5話 初めてのPlay
完全に未知の世界だ。
諏訪はベッドに寝そべりながら、部屋の中を見渡す。
未成年可のプレイルームなのだと甘井呂に連れてこられた建物は、外観はビジネスホテルのようだった。だから初めての場所に身構えつつも入りやすかったのだが。
(ど、どう見てもラブホなんだけど……)
案内された部屋は桃色の照明に照らされており、花柄の絨毯が敷かれ、諏訪が寝ているベッドはたっぷりとレースがついているという愛らしい内装だった。
実際には行ったことがなく、少し知識が有るという程度の「大人の空間」の雰囲気を彷彿とさせる。
プレイルームとは名前の通り、DomとSubがPlayするための場所だ。
成人していれば性的な交わりをする場合もあるため、諏訪の連想はあながち間違いではない。
緊張してしまってシーツを握りしめている諏訪の頭を、甘井呂はペシンっとメニュー表のようなもので軽く叩いた。
「これ、リスト。本能でCommandに体は反応するけど、何言われるか分かる方がいいだろ」
差し出された表には、Come、Stand upなど、基本的なコマンドが書いてある。
不良が放っていたKneelやLickもあって胸が嫌な感じにざわついた。
(絶対、逆らえないんだもんな……でもやらないと体調悪いまま……)
不安が表情に出ていたのだろう。
甘井呂はベッドの横にしゃがみ込むと、諏訪と目線を合わせて手を重ねてくれる。
健康的に日焼けしているのに冷たい手の甲と、透き通るように白いのに温かい手のひらが触れ合う部分から、じわりとぬくもりが広がっていった。
「じゃあ早速、と言いたいけど。まずはセーフワード決めるぞ」
「セーフワード……」
甘井呂が不良たちにも言っていた単語だ。
保健の授業で習った気がするが、確かPlay前に決める約束事の一つ。
Subがどうしても受け入れられないことがあれば、セーフワードを言うことでDomのPlayを中断させることができる。
言葉の意味を知っていても、今までNormalとして生きてきた諏訪にはいまいちピンとこなかった。
「んー……思いつかないな」
「特になければRedだな」
「一発退場じゃん」
「やりすぎたらそうなるってことだよ」
なんでもないことのように甘井呂は言うが、諏訪はサッカーの試合中に審判が出す赤色のカードを思い浮かべて眉を寄せた。
出来れば想像もしたくない。
「別の言葉、考える……。あのさ、セーフワードって、Domにダメージあるんだよな?」
「そこは気にすんな。嫌なことは言わねぇと」
甘井呂の言うことは最もだし、緊急性があると伝わりやすい言葉の方がいいのだろう。
しかし自分のために手を尽くしてくれている甘井呂に、強い言葉を使うのは躊躇われて頭をひねる。
「じゃあ、『知らない』にする」
「……ん?」
「多分俺、分からないこと多くて中断させる気がするから……」
「セーフワードってそういう時に使うんじゃねぇんだけど」
ボソボソと自信なさげに説明する諏訪を見て、怪訝そうに首を傾げていた甘井呂が笑みをこぼす。
諏訪はセーフワードなんて使うことはないんだろうとその表情を見て確信した。
出会ってからずっと、甘井呂はSubに優しい。
「まぁ、とりあえずそれで。さっさとした方がいいからな」
前髪をサラリと掻き上げて、甘井呂は小さく息を吐いた。その様子は、少し緊張しているようにも見える。
慣れているのだと勝手に思っていたが、甘井呂はまだ一年生だと思い出した。諏訪よりも二歳も年下だ。
諏訪は重なった手を動かし、力の入らない指で甘井呂の手をきゅっと握る。
「甘井呂、よろしくな?」
少しでも先輩ぶりたくて唇に弧を描いて見せると、甘井呂は軽く目を見開いてから頷いた。
「諏訪、でいいか」
「先輩」
諏訪は自分の常識に則って訂正したものの、鼻で笑ってスルーした甘井呂が静かに口を動かした。
「諏訪、Look」
その刹那、諏訪は吸い込まれるように眼前の瞳から目が離せなくなる。
同時に、カッと体全体が熱くなるのを感じた。
たった一つの短い単語が頭の中を占拠して、他のことを考えることはできない。
(これ、だ……)
諏訪の体は歓喜し、甘井呂だけを瞳に映していた。
「Good boy」
「あ……」
不意に目を細めた甘井呂が、ゆったりと髪を撫でてきた。
諏訪は、今度は幸福感に溺れそうになる。
心臓が強く脈打ち、久々に血が巡っているのを感じた。
「どんな気分だ?」
何も言えずに、ただ口を開けて瞳を潤ませる諏訪に、甘井呂は問いかけてくる。
