父からの試練。それはまさしく試練。
「大地くんはリンゴジュースをよく飲むそうだね。どうぞ」
俺、佐々本大地。H大学2年生。
今、山奥の小屋……じゃなくって、小さなレストランにいる。俺の正面にいるのは、店長こと香澄ちゃんのお父さんだ。俺からするとお義父さんだな。
お義父さんは優しそうな笑顔でリンゴジュースを勧めてくれたが、その表情が逆に怖い。
「はい、いただきます。お義父さん」
俺はそう言いながらリンゴジュースのグラスを手に持った。お義父さんは白いコーヒーカップを持ち、穏やかな雰囲気でこう言った。
「君にお義父さんと呼ばれる筋合いはありません」
ああん! お義父さんってば、そんな漫画みたいなセリフ言わないで! ……と、思いながら、俺はストローに口をつけ、ひと口飲んだ。ジュースというより、リンゴの液体を飲んでいるようだった。かなり美味しい。
しかし、緊張のせいでジュースが思うように進まない。
香澄ちゃんはレストランにいない。お義父さんが作ったサンドイッチの入ったランチボックスを持って、外へ出た。
つまり、レストランには俺とお義父さんの二人っきりである。どうしよう……
お義父さんはコーヒーをひと口含んだ後、優しい声で俺に話しかける。
「今日はすまないね。香澄から君の話はよく聞いてるよ。だから一度、君に会いたいと思っていたんだ」
「え? そうなんですか?」
「大地くん、君は香澄と結婚したいそうだね」
いきなり本題がきた。
「はい! 俺は……他の誰よりも香澄さんが好きです! もし、お義父さんが結婚に反対だと言うのであればーー俺はお義父さんに認めてもらえるまで、何度も頭を下げます!」
お義父さんに俺の熱意が伝わっただろうか? もし反対だったら、また出直してくればいい。お義父さんに認められるまで、俺は諦めないつもりだから!
――コトン。
コーヒーカップがテーブルに置かれる音が静かに響き渡った。
お義父さんは無言で俺に圧力をかけている、ように見えた。うぅ、負けるもんか!
「君の気持ちは痛いほどに伝わったよ。先に結論を言うとね、僕は結婚を認めてもいいと思ってるよ」
え? お義父さん、今結婚を認めると言いました? 俺の心は光で満ち溢れた。
「お義父さん! 認めてくれるんですか!? 結婚を!」
「ただし、一つだけ条件がある。その条件を守ってくれれば僕は快く君たちを祝福するよ」
俺は唾を飲む。
「君が大学を卒業するまで、香澄とキス以上の行為をするのは禁止」
キス以上の行為って、キスとハグと、あとは体かぁ……という事は!
「手を繋ぐのは許してくれるんですね!?」
俺はお義父さんの宇宙のような寛大な心に感激した。
「え、ああ。手を繋ぐくらいなら許そう――て、いいのかい? 若くて健康的な男子にとって、かなり辛い条件だと思うんだが」
「その条件なら問題ないです! 俺は香澄さんを好きになったその時から、大事にするって決めてるんです。もちろん、キス以上の事は結婚してからって決めてるんですよ!」
「そ、そうか……」
お義父さんはカップをテーブルに起き、困惑した様子を見せた。
「お義父さん、俺何か変な事言いました?」
「君はいい人なのかなぁ、と考えていたよ」
大学卒業まで結婚はできないけど、お義父さんに結婚の許しをもらえた。
うううう、今日はなんて素敵な日なんだ! 幸せすぎて、苦手なコーヒーもかなり美味しく飲めるような気がしてきたぜ! ひゃっほーい!!
……いや、やっぱりコーヒーは飲めないな。
***
夕方。俺と香澄ちゃんはお義父さんに挨拶をして、レストランを後にした。
「香澄ちゃん! 俺、お義父さんに結婚の許しをもらえたよ!」
香澄ちゃんの車に乗り込み、俺は喜びに満ちた報告を彼女に伝えた。彼女は「えっ!?」と驚きの声を上げ、戸惑いを隠せなかった。
「お父さんたら、そんな無茶な……」
「でも俺が大学卒業するまで、キス以上の行為禁止の条件つきだ。それができたら結婚を祝福するってさ」
「あ、そうなんだ。じゃあ、お父さんの期待に応えられるように一緒に頑張らなきゃね。お父さん公認だから、私たちは婚約関係ーーでいいのかな。なんてね」
香澄ちゃんが女神のような眩しい微笑みを浮かべると、俺の頬が自然にゆるんでしまった。
あ、そういえば……
「父と言えば、母もいるよな。香澄ちゃんのお義母さんってどんな人なんだ?」
連想ゲームのような感覚でお義母さんの存在を思い出し、俺は質問をした。
「お母さんの事、何も言ってなかったね」
香澄ちゃんは表情に暗い影を落とした。彼女の雰囲気から察するに、良い知らせではなさそうだ。
「お母さん、亡くなっちゃったんだ。私が中学生の時にね」
しまった、悲しい事を思いださせてしまった。
「ごめん……」
俺は無意識のうちに香澄ちゃんの手に触れ、優しく握りしめた。彼女は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに笑顔を浮かべた。その表情には、わずかながら恥ずかしさが混ざっているように見えた。
「いいの。家族の事を、何も話していない私が悪いのよ」
うう、香澄ちゃんは女神様……
小さくて柔らかな手は、ほのかに温かかった。初めて触れた女の子の手。心臓が激しく打ち鳴るのが自分でもわかる。
う、これ以上はダメだ!
自分を制するかのように、そっと彼女の手から自分の手を引いた。
「ささ、大地くん。早く帰りましょ」
香澄ちゃんは顔が赤いまま、車のエンジンをかけた。
『君はいい人なのかなぁ』
お義父さんがさりげなく言った、この言葉。
この時の俺は、彼は良い意味で言ってくれていると思い込んでいた。
しかし、実際のところ、その言葉には悪い意味合いが込められていた。お義父さんが抱えていた本当の感情を、俺が知ることは決してないだろう。未来においても。