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20話 煮え滾る心

「甘井呂くぅん! この後って暇ぁ?」


 ようやくテストが終わって、解放された気持ちで林と部活に向かっているところだった。

 一年生の教室がある廊下の角で、鈴の転がるような声が耳に入ってくる。

 諏訪は林と談笑していた口を止めて、ついついそちらに目を向けてしまう。


 甘井呂の肩くらいまでの身長の、細身で小柄な女子が微笑んでいる。逞しい腕に華奢な腕を絡めて、周囲の目も気にせず堂々とくっついていた。


「ああいうやつはモテるな」

「ん……そりゃそうだよ。かっこいいもん」


 林のため息混じりの言葉に、諏訪は苦笑しながら相槌を打つ。

 こちらに背を向けている甘井呂の表情は見えないが、特に嫌がるそぶりもないようだ。女子の好きにさせている様子に、胸の奥がモヤモヤと痒くなってくる。


「良いのか? お前のDomだろ」


 顔には出さないようにしていたのに、察しのいい林が視線を寄越してきた。

 諏訪は目を右へ左へまた右へ、と彷徨わせる。


「俺……俺の、じゃない……から」


 心臓が鷲掴みにされたように痛い。


 甘井呂とはパートナー契約をしているわけでもないし、もちろん恋人でもない。

 諏訪が甘井呂とPlayしたいと言ったから時間を作ってくれているだけだ。関係性は良好だし友人としても仲が深まっているとは思うが、独占権があるとも思えなかった。


 それでも、女子に寄り添われる甘井呂から目が離せない。


「あのね、すごく可愛いプレイルーム見つけたの! 一緒に行って?」

「ん……悪い、また今度な」


 自分の魅力を熟知した角度で小首を傾げる女子は、どうやらSubらしい。甘井呂が誘いをサラッと流しながら、綺麗にセットされた長い黒髪を撫でるのが見える。

 諏訪は知らず知らずのうちに手を強く握りしめていた。


(やっぱ誰にでも優しいんだ)


 林がソワソワと諏訪の様子を伺うほど、表情が固くなっていく。でも、全くこちらに気がついていない女子生徒は不満そうに甘井呂の腕を揺らした。


「もーっ最近そればっかり! 私のこと嫌?」

「嫌ってわけじゃ……」

「甘井呂くんがいいの。またぎゅってして?」

「あのな、そもそもこんなとこで……あ」


 困ったようにため息を吐いた甘井呂は、顔を動かした拍子に諏訪の姿を視界に収めた。そしてすぐ女子に離すように声を掛け、真っ直ぐに諏訪の方へやって来る。


「諏訪、テストお疲れ」


 いつも通りの涼しげな表情をした甘井呂は、後ろめたさなど何もなさそうに声をかけてきた。

 先ほどのことは甘井呂にとって日常なのだろう。

 諏訪はいつものように笑えず、ぎこちなく片手を上げた。


「おー、お疲れ甘井呂……えっと……いいのか? あの子、待ってるけど」

「いいに決まってんだろ断ったし」


 二人を取り巻く空気が、明らかに不穏な色に染まる。

 ずっと戸惑った様子だった林は、真顔になって諏訪の肩を叩いた。


「俺、先行くわ」

「ま、待て林。なんでだよ一緒に行くから」


 言葉通りさっさと行ってしまう林に、諏訪は慌てて手を伸ばす。今は甘井呂と二人きりになりたくなかった。


 追いかけようと足を踏み出した途端、力強い腕が諏訪の腰を捕まえた。背中に甘井呂の体温を感じて、何故か目頭が熱くなってくる。


「待つのはお前だ。こっち見ろよ」


 甘井呂の声は怒っている風ではないが、語気が強い。いつもならCommandでなくとも、こういう時の甘井呂の言葉には従おうと諏訪の体は動くのに。

 今は顔を上げられなくて、俯いたまま腰を抱く腕を解こうともがいた。


「可愛い子だな。Playして、頭撫でて、抱きしめて……キスしてあげろよ。『また』」


 並べ立てた言葉とは裏腹に、嫌だ嫌だと心が喚く。本当は振り返って、


『俺以外の人にあんな優しく触らないでくれ!』


 と縋り付きたかった。でもそんなみっともないことはできない。

 そんなもの、甘井呂の自由だ。自分は、その優しさの恩恵を受けているだけなのだから。

 刺々しい諏訪の言葉を受けた甘井呂は、ギュッと腕の力を強めた。


「あんた、なんか勘違いしてるだろ」

「部活だから。邪魔すんな」

「諏訪、俺は」

「痛い! 離せってば!」


 大きくなった諏訪の声に反応して緩んだ甘井呂の腕を振り解く。会話をしてくれようとしているのに、諏訪は全く聞く耳を持つことが出来なかった。

 これ以上一緒にいたら、もっと酷い言葉を投げつけてしまいそうだ。


 唖然としている甘井呂を置いて、諏訪は口を引き結び逃げるように歩き出す。


(勘違いってなんだよ。『また今度』は断ったことになんねぇし……っ)


 胸の底から湧き出てきたドス黒いものが、ぐるぐると体を巡っていく。

 初めての感情に振り回されて、諏訪はどうして良いのか分からずひたすら歩いた。


 歩き慣れているはずの学校の廊下が、暗闇の中の迷路のようだ。

 大きな不安に押し潰されそうで、どこを歩いているのか分からないような感覚に陥る。 


「あ! 副部長!」


 床だけを見て足を動かす諏訪に向かって、誰かが前方から駆け寄って来る。声だけで誰だか判断できないほど、諏訪の頭の中はパニック状態だった。


「今から部活っすか? 俺と……副部長?」

「唐渡……」


 目の前に立って覗き込んできた顔を力なく見上げる。見知った顔に少し安堵して名前を呟けば、朗らかだった唐渡の顔に緊張が走った。


「ちょ……ちょっとこっち来てください」


 腕を掴まれて引かれるままについて行く。人通りが少ない廊下の端まで移動した唐渡は、柱の影に諏訪を隠すようにして立ち止まった。


「どうしたんすか」


 心配そうに眉を下げた唐渡が青いハンカチを差し出してきて、諏訪はようやく自分が泣いていることに気がついた。

 受け取った青色にポタポタと雫が落ちていき、ハンカチを濃い色に変えていく。


「どうせ、特別じゃないんだ」


 震える唇から出た言葉の意味は、唐渡には伝わらないだろう。

 後輩を困らせたくないのに、とにかく涙が止まらなかった。


(俺のDomはあいつだけなのに……っ)


 ハンカチに顔を埋め、言葉にならずにくぐもった声だけが漏れていく。

 唐渡は何も聞かずに、遠慮がちに抱きしめてくれた。温もりがありがたくも情けなくて、それでも泣き止むことが出来なくて。

 涙が止まる頃には頭が痛くなるほどだった。


 ずっと諏訪が泣き続けていた間に。

 甘井呂が二人を見つけていたことも、唐渡と視線を合わせてから立ち去ったことも。

 諏訪は全く気が付かなかった。

お読みいただきありがとうございます!

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