使者来訪
なると決めたときから、ニーデから真っ先に習ったのが「自分の内面をみだりに表に出すな」ということだった。
「難しいところですな」大広間を退出するハルネにニーデが追いついてきた。「ハルネ様のお考えは?」
「ニーデは使者が間者だと思っているみたいだけど、確信はあるの?」
ハルネは質問の答えをぼかした。
ニーデは唸った。
「爺の耳は遠くなりましたがボケてはおりませぬ。『使者である』という確信がないことが問題なのです。確信が持てない者の話に国の命運を託してはなりませぬな」
「それを見極めるためにも、ともかくその使者に会ってみる方が良さそうね……。外交上の礼儀としても、領主のわたしが会わないと示しがつかないし」
「それは……もうしばらく身元を吟味してからでもよいのではありませぬか」
「だったらレプティス隊長にも同席してもらうわ。このままわたしたちだけで籠城を続けても援軍は来ないもの。使者殿には今晩はゆっくり休んでもらって、明日早くに館に呼び出すように。その間にこちらも交渉の準備をしておきましょ」
務めて明るく言って、ニーデの肩を叩いて別れた。
教育係の困り顔を久しぶりに見れたので気分が晴れた。
メウリトリアからの使者を"自称する"男が、郊外の建物から領主の館へと連れられた。彼には護衛として防衛隊の兵士が常にくっついていたが、実際の命令は男の見張りだった。
「御目通が叶いまして恐悦至極に存じます! わたくしはメウリトリア同盟の全権大使を務めておりますキレレウと申します。すでに書状には目を通されたでしょうか? 返事をいただければわたくしがすぐにしっかりとそれを届けさせていただきますゆえ……」
キレレウは大げさに平伏した。
大広間の空間を大きく使って、得体の知れない使者と領主ハルネの間には、会話をするにはいささか遠すぎる距離を確保していた。それでもハルネは男から漂う、異国の、落ち着かない香の匂いが分かった。
キレレウという男、年齢は三十を超えないくらいだろうか。茶色の長い髪を後ろで縛って一本にしている。背は高く体格は痩せて鼻が高く、女に困ったことがなさそうな優男だった。ただし、顔には奇妙な化粧が施されていて、顔面を分厚く覆う白粉の上に青や赤の線が走っていた。
――あの白粉の下の肌は何色をしているのだろう。
ハルネの探偵癖が早くも疼いた。あれだけ分厚く塗り込んでいるのは、印象付けのためだけだろうか。それとも素顔を隠す意図があるのか。
キレレウの平伏するすぐ隣には、彼が持ち込んだ、木で編まれた直方体の大きな背負いカゴが置かれていた。
郊外の家を出るとき、護衛の兵士は大荷物を置いていくようにキレレウに言ったのだが、彼はそれを頑として受け入れなかった。ハルネとの謁見を前にして、荷物を預かろうとする兵士の言葉も断固として跳ね除けた。
曰く、この箱の中には外交上の機密事項が入っているため、少なくともボスリムが正式に同盟に同意するまでは絶対に見せられない、と。
友好的に同盟を結ぼうというのであれば、使者から荷物を無理やり奪うということもできない。防衛隊はしぶしぶではあるが荷物の同席を認めた。
「遠いところからはるばるご苦労でした」ハルネは威厳を演出するために、意識してゆっくりと言葉を紡いだ。「書状は確かに受け取りました。申し出については熟慮の上で改めて回答いたしますので、しばらくこの街にご滞在いただきたい」
「はっ。仰せの通りにいたします」
ハルネは隣にいるニーデに目配せした。ニーデが頷いて口を開く。
「ところで、キレレウ殿はアリアスタの包囲をどのように抜けられてきたのでしょうか?」
「――それは申し上げられませぬ」
キレレウはぴしゃりと答えた。
「それはなぜ」
と、老臣は表情を変えずに問うた。
「メウリトリア同盟陸軍秘伝の『包囲抜けの術』を使いました。同盟国以外に秘伝を漏らすことは硬く禁じられております。ご容赦を」
再び大げさに平伏した。ニーデがすごい顔をしていた。
「あの。わたしからも、聞いていいかしら」
「もちろん。領主閣下」
「その化粧にはどういう意味があるの?」
