HAL
毎日多くの人々で賑わう春花台だが街ゆく者が皆、善良とは限らない。表通りから外れた裏通りにはレッドファミリーのエリアである”紅通り”があり、今日も魔核を持たぬ無辜の人間がそこへ連れ攫われていた。
「『魔人が表を歩くな』……お前らそう言ったよな?」
暗闇の中、”ジャック”と呼ばれる魔人が目の前で立ち竦む人間の男女2人組に訊ね、周りを魔人に囲まれた彼らは必死に首を横に振る。
「い、言ってな─────」
「いいや、お前らは言ったんだよ。俺らレッドファミリーは同胞を貶すヤツらに容赦しない、本来なら2人とも痛い目に遭ってもらうんだけど……チャンスをやるよ」
そう言って取り出したナイフを床に放り投げ、『あとはわかるだろ?』と彼は踵を翻してその場を去ってゆく。後を任された部下たちが歓声と怒号に沸き、スマホで写真や動画を撮ったりYou Line'sでこの状況を配信しはじめた。
街で魔人とすれ違ったのは偶然でその不気味さへの嫌悪感を言葉にしたのも、それを彼らに聞かれてしまったのもまた偶然だった。自分たちの置かれている事態の深刻さに気づき、顔を見合わせた次の瞬間には女の方が鈍色に光るナイフを手に取っていた。
「おま、なにを……」
「アンタが……アンタがあんなこと言うから、こんな事に……!」
「はあ!?お前だって笑ってたじゃねぇか!」
窮地に陥った2人の醜い言い争いでさえ、魔人たちには最高の見世物だった。しかし男が放った一言によってその余興は早くも終わりを迎える。
「とりあえずそのナイフ寄越せ!んな魔人どもぶっ殺して逃げるぞ!」
刹那、異様な空気がこの場を覆い、普段よりも重い重力に襲われているかのような感覚に囚われた2人は沈黙すると同時に魔核や魔力も持たぬ人間は魔人に対してあまりに非力だとあらためて理解する。しかしもはや後悔先に立たず、殺意を振り切った狂気や愉悦さえも感じさせる笑みを浮かべた魔人たちに嬲り殺されると思ったその時─────
「アズールドラゴン参上!そこまでだ、全員武器を捨てて手を上げろ!」
突如現れた少年はその場にいる全員へ警告を行い、まるで従う様子のない魔人たちを見てカードのようなものをゴツめな手帳型スマホケースのカードホルダーに差し込んだ。
『”HAL” application set up, approved index of ”Captain Dragon”.』
「”転装”─────」
スマホから流れる音声、足下に展開した魔法陣から湧き起こる青い炎に呑まれた少年が炎の渦を薙ぎ払い、アメリカンヒーローを彷彿とさせるような青いヒーロースーツを身に纏った姿で現れる。
魔人と比べれば儚く弱い、しかし人間は決して無力ではない。長門家の”魔眼”や有間家の”神性体質”、これらの異能を有しておらずとも魔性や神秘に立ち向かってきた者たちがいる。
春花台で起きている魔人被害の拡大に伴いNERO本部は関西支部の開賀 千晶率いる科学班と共同で”魔装兵器”の研究をはじめ、人間の生命力と体内に流れる微弱な生体電気を魔力に変換する技術を搭載した試作品が完成した。
これでレッドファミリーに対抗できると思われた矢先、魔性や神秘に無縁だった者がとつぜん魔力を発現できたとしてもそれを扱うための認識と把握に時間を要してしまう問題が生じた。
ならば魔力のイメージを固定観念化させようと開発されたのが彼の纏う魔力兵装Hero's Archive Library、通称”HAL”システムを起動させるアプリ。かの召喚大魔法、”星の記憶”をモデルにしており偉人から英雄、神や果ては大罪人にいたるまでの記録や記憶をデータ化したメモリーカードキーをスマホに装着している”アーカイブインデックス”のカードホルダーに差し込むと伝承や偉業にちなんだ能力をまるで本人が現代に転生したかのように使役できる。
『Defeat anxiety and despair Dragon Punch─────』
武装を完了した少年の変貌ぶりにどよめく魔人たち、その隙に他の人間が一般人2人組を保護する。
