目には目を。歯には歯を。毒には毒を。
――4月下旬――
「おーっし! 今年こそは甲子園に行くぞ!」
「おーっす!」
3年D組の窓から見えるグラウンド。グラウンドには野球部が甲子園を目指して練習している。
文芸部とパスタ部とヒヨコ蔵部からもぎ取った部費で購入した最新型のピッチングマシーン。
部員は時速160キロのボールをバットで打ち込んでいる。
時速160キロのボールか……怖いな。よくあんな早い球を打てるな。
――
時刻は夜の8時前。俺はいつものように職員室のドアの隙間から香澄を見守っている。
香澄の近くには――ろくでなしクソ野郎の種元が立っていた。今の職員室には、香澄と種元の2人っきりだ。だから、種元がおかしな事をすれば、すぐにでも邪魔をしなくては。
「柊先生。今度の土曜日は暇ですか? ケーキの美味しいお店を見つけましたので一緒に行きませんか?」
くっ! 食べ物で香澄を釣ろうとしやがって。
「すみません、種元先生。今度の土曜日は用事があって――また今度誘ってください」
……香澄が用事だと? この俺ですら把握していないぞ。一体どこへ行くつもりだ?
「あれ、もしかして、デートですか? なーんて……」
「いえ、少年院で面会があるんです」
香澄から衝撃の答えが返ってきた。
少年院てまさか……
俺はある人物の顔が脳裏に浮かんだ。
「え? 少年院って……先生の親戚に問題を起こしたお子さんがいるのですか?」
「あ、ええと――金田くんを覚えてますか? 月に一回だけ金田くんと面会をしてるんです」
やはり金田との面会か……
香澄め。いつの間にアイツと面会していたんだ。
金田なんか放っておけばいいのに……どうして……
「ああ、覚えてますよ。傷害事件を起こした生徒ですよね。まったく――校長先生の息子だからって何やってもいいってわけじゃないでしょうに」
金田は傷害事件を起こすまでは真面目を装っていたが、事件が明るみに出た途端……先生たちの態度が一変した。香澄以外は。
「ですが種元先生、金田くんは自身が犯した過ちを反省してます。彼は蓋を開ければ、とっても楽しくて明るい男の子です。どうか金田くんを温かく見守っていただけませんか?」
「それはどうだか。年齢問わず問題を起こした人間って所詮――その程度でしかないんですよ。金田くんの面会なんて時間の無駄ですよ。はは」
「種元先生、そんなことは……」
種元を見る香澄の目はとても寂しそうだった。
俺はドアの隙間から目を離し、廊下の壁紙を背につける。
香澄、これでわかっただろう? 種元は所詮その程度の人間だってな。
「――あの! 種元先生! 何を!」
香澄のただならぬ声に俺はドアの隙間を覗き込む。
……な!
種元は香澄の顔を手で押さえ、顔を近づけている。
た、種元おおお! 穢らわしいその口で香澄のファーストキスを奪うつもりだな!
そうはさせるか!
俺は『ふう』と息を吐く。そして――
――コンコン。
俺は職員室のドアをノックした。
「――っ!? だ、だ、誰だい?」
皆帰ったのだと思ったのだろう。種元の声はひどく慌てたものだった。
ドアを開け、職員室に一歩踏み入れた俺は笑顔を作る。
「あ、すみません、こないだの模試の問題に出ていた『源氏物語』について柊先生に質問したくて……」
俺の目に入ったのは、帰り支度をしている種元と、自分の机で採点をしている香澄の姿だ。
香澄は俺を見るや否や口を開く。
「あっ――柳木くん。今何時だと思ってるの? 早く帰りなさい」
「え? もうそんな時間ですか……受験勉強に集中しすぎたみたいですね」
俺はすっとぼけた空気を出した。
「えっと……じゃあ、僕はそろそろ帰りますね。さようなら柳木くん、柊先生」
自分の荷物をまとめた種元は、気まずそうに俺の横を通り過ぎ、職員室を出て行った。
さて。種元はこのあとどうするかな……
「じゃあ、俺も帰ります。さようなら柊先生」
「……ゆうちゃん?」
香澄のファーストキスを無事に守れた事に安堵した俺は職員室をあとにした。
俺にはまだやることがある。
通学バッグからスマホを取り出し、とあるアプリを起動した。
スマホの画面に映ったのは2人の人影――種元と女子生徒がお楽しみしているところである。
実は、視聴覚室と体育館倉庫に隠しカメラを設置しておいた。
平日の日、種元がお楽しみするのはこの2カ所のみである。
俺が起動したアプリは、その隠しカメラの映像を映しだすものだ。
香澄の貞操を奪えなかったから、女子生徒で発散させるとは――随分と単純なヤツだな、種元。
