☆5話 だから少女は少年が好き
「え……えと……その……」
想定外の――予期しない彼の沈み具合に。
少女は狼狽えて、手が付けられなくなる。
どうすればいいのか……どうすれば、主は元気になってくれるのかと。
眼を泳がせ、眉を下げて、思考しているのが――見えたからだろう。
少年は慌てて――否定的な意見は覆すことなく、フォローした。
「あ……だ、だから、そう俺の顔を立てようとしなくていいっていうか……だ、第一ってことは、第二もあるのか?」
「あ、ああ……ある……けど……」
「じゃあ、教えてくれよ。沈まないって約束するから」
今影宵の心にあるのは、相手を励ましたいという――それのみだった。
自信満々に放っていた、影宵を主にしたい理由その一。『いい人だから』
これは相変わらず否定的だけれど、聞けば二つ目も存在するらしいと。
ならば、試しに耳を貸してみるべきだと、そう判断する。
もしかしたら一つ目と同様に、あまり許せないものかもしれない。
けれど同時に、今度こそ許容できる可能性もある!
ならばそれに賭けてみるだけのことだ!
「そ、そうか……? な、なら言うぞ!」
「うんうん」
「主をやってほしい、第二の動機はな――」
「動機は……?」
「主からは大罪の匂いがするから惹かれ――あ、主っ!? なんで泣いてるんだ!?」
まだセリフの途中であるにも関わらず――しかし少年の変わりように、遮るヒナナ。
それまで繕ってはいたものの、平静としていた影宵は。
しかし少女の口から出た『大罪』の二文字に、いとも容易く砕かれた。
打ちのめされる。壊すようにバキューンされる。
思わず面を伏してしまったが、それでも約束は約束だ。
彼女が落ち込まないよう、直ちに感情を整えて再度フォローしよう。
「い、いやいや……高校生にもなって涙を流すなんて、そんなことあるわけないじゃないか……引きこもりであることに罪の意識を感じてはいたが、別に正面から『大罪』呼ばわりされて気に病んでるわけじゃない。これは……ただそう、ちょっとショックなだけで……うっ……」
「泣きかけてるじゃないか! 今にも泣きそうだぞっ!?」
うるせーやー、泣いてなんかないんだー。
……嗚咽を抑えるあまり、口が回らなかったが……たぶん、伝えられたはずだ。
――いや、伝えられなかっただろう。涙で視界が滲んでいる。
さっきから涙脆すぎる気がするけれど……いやでも、そうだろう?
ストレートに子供から『おまえは大罪だ』と言い放たれたら、こうもなるだろう。
特に――影宵の場合、思い当たることがあったために。
――『部屋にこもる』という罪から、毎日逃げていたために。
それを小さな子から指摘されるのは……あまりに、あまりにも突き刺さった。
貫通するほどに、突き刺さる。
「な、泣き止んでくれ主! 何も主が罪人だとか、そういう意味じゃなくてっ、主が持ってるスキルから漂うオーラがヒナナの琴線に触れたんだっ!」
「……へ? スキル?」
思いがけないワードに、影宵は涙目になりながらも視線を上げた。
その様子に、ブンブンと首を縦に振るヒナナ。
「そうっ、そうっ! 主が持ってる『大罪スキル』!! それにヒナナは惹かれたんだーっ」
「…………」
頭真っ白な少年には。
ヒナナの説明は――噛み砕いて呑み込むのに数秒を要したが。
そういえば天使からチートスキルを授かっていることを思い出し。
なんでよりにもよって『大罪スキル』なんだよと嘆きそうになったが……まぁ。
気を取り直したように「こ、こほん」とわざと咳をして、目尻を拭いて座り直した。
「……わ、悪い。勘違いして先走って……うん。そういうことなら納得できるよ」
「そ、そうか……良かった……」
本気で胸を撫で下ろすその様子に、少々、悪いことをしたな……と感じる影宵。
どこか彼女から目を逸しながら、続けてこんなことを尋ねた。
――やはり、こんな自分に主など務まらない、と思いながら。
「なぁヒナナ、俺を主にしたい理由って、三つ目はあるのか?」
「え、えーと……『なんとなく』、くらいしか……」
ただならぬ雰囲気の少年に、たじろぎながらも少女は答える。
恥じるべきでない答えを、堂々としていいはずの答えを。
だけれど――ヒナナは本当にこれでいいのかと迷った。
彼に“迷わされた”。けれどその必要はないはずだと、口にする。
……それが、まずかったとも知らずに。
「……やっぱり、そうだよな」
ヒナナの返答を『覇気がない』と見做し、目を閉じる影宵。
思った通り――この子はちゃんと判断していないと、そう捉える。
不明瞭な材料で、勘などという適当なものに頼った、どうしようもない理解。
“そんなこと”で主に選ばれたことに……やや不満を覚えるけれど。
気に入らない相手ならまだしも。
あくまでも好意的な小さな女の子に、悪態をつく十六歳の男子というのは……。
