12話 Play相手
「Subかどうかの区別?」
二人しかいない部室で、唐渡は眉を上げて大きな目を瞬かせた。
放課後の部活後、唐渡を呼び止めた諏訪が、
「DomはSubが見分けられるのか」
と、質問したのだ。
「うん……ていうか、DomとSubはお互いが分かんのかなって」
「なんとなくは……男と女が一目でだいたい分かるみたいな感じっす」
「そんな分かりやすいのか?」
諏訪は思わず声が大きくなる。
Normalとして生きていると、DomやSubを見分ける必要性がない。Domが強いGlareを発したり、パートナーがいるSubがつけるCollarなどがないと、見た目だけでは分からないのだ。
青いベンチで隣に座る唐渡は、水筒の蓋をカチカチと動かしながら頷く。
「そうなんっすよ。でも、中性的で分かりにくい人もいますよね? ……副部長はずっとそんな感じでした」
「気づいてたのか」
「なんとなく……ですけど」
見分ける能力というのは社会生活を通して少しずつ磨かれる感性らしい。だから、Subになりたてであろう諏訪にはまだピンと来なかったようだ。
だが唐渡の口ぶりからすると、諏訪をSubだろうと思っていたDomは他にもいる可能性がある。
甘井呂が出会ってすぐに諏訪をSubだと判断したように。
「お前はいつから俺がSubかもって思ってた?」
「去年の秋くらいっすかね。春にはなんも感じなかったのに、あれ? って」
「じゃあ、そのくらいに変化したのかな……」
Dom性が強く、勘もいい唐渡を混乱させた理由はそこにある。
初めにNormalだと判断した相手だったから、途中から違和感があっても断言できなかったのだ。
冬に諏訪が体調崩し始めた時、「もしかしたら欲求発散できていないからかもしれない」とは思っていたという。
「聞けなくてすんません! 俺の勘違いならまだいいんすけど、隠してんのかもしんないし……」
「そりゃそうだよな、聞きにくいよな……言われても『何言ってんだ?』って言ったと思うし……」
謝られるのが逆に申し訳なくて、諏訪は唐渡の頭を掴んですぐに上げさせる。それでも唐渡は神妙な表情のままだ。
「あんなに体調崩してんのに言えなくて……役に立てなかったし……先越されるし……」
「へ?」
「いえ。だから多分、副部長の周りのDomもそんな感じだったと思うっす」
肩を落としている唐渡が呟いた声が低すぎて聞き返すが、首を振って誤魔化されてしまう。
「本当に、薄々思ってただけで。確信したのはこないだのゲーセンで会った時っすけどね」
「Glareに当てられたから?」
唐渡は頷いて遠慮がちに視線を彷徨わせた。
第二性の変化が諏訪本人だけでなく、周囲にも混乱をもたらしていることがひしひしと伝わってくる。
「Sub相手の手応えって、感じがしたっす」
「そっかー……みんながなんとなく分かるなら、噂が流れてもおかしくないか」
「なんかありました?」
甘井呂も唐渡も知らないということは、諏訪がSubであることが変に噂になっているのは三年生の間でだけのようだ。他の学年とは部活が同じでなければ関わることは少ないから、当然といえば当然だろう。
諏訪は最近の出来事や昼間の甘井呂とのやりとりを、かいつまんで唐渡に話した。
「甘井呂、疑って悪いことしちまった……謝んねぇと……」
「連絡したんですよね? 返事ないんすか」
「うん……」
しょんぼりと項垂れながら、ポケットにしまっていたスマートフォンの画面を開く。
連絡用アプリを見てみても、やはり返事どころか既読にもなっていない。諏訪の表情はますます暗くなった。
「既読くらいつけろよふざけてんな」
横から覗いた唐渡が、まるで自分のことのように眉を顰めて唸る。
「こいつとの関係がとりあえずスッキリするのが副部長には一番かもっすけど」
唐渡は「こいつ」と憎々しげに「甘井呂翔」と書いてある部分を指でコツコツと突いた。それから少し黙って、息を吸う音がする。言葉が続かないのを不思議に思って諏訪がスマートフォンから顔を上げると、真剣な目に射抜かれた。
