Buddy
クラスメイトの女子たちとレッドファミリーの縄張りである紅通りを訪れてしまった佐隈 愛子を救い、なんとか窮地を脱した悠月は春花台の情報屋、橘 ツバキに連れられて裏通りにある古いビルの屋上へやって来ていた。見た目は寂れた廃墟だが内装は整備されており、彼はこういった”拠点”をバルナの街中に複数所有しているのだとか。
「さ、ここにいるのは僕たちだけだ、自分の家だと思ってくつろいでくれて構わないよ。長門くん─────」
確信を持ってその名を呼ぶ橘に誤魔化しはきかないだろうと観念した悠月が全身に纏った白い影を脱ぎ、親友の佐隈でも気付かなかった白い人影の正体を見破られた事に動揺を隠せないでいた。
「上手く隠せてると思ってたんですけどね……」
「ああ、たいしたものさ。ああいった状況には慣れてるのかい?」
「いえ、でも友達を助けようと必死で……助けてくださってありがとうございます、橘さん」
「礼には及ばないさ。昨日、そして今日こうして出会えたのは偶然じゃないんだ。僕はね、君をずっと探していたんだよ─────」
新参者であるはずの自分を探していたというその理由を問うより先に春花台の印象を聞かれた悠月は初めてこの街へ足を踏み入れたとき見た景色になにか楽しい事が待っているんじゃないか、そう思わずにはいられないほどに心の奥底から感動が湧き上がってきたと答えた。すると誰もが皆、最初は同じ感情を抱くのだと橘がフェンス越しに広がる春花台の街並みを眺める。
「しかし今、レッドファミリーの暴動とそれを抑えようとするNEROの抗争によってこの街の空気は淀んでしまっている。アズールドラゴンも上手くやってくれてはいるがメンバーのほとんどが魔力を持たない凡人だからねぇ……そこで君と僕が組んで春花台に新しい風を吹かせようって思惑さ」
現在バルナで繰り広げられている三つ巴の戦い、そこに4つめの勢力として共に加わろうと企む橘の描いた構図になぜ自分がいるのか、その疑問に『君にはヒーローの素質がある』という答えを返してきた。あまりに不似合いな言葉に苦笑いが込み上げてくる。
「”ヒーロー”?俺が……?」
「なれるさ、だって長門 千歳の息子なんだから」
突如として語られた名前に思わず口角が下がり、身構えてしまう悠月を見た橘がなにやら気まずそうに『おっと』と声を洩らす。
「どうして父の事を?名前しか言ってないのに……」
「危ない橋の更に端っこを渡ってるのさ、伊達にこの街で情報屋やってないよ」
そうは言いながらもこれほど警戒されるとは思ってもなかったようで返事は今すぐじゃなくて構わないと話を切り上げた。そして悠月を表通りで仲間たちと走り回っている恋治のもとまで案内すると紅通りでレッドファミリーに襲われそうになっていたところを匿っていたと白い人影のことは一言も告げずにその場を去っていった。
「すまん悠月、あそこら辺は紅通りっていうレッドファミリーのエリアがあるの先に言っとくべきだった」
「問題ないよ、こうして無事にやり過ごせたし」
「……そうか、今回ばかりは橘さんに感謝だな。まあ俺らといれば安全さ、もしもの事があってもアズールドラゴンの友達が駆けつけてくれるから─────」
この街でNEROと並びレッドファミリーに対抗する自警団組織、アズールドラゴンにも友人がいると言う恋治の交友の広さに感心しながら合流したあと何事もなく散策を終えた悠月と恋治は春花台駅の改札口を通ったところでダイヤたちと別れ、地元の紫ヶ丘駅にたどり着く。
「結局、佐隈さんたちとすれ違わなかったな。紅通りで……会うわけねぇか!ハハハッ─────!」
「は、ははは……」
先程その紅通りで親友を助けていたなどと話せるわけもなく、自宅に帰ってから部屋のベッドに寝転んで深呼吸をしても悠月の昂った心は静まらなかった。RAILやモノグラに佐隈からの通知は着いておらず、かといってどのような言葉を掛けてよいかもわからないまま夜を過ごした。
翌朝、学校の教室に入って教室内を見渡すが佐隈の姿はなく、あんな事があったのだからしばらく休むのだろうと思っていたところにスマホから着信音が鳴る。RAILを開いてみるといま中庭にいるという佐隈からのメッセージが届いており、急いで駆けつけた悠月に彼女は『おはよう』と声を掛けた。
