Monochrome
この日はじめて訪れた春花台の活気と見慣れぬ街並みに圧倒されながら恋治の案内で街を歩いているところに悠月は橘という青年と出会い、”本名を名乗らない”が暗黙の常識となっているこの街において堂々と名乗る彼は要注意人物とされる情報屋だった。思いもよらぬ遭遇に警戒する恋治をよそに悠月との自己紹介を済ませると満足気な微笑みを残してその場から去り、何事もなく安堵した恋治から次からこの街では”モノグラ”というSNSで使用しているハンドルネームを名乗るように念を押され、引き続き2人はバルナの街を歩いていた。
「あれ、”キャプテン”じゃないですか!奇遇ですねこんなところで」
「おっ!”ソムリエ”じゃん、これからまたメイドカフェか?」
メガネを掛けた細身のスーツ姿の男性に声を掛けられ、恋治が親しげに手を挙げて反応する。”キャプテン”というのはモノグラでの恋治のハンドルネーム、”三代目Cpt.D”から周囲が名付けたものらしい。
「いえ、今日はご贔屓にさせてもらってる店が新しい茶葉を仕入れたらしくそれを。今日はご友人と一緒ですか?」
「ああ、幼馴染で高校の親友なんだ。仲良くしてやってよ」
「長─────えぇと、”モノクロ”です。よろしくお願いします」
またもや本名を名乗りそうなのを慌ててハンドルネームに言い直し、会釈をする悠月にソムリエと呼ばれている男性も会釈を返した。そしてソムリエと別れてからもすれ違う人々に”キャップ”や”D”、”リーダー”と呼ばれ親しまれていることから悠月はこの街でも恋治が人気者なのだと知る。
そして夕方頃、街の一角にある『秘密基地』というバーに2人が訪れるとまだ開店したばかりだからなのか客は1人もおらず、カウンターの向こうに立っているマスターと思わしき男性に恋治が親しげに声を掛けた。
「Hello恋治、今日は一番乗りだな。隣のBoyは?」
「俺の幼馴染でモノクロっていうんだ、今日がバルナ初めてだからここを教えとこうかなって」
「なるほど、よろしくなNewbie。俺はこのバーの店長、まあ気軽に”マスター”と呼んでくれ。みんなそうしてる。アンタらは未成年だから酒はダメだが、大抵のドリンクと飯は出してやる。遠慮なく注文しな」
「はい、よろしくお願いします。じゃあアイスコーヒーを─────」
それから1時間ほどアメリカンなアイスコーヒーを啜りながら次第に入ってきた客やマスターとの会話に耳を傾けて夜にバイトがある恋治と共に店を後にして帰路に着く。そしてバルナで魔人に襲われた時は周囲にいる”アズールドラゴン”のメンバーに助けを求めるかアズールドラゴンの拠点であるさっきの秘密基地へ全力ダッシュで駆け込めと助言を受け、店で自分たちを含めバーに未成年や若者の客が多かったことに対しての疑問に合点がいった。
「今日はありがとな、結構楽しかったよ」
「そりゃよかった、また一緒に行こうな!」
紫ヶ丘駅前で恋治と別れ、神酒円町にある『木陰』という喫茶店に入った悠月が『ただいま』と声を響かせた。現在は夜の19時、ラストオーダーの時刻はとうに過ぎており店内には客が1人もいない。
「おかえり〜、どうしたの?店の方から帰ってくるなんて」
すると店の奥から女性が顔を出し、閉店準備中だったのか店の照明を暗くした。彼女こそこの喫茶店のオーナーにして悠月の母、長門 紗奈である。
「いや、夕飯食べないまま帰ってきちゃってさ……」
「あらそうなの?じゃあリビングで待ってて、お母さんもすぐ上がってご飯作るから」
「わかった、ありがとう」
階段を上がって2階にあるリビングの扉を開けると銀髪の少女がソファーに座ってテレビを観ており、悠月は少女に『ただいま』と声を掛けた。
彼女の名前は長門 若葉、近くの神酒円小学校に通っている悠月の妹で明日から小学6年生になる。母の手伝いをするなどしっかりした性格だが兄の前では歳相応の甘えたがりな面を見せ、一緒に外へ出掛けるほどに兄妹仲は良好。類稀なる魔術の才覚を持ち、本人は兄と同じ珀皇学園の中等部に進学するつもりではいるが以前ポストにパンフレットが投函されていたことから高校進学の際には境目町にある名門の女子校、西華高校から声が掛かるのではないかとも言われている。