「副部長には、俺がいます」
緊張しているのが伝わる声と共に、手首を掴まれる。
諏訪が驚いて身をすくめた拍子に、スルリとスマートフォンが落ちてベンチが乾いた音を立てた。スマートフォンのケースに付け直した飾りがまた取れてコロコロと転がっていくと、唐渡がハッとして手を離す。
「あ、す、すんません!」
「い、いや! いいんだ、これ取れやすくてっ」
慌てて諏訪はロッカーの方へ行ってしまった小さなサッカーボールを追いかける。不良と会ったときに跪いた衝撃で外れてから、金具が緩んでしまっているらしい。
替え時かなと口に出したいのに、唐渡の言葉が頭を回って何も言葉にならなかった。
(今の、どういう意味だ? まるで……)
心音が早くなり顔に熱が上ってくる。ベンチに戻れず体も起こせないでいると、焦った口調の唐渡が早口で喋り出した。
「ほら! その、Playしないと体調崩すし! それに俺」
「あ、ああ! そういうことか!」
まだ言葉は終わっていなかったのに、諏訪は気付かず遮ってしまう。早とちりで熱くなった頬をぺちんっと叩くと、勢いよく立ち上がった。
「気ぃ使ってくれて、ありがとうなー!」
笑顔で唐渡の頭を撫でながら、諏訪は目から鱗が落ちたようだった。
(唐渡とPlayかぁ……想像したことなかった)
言われてみれば一番一緒にいることが多いDomだ。部活が同じなのでスケジュールも合わせやすく、お互い都合がいいに違いない。
でも、諏訪は甘井呂以外だとピンと来なかった。今はとにかく甘井呂との関係に亀裂が入ったのが辛くて、他のことは考えられない。
なんとか明日は謝らせて欲しいと、そればかり考えてしまっている。
唐渡だって本当は、毎日顔を合わせる先輩相手ではやりにくいだろう。
諏訪は後輩の優しい気遣いだけありがたくいただき、返事は有耶無耶にすることにした。
「すごい順番待ちなんだろ? イケメンは大変だな!」
「イケメンは関係ねぇ……ことはないかもっすけど、順番待ちするほどSub居ないっす」
遠慮のない諏訪にわしゃわしゃと髪を掻き混ぜられながら、口元を緩めていた唐渡が苦笑する。
第二性を持つ人はNormalに比べて少ないから、唐渡の言うことは間違っていない。唐渡は人気があるから困ったことはなさそうだが、基本的にDomもSubも相手を探すのは大変そうだ。そう思っていると、不意に唐渡の表情が曇った。
「佐藤先輩には、ほんと申し訳なかったっす……」
「やっぱなんかあったのか?」
「はい。まぁ……Playって、メンタル大事っすね」
初めて甘井呂に会った時のことを思い出す。
倒れている佐藤と真っ青な唐渡。
『唐渡だって……』
あの時に、佐藤のことを気持ち悪いなどと言ってしまったのだろうか。それならSub dropになったのも唐渡が気まずそうだったのも納得ができる。メンタルが大事、という言葉にも繋がる。
踏み込むべきか真剣に考えようとするのだが、見ているだけで蕩けそうだった甘井呂のPlayも蘇ってきてしまった。諏訪の頭がふわりと思考を止める。
諏訪が黙ったのを、唐渡は「怖がらせた」と感じたのだろう。
「俺、副部長相手なら絶対に大丈夫なんで安心してください!」
唐渡は張りのある明るい声で、拳を握りしめて見せてきた。
プライドが高くてピリピリしていることも多いが、懐いている諏訪に対しては当たりが柔らかい。いつも通りの唐渡だ。
「それは根拠のある自信なんだろうな?」
「もちろんっすよ」
一体何を根拠にしているのか不明だが、唐渡があまりにも自信満々なのにつられて表情が緩む。
まだまだ幼さの残る目の前の笑顔に、ふと甘井呂の顔が重なった。
(絶対明日、話さないと)
昼休みに追いかけなかったことを後悔していても仕方がない。
また自分を見て笑って欲しいと、諏訪は改めて感じるのだった。
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