「キャプテン、被害者と思わしき2人組を保護しました!」
「Good! ソムリエとバトラは一般人を連れて避難してくれ、マスターの店なら安全だ!」
「了解、死ぬなよキャップ!」
紅通りから仲間たちを逃がすため1人で立ち塞がった”キャプテン”は再度の警告にも降伏の意志を見せず、むしろ敵対心を露わにするレッドファミリーに致し方なしと身体に青い炎を纏う。そして武器を振り回しながら向かってくる連中をまるで特撮のヒーローが悪役の戦闘員でも相手にしているかのようにバッタバッタと打ち倒していき、駆けつけたNEROのエージェントと共にその場を制圧した。
「御協力ありがとう、狭間くん」
レッドファミリーのメンバーが捕縛されていく中、エージェントの鎧旗という女性が協力者である”キャプテン”こと狭間 恋治に謝意を述べる。
「いえ、街の平和を守るための俺らアズールドラゴンですから。避難させた一般人も後ほどNEROに連れていきますので─────」
「オッケー、じゃあまた春花台支部のオフィスでね」
明るい声色で『失礼します!』と彼女に手を振りながら後始末をNEROに任せ、仲間たちがいる”秘密基地”へと入った恋治を店のマスターが出迎えた。
「マスター、ソムリエとバトラ来てる?」
「ああ、奥の席にいる。けど恋治、あの2人……まあ直接聞いた方が早いか」
マスターが指差した店の奥の席では今回の被害者である男女2人がなにやら不機嫌な表情で向かい合って座っており、その横で気まずそうにしているソムリエとバトラに事情を聞いてみるとそもそも今回の騒動は2人がレッドファミリーのメンバーとも知らず魔人に心ない暴言を吐いてしまった事が発端だという。
「もとはといえばあの時アンタがあんな事言わなければさぁ!」
「しつけぇな、お前も隣で一緒に笑ってただろうがよ!つかその手に持ってるナイフ俺に向けたのも忘れてねぇからな!?」
と、店に入ってからこうして言い合っては黙りを繰り返しているんだとか。店と客に迷惑になるため制止を試みてもヒートアップするばかりで2人とも一向に冷静になる気配がなく、そのうち取っ組み合いの喧嘩でも始めかねない雰囲気のなか傍観していたマスターが厳しい表情でやって来て両手の飲み物をテーブルに置く。
「ウチはアズールドラゴンを応援しててな、だからこうしてアンタらを居座らせてやってるんだ。これ以上店とコイツらに迷惑掛けるようならまた紅通りに戻ってもらうぞ?」
「い、いえ、そんなつもりは……すいません……」
「とりあえず2人ともそれ飲んで落ち着いたらこのキャプテンにNEROまで連れてってもらえ、アズールドラゴンの頼れるリーダーだ。ああ飲み物の代金は結構、俺の奢りだ……怖かったろ?」
修羅場を潜り抜けた後の張り詰めた心に優しい言葉を掛けられ、安堵感が津波のように押し寄せる。あれだけいがみ合っていた2人が『ごめん』と互いに呟き、最後店を出る直前マスターたちに謝意を述べながらお辞儀をしていた。
それからは何事もなくNERO春花台支部のオフィスに到着し、恋治は紅通りで起きた魔人騒動の被害者として一般人2名をNERO局員に引き渡したあと現場で起こった出来事をレポートにまとめていた。
「よう恋治、大変だったな。さっき魔人共の取り調べ見てたんだけどありゃ被害者側の自業自得だな!」
「……あんまそういうのオフィスのど真ん中で言わない方がいいんじゃないの?おやっさん─────」
そこへやって来たスーツ姿のガタイのいい男性から親しげに声を掛けられ、恋治の言葉を彼は笑って誤魔化した。この男こそNERO春花台魔人緊急対策本部のトップ、石黒 譲治である。
「気にするな!このオフィスで俺に文句言えるやつなんていないよ─────鎧旗くん以外は……」
小声で鎧旗の名前を呟いた石黒はすぐ気まずそうに周囲を見渡して彼女がいない事を確認する。そして気を取り直したあと『腹は減っていないか』と夕食に誘い、ちょうど両親の帰りが遅いと快諾した恋治と肩を組んで春花台の街へ繰り出した。