セミロングの綺麗に切り揃えられた銀髪を靡かせながら振り向き、若葉が兄の帰宅に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「おかえり”ゆづ兄”、あとちょっとで夕ご飯だよ」
「ああ、いま店で母さんに会ったよ。部屋にカバン置いてくる─────」
その後、部屋からリビングに戻ってきた頃には紗奈がキッチンに立っており、慣れた手つきで家族の夕飯を作っていた。この日の献立は若葉のリクエストでオムライス、昼に春花台のメイドカフェでも食べたが母の作ったオムライスが大好物の悠月は楽しみにしながらソファーに座って妹と談笑をする。
しばらくしてオムライスが並べられた食卓にはなんともいい匂いが漂い、3人は手を合わせて『いただきます』の掛け声と共に食べ始めたがそこに一家の大黒柱である千歳の姿はなかった。
評議会現議長が起こした新事業に携わっている父は出張が多く、どういった仕事をしているのか直接訊ねた事はないが時として海外へ赴く事もあり、それでも家族を大切に思っているのを理解していた悠月はたとえ親子としてまともに話せるのが週末くらいのものだったとしてもさして気にしなかった。
「春花台はどうだったの?魔人に襲われたりとか……」
「してないしてない、事件が起こるのは大体が夜だって恋治が言ってて暗くなる前に帰ってきたから─────」
母に心配をさせないよう手を左右に振ってそう言いながら悠月は『魔人はそこら辺にいたけどね』と心の中で呟く。
長門家の者に代々遺伝により伝えられてきた特異体質、”魔眼”。幼い頃より”星映しの眼”を両眼に開眼していた悠月は見た者の体内に宿している魔力の色を見て日常生活に潜んでいる魔人を見抜くことができた。
『父のような世界を救う英雄になる』という夢を語ったりもしていたが”英雄の息子”という周囲から懸けられていた期待が重圧となっていつしかそれが疎ましくなり、自虐的な言動を繰り返すうちに皮肉屋な人格が形成されてしまった。
屈折した後ろ向きな面が見られるが根はお人好しで争いを好まず、俗世に害をなさないのであれば魔人や魔性の者たちと自分たち人間は共存すればよいという考えを持つ。
「まあ狭間くんが一緒なら大丈夫か……『1人で行くな』とは言わないけど、街の中で魔人に会ったら”グリーンバッジ”着けてる人がいる所か交番に駆け込むんだよ?NEROの人達が助けてくれるからね」
”レッドファミリー”による被害の拡大を受けてNEROは春花台に緊急対策室を設置、しかして魔力を有する魔人との戦闘は熾烈を極め、自警団”アズールドラゴン”の協力がなければ対応が追いつかないというのが現状らしい。
前に一度、和平のために話し合いの場を設けようとして主に街中で活動している魔人たちのリーダーには了承を得られたのだが、ボスである紅瀬 怜耶は『今更なにを話し合うのだ』と断固拒否したのだとか。それだけ世間からの扱いに不満を抱いている魔人が多いということなのだ。
「なんかやけに詳しいね母さん、最近バルナに行った?」
「んーん、悠月が出掛けたあとかな、狭間くんのお母さんが店に来てくれて旦那さんがNERO本部の局長さんだからお話してたの」
恋治の母、狭間 澪は高校時代の紗奈と同級生で旧姓は櫛田、夫同士が幼馴染の親友ということもあって互いに結婚して子供が産まれた現在でもよきママ友として交流が続いている。
夕飯を食べ終えて部屋に戻った悠月のスマホに恋治から明日の始業式が終わった放課後にまたバルナへ行かないかとRAILが着信しており、また行きたいとも思っていたので『行くよ』と返信してなんの気もなく開いたモノグラにも1件の通知が着ていた。
『White Shadowさんにフォローされました』
と、表示されたアカウントのプロフィールを見ても自己紹介文やぽつりの投稿もなくまるで作ったばかりのようである。不思議に思いながら白の背景に黒い人影という至ってシンプルなアイコンに目を惹かれてフォローを返し、翌朝再びそのアカウントを見てみると初期設定の真っ白だったヘッダーの画像がバルナの街並みに変わっていた。