この絵面は、さすがに問題だろう。
だから少し、説教じみた口調になりながらも、なんとか説得しようとする。
「ヒナナ、俺には吸血鬼にとって従者が何なのかとか、主がどういう役割を持っているのかよく知らない。けど、もう少し慎重に選んだ方がいいと思うよ」
「慎重に見極めて、慎重に見定めた方がいい」――そう伝えると。
図星を突かれたのか、少女は大きな赤い瞳を丸くした。
驚いたように――目を見張らせる。
キツイ言い方をしてしまったかもしれないけれど、これはヒナナのためでもある。
こうして突き放すことが、互いのためだと。
ようやく主人だの従者だの、そんな訳のわからない交渉から解放されることに。
安堵のような心持ちに変わった――その瞬間、
「主のそれは、慎重とは少し違う気がする」
「……え?」
幼い少女から発せられた、その言葉に。
“影宵”の方が、図星を突かれたような感覚に陥った。
時が止まる。声が詰まる。思考が消える。鼓動が響く。音が遠のく。
できることは――相手を確認するという、それだけ。
……見れば、少女は視線を横に動かしていた。
バツが悪そうに……けれど、撤回する気はないと。
その口は続ける。
「慎重っていうのは――冷静なことを指す言葉だ。だけど主は――主のそれは、違う。慎重とは呼べない、建前にしかなっていない。調子が違う、重みが違う、使い方が違う。主はただ――ただ自分に、自信がないだけだ。……衝動だ」
ヒナナには……そう聞こえる。
――その声色は、苦悶を物語っていて。
――その俯きは、後ろめたさを物語っていた。
こんなこと、話していいのかと。指摘してはならないかもしれないと。
逡巡の末に、絞り出されたような……そんな思いが込められていた。
それを受けて少年は、途方に暮れるしかない。
その発言が“間違っていない”からこそ、そうすることしかできない。
『自分に自信がないだけ』……どこかで理解していたことだった。
だけど、認めたくないことでもあって。
こうして悟られたくもなかったこと――
「ヒ、ヒナナはっ!」
沈黙に塗れた空気の層を、少女の思いやりに溢れた咆哮が破る。
少年の浮いていた意識も――地に着き、戻る。
彼女がこれから紡ぐ言葉は、聞くべきだと。
聞いて、その耳に焼き付けるべきだと。
――『本能』が、そう囁いた。
自分が無下にしたはずのそれに――その身は黙って従う。
「ヒナナにはっ、なんで主がそんなに自分を嫌っているのか……わからない。どうしたらいいのかも……けどっ、ヒナナは主に主をやってほしいんだっ! ヒナナは真剣だっ! 主が悪い人間じゃないのは絶対なんだっ!!」
少女の不安でありながらも、決然とした態度の後。
それからまたも、二人の間に数秒の沈黙が訪れた。
一秒、二秒、三秒。
少年は身を固くして、けれど、少しずつ吸収する。
最後の一欠片を喉に通しきった時――ようやく返しらしい返しを、した。
「……まだあんたと出会って、三十分も経ってないと思うんだけど……他人も同然な相手を、そんな簡単に信用していいのか?」
かろうじて反論できたのは……それだけ。
でも、覆しかねない一言であると、影宵はそう思う。
人選とは相手の思想やそれまでの言動、自分と築いてきた絆で決まるのだから。
だから、まだそれらが充実していないだろうことを指摘できると考えた。
……だけど、もしもそれさえも織り込み済みだったなら……その時は。
「ふぇっ!? あ、えと……そ、それはほら! 少しずつ日を重ねて強固されるものだしっ!? 裏切られたときになって切ればいいだろう縁なんてものはっ!! ヒナナはやってみたいんだYOっ!」
「えぇ……」
……本当に思慮の外だったのか。
というか、なぜ最後に「よ」が「YO」になってるんだよなど。
言いたいことは様々あるが……その、少女の姿に。
懸命に、目をつむって勢いよく腕を振りながら喋るその意志に。
とうとう少年は折れて、諦めたように苦笑いを浮かべる。
「……わかったよ。ヒナナの主役を引き受ける」
「ほ、本当か!?」
「ああ、後悔しても知らないけど――」
「ありがとうっ!」――どれだけ、どれだけ影宵が“自信のない”顔つきをしても。
不穏な発言をしたとしても……ただ、ヒナナは笑顔を溢れさせた。
これ以上なく嬉しそうに。
吸血鬼であるというのに、太陽のように笑って“主”に感謝する。
その明るさは、もはや眩しさを伴わせるほどで。
……仄暗い少年には、あまり視界に入れられない。
隠しきれない不平不満が、劣等感が存在したから。
けれど。
これでいいのだろう……という感想も、確かに胸の中にあった。
この子は“いい子”だ。きっと大丈夫。
(……何より)
自分を『悪い人間じゃない』と扱ってくれた人は――過去に一人もいなかったから。
……その、恩返しだ。




