17話 イタズラ
水溜りを避けてもパシャパシャと水音がする。
靴の裏以外が濡れないように慎重に足を動かす二人の傘は、畳まれたまま時折触れ合い揺れている。
「……病院、行ったんだろ」
「う、うん。送った通り、Subだって。薬とかもちゃんと貰ったぞ」
診断の結果は真っ先に甘井呂に伝え、連絡用アプリで
「おつかれ。行けてえらかったな」
と返事をもらっていた。
病院で何度もそのメッセージを読み返していたせいで、受付で名前を呼ばれても気付かないほど嬉しかった。でも。
(ちゃんとお前のとこ帰ってきたぞって、自分から言ったら変かな)
本当は直接、頭を撫でてもらいたい。
いつもの優しい声で褒めてほしい。
ソワソワしながら甘井呂を見るけれど、感情の読み取りにくい涼しい横顔は真っ直ぐ前を向いたままだった。
「薬、貰えたならもう大丈夫だな」
「……え?」
抑揚のない声が諏訪の胸をざわつかせる。
大丈夫とはどういうことだろう。
「病院でもPlay治療してもらえるようになっ」
「ま、待て! でも、でも……」
続く言葉が予想できてしまって、諏訪は甘井呂の腕を掴んで遮った。
『もう俺たちがPlayする必要はないよな』
そう言われないように何か口実はないかと頭を回転させるが、何も思いつかない。
『俺はお前とPlayがしたい!』
と、素直に伝えたくても、理性が邪魔をする。
(迷惑か? また俺のスケジュールに合わせて、休みを潰させて……)
音が乗らないまま口を開閉させていると、甘井呂はパシャリと足を止めて諏訪に向き直る。
澄んだ瞳が真っ直ぐに諏訪を見下ろした。
「……でも?」
見つめられると耐えられなくて、諏訪は目線を落とす。
甘井呂が「もうしない」と言おうとしているのに、引き留めるのは自分のわがままだ。
腕から手をそろそろと離し、力なく首を振った。
「あ、その……なんでもない……」
「諏訪」
今度は甘井呂が諏訪の手首を掴んだ。引き寄せられた手の甲に、柔らかい唇が触れる。
「ちゃんとSay」
手から直接響いてくる声に抗えない。
誰が通るかもわからないところでCommandを使うなんて、普段の甘井呂ならしないのに。
諏訪も、応えるのは嫌だと思うはずなのに。
今は、それが嫌じゃない。
言わせてくれるのが、嬉しい。
「俺……病院じゃなくて、お前にPlayして欲しい」
「Good boy、諏訪。ありがとうな」
美しい微笑みを見た瞬間、全身に広がる幸福感。
膝の力が抜け崩れ落ちそうになって慌てて目の前の肩を掴めば、逞しい腕で腰を支えてくれる。耳元に、吐息が寄せられた。
「病院行って、ここに戻ってきて偉かった」
じんわりと目頭が熱くなる。
髪を指先で慈しむように撫でられ、諏訪は甘井呂に体を預けてトロリと頬を緩めた。
永遠にそうしていて欲しいくらいだ。
しかし、甘井呂はいつもよりも短い時間で撫でるをやめてしまった。
「あまいろ……?」
物足りなくて催促するように名前を呼ぶと、ゴソゴソとズボンのポケットを探っている気配がする。
ぼんやりと視線をそちらに向ければ、甘井呂の手にはポチ袋より小さな茶封筒のようなものが握られていた。
「未成年はClaimが出来ねぇの、鬱陶しいな」
「……? そうだな……?」
ボソリと呟かれた聞き慣れない言葉に、諏訪は訳もわからないまま相槌を打つ。すると甘井呂は諏訪の手を取り、その簡素な袋を手のひらに乗せてきた。
「それ、やる。スマホにつけてたの、壊れてたろ」
「い、いいのか?」
諏訪は目を輝かせた。もう外して家に置いてあるサッカーボールの飾りを思い出す。
なんとなく捨てられずにいたが、まさか甘井呂が代わりのものを贈ってくれるとは。
「……て、お前これ……」
「いいだろ」
いそいそと中を確認した諏訪の表情が微妙な色を醸し出すのを、甘井呂はニヤリと覗き込む。
諏訪は袋の中から、元々持っていたサッカーボールと同じくらいの大きさの飾りをつまみ上げた。
「バスケ? あえてのバスケットボール?」
黒い筋の入ったオレンジ色に輝くボールが、指の先で揺れている。
嫌いではない。諏訪はスポーツ全般が大好きだ。
しかし、常に持ち歩くスマートフォンにつけるものとしてはどうだろう。
甘井呂は楽しげに諏訪の様子を観察している。
何故、こんなところが年相応に子供っぽいのか。
「野球と迷ったけどな」
「サッカーに恨みでもあんのか!?」
「付けてくれないのか?」
「く……っ!」
わざとらしく眉を下げる様子は、自分の魅力を熟知している人間のそれだ。
甘井呂の行為はあざといが、貰ったものを突き返すなんてことが諏訪にできるわけがなかった。
壊さないように、大事にバスケットボールを握りしめる。
「つける、けど……!」
明日から「なんでバスケットボール?」と見られる度に友人たちにツッコまれるのが目に浮かぶようだ。
「貰いもんって言ったら次は『誰に?』て聞かれるんだよ全く……」
「甘井呂に貰ったって言えば良いだろ?」
「そうだけど。ったく、イタズラ成功って顔しやがって」
満足気に口角を上げる甘井呂に、諏訪はやれやれと肩をすくめる。
甘井呂は目を細め、改めて諏訪を抱きしめた。
「イタズラね。まぁいい。じゃ、また週末よろしく」
「ん……」
温もりに包まれると、何もかもどうでも良くなってしまう。頭に頬を寄せられるのを感じながら、諏訪も甘井呂の肩に額を擦り寄せる。
週末は二人でまた遊びに行けると、心を躍らせたのだが、
(週末……)
諏訪は突如、顔をガバッと上げた。
「悪い! 今週は練習試合だから土日休みねぇわ……!」
熱を持っていた甘井呂の目が、スンッと冷めてしまう。
「……俺はサッカーに恨みがある」
「ごめんって!!」
体を離した甘井呂は、水飛沫が立つのも気にせず乱暴に歩き始めてしまった。諏訪は両手を合わせて追いかける。
それでも拗ねてしまった手を捕まえると、しっかり握り返してくれた。
お読みいただきありがとうございました!
このお話はまだもう少し続きますが、現在執筆中です。
また今月中には連載再開出来ればと思いますので、よろしければお願いいたします!




