7話 Glare
「あ」
「待て」
放課後、早歩きで部活に向かう途中。
廊下を賑やかに行き交う生徒たちの合間から金髪が見えた瞬間、諏訪はゆっくりと回れ右をした。しかし、即座に呼びかけられてしまう。
DomとSubの気質のせいか、一度Playして関係性が築かれてしまったせいか。それとも罪悪感があるからなのか。
諏訪は甘井呂に逆らえず、逃げようとする自分の足を止めざるを得なかった。
特に怒っている様子もなかったが、甘井呂はただでさえ身長が高く体格がいい。
ピアスやネックレスなど派手な服装で高いところから見下ろされると、どうしても気圧される。
「ちゃんと行ったのか?」
予想通りのことを聞かれて、諏訪はリュックの肩紐を握りしめた。周囲を気にしてくれた甘井呂は「どこに」とは言わなかったが、「病院」であることは明白だ。
出来れば答えたくないが、誤魔化せるわけもない。
「ま、まだ」
笑顔になりきれない歪な表情で、らしくないか細い声が出た。案の定、甘井呂の眉間にグッと皺が寄る。
「おい」
「なんか、気持ちの整理が……って……」
深い声の迫力に負けてしどろもどろになりかけたが、諏訪は踏み止まった。周囲の生徒がチラチラとこちらを見始めたのだ。
諏訪は自分の感情に逆らって、今度こそ笑顔を作る。
「ほんっとお前は! 俺の方が先輩なんだから敬語くらい使えって。怖い顔しちゃってさー」
「……」
人差し指を眉間に突きつけ皺を伸ばすようにグリグリと動かすと、手首をがっしりと掴まれた。甘井呂の仏頂面がずいっと近づいてきて、唇が耳元に寄せられた。
「センパイ、ちょっと用がアリマス」
「……っ、悪い、今から部活」
吐息が掛かって背中がゾワゾワする。
「知るか」
諏訪が肩を竦ませている隙に、甘井呂は掴んだ手首を引いて歩き出してしまった。抵抗するとまた目立ってしまうので、諏訪は「仕方ないな」というフリをしてついていくことにした。
どんどん階段を登っていく甘井呂がどこにいくのかと思えば、辿り着いたのは屋上に繋がる扉の前。
扉には鍵が掛かっていて残念ながら屋上には入れないが、滅多に人はやってこない場所には違いない。
電気が古くなっていて薄明かりしかない階段に、諏訪は座らされた。
さっきから逃げようとする度に甘井呂から感じる、妙な威圧感がある。
目線を合わせるだけで「従わないと」と思わせるのだ。
不思議と心地いいのだが、今まで甘井呂といる時に頭がふわついていたのとはまた違う強制力を感じる。
(Command、使われてないのに……これがGlareってやつか?)
GlareはDomが持つ特有のオーラのようなものだ。
Dom同士で牽制しあったり、Subを従わせるために発せられるのだと教科書には書いてある。
第二性を持つ友人が言うには、上位のDomほどコントロールが上手く他者に与える影響も大きいらしい。
腹の奥に熱いものを感じながら、諏訪は隣に腰を下ろそうとしている甘井呂に場所を空ける。
「部活を休みたくないなら午前休め」
真剣な表情をした甘井呂が重い声を紡ぐ。
授業をサボることを勧めてくるのが可笑しくて諏訪は唇が緩むが、病院のために休むこと自体は悪くないと思い直す。
それでも、すぐには首を縦に振らなかった。
「朝練ってものがあってな?」
「ふざけるなよ」
冗談半分のつもりだったが、甘井呂の雰囲気が一変した。目付きと声が暗くなるのと同時に、柔らかかったGlareが強くなる。
諏訪は腰の力がガクンっと抜けて、思わず甘井呂の膝にしがみついた。
「……! ごめ、なさ……!」
「あ……っ悪い」
すぐに気づいた甘井呂がGlareを引っ込めてくれたが、ゾクゾクと全身を蝕む感覚はすぐには抜けない。
感情の起伏によってコントロールが難しくなるGlareは、他人を傷つける凶器にもなりうるのだ。
(この押し潰されそうな感じ、嫌なだけじゃないのがSubって感じだな……甘井呂、優しいし)