よくよく見れば、甘井呂の頬も熱をもっていた。Dom性とSub性が、互いに作用し合っている証拠だ。
だが諏訪は甘井呂の様子に気がつく余裕がない。
質問に対しても、ただぼんやりと見上げるだけだ。
「気分……?」
「そう。Say」
「えっと、なんか、ドキドキして」
「うん」
二回目のCommandを受ければ、声も出なかった状態から解放されて自然と口が動き始めた。
言いたいことがまとまらず幼い子どものような語彙になってしまっても、甘井呂は頷いて聞いてくれる。
諏訪は安心して、心のままを言葉にしていった。
「ふわふわして……気持ちいい……」
とろけた顔で紡ぐ言葉の粒を拾って、甘井呂の笑みが深まる。今度は両手で頭を包まれる。
「Good 」
心の枷が外れていくかのように、体が軽くなっていく。
部室でプレイを覗き見た時や、その後に甘井呂と会話した時もそう感じた。
でもCommandとして自分に向けられた言葉が与えてくれる幸福感は段違いだ。
「も、動ける……から、もっと……」
諏訪はゆっくりと体を起こして甘井呂を見下ろす。積極的に求める諏訪に対して、甘井呂は目を細めて短い黒髪を指ですく。
「頭や手以外も触っていいか?」
「ど、どこ?」
「顔とか首とか……抱きしめたりとか」
甘井呂が、抱きしめてくれる。
それは諏訪が一番待ちわびていたものだ。
初めてPlayを見てからずっと。
腕の中にいることを想像しただけで胸の奥までギュンッとなり、日に焼けた頬が紅潮する。
諏訪は年下相手に恥ずかしいとか照れくさいなんて全く考えずに、何度も何度も頷いた。
「抱きしめるの、してほしい」
「かわいい」
気がついた時には、ぬくもりに包まれていた。
かわいいなんて、自分に似つかわしくない言葉を言われたことを気にする間もない。
逞しい腕に応えるように諏訪も背中に手を回して抱きしめ返した。
「でもこれって、ご褒美にするんじゃないのか?」
「したくなったから」
胸に顔を埋めながらも疑問を口にすると、甘井呂は体を離してしまう。名残惜しく思ったが、諏訪を見つめる綺麗な顔が「愛おしい」とでもいうようにゆるんでいて何も言えなくなった。
「もう動けそう、なんだよな?」
「ああ、体が軽い……甘井呂、すげぇな。ありがとう」
「そのためにPlayしてんだから当たり前だろ」
素っ気なく答えていても、甘井呂の表情は満更でもない。やはり、意外と分かりやすい奴なのだと諏訪も甘井呂を可愛く思う。
まさかそんなことを思われているとは夢にも思っていないだろう甘井呂は、諏訪の頬に指先で触れてきた。
「じゃあ、基本姿勢やってみるか」
「基本姿勢?」
「俺の足元に座る……さっきやられてたから嫌なら今日はやめとくか」
ハッとしたような甘井呂の言葉が、いきなり不良に掛けられたCommandを呼び起こす。聞き慣れない英単語なのに、不思議と従ってしまった。
今も、スッと頭に浮かんでくる。
「ニール?」
「そう」
本来なら、やめておこうと思うのかもしれない。
でも諏訪は甘井呂の手に自分の手を重ねて、頬を擦り寄せた。
「それが基本なら、やってみる。基本は大事だから」
「やってみて嫌だったら、すぐセーフワード言えよ」
甘井呂はカーペットの上に足をつけてベッドの端に座るよう諏訪に促してくる。
弾力のあるベッドに揺られながら、諏訪の目は一歩離れて立つ甘井呂を追う。
これまで自分が普通に話していたのが信じられないほど、甘井呂が纏うオーラは圧が強い。すぐに平伏したくなってしまうのを諏訪はこらえた。
早くCommandが欲しいと喉を鳴らす。聞き逃さないように、見逃さないように、形の良い唇を凝視した。
「Kneel」
Commandとほぼ同時に、諏訪はぺたんと座った。
足も膝も尻も、手のひらも。全て柔らかい花柄のカーペットに触れている。
甘井呂の足を見ながら、不良に強制的に座らされた時とは違うのをひしひしと感じる。
不快さは全くなく、ひたすらこの空間が心地いい。
「諏訪」
呼ばれて見上げると、満ち足りた表情の甘井呂がいた。
ゾクリと背筋が震える。
自分の体を、甘井呂の体であるかのように扱って欲しい。
してほしいことをどんどん言って欲しい。
諏訪は甘井呂の足にそっと触れて、熱い吐息を漏らす。
「なぁ、もっと、Commandくれよ」
「……本当に、素直で可愛いな」
二人は制限時間ギリギリまで、互いの高揚感に従って心を交わし合った。
お読みいただきありがとうございました!