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トンネル群奇行_フィールドワークレポ

作者: うっかりメイ

 新しい自転車がほしい。重たい車体を押しながら彼はこっそりと思った。真夏のコンクリートの上では特にそう思う。主人が汗水垂らし、坂道を押して登っているというのに。こいつはのんきに一定間隔で囀っている。住宅街の中にいつもの駄菓子屋を見つけ、自転車を停める。今の瞬間だけは冷たいアイスがとにかくほしい。

「おばちゃん、アイス」

「はい、十円」

 小学生のお小遣いにぴったりな値段と値段相応の青い、小さなアイスキャンディ。ちらりと壁の時計を見る。二時一二分、友達の家まで三十分はかかる。しかし約束は二時半だ。

(山道を登ってショートカットできないかな?)

 たっぷり一分はそこにいた。財布の奥から百円玉を取り出し、意を決して言い放つ。

「おばちゃん、凍ってるやつ頂戴」


 冷たいリュックを腹に抱えながら、少年はトンネルの前に立った。団地から外れた国道沿いにあるそれは向こうが見えるほどには短い。息継ぎをするようにいくつものトンネルが連なり、まるで誰かの喉の奥を見ているようだ。過去にひとりの男性が行方不明になったらしいが、実際のところは分からない。薄気味悪いところがあればそれ相応の噂が立つものだ。彼はそう思い込むことにした。今は何よりも時間が惜しい。地面を蹴り、ペダルを漕ぐ。中は思ったよりも明るい。回転する軸の音が反響していつもより近く聞こえる。トンネルは全部で四つある。集落を横切って山の中をくぐり抜けるのだが、三つ目と四つ目のトンネルの間が完全な山道なので、そこを素早く攻略できるかがタイムを左右する。トンネルでは差はつかない。クーラーのように涼しい風が前方から後方へ流れていく。力いっぱい漕いでも体力の消耗は少ない。彼は楽しくなってきたのか、ギアを六速に変え、立ち上がる。全力疾走で二つ目のトンネルを置き去りにする。三つ目は少し曲がっており、先が見えない。しかし彼の全力を留める理由にはならないようだった。

「イヤッホー!」

 トンネルの先の光に飛び込み、しばらく慣性に任せて夏の日差しで冷えた体を温めていた。そして鬱蒼とした森を探す彼の目に飛び込んできたのは思いもよらない光景だった。青々とした田んぼが広がる、車の影もない国道沿いの風景。向こうには小さな村が見える。その中には友達の家もあるはずだ。しかし、四つ目のトンネルはどこに行ったのだろうか?今来た道を振り返ると、そこは通ってきたはずのトンネルが口を開けていた。不思議に思い、覗き込んでみてもその先は何も見えない闇が広がっていた。木々が覆う山道だ。ハイになって山道を一瞬で駆け抜けたのだろうか? 道を戻ってみてもいいかもしれないが、それよりも時間に遅れることが嫌だった。集合に遅れたビリはお菓子を買いに行かされるのだ。

 少年は再び地面を蹴った。


「ここだな」

 夏の終わり、二人の大学生らしき男が自転車にまたがったまま道路脇の一箇所を見つめていた。とある団地からほど近いそこは手入れされているのか、思ったより陰鬱な場所ではなかった。

「ここが例の話のモデル、ですか?」

 言われた方はムッとした表情で振り返る。

「モデルじゃねぇよ。俺がいつ嘘をついたよ?」

「嘘はつきませんが、適当なことばかり言いますよね先輩」

 彼は舌打ちをして、「ああ言えばこう言う……」と背を向けた。彼らの視線の先には薄暗いトンネルが見えた。自転車を漕ぎ、中に入る。外から見るよりずっと明るく、新しいコンクリートが滑らかに見える。

