23話 嫉妬
校庭の隅に居たって、屋根が無ければ太陽の陽は強く降り注ぐ。
「……はぁ……ダルい……」
「珍しいっすね」
部活で校庭を走った後の水分補給中、思わずため息と共に溢れでた言葉に唐渡が反応した。
普段であれば疲れていても出来るだけシャキッとした背中を後輩に見せたいと思うのだが、今は気持ちも体も落ち込んでいる。
汗をタオルで拭いながらなんとか笑みを作ってみるが、ハツラツとした笑顔には程遠くなってしまった。
「ん……ちょっと体調が……」
「まだ仲直りしてないんすか。あのクソ生意気なヤンキーDomと」
「ぶっ」
図星を突かれた諏訪は、飲んでいたスポーツドリンクでむせ返る。慌てた唐渡が背中をさすってくれるのを感じつつ、朝の甘井呂とのことを思い出した。
意識を失った後、目を覚ましたときには保健室のベッドの上だった。簡素な見た目に反してふわりと寝心地のいいベッドから起き上がると、養護教諭がすぐに対応してくれた。
「Sub dropしちゃった君を、甘井呂くんが連れてきてくれたんだ。真っ青な顔してたからびっくりしたよー」
話してくれた内容によると、甘井呂は諏訪を保健室に連れてきてすぐにいなくなってしまったらしい。ただ、Sub dropしたにしては回復も早かったから、甘井呂が薬を飲ませてくれたんじゃないかってことだった。
養護教諭は諏訪から事情を聞き出そうとしたが、
「まだ慣れてなくて、抑制剤を飲むのすっかり忘れてました」
と、口から出まかせを言ったら意外と誤魔化せた。
(スマホの飾り、なくなってるし……甘井呂が持ってったのかな……)
ふらふらと教室に戻ってから気がついた、スマートフォンの飾りの紛失。留め具ごとなくなっていたから、壊れたのではなく意図的に外されたのだろう。
ショック過ぎて、その後の授業はいつも以上に頭に入ってこなかった。
部活をして体を動かしていても、ずっと甘井呂のことを考えている。
どうして女子の誘いを断った甘井呂が声を掛けてくれた時に、きちんと気持ちを伝えずに振り払ってしまったのか。
その後悔ばかりが頭をもたげてきた。
「副部長、ちょっと抜けましょう」
「え、もう休憩終わるぞ」
「良いから」
唐渡は強引に諏訪の腕を掴んで立ち上がらせた。思わず林の方へと助けを求める視線を向けるが、何故かヒラヒラと手を振られてしまう。
訳がわからず混乱したまま連れて行かれたのは、部室棟だった。
部室に入って話をするのかと思ったが、唐渡は日陰になっている壁にもたれ掛かって座った。
「ずっと心ここにあらずじゃないっすか。昨日は遠慮したけど、やっぱ洗いざらい話してスッキリしましょう」
隣をポンポンと叩く唐渡に促されるまま、諏訪は膝を抱えて地面に座る。
「……昨日の今日でお前に話すの、申し訳ねぇんだけど……」
「いいから。好きな人にカッコつけさせてください」
緩く笑う整った顔を見ている諏訪の鼻先が、じわりと赤くなってきた。
どう説明しようかと口元が迷って、ただ開閉を繰り返す。
自分を好いてくれている相手に残酷だとおもったが、もう胸の中に詰まったものを全て吐き出してしまいたかった。
涙が溢れないように眉根を寄せ、朝のことを唐渡に打ち明ける。
「甘井呂、すごく怒ってて……っ俺、妬いてただけだって、俺のDomになってくださいって言いたかったのに。もう話してもくれないかも」
言葉にする度に苦しくなる。
甘井呂はSub dropしてしまった諏訪を見て、どんな気持ちになっただろう。
唐渡は話の途中で何か言いかけるたびに手で口を覆い、ひたすら黙ってきこうという態度を示してくれる。
「あんなに優しいやつを、怒らせた……キスが特別じゃないって、そんだけで傷つけた」
いつも通りPlayしてくれていただけだ。他のSubにしていても悪いことじゃない。
一方的に嫉妬して、一方的にぶつけてしまった。湧き上がってくる感情が、全く抑えられなくて。
「でも、俺……俺は甘井呂が……ぶむっ」