まだ震えている諏訪を胸に抱き寄せ、背中を撫でてくれる甘井呂に甘えて、額を肩に擦り付ける。
甘井呂が悪いわけではないのに、本当に丁寧に扱ってくれる。
「せめて理由を教えろよ。命とサッカー、比べもんになんねぇだろ」
先ほどまでよりも穏やかな声で、改めて諭してくる。
諏訪にとっての部活は、正直に言うと「命と同じくらい大事」だ。倒れる直前まで運動場を走っていたほどなのだから。
甘井呂にとって諏訪の気持ちが理解不能なことは重々承知しているし、そんなことを言ったら本気で怒られそうだ。
不良を一発で沈めた拳を思い出してしまったのもあり、これ以上の口答えはよした。
でも「理由」を聞かれると、上手く考えがまとまらなかった。
諏訪は甘井呂の肩に額を当てたまま、ポツポツと話しだす。
「なんか、まだ……家族にも言えてなくて……」
自分の中でもよく分からない感情をなんとか説明しようともがく諏訪の言葉を、甘井呂は頭を撫でながら黙って聞いてくれる。
だから勇気づけられて、諏訪は更に口を動かすことが出来た。
「上手く自分の中で消化できてないっていうか……よく、わかんないんだけど」
喋ったところで具体的なことが分かるわけでも解決するわけでもなかったが、もやもやが少しだけ薄れた気がした。
それでもしきりに病院を勧めてくれる甘井呂を納得させられたとは思えなくて、顔を上げて至近距離から見つめる。
「頼むからお前も、まだ誰にも言わないでくれよ」
不安で揺れる諏訪の瞳を受け止めた甘井呂は、静かに長く息を吐いた。抱きしめてくれる腕に力がこもる。
「……部活は土日もあるのか」
「へぁ?」
全く関係ない話題に急に飛んで、諏訪は気の抜けた声を出してしまう。質問してきた甘井呂の表情は変わらず真剣そのもので、諏訪は体を預けたまま返事をすることにした。
「ある。だいたい午前と午後が交互に。練習試合の時もあるし……どうしたんだ? 入る気になっ」
「ならない。週一でPlayするぞ」
「誰が?」
「俺とあんた以外にいるのか」
諏訪はフリーズした。
部活への勧誘が冷たくスルーされたことなど、気にならない提案だ。
「それは……申し訳ないような……」
口では遠慮しながらも、Playを知ってしまった胸は高鳴るのを抑えることはできない。
甘井呂とあの満ち足りた時間を過ごすことが定期的に出来るとしたら、なんて幸せだろう。
「俺は決まった相手が出来て楽。あんたはひとまず病院や薬に頼らないで生活ができる」
諏訪が躊躇したため、甘井呂は自分の提案のメリットを教えてくれる。お互いにいいことしかないのだと、諏訪の頬を撫でてきた。
「DomとSubは、両方いないと成り立たねぇから」
「甘井呂って優しいよな」
「本当に優しいやつは病院に引きずってくんじゃねぇの」
心の底から思ってしみじみと言ったのに、甘井呂は急にそっぽを向いて素っ気なく返してくる。
加えて体を離されてしまって喪失感を覚えた諏訪だったが、顔を背けた甘井呂の耳が赤くなっているのが目に入った。
「さては照れてるな?」
「んなわけねぇだろ」
心のままにニヤついて甘井呂の頬を突っつけば、パシンと軽く払われてしまう。
ひりつく手を引っ込めた諏訪は、へらりと笑った。
「さんきゅ、甘井呂」
甘井呂が、
「なんでもいいからとにかく病院に行ってこい」
などと言わず、どうしたらいいか考えてくれたのが嬉しかった。
諏訪の気持ちに共感して、受け止めてくれた気がした。
甘井呂は顔は背けたまま、ぽふんと諏訪の頭に手を置く。
「しばらく、あんたと俺だけの秘密だ」
秘密という甘美な響きに、諏訪は心が舞い上がるのを実感する。
(DomとSubって、みんなこうなのかな)
大きな手に撫でられて目を細めながら、部活のことを一時的に忘れていた諏訪であった。
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