21話 俺と
「終わったー」
「二人だと流石にだるいっすね」
サッカーボールが大量に入ったカゴをガラガラと部室に押し込み、諏訪と唐渡はハーッと息を吐いた。
諏訪はだらりと青いベンチに座り、唐渡は自分のロッカーから水筒を取り出す。
泣き喚いたお陰で気持ちはスッキリした諏訪だったが、泣き腫らした顔で部活に出るわけにいかなかった。ワイシャツがぐちゃぐちゃになるまで付き合ってくれた唐渡と共に、大幅に部活に遅刻してしまう。
真っ先に気がついた林は何も言わずにスルーしてくれたが、事情を知らない顧問に部活の後片付けを言いつけられたのだ。おかげでグラウンド中に広がったボール拾いを始めとする後片付けを、一年生以来久々にすることになってしまった。
「ごめんな唐渡、付き合わせて」
「俺が勝手に遅刻したんっすよ」
ゴクゴクと喉を鳴らしていた唐渡は、水筒から口を離してケラッと笑う。手の甲で濡れた唇を拭いながら、汗をかいた練習着を脱ぎ始めた。
「人気ありますね、あの一年……アマイロ」
「えっ!? な、……えと……」
肌に滲んだ汗を拭う唐渡が突然出した名前に、諏訪は過敏に反応してしまう。
何も聞かなかったのに、まるで何故諏訪が泣いていたのかを知っているかのような口ぶりだ。
諏訪の素っ頓狂な声に小さく笑った唐渡は、ワイシャツが乾いているのを確認して袖を通した。
「中学のときにPlayが上手いって評判だったらしいっすよ。同じ中学のやつからその噂が回って、Subが声掛け始めたらしいです」
甘井呂はSubに声を掛けられないために派手な格好をしていると言っていたのに、あまり効果が発揮されていないようだ。誘われてしまえば、優しい甘井呂は強く断ることができないだろうことも想像ができた。
そんな甘井呂に何度も救われているのに、今の諏訪はそれが嫌で嫌で仕方がない。己の感情にも嫌気がさしていた。
「なんで唐渡がそんなこと知ってんだ?」
自分も着替えなければと立ち上がり、ロッカーを開く。着替え始めた諏訪を横目に、唐渡は淡々とズボンを履き変えた。
「前にPlayしたやつが同じ中学だったらしくて。『顔は唐渡の方が好みだけどPlayは断然甘井呂!』って正直なご意見いただきました」
「それはひどい」
諏訪はムッと眉を寄せた。わざわざ他人のPlayと比べるなんて意味不明だ。
でも唐渡は、特に相手が悪いと思っている風でもなかった。
(甘井呂といい唐渡といい……変なとこ優しいよなぁ……)
自分の意見ははっきりしてそうなのに、最終的にはSubを甘やかしてしまう。その結果、自分の首を絞めることもあるのだから困った性質だと思う。
「まぁ……胸にはキますけど。精進っすね」
しゃがんで黒いスポーツバッグをゴソゴソと漁り始めた広い肩は、ガックリと落ちているように感じる。
「そういや最近Playしてないな。佐藤先輩が最後だ……」
「それ何ヶ月前だよ! 大丈夫なのか?」
「薬が効いてるからマシっす。なんか、やっぱSub dropさせちゃったのキてるみたいで……上手くできなくなって。ま、どーせ元々上手い方でもないんすけどね」
拗ねたように肩をすくめた唐渡の手にはピルケースがあった。諏訪は甘井呂とPlay出来ていれば薬に頼る必要もないが、唐渡は部活中は感情が昂りやすいからと、毎日飲んでいる。
中には薬が効かなかったり体に合わずに飲めない人もいるため、本人の言うとおり「マシ」ではあるが。
上手くPlay出来ない原因がSub dropなのだとしたら、完全にトラウマになってしまっている。
唐渡が錠剤を口の中に流し込むのを見ながら、諏訪は同情の念が隠せない。
「ちなみにどんな感じっすか」
「えっ」
「甘井呂のPlay」
思いもよらない質問に、諏訪はワイシャツのボタンに触れている手を止める。見下ろした唐渡の目は、揶揄おうとか世間話をしようとか、そういう目ではない。
諏訪は今、後輩に真面目に相談されていると察する。
きちんと答えなければならないと、甘井呂とのPlayを頭に思い浮かべた。
「は、ハグしたり膝乗ったり……佐藤のことも抱きしめたりしてたし皆にそうなんじゃないかな」
とにかく優しくて、声も表情も包み込んでくれる体温も、自分は大事にされているといつも感じる。
思い出すだけで鼓動が早くなり、体が熱ってくるほどだ。
『またぎゅってして』
幸せな気持ちになってきたところで、部活前に見た光景が頭をよぎる。自分だけが特別ではない現実が再び押し寄せてきた。
「無理。好きでもねぇ奴とよくそんなことできるな、あいつ」
落ち込み掛けたところで、唐渡の身も蓋もない言葉が諏訪の澱んだ空気を打ち砕く。思わず笑ってしまいながら、砂糖の塊を口に突っ込まれたような顔をしている唐渡を見た。
「えぇー……じゃあお前はどうやってんだよ」