「外より涼しいですね!」

「夏だからいいけど、冬はマジで寒いぜ?」

 先輩がよく行っていたらしい団地の駄菓子屋(今は潰れてコンビニになっていた)でスポーツドリンクを買っていたが、あまり汗はかかなくて済みそうだ。タイヤが地面を滑る音、軸が空転する音。トンネルはごく短く、反響していた音はすぐに途切れた。二つ目には少しヒビが入っていた。それでも外からはわからない明るさが中の静寂をマシなものにしている。あっという間についた三本目。先行していた先輩に追いついた青年は彼に倣ってサドルにまたがったまま片足で停止する。先輩は唇をへの字に曲げて、その先を眺めている。中は途中で曲がっており、先が見えない。

「悪いけど先行ってくれねぇか?」

 頭をかきながら彼は道を譲る。いつもの先頭を行きたがる男にしては珍しい。

「嫌ですよ! 先輩が言い始めたことじゃないですか!」

「そんなこと言わずにさ、そもそもお前が面白い場所とか聞いたんじゃねえか」

「ぼ、僕のせいですか! 男らしくないっすよ」

「うるせえ、お前だって男だろ! 後輩に貴重な体験をさせてやっているのがわからんのか」

「そんなの後ろにいたって変わらないじゃないですか!」

「ま、そんなに言うなって。後で焼肉奢るからさ」

 必死の先輩にまだ納得がいかないものの、仕方なく自転車を漕ぐ。

「お酒も頼みますからね!」

「しょうがねぇな」

 中はやや暗かった。壁が黒いからだろうか? 蛍光灯はまだ死んでないというのに。前から吹き抜ける風は山の冷気以上のものを運んでいる気がした。

 曲がったトンネルの出口が見えた。外は眩しいくらいに明るいが、自転車はすぐに止まれない。出口をくぐり抜けると、むわっとした熱気と蝉の鳴き声の洪水が押し寄せてきた。

 やはり先輩の話はでたらめだったのだ。

「先輩、普通に山道に出たじゃないですか」

 後ろを振り返ると、そこには誰もいなかった。トンネルの曲がり角で身を潜めているかもしれない。確認してきたところを脅かす腹づもりなのだろう。

「その手には引っかかりませんよ!」

 案外先輩は小心者らしい。大方過去の記憶でここが薄気味悪かったことだけは鮮明に覚えており、封印でもしたのだろう。そして四つ目のトンネルを抜けてきた記憶と整合性を取ろうとした結果、今回のような話が出来上がったに違いない。

 彼は自転車を漕ぎ始めた。どうせ後からついてくるだろう。山道は当たり前だが、人気がない。下草の波が胸のあたりまでさざめき、自転車の存在はリズムを刻む金属音とハンドル越しでしか伝わらない。長袖を着てきたことに心底安堵した様子で進む。

 五分くらい歩き、唐突に目の前が開けたときは二重の意味で驚いた。まず、手入れされた道があるとは思わなかった。今までの下草が生え放題の獣道とうって変わり、二股に別れた道がはっきりと見えるほど下草が刈り取られている。こんなところを管理している人はさぞかし大変だろう。できればここに来るまでの道も整備してほしいものだが。

 どちらかといえばもう一つのほうが重要だった。倒木が道の左端に打ち棄てられているのだが、そこにボロ布を身にまとった人が座っているのだ。フードを被って顔などはわからないが、ホームレスだろうか? 声をかけるか迷ったが、絡まれるのもご免だったので先を急ぐことにした。直感的に右を選ぶ。こういうときは大抵外すものだが、もしかしたら、ということもある。程よく湿った道を自転車を押しながら進む。

 果たして、ぬかるみを避けながら辿り着いた先は朽ちかけのトンネルだった。入り口は金網で塞がれ、人が入る隙間はないようだ。スマホの明かりで中を照らしてみたが、納得できる成果は得られなかった。ひとつ、わかったこととしては山に入るほど壁の黒ずみが酷くなるくらいのことだ。

