいと思いますか?」

「分からん!」

 と、王子は気持ちよく即答した。

「そんなこと俺には分からん。俺に分かることなどほとんどない。だが俺にはやりたいことがある。だから王になる。メナス将軍よ、俺の側に立って、一緒に戦ってくれるだろうな?」

 酒の匂いをさせながら、しかし真剣な目でエラスモは言った。

 その夜、メナスは何度も何度も繰り返される質問をはぐらかしながら、王子の杯に酒を足し続けた。




 エラスモが赤ら顔で帰ってから、メナスはやっと一人の時間を取り戻した。

 と思った途端に幕の外から声がかかった。

 入ってきたのは部下のエウレアだ。

 その夜、メナスはエウレアと床を共にした。将軍ともあれば天幕と一緒に家具まで戦場に運ばれる。天幕の周囲で警戒にあたる兵士たちの耳にも、その営みははっきりと届いていた。しかし今さらそんなことで、彼らが上官を見る目が変わることもなかった。




 翌朝、エウレアの声でメナスは目を覚ました。

「閣下、エラスモ将軍がお呼びです。我が軍団に朝食の差し入れだそうです」

 高い朝食代を払わされなきゃいいけど、とぼやいてメナスは体を起こした。


 メナスは身支度を済ませてから、エウレアを伴ってエラスモの元へ向かった。

 軍団の天幕が並ぶ中に、一つだけ見覚えのない派手な天幕が立っていた。エラスモが建てさせたものだろう。

 護衛に取り次ぎを頼み、エウレアを外に残してメナスは一人で天幕の中に入った。

 そこにはエラスモだけでなく、リリッサも待っていた。二人の前には朝食の皿があった。

「おはようメナス将軍! 昨日はいささか飲みすぎて失礼した!」

 メナスはコップに注がれた熱い茶をすすりながら、エラスモが本題を切り出すのを待った。

「さて、昨日の答えを聞かせてもらえないだろうか。つまり二人とも、俺に仕える気はないか? これは今すぐに返事が欲しい」

 エラスモは昨晩のうちにリリッサにも声をかけていたのか? メナスがリリッサの顔を見ると、

「わたしはメナス将軍に従うよ」

 と、逃げ場を封じるようにリリッサが答えた。

 メナスはしばし黙った。自分の返事が、本当に正しいのかを検算していた。

「……いや? そうか、帰還命令」メナスは顔をエラスモに向けた。「あの命令、もしかして――」

「……ふふ、さすがだメナス将軍」

「つまりですね」メナスはリリッサに説明した。「王宮は長兄のレオンテ様が押さえています。そして王様の死を秘匿できるのは王宮を押さえているレオンテ様だけです。もしそれが公になれば王座をめぐる争いが起きます。そうなったとき、レオンテ様が真っ先に狙うのは、王都にいる他のライバル――つまりエラスモ様です」

「で、それと帰還命令がどう関係するんだい?」

「本来、私たちに命令を出せるのは王都のカッシアノ王だけです。しかしもし王様がすでに亡くなっているのであればレオンテ様が命じたということになるはず。しかし私たちの軍団が王都に戻れば、レオンテ様にとってはエラスモ様を排除する絶好の機会を失うことになります。レオンテ様がそんな、自分が不利になることをわざわざするはずがない。ということは、推測――命令を出したのはレオンテ様ではないということになります」

「つまり、身の危険を感じたエラスモ将軍が、命令を偽ってわたしたちを呼び戻したということか」

 リリッサが睨んでも、エラスモは涼しい顔をしていた。

「他の将軍たちから見ると」メナスは言葉を選んだ。「私たちはエラスモ様を助けるために任地から勝手に帰還した――生粋のエラスモ派に見えるでしょうね」

「ふうん。つまり、今さら他の王子の側につこうとしても、もう手遅れということか」

 リリッサはゆっくりと言葉にした。

 空気が張り詰める。しかしエラスモは不敵な態度を崩さない。

「……エラスモ様は、王になったらこの国をどうするつもりですか?」

「それはもちろん――」エラスモは立ち上がって、演説するように言った。「この国を世界でもっとも豊かな国にする!」

「……それで、その方法はどうするんですか、王様?」

「まだ考え中である!」

「……ま、そんなところでしょうね」

 メナスはしばし沈黙し、思索を巡らせた。

「……いいでしょう。そもそも私たちに選択肢はなさそうですし、ね」

「メナス将軍……!」

 エラスモは立ち上がってメナスの手を握った。大げさなアクションに辟易して、メナスはやんわりとその手を振り払った。リリッサが肩をすくめたが、メナスの決断に異論は挟まなかった。

「それでエラスモ様、これからどうなさるおつもりですか?」

「無論、考え中である!」

 メナスの方針に、リリッサもとりあえずは納得したようだった。――このまま前線に戻り、外征を続けて策源地を確保する。建前さえしっかりしていれば、王宮もそう簡単に追討はできない。

「……分かりましたよ。エラスモ将軍、我が軍団にようこそ」




 将軍三人で事務的な打ち合わせを済ませたあと、エラスモを残して、メナスはリリッサを見送るために天幕を出た。

「勝算はあるのか?」

 リリッサは世間話のように切り出した。

「勝算がない方があなたの好みでしょう」

「それは誤解だよ。君はわたしのことを破滅主義者か何かだと思っているだろう」

「まあ真面目に答えるなら、勝算はあまりないでしょうね。エキシマスの伝説はご存じですか?」

「いいや。君たちの神々については疎くてね……」

「エキシマスというのは大昔、山の国に住んでいた大工ですよ。夢で大洪水があるというお告げを聞いて、全財産をはたいて大きな船を作った。そしたら実際に大洪水が起きて、国中の人がそれに乗って助かったという――」

「その伝説の教訓は? 『治水工事の手を抜くな』?」

「雨が降ってから船を作っても間に合わない」

「頼もしいね、船長」


 ――内戦は、確実に起きる。メナスはそう考えていた。

 そのとき、メナス軍団が自由に動くためには、根拠地となる場所が必要だった。

 難攻不落の城塞都市ボスリム――。

 内戦の根拠地としては申し分ない。

 ただし問題があるとすれば、内戦が始まる前にボスリムを落とさなければならない。しかも軍団の兵力を温存したまま。

 これは難問だぞ、とメナスは思った。


 メナスは信じていない。

 この世のあらゆることを信じていない。

 もちろんリリッサのことも、エラスモのことも、私的な関係を結んだ副官のことも信じていない。信じていない、というのは、正確に言えば、あらゆる可能性を捨てない、ということだ。

 普通、人は、あらゆる可能性を捨てずに生きていくことができない。どこかで線を引いて、「あの人がそんなことをするはずがない」と切り捨ててしまう。そうしなければ心がその複雑さに耐えられなくなってしまうからだ。

 メナスはそれをしない。

 すべてのことが裏切り、変心し、出し抜き、偽証し、偽り、背信し、企む可能性を切り捨てない。

 この世には、確かなことなど何もないのだ。

 すべては変わりうる。

 そして、その対象は他人だけではなく、メナス自身も含まれている。


 メナスの軍団は再び海路から任地へと赴いた。

 エラスモの予想に反して――そしてメナスやリリッサの予想通り、エラスモ将軍の命令にかかわらず、彼の第二軍団は王都から動かなかった。

 それからしばらく、メナスは機嫌を損ねたエラスモの扱いにも悩まされることになった。



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