だが、これで終わりだ。
アプリと閉じた俺は、通学バッグにスマホを仕舞い込んだ。
……
――翌日
『柳木先輩へ 私はやっぱり先輩の事が忘れられません。放課後、校舎の裏で待ってます。 2年 相曽 ユキ』
朝8時の学校の玄関。俺の下駄箱に入っていた手紙にはそう書かれていた。
手紙に描かれている可愛らしいキャラクター。差出人の氏名。極めつけは敢えて読みづらくしているような丸っこい文字。間違いなく女子生徒からの手紙である。
2年、相曽ユキ……ふん。ぶ厚い化けの皮を剥がしてやる。
――放課後――
春の夕方もようやく温かくなってきた。
校舎の裏にたどり着いた俺は辺りを見渡すと、校舎の影になっている場所でウロウロしている人物が目に入る。
人物の正体はパッと見普通の女子生徒であった。
肩まで伸びた黒髪、白肌に差した赤い頬。ふっくらした全身がとても可愛らしい。
この女が『相曽 ユキ』である。俺は女子生徒に近づく。
「あ、柳木先輩!」
「相曽さん。付き合いの申し出はお断りしたはずだが?」
「私、やっぱり先輩が好きなんです! お願いします! お友達から始めてくれませんか?」
やっぱり俺の事が好き? よくもまあ、そんなふざけた事が言えるな。
俺は無表情で、腕を組む。
「じゃあ、相曽さんに質問だ。質問の答え次第で付き合うか考える」
「はい!」
「俺のどこを好きになったんだ? 相曽さんは俺の事をよく知らないだろうし、逆に俺は相曽さんの事をまったく知らないんだが」
「え? えっと……その、一目惚れなんです。入学式の時、廊下をキレイな姿勢で歩く柳木先輩を一目見て好きになりました」
相曽は視線を落とし、人差し指を口元にあてながら答えた。
「一目惚れから始まる恋はよく聞く話だ。まあいいだろう」
相曽はホっとした様子を見せる。まあ、本音なんか簡単に吐けないだろう。
「じゃあ、次の質問だ」
俺は笑顔で通学カバンからある物を取り出した。
「え? ――っ!? 柳木先輩、それは……!」
相曽の分厚く塗りたくられた白い顔が真っ青に変わった。
俺は笑顔で、相曽に写真を見せつけた。
数学教師種元と相曽のお楽しみ中の写真を。
「この写真に写ってるの、種元先生と相曽さんだろ? 俺の事『ずっと好きでした』とか、俺に『一目惚れした』とか言ったのに、この写真はどういう意味か説明してくれるか?」
「あ、そ、そそそそそれは……」
相曽が壊れ始めた。見ていて楽しい。
「えーっと、あ! 種元先生に脅されて……仕方なく……です! そうなんです!」
ほお。脅されて――か。
俺は更にスマホを取り出し、アプリを起動した。
――
「ユキたん……柊先生ってお堅いよお」
「えー? まだ柊先生に振り向いてもらえないんですかあ?」
「両親から早く身を固めろって言われてるし、ちょうど良さそうなのが柊先生だったから、仕方なくアプローチしてるのに……」
「じゃあ、今度私から柊先生を誘い出すから、今度こそ襲っちゃえ!」
「もう、柊先生はいいよぉ。ユキたん、高校卒業したら、僕と結婚しない? ユキたんの欲しい物何でも買ってきたし、結婚したあとも大事にするからさぁ」
「えー? わたし柳木先輩がいいなぁ。こないだ告白して振られたけどお」
「柳木くんって絵に描いたような真面目だし、つまんない男かもしれないよ?」
「何言ってるんですかぁ。柳木先輩はかっこいいし、柳木病院院長の息子だし、医学部を受験する完璧な王子様じゃないですかあ。柳木先輩と付き合えたら、皆に自慢しちゃう♡」
――
まったく。いつ聞いても気分の悪くなる会話だ。
香澄は俺の玩具であってお前たちの道具ではない。
「嘘……」
脅されているとは思えない会話を流され、思考停止した相曽は、凍りついた。
クク、とても愉快な反応を見せてくれるな。
俺は思わず笑みをこぼした。
「お前たちの会話は全部聞いた。随分と楽しそうだったけど、どこに脅しの要素があるんだ?」
「先輩。違うんです!」
「何が違うんだ? 脅されているところか? それとも俺を好きなところがか?」
「うっうっ! 違うんですってばー! 私は先輩が好きなんです! 信じてください……」
「俺の質問に対するちゃんとした答えをまだ貰ってないぞ。泣いても事実は変わらない」
ここまで醜態を晒されて、俺への言い訳が苦しくなってきたみたいだな。
そろそろ俺の気持ちを伝えるか。
「相曽。俺の大嫌いな女のタイプを教えてやろうか?」