あまりに普段通りな─────いや、寝付けなかったのか目元にはうっすらとクマができてしまっていた。挨拶を返しながら隣に座るがやはり掛ける言葉が見つからず、校舎にいる生徒たちの話し声だけが聞こえてくる沈黙の中で口を開いた佐隈が昨日、一緒に春花台を訪れたクラスメイトの女子たちに魔人のグループのもとへ連れられ、今朝方その時の状況を学園長に話していたのだと言う。クラスメイトにナイフを向けられる羽目になり、命の危機を感じた間際に悠月や恋治と一緒に行けばよかったという後悔を聞かされ、ただ相槌を打つことしかできない悠月に彼女は『でもね』と声色を明るくする。
「もうダメかなって思った時に誰かが助けてくれたの。白い影に覆われてたから姿はまったく見えなかったんだけど、その人のおかげで私は生きてるしこうして学校に来て長門くんと話せてる」
「……そっか、でもちょっと大袈裟じゃない?」
「大袈裟じゃないよ、命の恩人……ううん、私にとってあの白い人影は─────ヒーローだから」
一度は憧れ、重圧に挫折して諦めた。『なれるわけがないと』自分に言い聞かせてきた。友達を助けたい一心からとった行動が知らずうちに自分を”ヒーロー”にしていたのだと、佐隈の言葉に心を強く打たれた。今度は一緒に春花台へ行きたいと言う彼女に『もちろん』と返し、自分の中でもひとつの決心をする。
─────
───
─
放課後、1人でバルナにやって来た悠月は昨日騒ぎがあったばかりの裏通りを歩いていた。目的は橘と会って話をする事、しかし彼の連絡先を知らずあの廃ビルがあった場所までの道など覚えてないのでこうして探しているのだ。
並び立つビルの合間から赤い夕日の陽射しが差しこみはじめた、日が暮れてしまうとまたレッドファミリーのメンバーに出くわしてしまうかもしれない。
「どこにいるんだ、橘さん……」
「呼んだかい?」
「うぉぉッ!?」
突如背後から聞こえた声に驚愕し、振り向いた先にはあれだけ探しても見つからなかった橘がまるでもとからそこにいたかのように佇んでいた。そして近づいてくる魔人の気配を察した彼に連れられ、再び廃ビルの屋上にて橙色に染まった春花台の街並みをフェンス越しに見下ろす。
「昨日の今日であんな場所に1人で来るなんてね、僕にいったいなんの用だい?長門くん」
「……バルナに新しい風を吹かせるって話、協力しようと思って」
「……へぇ、もう少しゆっくり考えるのかと思ってたけど、なにか君を突き動かす事でもあったのかい?」
「昨日助けた女の子、友達なんですけどその子が俺の事を『ヒーロー』だと言ってくれたのが嬉しくて……」
些細なきっかけかもしれないが、佐隈の言葉はヒーローに憧れていた悠月の心に再び炎を灯したのだ。その理由を聞いて橘がニッと微笑むがそれは決して嘲笑などではなかった。
「いいじゃないか、ヒーローっていうのは”誰か1人を救う”ことから始まるんだ。君はその女の子のヒーローになったんだね」
「……そうなんですかね」
「そうさ。長門 千歳の息子だからじゃない、友達を救うためならレッドファミリーにさえ立ち向かうその正義感こそ僕が長門くんを相棒にしようと思った理由さ」
そう言って彼は床で火にかけていたアウトドア用のコーヒーメーカーからステンレス製のマグカップ2つにコーヒーを注ぎ、ひとつを悠月に渡すと自分が持っているマグカップを掲げた。
「これより僕らは”ホワイトシャドウ”を名乗り、この街の淀んだ空気を浄化する。相棒になるわけだからね、”さん”も敬語もいらないよ」
「……わかったよ、橘」
「よろしい、では新しい風の誕生を祝おう。”同志”─────!」
マグカップが軽快な音を奏でた後、淹れられたエスプレッソをゆっくりと啜る。砂糖が溶けてドロッとした感触、いつも母が淹れてくれるコーヒーとはまた違う味わいだがこうして見下ろしているバルナの街で自分はどれだけの事ができるのだろうと考えるうちになんだかこの味さえも好きになれそうだった。