「おーい」

 試しに呼びかけてみたが、やや反響して返ってくることはなかった。向こう側はちゃんと開いているらしい。わかっていたことだが、こちらは例の四本目ではないようだ。

「 」

 何か聞こえたような気がした。低いうめき声のような、かすかな音だ。再度耳を澄ましてみても、別の音が聞こえるわけでもないようだ。一度だけ大きく、身体が勝手に震える。自転車を反転させて先程の分岐に戻る。今度は左だ。ホームレスはまだいたが、できるだけ見ないようにしながら右に曲がる。段々と深くなっていく下草をかき分け、トンネルにたどり着く。結局先輩は見かけなかったが、どうせ先に行っている。地元民だから右に廃トンネルがあることは知っているだろうし、ホームレスの存在も知っている。彼は盲目的に信じることにした。久々にまたがるサドルはなぜかひんやりとして、あたりを静けさが覆っていた。

 勢いよく車輪が滑る。この先は少ししたら国道沿いの歩道に出るはず。先輩の話を思い返しながらペダルを踏む。ゆっくりと進む車体がふと止まる。行く先には下草の深い獣道。仕方なく降りてハンドルを押す。草の海の中で進んでいるのかもと来た道を戻っているのか、感覚が曖昧になる。

 長いため息が出た。目の前の光景は明らかに何かに巻き込まれたことを示していた。

 開けた分岐地点、倒木、人影。人がいなければ同じような場所に出たのだ、と断言できた。来た道を引き返してみる。どこかで道を間違えただけだ。そう言い聞かせながら自転車を押す。

 結果は同じだった。見慣れつつある場所に出てきてしまう。おまけに最初に見た風景だ。道の左端に倒木があり、ホームレスが鎮座している。スマホを手に取り地図を起動しようとしたが、充電が切れている。朝は満タンだったものの、そろそろ寿命かもしれない。額を袖で拭う。数滴の汗が引き伸ばされるように袖口を薄く染める。

「すみません、国道に出る道を知りませんか?」

 動かない影に声をかける。地元の人ならここの道も分かるはずだ。しかし、問いかけに対する応答はなかった。ゆっくり近づいてみるが、彼の動きに対する反応は依然としてない。フードの前で手をかざし、振ってみせる。耳元で柏手を打ってみても。肩を無遠慮に叩いてみても。何をしても人影は反応しない。ついには恐る恐るフードの中に手を入れてみた。鼻だと思われるあたりを触ってみる。

 とっさに手を引っ込める。何も付着した痕跡はない。しかし、弾力を失い、冷たい皮膚の感触は後を引くように纏わりついた。フードをめくってみる。

 窄まった喉を空気の塊が通り抜ける。

 ぼろ布を身にまとったその男は目を見開いてこちらを見ていた。自転車のサドルにまたがり、左の道を突っ走る。下草が邪魔をしようとも構わず。チェーンがギアを走り抜ける音がやけに耳についた。

 そして再び戻る。開けた場所にはお馴染みの顔ぶれが揃っていた。左右に別れる道、フードを被った男――おまけに死んでいる。今度は右に向かって走り抜ける。しかしあの場所から離れることはできなかった。しばらくぼんやりと止まっていたが、ちらりと腕時計を見る。いつの間にか止まっていた。これも電池切れだろうか? 見上げてみれば辺りは夕方の薄闇が覆っている。夏に似合わない冷気は服を通り抜け、肌を突き刺す。彼は諦めたように倒木に座る。死んでなお坐す男は何も反応を返さない。

 しばらくして奇妙なことに気がついた。フードを被った男を再び見る。先程この中身を見なかっただろうか? 眼を見開いた青白い顔面が脳裏に浮かび上がる。そうだ。こいつはいつの間にかフードを被り直していた。オカルト的に考えれば死体が動いて被り直した、とかだろう。しかし別の仮説も立てられるではないか?

 人や動物が被せ直したとか? それにしてはこの男の位置はちっとも変わっていない。そもそも虫の鳴き声すら聞くことのないこの空間なら動く気配だけでも感じ取れる。

 では風が吹いたか? それならば自分がその吹き付ける感触を感じていてもおかしくない。風でうまいこと布の袋が元の位置に戻ることなど難しいのではないだろうか。

 ありえそうで可能性の薄い説明を思い起こしては消していく。

 時間が止まっているのではないだろうか?

