お友達以上、結婚未満
――4月下旬、金曜日――
「先生、さようなら~!」
「はい、さようなら」
帰りのホームルームが終わると、2年C組の教室は生徒たちの明るい声で満ち溢れた。 新学期が始まって以来、私、柊香澄は2年C組の担任を務めている。毎日は忙しいが、それでも充実感に満ちた日々だ。
夜8時になり、学校の仕事を終えた私は軽自動車に乗り、スマートフォンを取り出して1通のチャットメッセージを確認した。
<お仕事疲れ様!
<明日の土曜日空いてる?
メッセージの送り主はお友達の佐々本大地くん。
去年の卒業式、私は大地くんからプロポーズを受けたけど、私たちはお友達の関係から始める事にした。
お互い何も知らないまま、結婚というのはいくら何でもおかしい――いえ、早すぎると思う。
それ以来、私たちは予定が合えば気軽に遊びに行くようになった。遊園地、山、公園、その他諸々。
まだキスも体の関係もない。ただのお友達だから。
私はなんだかくすぐったい気持ちで返信した。
空いてるよ>
私はスマホをカバンにしまうと、車のエンジンをかけた。
***
翌日、土曜日の午前11時。日差しは強いが、風は冷たかった。
私は、家から車で5分の距離にあるコンビニに到着した。ここが大地くんとの待ち合わせ場所だ。
「おまたせ。待った?」
私は助手席に座った大地くんに声をかけた。
大地くんは白いTシャツの上に紺色のカーディガンを羽織り、青いジーンズと白のスニーカーでまとめていた。これが彼の定番の格好だ。
「全然。今日は香澄ちゃんと何を話そうかとか色々考えてたら3時間あっという間だったよ」
「3時間も前に来たんだ……」
私はきっと引きつったような笑顔だったと思う。私と対照的に、大地くんは無邪気な笑顔をしていた。
彼は犬のような顔立ちのせいか、余計にそう見えた。身長も体型も平均的で、一言で言えば「普通」の外見だ。
「大地くん、今日は行きたい所があるの」
「おう! 天国だろうが地獄だろうが、どこまでも付き合うよ!」
「じ、地獄には行きたくないわ……」
大地くんの言動って極端よね……でも、これが彼の個性。だから私はそれを受け入れるしかない。
「俺、髪を下ろしている香澄ちゃん、初めて見たかも」
大地くんの突然の言葉に、私は彼に顔を向けた。
「ああ、今日は寝坊しちゃって……髪をまとめる時間が無かったの」
そういえば、私はいつも髪を後ろ1つに結っている。家以外で髪を下ろすのは学生以来かもしれない。
「大人っぽくて可愛い。次以降はそれで来てよ」
大地くんは子供のような笑顔でそう言った。その言葉に、私は思わず頬が熱くなるのを感じた。こんなことを言われるなんて、少し恥ずかしい。
「まぁ、そこは嘘でもいつもと違って綺麗だね、て言うところよ」
私は頬をわずかに膨らませてみせた。それは照れ隠しの小さな仕草。そして、深呼吸を一つしてから、アクセルをしっかりと踏み込んだ。
30分後。
「大地くん、着いたわよ」
目的地に到着し、私は車のドアを開ける。目の前に広がるのは、森の中に佇む木造りの大きな家。
「香澄ちゃん、なんか向こうに大きな小屋? が見えるけど」
「あれは小屋じゃなくて、レストラン。山の幸の料理がすごく美味しいのよ」
「なんか秘密の隠れ家みてー。香澄ちゃんてインドアの雰囲気なのに、俺の知らない間に色んな場所に行ってるんだね」
私がレストランのドアを開けた瞬間、心地よい木の香りが広がった。
中に入ると、解放されたような広い間取りに、木のテーブルと椅子が綺麗に並んでいる。木の温もりが肌を包み、落ち着く。ちなみに客はいない。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
私たちを迎えてくれたのは、レストランの店長。
白髪をさっぱりとまとめ、動きやすい黒い服の上に白いエプロンを身につけている。
「大地くん、ここが私のお気に入りの席なの」
私がそう言って案内した席は、大きな窓のそばだった。その窓からは、私たちの住む町全体がクリアに見渡せるのだ。
「うあー、すげー! ジオラマみてえ!!」
大地くんは座るや否や、窓の向こうの世界に夢中になった。私はクスっと笑いながら、彼の向かいに座った。
「あの、大地くん」
大地くんは「え?」と言いながら、私の方に顔を向けた。まるで現実に引き戻されたかのような様子だった。私は気を引き締め、口を開いた。
「大地くん、今日こそハッキリ言わせてもらうわ」
「え? え? それって、まさか……俺と結婚してくれるってこと!?」
大地くんは目を輝かせていた。だめだ、完全に先走りすぎている。
「そうじゃなくて……」
私が言いたいのは大地くんと結婚する事じゃない。私は「ふう」とため息をついたあと、こう告げた。
「お友達の関係はもう、やめましょう」
私の告白を受け、大地くんはしばらく沈黙した。
そして、彼は両手で頭をガッと掴んだ。
「ええええええええ!」
大地くんは、まるでこの世の終わりのような悲痛な叫びを上げた。私が心から伝えたかったことを、彼はまだ理解していないのかもしれない。
「結婚するわけでない、お友達やめる、てことは……まさか別れ!? 俺、やだよ! 香澄ちゃんと会えなくなるなんて!」
大地くんは鬼気迫る面持ちで私に迫った。
「もう! 少しは私の話を聞いて!」
私の言葉に圧倒され、大地くんは固まった。
「私ね、大地くんの事は友達思いですごく優しい人だと思うわ。だから大地くんとはお友達じゃなくて、普通にお付き合いしたいの」
ついに言った。私は大地くんと彼氏彼女の仲になりたいだけ。難しい事を要求しているわけではない。
でも、葛藤はあった。大地くんはまだ大学生だし、これから先たくさんの出会いが訪れるだろう。その分、他に好きな女の子ができると思う。
それに……ううん、彼に私の過去を知られたくない。
「嫌だ! 俺は付き合うなんて中途半端な事はしたくない!」
大地くんは駄々をこねた。その様子はまるで子供。彼にとって、友達と結婚の中間というものは存在しないのだろうか……
「もうもうもう! 大地くんのわからず屋!」
私は感情が噴出した。
「香澄。冷静に」
店内に低く落ち着いた声が響き渡った。その声の主はレストランの店長だった。
「それに君も……人の話を聞かずに、自分の意見を一方的に押し付けるのは良くないね」
店長に話を割り込まれ、驚いた大地くんは、彼をじっと見つめた。
「あの、おじさんは一体……」
店長は大地くんに優しい笑顔を向けた。
「失礼したね。初めまして、佐々本大地くん。僕は香澄の父です」
「え? 父?」
店長こと、私のお父さんの登場に大地くんは凍りついた。