俺の無慈悲な声に、相曽は『え』と声を漏らしながら、俺に涙目を向ける。
「俺を好きになる女だ。俺がどんな人間か全く知らないのに俺を好きだなんて、虫唾が走る」
「そんな事言ってたら、先輩に好きな人なんて一生できないじゃないですか!」
「俺は女を好きになった事などない。今までもそうだったし、今後もないだろうな。だが、いい人だと思う女はそれなりに見てきた」
「いい人?」
「そうだな。例えば……パスタ部部長の板利だな。アイツの頭の中は『究極のパスタ』で埋めつくされていて、俺を見ても何とも思っていない」
「は? 何それ。パスタ部とか……究極のパスタとか……くだらない」
「俺はくだらないとは思わない。どうやら相曽と俺は人間が合わないらしい。友達すら無理だな」
俺は相曽にそう吐き捨て、振り返る。
「何よ……ちょっとスペックがいいからって……調子乗ってんじゃないわよ」
相曽が何か呟き始めた。このあとどうするつもりだろうか?
――チキチキ。
この音は……カッターの刃を出す音だ。
視線を背後に向けた俺の瞳に映ったのは、カッターの刃を俺に向けている相曽の姿である。
「全部、柳木先輩が悪いんだからね! 私と付き合ってくれる? そしたら、柳木先輩も痛い目にあわずに済むよ?」
はあ、またか。
このやり取り――高校入学してからコイツで何人目だ?
だから、俺を好きになる女は嫌いだ。
「柳木! そこを動くなよ!」
聞き覚えのある声がどこからともなく耳に入ってきた。
俺は声のする方角に顔を向けると、目の前から硬式ボールと思われるボールが飛んできた。しかもものすごい速度で。
「ぐわあ!」
俺の悲鳴とともに、ボールは俺の顔の前でグワア!と急速に軌道を変化させ、俺の背後へ飛んでいった。
「……へ?」
「ひぃあ!」
俺の間抜けな声とともに、背後から相曽の悲鳴が響いた。
振り向くと、相曽は顔面にボールが直撃して倒れていた。カッターは手から離れている。
「ん? これは……」
相曽の顔面に直撃したのは、硬式ボールではなかった。水浸しのスポンジボールである。
驚いた。さっき俺に向かってきた時、硬式ボールが飛んできたのかと錯覚してしまった。
俺は急いでカッターとボールを回収したあと、ボールの飛んできた方向――草むらに視線を向ける。
「そこにいるのはわかってるんだぞ。3バカ部長。覗き見してたな?」
草むらからガサっとした音とともに、バカ部長が姿を現した。
何故かずぶ濡れのジャージ姿の青倉と、ジャージにエプロン姿の板利と、ヒヨコの着ぐるみを着ている日横が並んで立っている。
青倉は頭をポリポリとかきながら、苦笑いを浮かべる。
「なんだ、バレてたのか。どうしてわかったんだ?」
「草むらからヒヨコの頭が見えてたからな」
俺の言葉を受けた3バカ部長は、激しく動揺した。
そして――
「ほらあ! だから言ったじゃない! せめてヒヨコの頭くらいは取りなさいって!」
「板利の言うとおりだぞ! 柳木は数学Bの小テストで100点取った天才なんだからヒヨコの頭で絶対バレるのは目に見えるだろ!」
「な! バカ言うな! 捨てられたヒヨコを保護するには常にヒヨコの姿にならなくてはいけないのだぞ!」
――ヒヨコの頭で揉め始めた。
コイツら……3バカ部長の名に恥じぬ程のバカである。
「ところで――バラバラのお前たちがどうして一緒にいるんだ?」
俺が質問すると、ずぶ濡れの青倉がグッと拳を握る。
「おお、よくぞ聞いてくれた! 黒崎との熱い勝負が終わったあと、俺たち3人で話し合ってな――月に2回ほど合同で部活動する事にしたんだ。そんで、今日がその日だ」
「ほお……」
「で、今日の活動が終わった俺ら部長は次の活動の打ち合わせしながら歩いてたんだ。そしたら、柳木と女の子が一緒になっているのがたまたま目に入ってな……覗き見しようと思って、近くの草むらに隠れたんだ。そしたら、急に女の子がカッター出してたから、俺は柳木の危険を察知したんだよ」
青倉の話からすると、俺と相曽の話は聞かれていないようだ。良かった。
「文芸部とパスタ部とヒヨコ蔵部が一緒になって何をするんだ……?」
「そうだなあ、まずはそれぞれの部活動をやろうって事にしてるんだ。今日はヒヨコ蔵部の活動で捨てヒヨコの保護活動してたんだ。いざ、やってみたら命の大切さを痛感したよ。無責任に卵を温めてはダメなんだな」
青倉が合同活動の内容をペラペラと話した。
捨て猫や捨て犬ならわからんでもないが、捨てヒヨコってそんなにいるのか?