「これ、ですか?」意外な質問だったのか、キレレウは言葉を詰まらせた。「――大した意味はありませぬ。領主閣下のお気を煩わせるものではありませぬ」
「気にするなと言われると気になるわ」
「化粧をしている方が相手に強く印象付けることができます。そうすれば交渉を有利に進めることができます」
「納得したけど、それを交渉相手のわたしに話していいの?」
「構いませぬ。これは出まかせですから」
「全権大使が単身で来たのには何か理由があるの? 普通は護衛くらいつけると思うのだけど」
「何せボスリムは包囲されておりますから、ぞろぞろと従者を引き連れてくれば敵の目を引きますので」
「じゃあその荷物は? 目を引きたくないという割にその大荷物は目立つと思うのだけど」
ハルネはキレレウの巨大なカゴを指した。キレレウは撫でるようにカゴに触れた。
「全権大使には秘密にしたいことがたくさんあるものなのです」
「メウリトリアの援軍は今どこにいるの?」
「それは申し上げられませぬ」
「どうして?」
「もしボスリムがメウリトリアと同盟を結ばないのであれば、このまま密かに軍を下げます。ボスリムがアリアスタと手を組みメウリトリアを攻撃する可能性を憂慮するのは当然のこと……」
それ以後もハルネは質問を投げたが、キレレウはのらりくらりと回答して、核心からハルネを遠ざけた。
それでもなおハルネは質疑応答を続けようとしていたが、
「もう、そろそろ仕舞にしましょう」
と、ニーデが匙を投げて、使者との謁見は終わった。
「遠くからお越しになり、今日はお疲れのことでしょう。今夜はゆっくりとお休みください。ボスリムでの身の安全は、しっかりと保証いたしますゆえ」
ニーデの言う「護衛」とは、監視のことである。
「戦争のさなかに護衛の兵までつけてくださり、恐縮でございます」
ニーデの面の皮も厚かったが、それを皮肉で流したキレレウもなかなかのものだった。
かごを背負って退出するキレレウと、それを見張る「護衛」の兵士たちが居なくなったのを見届ける。
「本物の使節に見えた?」
ハルネが聞くと、ニーデはゆるゆると首を振った。
「怪しく思いますな。特に、包囲を抜けて入ってきたという点が怪しい。だいたい『包囲抜けの術』など聞いたこともない」
「……レプティス隊長の意見は? あの使者の印象は?」
謁見中もずっと無言で横に控えていたレプティスは姿勢を正した。
「はっ! ……わたしは過去にも、この街に来た使節を見たことがありますが、護衛もなしに一人でやってきた使節というのは見たことがありません。一方で、敵の包囲を抜けて都市に入るには、身軽な方が有利だという面もあると思います。そしてあの男の物腰は、わたしが見た限りでは、戦闘の心得があるように見えました。そのような点を考慮すれば、敵の包囲を抜けて入ってくるというのはあり得えないことではないと思います」
レプティスは慎重に答えた。
ニーデが鋭い目を向ける。
「だとしても、このタイミングでメウリトリアが突然同盟を申し出るというのもよく分からぬな。これまでにそういった前触れもなかったのに」
「……あの男の正体を探るにしてもメウリトリアへの返事を決めるにしても、時間は必要ね」
ハルネは結論を先延ばしにした。
その日の午後に行われた軍議でも、同盟に反対するニーデと同盟に賛成するアンギムの間で激しい論戦が起こり、他の家臣たちも巻き込んで家中を二分する対立となった。結局最後まで意見がまとまることはなく、やはり結論は出さずに次の会議へ先送りとなった。
執務を終えて、自分の部屋に戻ってからも、ハルネは自分の考えをまとめようと必死だった。
領主である自分は領民のことを第一に考える責務がある。個人的な復讐心を、そこに混ぜてはいけない。
あるいは自分の出した結論が、本当に私怨と無縁であることに、ハルネは自分自身でも確信が持てないでいた。
「――奴らは父上を殺した」
言葉にすると、ぞっとするほどの怒りが沸き起こってくる。それを抜きにして今回のことを考えるのは難しかった。
七年前の戦争で、ハルネの父を殺したのは、間違いなく奴らなのだ。《アリアスタのリリッサ》――。当時の最高司令官の名を、父の仇の名を、ハルネは忘れることができないでいる。