 唐突にオカルトよりもありえない考えが頭をよぎる。勢いよく頭を振るが、その考えは離れない。恐る恐る周囲を見渡すと、薄明るい夕方の灯りが森を包んでいる。陽はまだ落ちないらしい。やはりここは時間が止まっているのではないか? 時計の針が止まっているのも、スマホの画面が起動しないのも。なぜ自分が動くことができるのかはこの際おいておく。彼は悩みに悩んだ挙句、フード男の裾をまくり、腕に時計をつける。次にこの場所に来た時、どうなっているだろうか。ゆっくりとハンドルを押す。

 見慣れた分岐路にたどり着くと、いつの間にか腕時計が右腕に戻っていた。男の裾も元の長さに戻っている。時計の針は依然として動いていないが、ここが時間の面で特異的な空間であることは理解できた。問題はここをどうやって切り抜けることができるか、だ。再び倒木に座り込む。何気なく男の衣服の中を探ってみる。中からは固い感触が返ってきた。取り出してみると、煙草の箱とライターだった。生前吸っていたものだろうか?

「ほしいのかな?」

 箱からしわくちゃの紙巻きを一本取り出し、慣れない手つきでライターの火をつける。紙が焦げただけでうまくつかない。空気の流れが必要なのか。合点がいった彼はそれを咥え、息を吸い込みながら火をつける。今度はうまくいっただろうか。そう思う間もなく、勢いよく吸い込んだ煙で喉が灼ける。せき込み、急いで口から離した。咳が落ち着いたころを見計らって彼は男の口を開き、その隙間に咥えさせてやる。

 ようやくここから出られそうな気がした。何のことはない。この男は弔ってほしかったのだ。自分では動けないから道行く人を引き留め、煙草を吸わせてほしかっただけ。彼は立ち昇る煙を視界から消し、自転車のハンドルを押した。

 草が生い茂り、胸の高さまで来た時、トンネルが見え始めた。中は今までのどのトンネルより暗かったが、出口からは眩いばかりの光が見えた。車軸のさえずりが壁に反響して心地いい。出口に近づくたびに目の前が真っ白に塗りつぶされていく。


 いつの間にか国道沿いの歩道に立っていた。先ほどまで自転車で山道のトンネルを通っていた。はずなのだが、三本目のトンネルをくぐってからここまで記憶がない。

「何ぼさっとしてるんだよ」

 突然声をかけられた。目の前には先輩が自転車にまたがっていた。

「あれ、先輩いつの間にそこにいたんですか」

 記憶の限りでは彼が先行してトンネルに入ったはずだ。しかし、いつの間にか先輩が先行したらしい。

「わかんねえけど結局お前が後ろだったからおごりはなし、な」

「えぇ、そんなあ。でもせっかくなのでおいしいもの食べに行きましょうよ」

「やけにあっさり引き下がったな。いいだろう、近くにお好み焼き屋があるから持ち帰ろうぜ」

「あ、待ってください。その前にコンビニ行きたいです」

 先輩が自転車を漕ぎ始めるのを制止する。

「おう、まあいいけどビールなら家にあるぜ?」

「違うんです。たばこを買っていこうと思って」

「おっけー。ってお前吸ってたっけ?」

 自分の口から出てきた言葉にやや驚く。大学生になって、二十歳になっても煙草とは縁がなかったのに。

「たまにはいいじゃないですか」

 ゆるんだ口角をそのままに自転車にまたがる。夕陽はゆっくりと地平線に沈んでいくところだった。

面白ければ評価などしていただけると嬉しいです。

感想など書いていただけると励みになります!


多摩湖手前にある隧道をモデルにしました。

興味のある方はぜひ行ってみてください!

行く際は心霊スポットではないので、ご近所や通行する方の迷惑にならないようお願いします!

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