3話 優しいDom
甘井呂と話してから、不思議なことに諏訪の体調は少し回復した。だから、
「病院に行け」
という言葉がずっと頭に引っ掛かって、「行かなければならない」と掻き立てられても、気持ちを押さえて過ごせていたのだが。
数日経ったらまたガクンと体調が落ち込んだ。胸の奥がかき混ぜられるような違和感とずっと付き合わなければいけない。
(そろそろ限界かな……くっそー……部活、休みたくないー)
昼休みに足を引きずるように購買へと向かいながら、諏訪は腹をさすった。熱もなければ咳などの風邪症状もないし、腹を下しているわけでもなく、動ける。
諏訪の基準では「まだいける」のだ。
甘井呂の言葉が気になるだけで、大丈夫だと自分に言い聞かせる。
食欲は全く無いが、食べなければ部活まで保たない。何を食べようかと頭を働かせていると、
「えーいいじゃん。Subってそういうのがうれしいんだろ? 気持ち悪ぃー」
「上手にできたら褒めてやるからさー」
会話の一部を聞くだけで不快な気分になる、人を小馬鹿にしたような調子の声が聞こえてきた。
目を向ければ廊下の端で、特に隠れることもなく三人の男子が一人の小柄な男子を囲んで笑っていた。
「おーい、何やってんだ?」
「す、諏訪」
「なんでもねーよ、な!」
こういうのは堂々と声を掛けるに限る。
少しでも後ろめたいことをしていれば、よっぽど強い意志がなければ人は引き下がるものだ。「強そうな体育会系」というイメージを与えるらしい「サッカー部の副部長」という肩書きも強い。薄ら笑いを浮かべていた男子たちは慌てて散っていった。
「人の第二性に興味津々とか小学生かよ……って、佐藤だったのか」
「諏訪……」
男子生徒たちに囲まれて見えていなかったが、こちらを見上げているのは毎日顔を合わせているサッカー部員だ。
諏訪はしょんぼりと眉を下げてか細い声を出す佐藤のすぐ側に寄る。すると、佐藤は小さくため息を吐いた。
「やっぱり気持ち悪いよね、Subなんて」
Subには「支配されたい」「尽くしたい」という性質があり、それは「いじめられたい人間である」と勘違いされやすい。
だから先ほどの男子生徒たちのような言動に繋がってしまうことがあるが、諏訪から言わせればあれはただの口実だ。
第二性が何であるかなど関係なく、あの手の輩は自分より弱いと思えば軽い気持ちで攻撃する。
諏訪は微笑んで佐藤の肩を柔らかく叩いた。
「あんなやつらの言うこと気にすんなよ」
「……あいつらだけじゃないよ。唐渡も」
「唐渡?」
「あ、な、なんでもない……」
視線を落とした佐藤が言い淀むのを見て、深入りしていいのか諏訪は悩んだ。
(なんか言われたのか……)
先日のSub dropのことといい、唐渡と佐藤の間には何かあったのだろうか。
サッカー部内では今までなかったから、諏訪がSub dropを目の当たりにしたのは初めてだった。
Playといえば、親密な二人がするものというイメージだが、唐渡と佐藤が特別な関係にあると聞いたことはない。
ただし、単に体調を整えるためにすることもある。互いに必要なタイミングだったからPlayして上手くいかなかった、という可能性は十分あるのだ。でも、それにしても二人の様子がおかしいと諏訪は思う。
(すげぇ気になるけど……俺、第二性のことよくわかんないしなー)
迷ったが、唐渡や佐藤が自分から話したいと思うまで諏訪は何も言わないことにした。当事者でないNormalが変に口を出して、余計こじれても困る。
それよりも「気持ち悪い」と第二性をなじられたことをフォローすべきだろう。
諏訪はガックリと項垂れている佐藤の頭に手を乗せた。同い年でも童顔で小柄な佐藤には、ついつい後輩にするようにしてしまう。
「俺、第二性のことは教科書程度の知識しかないけどさ……」
部室で覗いたPlayをこっそりと思い出す。
いじめるとかいじめられるとか、そんなものとは対極にあった。