「ストップ。それは俺が一番に聞くわけにはいかねぇっす」
唐渡は自分の口を抑えていた手で諏訪の口を塞いできた。何か悩むように部室棟のそばに生える木々の方へと視線をやり、それから諏訪に改めて向き直る。
「ところでなんすけど、もしかして拗れた原因、Play中のキスがどうたらってやつっすか」
「それだけじゃないけど……」
「すんません!」
突然、唐渡が深々と頭を下げた。しかも胡座をかいたまま地面に手をついたので、諏訪はギョッとする。
「ちょ、ど、どうしたお前」
「すんません見栄はりました。しませんキスは多分普通しません」
「な、なんだと」
頭を上げさせようとした手が止まる。
固まってしまった諏訪に対し、唐渡の頭は前髪が土に触れるほど下がっていく。
「副部長とあいつがキスしたと思ったら悔しくて! つい口が勝手に……!」
「唐渡ぉ!」
バシンっと頭を叩き倒したくなるのをなんとか堪えた。
知らなかったとはいえ、自分に思いを寄せている唐渡に相談したのは諏訪だ。
嫉妬心は冷静さを奪う。
今まさに、嫉妬のせいで落ち込んでいる諏訪が責めるのは違う気がした。
それに、甘井呂が他のSubとのPlay中にキスをしていようがいまいが、諏訪は嫌だと感じたに違いない。
「ま、まぁ……もしキスは特別だって言われても……俺が特別なら他の奴とPlayするなってキレてた気もするし……」
「あいつは他のSubとPlayとか、もうしてねぇと思います」
「何で分かるんだ?」
本当にそうだったら嬉しいが、そう思う理由が分からない。仮に甘井呂にとってキスが特別だったとしても、諏訪とPlayが出来るのは週末のみ。
平日に他のSubと何をしているかなんて分からない。
「……なんでって……」
困ったように言葉に詰まった唐渡の視線が上下左右どころか、また木陰の方までふわふわと泳いでいってしまう。
「つか、もう本人に確認してください」
「う……まだ心の準備が」
「向こうは準備万端っすよ。暑さで頭がやられてなければ」
唐渡は手についた土を払うと、真っ直ぐ木陰を指さした。つられて目線をそちらに向けた諏訪は、葉や枝の隙間からキラキラと反射する何かに気がつく。
(ま、まさか)
胸が大きく鳴る。
諏訪はすぐに立ち上がって地面を蹴る。
数秒後に覗き込んだ木陰では、しゃがみ込んだ甘井呂が罰の悪そうな顔をしていた。
「甘井呂! なんで……」
太陽が反射して居場所を知らせた金髪は、汗で額に張り付いている。日陰とはいえ今は七月。暑さのせいで顔だけでなく、いつもは白い首や腕まで真っ赤に上気していた。
甘井呂は前髪を掻き上げながら、眩しそうに諏訪を見上げてくる。
「……部活が終わるまで、待ち伏せ……」
「……っ」
諏訪は何も言えずに膝を地面につく。至近距離で見つめあって、熱そうな甘井呂の頬に手を伸ばした。
「んな暑いとこで待ってたら死ぬぞバッカじゃねぇの」
手が肌に触れる直前、唐渡の声が上から降ってきて諏訪は動きを止める。
諏訪についてきていたらしい唐渡は、腰に手を当てて立っていた。
「アマイロくんはクールでかっこいいって言ってるやつに見せてぇくらい無様」
「うぜぇ」
嘲笑うように降りかかってくる言葉に、甘井呂は言い返せず舌打ちする。
相変わらず険悪な二人に挟まれて、諏訪はいつものように頭を抱えそうになってしまう。
だが心配は不要だった。唐渡は諏訪の水筒を甘井呂に差し出し、柔らかく目を細めたのだ。
「副部長、このバカヤンキーつれてもう帰ってください」
「分かっ……いやいや! ダメだろまだ」
「邪魔っす」
水筒を受け取った甘井呂の横で首を振る諏訪の頭を、唐渡はポンッと軽く叩いた。
「今の副部長、居ても邪魔なだけっすよ」
辛口な後輩が今まで見た中で一番穏やかで大人びた顔をしていて。
諏訪は喉の奥に込み上げてくるものを飲み込み、小さく頷いた。
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