22話 なんで
諏訪は朝から憂鬱だった。
机に突っ伏して、昨日の自分が甘井呂に投げつけた言葉を思い出す。
(謝んないといけないのに……絶対俺が悪いのに……気まずくて声がかけられない……っ)
甘井呂がくれたバスケットボールの飾りをいじりながらスマートフォンと睨めっこする。
夜、部室を出て唐渡や林と別れてからずっとこの調子だった。
(会ったら、俺以外とPlayしないでくれって言っちゃいそうだし……でもスマホでゴメンだけ送るのもな……)
諏訪は、甘井呂の「特別」になりたかった。
頭を撫でるのもハグもキスも、微笑み掛けることさえ自分にだけしてほしい。
だがそんなことを、恋人でもなくパートナー契約も結べない状態で主張するのは躊躇われる。
ただでさえ、部活で忙しいからと予定を全て諏訪に合わせてもらっているのだ。
これ以上、縛り付けるのは気が引けた。
(言っちゃうか? 正直に全部……うーん……でも……それはそれで勇気が……)
「おい」
「んー……どうしよう……」
声を掛けられていることに気が付かず、机に頬をべったりくっつけてうなっていると。
「こっち向け」
「ぐぇ」
制服の襟首を掴まれて強制的に起き上がらされた。
無理矢理向かされた先では、真顔の美形がドアップになっている。
「…………わぁあ本物!」
諏訪はガタガタと椅子を倒して立ち上がった。それこそ教室中の生徒が何事かと振り返るほどのオーバーリアクションだったというのに。
甘井呂はいつものように笑ってくれず、全く表情が動かなかった。静かに諏訪を見下ろしているだけだ。
「話がある」
背筋が凍りそうな冷たい声。
やはり相当怒らせてしまったのだと、諏訪は指先が震えてしまう。
だが、自分は謝らなければならない。
ここで逃げたら、二度と話し合いの機会も与えてもらえないような気迫を甘井呂から感じた。
「お、俺も……」
消え入りそうな声で答えると、甘井呂は諏訪の手首を掴み大股で教室を出る。
不穏な空気を感じて立ち上がりかけた林を視線で制し、諏訪はおとなしく甘井呂に従った。
ずっと無言のまま辿り着いた場所は、式典などの前にしか開いているのを見たことがない部屋だった。
中は狭くて薄暗く、折り畳み式の机やパイプ椅子などが並んでいる。
二人きりで話すには良い場所ではあるかもしれない。でも埃っぽい部屋に入った途端に鍵が掛かる音がすれば、相手が甘井呂であっても体が強張る。
諏訪は呼吸が苦しくなってきて胸に手を当てた。
(怖い……やっぱすごく怒ってるんだ……)
背後で甘井呂が近づいてくる気配がする。謝らなければと思うのに、雰囲気に飲まれて振り返ることができない。
「……っ!?」
諏訪が何かいう前に、甘井呂に肩を掴まれた。
強い力で甘井呂の方を向かされたかと思うと、壁に背中を押しつけられる。
痛みに顔を顰めて甘井呂を見上げれば、何を考えているのか分からない据わった瞳が見下ろしてきていた。
「俺のこと、要らなくなったか?」
「え?」
低い声の問いかけに、意味がわからず首を傾げる。諏訪にとって甘井呂は、いつだって必要な存在だ。
しかし答える前に、甘井呂は尋問でもするかのように質問を続けてくる。
「あの二年のDomと、昨日何やってたんだよ」
「か、唐渡……? 何って……別に……」
答えを間違えたら致命傷になりそうなのに、諏訪は唐渡の告白を思い出してうまく言葉を紡げなかった。顔に熱が集まってきて、歯切れの悪い返事になってしまう。
それが、甘井呂の中の何かを刺激したらしい。
「Kneel」
脳に直接響くような命令がくだる。
諏訪は「そうしよう」と思う前に甘井呂の足元に崩れ落ちていた。
初めてだ。
甘井呂からのCommandに、心地よさを感じなかったのは。
恐る恐る顔を上げれば、冷ややかで獰猛な瞳が見下ろしてくる。
「あんたは俺のSubだろ」
低い声と共に高圧的なGlareが放たれた。
甘井呂は、有無を言わさずに諏訪を従わせようとしている。
頭のてっぺんから、どんどん血の気が引いていく。ガチガチと歯が鳴る。
告げられた言葉の意味も、諏訪にはもう分からなくなっていた。
甘井呂は諏訪が何も答えなくなったことに苛立ったのか舌打ちをし、床に膝をつく。強く顎を掴み、鼻先が触れそうな距離で睨みつけてきた。
「……っ」
反射的に身を引こうとするが、背後は壁だ。何も出来ないまま追い詰められる。
「そりゃ、あっちの方が一緒に居る時間も長いし、話も合うよな」
「そんなの」
「Shut Up」
「……っ」
喋っても喋らなくても甘井呂を怒らせてしまうようだ。
弁明もさせてくれる気はないらしい。
そもそも、甘井呂が怒っていることと諏訪が謝りたいことは何か微妙にずれている気がした。
なんとか呼吸だけはしようとするが、息苦しくて。
開けっぱなしになって乾いた唇に、甘井呂は噛み付くようにキスしてきた。
「……っ! んんっ!」
首を振っても胸を押しても、追いかけてきてにげられない。
まだCommandが解けておらず、声を出すことも出来ない。
この間はあんなに嬉しくて気持ち良かったのに、今は恐怖しか感じなかった。
「……は……! やめろ!!」
なんとかCommandに逆らって声を上げる。
渾身の力を込めて腕を振ると、甘井呂は一歩下がった。
互いの荒い息遣いが空気の澱んだ部屋で混ざる。
Commandに逆らうのも逆らわれるのも、DomとSubにとって精神的なダメージが大きい。
諏訪は耳鳴りがするほど頭が痛くなっていたが、甘井呂の顔色も悪くなっていた。
このままでは、双方にとっていいことがひとつもない。
「あまいろ、聞いてくれ……っ! まずはちゃんと話……っ」
「Crawl」
有無を言わせぬ凄みのある声を聞いた諏訪は、両手を床につく。
重い石が背中に乗せられたように、体が下に下がっていってしまう。
このまま身を任せてしまえば、甘井呂は満足するし諏訪も楽なのかもしれない。そう頭をよぎるが、諏訪は腕に力を込めて顔を上げた。
「やだ……っ!『知らない』!!」
「……っ」
初めて言ったセーフワード。
きっと、甘井呂も言われたのは初めてだろう。
嫌な「初めて」のオンパレードだ。
「なんで、拒否するんだ」
握った手を震わせた甘井呂が喉の奥から絞り出すような声を出す。
「なんで他のDomには触らせるんだ……!」
悲鳴のような怒鳴り声が部屋を揺らす。
ずっと発されていたGlareがさらに重くなり、耐えきれなくなった諏訪の体は床に伏せた。
「あまいろ……」
自分の体温が下がっていくのを感じる。
四肢が上手く動かせない。
倒れた諏訪を見下ろす甘井呂は、いつもの涼しい顔が想像出来ないほどグシャリと歪んでいた。
(甘井呂、泣きそう……)
諏訪は怠い腕を僅かに上げて、甘井呂に手を伸ばそうとする。
「ごめん……そんなかお、しないで」
意識が薄れていく。
甘井呂が何か声を出した気がするが、全く聞き取れなくなった。
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