ひたすら優しく甘い空気で、ドキドキした。
諏訪は自分が甘井呂にしてもらったように、佐藤に乗せた手を動かす。
頭を撫でてもらうなんて、高校生になったらなかなかしてもらう機会がない。照れ臭いけど心があったかくなるし気持ちが良いのを、甘井呂が教えてくれた。
「ちゃんと出来たなって褒めてもらえるのは、嬉しくて当たり前だろ?」
「優しいーっさすが俺たちの副部長ー君のおかげでサッカー部は平穏だー!」
「頭強い! 頭強い!」
目を細めた佐藤がグリグリと頭を擦り付けてきて、こそばゆいを通り越して手のひらが痒くなる。
ふざけられるようになって良かったと、二人でゲラゲラ笑っていると。
「邪魔」
低く冷たい声が上から降ってくる。
端っこにいたはずなのに、じゃれている内に人が歩くところまではみ出してしまったらしい。二人は慌てて廊下の隅に寄った。
「ごめんな……あ!」
「三年って思ったよりガキだな」
振り返って謝罪した先に、ポケットに両手を突っ込んで立つ甘井呂がいた。呆れ返った表情で諏訪を見下ろしていたが、佐藤に気がつくと腰を屈めて顔を覗き込む。
ピシッと硬直した佐藤が諏訪の肘を掴んだ。
「顔色、良さそうだな」
「う、うん! この前はありがとう!」
佐藤の声はひっくり返っていたが、甘井呂は慣れているのか気にした風でもない。次は諏訪の方へと視線を寄越し、整った眉を顰める。
「……お前は死にかけの顔してるぞ」
「大袈裟!」
睨まれて何を言われるのかと内心冷や汗をかいたが、心配されていることが伝わって笑い飛ばした。それでも、病院に行けと言われたのが自分の中でずっと引っかかっているせいで、このままだと叱られる気がする。
諏訪は居心地が悪くてすぐに話題を変えようとした。
「つーかさ、全然部活に来てくんないじゃん! その体格と観察眼を生かしてサッカー」
「しねぇ。この会話、会うたびにするつもりか」
あわよくば部活に入って欲しいという気持ちはありつつも、想定通り嫌そうな顔になった甘井呂に少し安心する。諏訪は朗らかに白い歯を見せた。
「お前がサッカーするって言うまでするつもりだけど」
「二度と顔を合わせたくねぇ」
舌打ちをしながら吐き捨てられたが、長めの前髪を掻き上げる仕草は絵になる。
前髪を上げる髪型も似合いそうだと綺麗な容姿に意識を奪われていると、長いまつ毛に囲まれた目とバッチリ視線があった。
「でも、病院はいけ」
ズンっと澄んだ眼差しに射抜かれる。
頷いてしまいそうになる自分に、諏訪は必死で抗った。
「夏の大会までは部活休めない。……俺たち、お互いにこないだと同じこと言ってんな」
「もう勝手にしろよ。知らね」
へらりと苦笑いする諏訪に甘井呂はため息をついて、大股でその場を去ってしまった。甘井呂がずんずん進むのを察知した周りの生徒が、慌てて道を開けている。
「見かけによらず心配性だよな」
「うん、それに……Domなのにすごく優しい」
後ろ姿を眺めながら呟いた諏訪の言葉に、佐藤が深く頷いた。
見た目はDomそのものといった高圧的な雰囲気なのに、一度会っただけの諏訪や佐藤を気にかけてくれる。
世話焼きな部分が強いタイプのDomなのだろうか。
「あんな子がパートナーなら、幸せだろうな」
「分かる」
うっとりと目を細める佐藤に同意してしまってから、諏訪はハッとする。
一体、自分は何が「分かる」のだろう。
パートナーがどうとか、Normalが考えることではない。
「いや、分かるっていうかっ! 優しい相手のがなんでもやりやすいよな! やりやすいって変な意味じゃなくて……っえっと、作戦とかも相談しやすかったりするもんな!」
何も言われていないのに焦って早口で捲し立てると、内容の脈絡のなさに佐藤は不思議そうな顔をしていた。
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