15話 逆にサイコパス
「ちゃんと薬とか貰えて良かったな」
「おー……でも今日はもうすでに疲れてる……」
「雨で昼練休みなんだ。ゆっくりしろよ」
教室の机にぐったりと突っ伏す諏訪の肩を、正面に座った林は大きなおにぎりに齧り付きながらポンと叩く。
林の言う通り、窓の外はガラスを叩きつけるほどの大雨だ。放課後の部活も、筋トレや階段登り降りになりそうである。
今日は甘井呂との約束通り、諏訪は病院へ行ってきた。
予想通り「Subである」と診断を受けて、午前の授業が終わるとほぼ同時に登校してきたところだった。
「親御さん、なんて?」
「分からんこと多すぎだから勉強するって張り切ってた」
初めは半信半疑だった両親は、医師から渡された診断書を見て戸惑っていた。
でも、「だからこそ真剣に学ぼう」と、齧り付くように渡された冊子を読んでくれる様子を見て、諏訪はほっとしたと林に話す。
林は何度も頷いた。
「改めて言われると知らんことばっかだよな。抑制剤の飲み方とかPlayの回数とか」
「そうそう。病院の先生も、抑制剤は合う合わないがあるとか、やっぱりPlayが一番いいとか言ってた」
「ならお前は、甘井呂が居るから大丈夫だな」
「なんで知ってるんだよ」
「なんで気づかないと思うんだ」
急に出てきた名前に諏訪が動揺すると、林はさも当然のように肩をすくめた。
甘井呂とのことは言っていなかったはずだが、付き合いが長いせいかバレバレだったようだ。
赤くなった頬を隠すために頬杖をついた諏訪は、逃げるように話題を変えた。
「佐藤たちはしばらく自宅謹慎……三年なのにやっちまったよな」
今日、登校した時に担任の先生が伝えてくれた。
色んな生徒に話を聞いた結果、佐藤とPlayを強要しようとしたDomの生徒の二人が謹慎。
他の野次馬たちやその場で見て見ぬ振りをしていた生徒たちはお咎めなし。
結果に全く納得していないと豪語する林は、憮然とした表情で腕を組んだ。
「退学にならなかっただけマシだ。お前が『未遂だから』って先生に言ったんだろう?」
「保健室で寝てる奴らに怒鳴り込みに行ったアホを見てたら冷静になったんだよ。お前まで謹慎になる気か」
ジトっと林を見ると、ふいっと目を逸らされた。
バツ悪そうに雨模様を睨む林の横顔を眺めながら、諏訪は昨日の午後のことを思い出す。
甘井呂に教室ではなく保健室で休めと引っ張られ、丁度そこで血相を変えた林と鉢合わせた。
「諏訪! 大丈夫なのか!? 大丈夫じゃないだろう? おい! 佐藤いるのかっ!」
頭に血が上っているのが目に見えて分かる林が一方的に言葉を捲し立てたかと思うと、諏訪が何も返事をしない内に保健室のドアをぶち開けたのだ。
まるで道場破りでもするかのような剣幕だった。
甘井呂のおかげで落ち着いていた諏訪だったが、その怒鳴り声を聞いて更に冷静になった。
自分が怒る必要性がなくなった気さえした。
隣で手を繋いでくれていた甘井呂も真顔になるレベルだ。
「まぁなんか、佐藤も色々溜まってたんだろうなって」
諏訪は水筒に口をつけながら、一晩中考えていたことを呟く。
佐藤は諏訪に「Subなのが嫌なんだろう」と詰め寄ったが、あれは佐藤自身が思っていることだろう。
小柄で舐められやすい佐藤は、妙な相手に絡まれることも多かった。その鬱憤の矛先が諏訪に向かった理由は謎だったが、ストレスが掛かっていたのは明白だ。
林もそれは理解しているようで、二つ目のおにぎりを手にしながら頷いた。
「本人と直接話したいな」
「うん。というわけで、今から電話してくる」
諏訪はスマートフォンをポケットから取り出して振ってみせた。林は大口を開けたのを一旦閉じて、「良いのか?」と、眉を顰める。
「先生、やめとけって言ってなかったか?」
「しーらない」
「待て。俺も一緒に聞きたい」
悪戯っぽく笑って立とうとした諏訪の腕を、林が慌てて掴んできた。
心配してくれているのは分かるが、どう考えても電話に向かって怒り出しそうだ。
出来れば静かに、穏便に話したい。
慌てておにぎりを処理しようとしている林の肩を、諏訪はポンポンと叩く。
「ちゃんと報告するからさ、二人にしてくれ」
やんわりとお断りした諏訪は空き教室に移動した。空き教室は椅子と机が並んでいるが、廊下の端にあるため通り過ぎて行く人もいない。静かな教室で一人で椅子に座り、暗い空を眺めながらスマートフォンを耳に当てる。
やまない雨音と耳元で鳴るコール音が混ざるのを聞きながら目を閉じた。
(何から聞こう)
出なかったら出なかったで仕方ないと思っていたが、意外にも数コールで佐藤の声がする。
昨日あんなに心を乱された相手なのに、諏訪は自分でも不思議なほど落ち着いていた。
「よー、佐藤。調子どうだ」
「最悪に決まってるよ」
声に張りはないが、いつも通りの佐藤の声だ。