「Kneel《跪け》、Look《見ろ》、Come《来い》とかかなぁ」
「まぁ、そうだよな。それで、カムが出来たご褒美に抱きしめたりとか」
「そのタイミングで抱きしめんのか……俺はしたことねぇっす」
「そんなこともあるのか」
甘井呂とのPlayしか経験がない諏訪は目を丸くする。唐渡の言ったのは基本的なCommandで、甘井呂もよく使うものばかりだ。でも、スキンシップがあまりないというのが驚きだった。
しゃがんだままの唐渡は、項垂れて頭を抱えている。
「つか、そういう基本すらもう出来ないんすよ……俺はDomの欠陥品……」
「ま、待て。誰もそこまで言ってないから」
唐渡が珍しく本格的に落ち込んで消え入りそうな声になっていた。諏訪は床に膝をつくと、曲がった背中を撫でてどう慰めたものか考える。
いや、慰めるというよりは打開策がないものかと思考を巡らせた。
「あの時はメンタルが不安定だったんだろ? 例えば恋人とか好きな相手ならさ! できるんじゃないか?」
「……好きな、人……」
「そうそう! 居ないのか? 居ないなら作れよ!」
できるだけ明るい雰囲気にしようと思い、諏訪は強く頷きながらバシバシと唐渡の背中を叩く。すると、唐渡はじっと見つめてきた。元々目力の強い唐渡が間近に顔を寄せてきて、諏訪は思わず体をひく。
「じゃあ、副部長。俺とPlayしてください」
唐渡が意を決したように息を吸った後、告げてきた言葉は諏訪に混乱をもたらした。
「…………な、なんで俺?」
「今の話の流れで『なんで』は酷くないっすか」
「だ、だって……え?」
「俺、一年の時から副部長が好きです。Subだって、分かる前からずっと」
日焼けした整った顔が真っ赤に染まっている。
諏訪も、顔が熱いし心臓が痛いほど鳴っている。
嘘だろ、と口走りそうになるのを飲み込んでなんと答えようかと頭を働かせた。
唐渡は、ジリジリと距離をとっていく諏訪の手をギュッと掴んだ。
「一回だけでもいいんです。Playだけでもしてもらえませんか? 絶対にSub dropなんてさせませんから」
一瞬だけ。
縋るような瞳に情が湧く。
でも。
「……っ、それは出来ない」
諏訪はすぐにはっきりと答えることができた。
唐渡の顔はくしゃりと歪むが、それでも口元は笑みを保っているのを見て胸が軋む。諏訪の手を握る手から力が抜け、ふらりとスポーツバッグの上に戻っていった。
「やっぱ、信用ないっすよね」
「違くて……」
Playは恋人としかしないわけではない。現に、諏訪と甘井呂とは友人関係だ。
健康を害さない為に、仕方なく誰かとPlayする人もいるだろう。
それでも諏訪は甘井呂としかしたいと思わないし、その理由も薄々気づいている。
「お前が俺のこと好きなら、させられない」
心を昂らせ満たされる行為を、好きな相手としたいと思うのは当然だ。でも、相手が自分を好きでなかったとしたら。
ただひたすらに、虚しい行為になってしまう。
勇気を出して告白してくれた相手の気持ちを踏みにじってしまう。
Playに最も必要なのは信頼関係なのに、それどころではなくなってしまう。
だから、同情だけでPlayした唐渡と佐藤はうまくいかなかった。それは誰よりも唐渡が一番よく分かっているはずだ。
諏訪の揺るがない瞳から目を逸らした唐渡は、フッと小さく息を吐いた。
「いま、俺フラれてますね?」
俯いてしまって表情は見えないが、声が震えている。諏訪も喉が張り付くように痛む。
「ごめんなさい」
それでも声を絞り出し、頭を下げた。
すると、唐渡がガバッと体をあげて抱きついてきた。
「慰めてください」
「俺が!?」
大きな体に体重をかけられた諏訪は支え切れずに尻餅をつき、ロッカーに背中をぶつける。ガンッと乾いた音が部室に響いた。
痛みはほとんどないものの、すぐに離れようと腕に力を込める。だが、肩口から鼻を啜る音が聞こえて手を止めた。
(……このくらいはまぁ……先輩として……)
ごめんな、と頭を撫でた時。
ガチャっと部室のドアが開いた。
「…………」
立っていたのは、顧問の先生に相談があると言っていた林だった。驚きすぎたのか、林は表情筋を動かさずに立ち尽くしている。着替え途中で衣服が乱れた諏訪と、その諏訪に抱きついている唐渡を瞳に映して。
唐渡は顔を上げられないのかそのまま固まってしまい、諏訪は愛想笑いを浮かべるしかなかった。
「林、誤解だ」
一体、何が誤解だというのだろう。慌てるあまり謎の言葉を発してしまった自覚はあったが、この状況をどう説明して良いのかわからない。
林は無の表情のまま何も言わずに部室のドアを閉め、自分のロッカーへと足を進めた。
「部室はDomSubルームじゃねぇぞ」
「今回はなんもしてねぇっすよ!!」
ボソッと林が呟くと、唐渡が勢いよく声を上げたのだった。