「板利はどうしてエプロンを身につけている? 捨てヒヨコを保護するのに必要ないんじゃ……」
「まあ! 何て事を言うの! 柳木くんは何もわかっていないのね! 私はいつでもパスタを作れるようにこうしてエプロンを常に身につけているのよ。いつどこで究極のパスタのレシピが閃くかわからないもの!」
「ああ、そう……」
やはり、板利は板利だった。
「最後に、青倉はどうしてずぶ濡れなんだ?」
「川の近くに捨てヒヨコがいないか探してたら、ダンボールが川に流されていたのが目に入ったんだ。そしたら、その中に捨てヒヨコがいて、俺は真っ先に川に飛び込んだよ。結構深い川だったから、全力クロールで捨てヒヨコを保護したんだぜ」
危なかったな……ヒヨコも青倉も。
良い子は真似するなよ。
「あ、そうだ。柳木ぃ! 俺の投げた『魔○球』の威力を見たか? 子供の頃、死ぬほど練習したんだぜ!」
「ま、○送球……?」
「某野球アニメの必殺送球だ! 一塁へ走る打者走者の目の前を横切ってから急激に曲がって一塁手に渡る禁忌の技だぞ! 子供の頃、野球の試合で投げたら監督にこっぴどく怒られて以来、スポンジボールで投げるように心がけてるんだぜ!」
アニメの技を再現するなんて……
やはり、青倉の運動神経は非常識だ。
「青倉。さっきの球のスピードってどれくらいだ?」
「俺の感覚だと80キロあるかないかかな?」
「そ、そうか……」
80キロでも一瞬だった。160キロの球ってどう見えるんだ? 知りたいような、知りたくないような……俺はそんな気持ちを抱いた。
――翌日の朝
朝8時30分。廊下を歩いていると、香澄が種元が一緒にいるのを見た。2人の様子からすると、香澄から種元に声を掛けているところのようだ。俺は2人を観察する事にする。
「種元先生。おはようございます。昨日お休みされて……体の具合が悪かったんですか?」
「え? あ……いや……柊先生。あの、僕が昨日……いや今までしてきた事は忘れてください! これからも先生として仲良くしてください! じゃあ!」
種元は香澄から逃げるように去って行った。
「あ、種元先生! ……どうしたのかしら?」
香澄は種元の後ろ姿をさんは心配そうに見守る。
少年院にいる金田の事を悪く言われたのに、突然ファーストキスを奪われそうになったというのに……アイツの心配をするのか。
種元の事はキレイさっぱり忘れろ。アイツと一緒になったところで、香澄が泣かされるだけだぞ。
昨日の早朝、俺は種元のアパートのポストに封筒を入れてきた。
『柊香澄に近づいたら、生徒に手を出している事を教育委員会にバラしてやる』
封筒に入れたのは、新聞の切り抜きを貼り付けた脅しの手紙。それに相曽とのお楽しみ中の写真も添えてな。クス。
2人の間抜けな姿を教育委員会に晒しても良かったが、香澄に手を出す前だったから勘弁しておいた。俺の慈悲に感謝することだな。
――放課後
帰宅するために廊下を歩いていると、視聴覚室から男女の卑猥な声が聞こえた。
俺はドアのガラスからコッソリと中を覗くと、相曽が先生とお楽しみ中のようだ。相手の先生は化学教師で既婚者だ。
種元の件で痛い目にあったというのに、まだ先生とお楽しみするとは。
禁断の遊びの果実の味はとても甘くて美味しいのだろう。その果実が猛毒だということも知らずに……
相曽はいつからその毒にやられたのだろうか? そして、相曽が解毒剤を見つけるのはいつになるだろうか。
まあ、俺には関係ない話だ。
俺は何も見なかった事にして、その場を立ち去った。