心の余裕はないはずだが、電話に出たということは昨日のことも話して良いということだろう。
諏訪は遠慮なく、
「なんであんなことしたんだよ」
と、本題を切り出す。
佐藤も、勿体ぶったりしなかった。
「羨ましかったんだ」
悩む様子は全くなく、端的に答えてくれる。
もしかしたら昨日からずっと、諏訪にどう説明しようかと考えていたのかもしれない。
「一緒のSubなのに、僕を助けるくらい余裕があって……ううん、誰かもわからないSubを当たり前に助けてくれて」
心の内を話し始めた佐藤の声は少し震えていて、それでもゆっくりとしっかりと言葉を紡ぐ。
前に「Subは気持ち悪い」などと言って絡まれているところを助けた時のことを諏訪は思い出した。
確かにあの時は佐藤が見えていなかったから誰かは分からずに声を掛けた。しかし、それは諏訪にとって特別なことでもなんでもない。もっと言えば、自分がSubだと気づいていなかった時の話だ。
それを佐藤は「羨ましい」と感じたらしい。
「別にそういうことすんの、俺だけじゃないだろ?」
「そういうとこだよ。今だって……僕が諏訪なら二度と顔も見たくないし声も聞きたくないよ。諏訪、逆にサイコパス」
「あれ、なんで俺がディスられてんの」
立場が逆だと唇を尖らせていると、電話の向こうで佐藤が笑う声がする。
「本当に良いやつだからさ……甘井呂くんみたいな素敵なパートナーもすぐできるし。妬ましいったら」
「あ、甘井呂はパートナーじゃなくて」
「そうなの? それでもやっぱり羨ましい。唐渡もいつも副部長副部長って」
どこか吹っ切ったような、それでいてまだ拗ねているような声。
諏訪はもう少し話が出来そうだと感じて、机に体重を掛ける。
「唐渡といえば、お前『気持ち悪い』って言われたって言ってたよな。何かあったのか?」
引っかかっていたことがようやく聞けた。
他人の家に土足で入るような真似だと思って遠慮していたが、場合によっては唐渡に注意をしなければならない。
気を引き締めて返事を待っていると。
「そんなこと言ってないよ?」
「言ってたろ!」
しれっとした声に対して、思わず立ち上がってしまう。ガタガタっと机が音を立てた。
思い返してみれば確かに佐藤は「唐渡に気持ち悪いと言われた」と明言していたわけではない。
が、あれは「言った」と言っても過言ではないだろう。あの流れは、そう思うことを見越しているはずだ。
諏訪の予想は正しく、佐藤は次のように続けた。
「そう勘違いしてもらおうとはした。唐渡の印象を悪くしたかったんだ」
「なんでそんな部活に支障が出そうなこと考えたんだよ……俺のこと普通に嫌いだろお前……」
誰になんの利益があるのか分からない佐藤の言動に脱力してしまう。
諏訪は椅子に座り直し、机に突っ伏した。ひんやりとした机が、興奮した頬に気持ちがいい。
佐藤の声は、また少し笑っているようだった。
「まさか。嫉妬してただけだよ」
「嫉妬?」
「Sub dropした日、唐渡にフラれたんだ」
「え……」
驚いた。佐藤が唐渡を好きなことを知らなかったし、気が付かなかった。
でも、唐渡が言っていた「Playはメンタルが大事」の意味が分かった気がする。フラれた佐藤も、フった唐渡も、しんどい状態だったに違いない。
「でもPlayだけでもって無理言って……結局唐渡に迷惑かけちゃった。唐渡って、諏訪が……諏訪に、すごく懐いてるでしょう? だからいつも羨ましくて妬ましくて……」
「それは……」
唐渡は確かに諏訪に懐いているし、好かれている自覚はある。佐藤が望む「好き」ではないはずだが、諏訪に矛先が向いた理由は理解した。
とにかく、色々と間が悪かったのだろう。
「諏訪ってモテるよね」
「モテるとは違うだろ」
開き直った声を出す佐藤に対して、ぶっきらぼうに返す諏訪の口元は笑っていた。
もうどうにもならないかもしれないと思っていた佐藤と、普通に話ができている。
「あはは…………諏訪」
「なんだよ」
「ごめんなさい」
機械を通して聞こえる真剣な声に、諏訪は唇をギュッと噛み締めた。
爆発してしまう前に全て話してくれていたら、昨日のようなことにはならなかったのに。
気づけなかった自分が悪かったなどとは思わないが、話してもらえるほどの信頼を勝ち取れていなかった自分を不甲斐なくは感じる。
スマートフォンを強く握りしめ、乾いた唇を開いた。
「……登校してきてからも、ちゃんと謝れよお前。ほらあれ、えーと、ニールの姿勢で」
「まだ怒ってるってアピールが下手すぎだよ」
佐藤の言葉の後に鼻を啜るような音が聞こえた気がしたが、雨が窓を叩く音ですぐに掻き消されていった。
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