24話 待て
ビルの日陰になっている小さな公園のベンチに、諏訪と甘井呂は座っていた。
学校近くの商店街から途中で逸れて、細い道を通った先にあるその公園には二人が座っているベンチしかない。
ずっと日陰になっているせいか、気温は高くとも二人で話せそうな場所だ。
連れてきてくれた甘井呂は学校からずっと黙ったまま、ベンチの端っこギリギリに座って諏訪から距離をとっていた。
諏訪も、何から言えば良いのかとカバンの紐を握りしめる。
「あ、甘井呂」
「諏訪」
二人の声が丁度重なる。
そして、二人ともまた黙ってしまった。
気まずくて喋るタイミングが難しい。
だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。
諏訪は腹を括ってスッと息を吸うと、甘井呂の方を向いて頭を下げる。
「ごめん!」
甘井呂の方を見ることができず、木製のベンチと睨めっこして気持ちを話し始めた。
「俺、自分のことばっかりで……! お前に甘えて、酷い態度で……許してもらえなかったらって怖くて、すぐに謝りもしないで」
また涙が溢れてきそうになるのを、息を止めて耐える。泣いてしまったら、優しい甘井呂が諏訪を許さざるを得なくなってしまう気がした。
「お前は色んなSubとPlayしてるんだって思って嫉妬したんだ。本当にごめん……っ」
「……」
甘井呂は諏訪の頭に手を乗せようとして引っ込めた。諏訪はそれに気が付かず、ただ甘井呂の返事を待つ。
「謝るのは俺の方だ」
低く深い声が耳に響いてくる。
恐る恐る顔を上げると、眉を下げた甘井呂が諏訪を見つめていた。その表情からは怒りは読み取れず、諏訪と同じ不安に染まった顔をしている。
「俺のこと、怖くなったろ」
「怖くなんてねぇよ! お前は悪くな……っ」
「俺は怖い」
身を乗り出した諏訪に、甘井呂は緩く首を振る。軽く開いた膝に置いた握り拳は細かく震えていた。
「あんなにGlareをコントロール出来なかったの初めてだった」
「でも、あれは俺が怒らせたから」
「怒ってたんじゃねぇ。俺も、嫉妬してたんだ。あんたが唐渡にとられると思って」
お互いが同じ気持ちだった。
そう思うと、諏訪は胸が熱くなったし嬉しく感じる。
しかし甘井呂の表情は曇ったままだ。
「セーフワードを言ってくれたのに、逆ギレしてGlareを……最悪だ。次もああなるかもって恐怖しかねぇし、許してもらえるなんて思ってなかったけど……せめて謝ろうって待ってた」
言葉を切った甘井呂は、ようやく諏訪を見た。
諏訪は、真剣で真っ直ぐな瞳に吸い込まれるように目が離せなくなる。
「そしたら偶然、あんたたちの話を聞くことになって」
「……ど、どこから?」
「最初から」
「あ、そ、そか」
唐渡と話していた内容を全て聞かれていた。
つまり、甘井呂は諏訪の気持ちをほとんど知っているということだ。
羞恥心で、諏訪は黙ってしまう。
甘井呂も言葉を探すように唇を閉ざしたままだった。
落ち着かない静寂が二人の空間を包む。
「伝わってなかったんだって気づいた」
「な、なにが!?」
先に口を開いたのは甘井呂だった。
すかさず食いついた諏訪に、甘井呂は気まずそうに視線を揺らす。
いつも諏訪を落ち着かせてくれる深い声は、どこか拗ねているようだった。
「俺は、『正式な契約はできねぇけどあんたとパートナーになりたい』って伝えたつもりだったんだ」
諏訪は目を見開いて全ての動きを止めた。
何度も何度も甘井呂の言葉を頭の中で反芻し、記憶の中の引き出しを全て開ける。
しかし、全く心当たりがなかった。
「…………いつ?」
「これ、渡した時」
甘井呂はポケットの中からバスケットボールの飾りを取り出した。やはり甘井呂が持っていたのだと確認するとともに、諏訪は素直に首を傾げた。
「言ってたっけ」
「未成年はClaimは出来ねぇけどって渡したろ」
甘井呂は不満そうな声で飾りを握りしめた。
再び見えなくなったバスケットボールを渡された時のことを、諏訪は文字通り頭を抱えて思い出そうとした。
『未成年はClaimが出来ねぇの、鬱陶しいな』
なるほど、甘井呂は確かにそう言っていた。
諏訪は眉を吊り上げ、ベンチの上でグッと甘井呂に近づいた。
「あれで分かるわけねぇじゃん!」
「分かると思ったんだよ!」
両方ともが、全く納得ができないという声を上げる。
Claimとは、DomとSubがパートナー契約を結ぶことだ。それによって、互いが互いだけとPlayをする関係になる。
通常はDomがSubにCollarと呼ばれる首輪を贈るのだが、結婚とほぼ同義のため成人しなければClaimはできないのだ。
甘井呂は、そのCallarの代わりにバスケットボールの飾りを贈ったのだと言う。
「え? じゃあずっと……お前は俺をパートナーみたいに扱ってくれてたのか?」
「そうだよ」
全く気付いていなかった。
というのも、佐藤をケアしていた時に甘井呂が優しくとろけるようなPlayをしているのを諏訪は見ている。
諏訪はどんなに甘井呂が甘やかしてくれても、「みんなにそうなのだ」と思い込んでいたのだ。
「あれから、他の人とPlayとかしてないのか?」
「あんたと初めてPlayしてからしてねぇ」
真剣な瞳が諏訪の胸を射抜く。
じんわりと心が熱くなって、諏訪は触れてこようとしない白い手に自身の手を重ねた。
ピクッと緊張するのが伝わったが、甘井呂の手は逃げていかない。気をよくした諏訪は、ギュッと熱い手を握った。
「なんで? なんでしてないんだ?」
「どうして『なんで』ってなるんだよ分かれよ」
甘井呂は唇をへの字に曲げてしまったが、諏訪はにっこりと口角を上げる。
顔を寄せて、長いまつ毛に縁取られた目を至近距離から見つめる。
「……じゃあ、俺が先に言って良いか?」
「待て。そう言われると」
「甘井呂が好きだ。お前の、特別になりたい。俺のDomに……恋人になってくれ」
心音が耳元でなっているかのように大きく聞こえる。
顔が熱いのは、息が苦しいのは、気温のせいだけではない。
舌がもつれそうになりながら、諏訪は言いたいことを言い切った。
真正面から言葉を受け取った甘井呂は、瞳を揺らして眉を寄せた。
「待てっつったろ」
「そんなん知るか」
甘井呂の顔も、諏訪に負けず劣らず紅潮している。二人でサウナにでも入っているかのように、体温も高い。
でも、お互いの目線は絶対に逸らさなかった。
「……返事は?」
諏訪は、口を閉じてしまった甘井呂の背に腕を回す。胸の鼓動が重なった。
ちょうど甘井呂の吐息が耳に触れる距離になって、こそばゆいけれど心地いい。
甘井呂は、まだ迷いのある声で諏訪に問いかけてくる。
「本当にいいのか? また、あんたをSub dropさせるかもしれない」
「大丈夫だよ、俺たちなら。もしそうなっても、お前が責任持って俺をケアしてくれるだろ?」
「ほんと、肝が据わってる」
深い声が笑ったかと思うと、力強い腕に抱きすくめられた。汗の滲む頬と頬がピッタリと触れる。
「好きだ。あんたの恋人にしてくれ」
舞い上がった心のままに唇を寄せた諏訪へ、呼吸が止まるかと思うような口付けが返ってきた。
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