お友達、始めました
卒業式のプロポーズから1年が経過した。
俺、佐々本大地はH大学理工学部の1年生。春休み真っ只中で、もうすぐ2年生になる。
現在、大学近くの小さな喫茶店で友人と雑談中だ。
この喫茶店は、大学入学直後に訪れたレトロな雰囲気の場所で、何種類もの時計が飾られた白い壁とコーヒーの香りが落ち着く空間だ。
俺はコーヒーが飲めないからリンゴジュースを、優一はいつものコーヒーを頼む。
「なあ、優一。夏休みに旅行に行こうと思ってるんだけど、この場所どう思う?」
俺は薄い旅行ガイドブックのページを木製のテーブルに広げた。
「旅行に行くだと?」
友人こと柳木 優一は、『人体実験の歴史:毒物編』という物騒なタイトルの分厚い本を閉じ、旅行ガイドブックに目を通し始めた。彼の細身のメガネがキラリと光った。
「『熱々温泉、猛暑の山の温泉に愛くるしいお猿さんと一緒に混浴しよう♡』て、柊先生と温泉旅行に行くつもりか?」
「うん!」
俺は元気に返事をした。すると、優一は『そうか、そうか』と言いながら、笑顔で頬杖をついた。何度見ても、彼の作られたような笑顔にはいつまで経っても慣れない。
「先生と旅行に行く計画を立てるくらいだから、お友達の関係から先に進んだって事か?」
去年の高校の卒業式、俺は柊先生こと香澄ちゃんにプロポーズして、お友達になった。
優一は俺たちの関係を知っている。
「いや、これはお友達1周年記念旅行だから……」
優一は「はあ?」と言いながら、目を細めた。冷めた目つきで俺を見ながら、口を開いた。
「なあ、大地。別に結婚するのは構わないが、普通に付き合って、大学を卒業してからでも全然遅くないだろうに。お友達の次が結婚というのは早すぎだ」
どいつもこいつも……結婚に早いも遅いもないだろうがっ! 俺は俺の恋愛観をこのまま述べてやるぜ!
「俺はガキの頃からずっと親父に言われ続けてきたんだ。本気で惚れた女が現れたらすぐに結婚しろと。それが佐々本家のしきたりだと」
優一はコーヒーを飲みながら、話を聞く。
「だから俺は香澄ちゃんと結婚したいんだ! 付き合うってことはいつでも別れられるって事だろ!? そんな中途半端なできるか!」
優一は呆れ顔でため息をついた。
「わかったわかった。大地のおかしな恋愛観の元凶はご先祖様だって事だけはわかった」
「ちっともおかしくない!」
俺は握りこぶしをテーブルに叩きつけた。手がじわじわと痛くなってきた。
優一は空のコーヒーカップをテーブルに置いた後、俺をじっと見つめながら、口を開いた。
「話は変わるが、大地は『桜田 悟』と仲が良かったな? 彼は元気か?」
「悟? あぁ、たまに連絡しているけど、元気にしてる……と思う」
「桜田悟」は優一と同じクラスだったっけ。悟はある事情により、遠くへ引っ越した。いや、引っ越さざるを得なかった、と言ったほうが正しい。
悟が引っ越した理由を、優一は担任から聞いたようだ。そして、悟が引っ越したことを、優一は良いことだと思っているらしい。
悟の話をしていた時の優一は非常に淡々としていた。 悟と優一はクラスメートに過ぎず、特別親しいわけではなかった。だから優一の反応はある意味で理解できる。そう考えつつも、俺は心の中で複雑な感情を抱え、唇をかみしめた。
医師である両親に持つ優一はH大学の医学部。将来は病院の院長である父親の跡を継ぐ予定らしい。
明らかに平凡な俺と仲良くなれるタイプではない。頭が良く育ちの良かった悟ならまだわかるが。
俺たちは同じ高校出身だが、こんなに親しく話せるようになったのは、この喫茶店で偶然会ったからだ。
俺は喫茶店で優一と会った時を思い出す。
◆◆◆
遡ること――俺が大学に入学してしばらく経った頃、昨年の6月だ。
学校の講義が終わり、俺はいつもの喫茶店に足を運んだ。
お気に入りの席にスラっとした男が、分厚い本を読んで座っていたのが見えた。「珍しく客がいる」と心の中でつぶやきながら、その席に近づいた。
「あっっ! 生徒会長!……の、柳木優一」
俺は大きな声を上げた。
生徒会長こと優一は口に含んだコーヒーを「ぶーっ」と吹きだした。俺の叫びに驚いたようだ。
俺は分厚い本に目をやると、『せかい毒薬発見:古代エジプト編』という物騒なタイトルが目に飛び込んできた。コイツ、一体どんな本を読んでるんだ……俺は少し引いた。
「ゴホッ、ゴホッ! ん? どこかで会ったような……」
優一はむせながら、俺をジロジロと見つめた。
彼の姿を間近でしっかりと見たのはこれが初めてだった。きつめだが整った顔立ち、清潔感溢れる黒い短髪、長身でモデルのようにスラっとした体型。そして何よりも優秀。そういえば、優一は高校時代、非常に女の子にモテていた。おそらく今も変わらないだろうな。
「お前は確か文芸部副部長の、佐々本か?」
優一は細身のメガネを軽く調整しながら、そう言った。
俺は高校の時、文芸部の副部長を務めていた。色々事情があって、2年の冬に入部していきなり副部長を任された。だいたい想像つくだろうが、俺が文芸部に入った理由は、顧問の香澄ちゃんに近づくためだった。
優一は意外にも俺の事を覚えてくれていた。俺はちょっぴり感動した。
そして、俺の感動に応えるように、優一は爽やかに微笑んだ。
「『意外にも自分の事を覚えてくれていた』と言いたそうな顔をしているな。俺は生徒会長やっていたから、全部活の部長と副部長に……全委員会の委員長と副委員長くらいは記憶している」
すげー上から目線な物言いだな、コイツ。でも、さすが学年トップ。頭の良さは伊達じゃないな。俺は『はは』と苦笑いをした。
優一は向かいの席を指した。
「そこ空いてるから座ってもいいぞ」
あの、そこは俺のお気に入りの席なんだけど。……と言いたかったのを抑え、俺は優一の向かいの席に座った。
それ以来、優一とは喫茶店で会っては話し合う仲になった。
優一は香澄ちゃんのクラスの生徒だった。そのせいもあってか、俺は卒業式の事をうっかり彼に話してしまったのであった。
◆◆◆