11話 お前のことを
Subだと噂が立つようになってから、諏訪を取り巻く環境が一変した。
直接「第二性は?」と聞いてくる生徒はほとんどいなかったが、やたらとDomの生徒が話しかけてくるようになったのだ。
(Playしてほしいっていうのに、何であんな偉そうなんだよ!)
DomもSubも、欲求を発散出来なければ体調を崩す。そうならないように諏訪と甘井呂も週一回Playしているのだ。
でも、特定の相手がいるDomやSubだけではない。大抵は薬を飲めば欲求は緩和するが、出来ればPlayしたいと思うのが普通だ。
もしも「どうしても」と切羽詰まった同級生に頼まれたら、諏訪もPlayすることを考えただろう。
でも声を掛けてくるDomは明らかに諏訪を見下していた。
「Playしてやろうか」
などと上から目線で言われたら、
「間に合っています」
と、それ以外の返事があるだろうか。
いつも諏訪のことを気遣い、対等に扱ってくれる甘井呂とは雲泥の差だ。
数少ない同級生のDomたちがみんなあんな感じならば、Subの佐藤が妙に卑屈になっているのも分かる気がした。
それに加えて、ただ興味があるだけのNormalまで冷やかしにくることがあるのだから。
色々と面倒になった諏訪は、昼休みに入るや否や逃げるようにサッカー部室に向かう。
セカセカと早足で歩きながら、虚しくなる。
どうしてSubだと知れ渡っただけで嫌な気持ちにならないといけないのか。
(本当に甘井呂が広めたのか……?)
ずっと考えている。
もし甘井呂がなかなか病院に行かない諏訪に付き合ってられないと思ったとして、わざわざ第二性を人に広めるなんてことをするだろうか。
はっきりと「良い加減にしろ」と言うのではないだろうか。
(一回ちゃんと会って話したい)
一人で考えていても答えが出るわけではない。
甘井呂とは学年が違うし、諏訪は部活で忙しいので今週は一回も会えていなかった。
連絡先は交換しているが、何度も文章を作っては送信出来ずに削除している。
今回のことで連絡する勇気が、なかなか湧かなかった。
もしも、広めたのが本当に甘井呂だったら。
諏訪は立ち直れるビジョンが浮かばなかった。
(考えただけで腹痛い……甘井呂に全力であまえてたから……)
もし嫌われていたとしたら。
他のDomとPlayするのも、あまり考えたくない。
諏訪は靴箱で立ち止まって、ため息を吐く。
(あいつが呼んでくれるから気持ちいいんだもん)
「諏訪」
「おわぅあ!」
想像していた声が突然耳元で聞こえて、文字通り諏訪は飛び上がった。ズボンの後ろポケットに入れていたスマートフォンが跳ねて、カバーの飾りが落ちるほど大袈裟に。
「毎回すげぇビビるなあんた」
甘井呂は小さなサッカーボールの見た目をした飾りを拾い上げながら喉の奥で笑う。諏訪は差し出された飾りを受け取りながら、ドッドッドッと大きく鳴り続ける胸を抑える。
「だ、だだだってお前のこと考えて……っ」
「え?」
「しかも近すぎだって……あーびっくりした」
深呼吸しているのに、すぐそばに感じた吐息を思い出した諏訪は頬が熱くなる。
「俺のことって、何考えてたんだよ」
距離をとってほしいのに甘井呂は更に近づいてきて、諏訪は体をすくめる。Play中のことを思い出していたなんて絶対に言えない。
諏訪は靴を履くためだという風に、甘井呂から体を離した。
「……ん? なんだったっけー? びっくりしすぎて忘れちまったー」
「何でそれで逃げられると思うんだよ待て」
白々しすぎたかと思ってはいたが、やはりだめだった。甘井呂は靴を床に置いた諏訪の肩をがっしりと掴んでくる。
(なんか、すげぇ普通……)
もし甘井呂が嫌がらせで諏訪の第二性をバラしたのだとしたら、もう少しそのことについて探りを入れてきてもいい気がする。
完全に嫌われているなら、わざわざ親しげに話しかけてくるのも違和感がある。
甘井呂ではない可能性が高いかと安心したいところだが、「でも他にいない」という気持ちが邪魔してきて胃が重くなった。
「これから部活の昼練だからさ」
昼休みの部活は参加自由なのだが、昼練がある日には必ず参加するようにしている。答えを聞くのに猶予が欲しくて、この場を逃げる理由に使うことにした。
「また部活かよ……」
靴紐を整えている諏訪の頭上で、甘井呂の不服そうな声がため息と共に吐き出された。
「諏訪の頭の中は九割サッカーで出来てるから仕方ないよ」
靴箱の裏側からひょっこり顔を出したのは佐藤だった。ニコニコと愛想のいい笑顔を浮かべて、小柄な体が二人に近づいてくる。
「こんにちは、甘井呂くん。諏訪、一緒に行こう」
諏訪には天の助けのようだった。
甘井呂も流石に佐藤の前で先ほどの話を続けたりはしないだろう。
佐藤を思いっきり抱きしめたいのを堪えて、諏訪は元気に親指を立てた。
「おう、昼休みは短いからな!」
「話の途中だろ」
全く納得していない様子の甘井呂に、佐藤はキョトンと首を傾げる。
「何の話? もしかして、諏訪の第二性の話?」
「あ? 第二性がどうしたって?」
「いや、なんでもな」
「今、三年のみんなが諏訪に興味津々で……大変そうだよね」
まだその話はしたくなくて止めようとした諏訪だったが、遅かった。
怪訝そうだった甘井呂の顔が、更に険しい色へと変化していく。
引き結ばれた唇を見て、諏訪は腹を括るしかないと生唾を飲み込んだ。
「あのな、甘井呂……実は」
「俺のこと考えてたって、そういうことか」
「……っ」
全身の血の気が引いていく。
長いまつ毛に囲まれた、暗い瞳と視線が合う。
怒りは感じない。ただ、寂しそうな悲しそうな、そんな感情を諏訪は読み取った。
間違いなく甘井呂は気づいてしまったのだ。
諏訪が疑っていたことを。
「どう思うかはあんたの勝手だけど、俺はそういうの喋る相手いねぇから」
想像していたより静かに告げてきた甘井呂は、諏訪を責めることもせず背を向けてしまった。
諏訪は震える手を、離れていく甘井呂に伸ばす。
「待ってくれ甘井呂! やっぱ話を」
「す、諏訪! 止めときなよ! 甘井呂くん、すごく怖い顔してたよ」
必死の形相の佐藤が、諏訪の腕にしがみついて止めてくる。諏訪は振り解こうと佐藤の腕に手を掛けたが、なかなか離してくれない。
「Glareとか浴びせられたらSub dropしちゃうかも!」
「離してくれ佐藤! 俺は」
「優しい人でも、完璧に感情がコントロールできるわけじゃないんだからっ」
それでも甘井呂なら大丈夫だと言いたかったが、万が一、諏訪がSub dropしてしまったら甘井呂も傷つくだろう。
それにSubになってから関わったDomたちの印象があまりにも悪い。
SubとしてずっとDomと接してきている佐藤の感覚が正しい気がして、追いかけようとする力が緩んでしまった。
佐藤は更に言い募ってくる。
「不機嫌なDomが本当に怖いの、Subなら分かるだろ?」
「……っ! 甘井呂! 後で連絡するから!!」
すぐに追いかけて話をしないとダメだと心が言っているのに。
いつも助けてくれる甘井呂を信じないといけないのに。
諏訪の足はどうしてもすくんでしまって、動かなかった。
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